大切なようでそうでもないもの


 ブラッドリーに続いて魔法舎の敷地を出て、道なりに歩いて行く。てっきり箒でひとっ飛びするのかと思ったが、ブラッドリーは何も言わず、コートのポケットに両手を入れて、さもかったるそうに、たらたら歩いていた。
 そうしていると、どこぞのチンピラかという風情がある。しかしそこはそこ、ブラッドリーのスタイルの良さと内面から滲む気品のようなもののため、あまり柄の悪い感じにはならないから不思議だ。もちろん堅気ではなさそうな雰囲気は、これでもかというほどに発している。元いた世界だったら、こんな歩く反社会的勢力と行動をともにするなど、絶対にありえなかった。
 中央の国の首都は都会然としているが、それでも道々には木々が並び立ち、木葉が生い茂っている。すうと息を吸い込むと、緑のにおいが濃くかおった。気候はいいが、空気が少し乾燥している気がする。気温はそれなりにありそうだが、歩いているとようやく暑く感じる程度で、あまり汗もかかない。
 モッズコートなんて着ているブラッドリーは、暑くないのだろうか。横目で顔色を確認するも、彼は文字通り涼しい顔をしている。そんなことを考えつつ歩いていると、視線の先に帆布のテントが見えてきた。風にのって、活気ある市場の声が耳に届く。
「なんかこういうの久し振りすぎて、テンションがめちゃくちゃ上がってきました」
「手軽すぎだろ」
 たかだかいちで、とブラッドリーが振り返り、呆れたような視線を私に寄越す。
「なにぶん娯楽がなさすぎて……」
「それにしたって、普通の市場だろうが。別に高価なもんや貴重なもんがあるわけでもねえ」
「普通の買い物すらできない環境にいるもので」
 財布を入れたかばんを確認し、いざ市場へと踏み出す。
 まずはひと通り市場を散策し、そのあと街道に沿って、衣服や日用品を取り扱う店を見て回る。ざっくりとだが、そんな感じの予定を立てていた。双子にもその旨は伝えてあり、財布には少し多めにお小遣いを入れてもらっている。双子の言う「少し多め」がどのくらいなのかは、この世界の貨幣価値や相場を知らない私には分からない。
 元いた世界で買い物といえば、スーパーやショッピングモールに行くのが一般的だった。こういう開放的な場所での買い物は、祭りの屋台か、修学旅行の土産物屋通りを歩いたことくらいしか覚えがない。
 きょろきょろと辺りを見回す。買い物客はみなこの辺りの住人のようで、生活のための買い物という雰囲気が充満していた。どこから見ていこうかと悩み考えていると、私の前を歩いていたブラッドリーがふいに、ふらりと通りを外れて細道に向かった。そちらにいちのテントはない。
「えっ、ちょっと!」
 ここではぐれては、後から双子やフィガロに何を言われるか分かったものではない。私は慌ててブラッドリーのコートの裾を引っ張った。
「ちょっと、ブラッドリーさんどこに行くんですか」
「そのへんの店冷やかしてくんだよ。ついてくんなよ」
 ブラッドリーは平然と答える。そのへんの店といったって、市場の大通りからも街道からも外れた先にあるのは、私のような右も左も分からないような人間が行くべきではない店くらいだろう。
「いやいやいや、買い物のお供してくれるんじゃないんですか?」
「別にてめえもガキじゃねえんだから、ひとりで買い物くらいできんだろ」
「でもまだ文字の読み書きできないし」
「喋りが通じればどうにかなる。ぼったくられたら、そのときはてめえの運がなかったってこった」
「そんなぁ」
 取り付く島もないとはこのことだ。双子たちにねちねち言われるかもしれないことはこの際よしとしても、言葉も覚束ない状態でひとりきりで買い物をするというのは、さすがにちょっと心細かった。ブラッドリーの言うとおり話は通じるとはいえ、値札ひとつも読めないのは不安だ。
「あっ、そうだ。恩赦。恩赦はどうするんですか?」
「てめえが黙ってりゃバレねえよ」
 最後の望みも、あっさり打ち砕かれた。私が諦めたのを察してか、ブラッドリーはコートにかかった私の手を振り払う。
 去り際、背を向けたブラッドリーがひらりと手を振った。悔しいくらい様になっているその背中を、私は途方に暮れた心持ちで茫然と見送った。

 とはいえ、いつまでも突っ立っていて茫然としていても仕方がない。私はひとつ溜息を吐き、それから気持ちを切り替えた。
 頼みの綱は失ってしまったが、それだって何も悪いことばかりではないはずだ。ブラッドリーという監視の目がなくなったのだから、私だってもっと羽を伸ばして自由に見て回ることができる。
 ひとまず、人の流れに沿って、ぶらぶらと見て回ることにした。食品などは特に買い求める予定もないので、さっと見るだけで通り過ぎる。新鮮な果物の山には心が揺れたが、このあと衣服を買うことを考えると、食べ歩きなどしてうっかり売り物を汚すようなことは避けたかった。ブラッドリーがいないのだから、慎重を期すに越したことはない。
 しばらく行くと市のテントが途切れ、代わりに路面店が軒をつらねるようになる。ショーウィンドウに視線を送り、私はぼんやりと自分の服と見比べた。
 幸福の村で用意してもらったこの服も、何時いつの間にかすっかり見慣れてしまった。私の元いた世界の感覚からすれば、これもかなり不思議な民族衣装だ。下手をすればコスプレと見られかねない。
 こちらの世界には可愛い服が多い。だが私が元いた世界、というか現代日本の標準的な衣装とは、おおいに様相が異なる。昔のヨーロッパっぽい……とでも言えばいいのだろうか。そういったことにあまり詳しくないので、適切な表現が思い当たらない。
 店のなかまでは入らず、店前に見本のように置かれた商品だけ見て回る。さりげなく値札を確認すると、双子から持たされたお小遣いだけで、優に十着は見繕えそうな金額だった。どうやら結構な額を持たされたらしいと、私は察する。
 それにしても、まさかこの年になって、もらったお小遣いを握りしめて買い物に出されることになるとは。情けないにも程がある。
「やっぱり早いとこ読み書きできるようになって、外で仕事を見つけないと……」
 今日何度目かの決意を新たに、歩を進める。
 今のところ私が魔法舎でお世話になっているのは、魔法使い側が私を目の届くところに留めておきたいのだろうと、そう私が推測しているからだ。実際、この推測は間違っていないはずだ。
 とはいえ、この先ずっと監視の目がゆるまないわけではないはず。まずは魔法使いとかかわりのない仕事を見つけ、行く行くは魔法舎を出て自活したい――というのが、目下の私のプランBだった。プランAは当然、元いた世界に戻ること。その時には真木先輩も一緒に帰れたらいいと思っている。希望は捨てていない。
 と、ぼんやり考え事をしながら歩いていたせいで、前からやってきた人と、すれ違いざま肩がぶつかった。
「わっ!?」
 体がよろけ、たたらを踏む。さいわい倒れこむことはなかったが、大きく身体がよろめいた。咄嗟に手近なものを掴む。ちょうどよくすぐそばに街路樹が生えていたので、そこに手をついた。手のひらが樹皮にこすれて、ちりっと熱く痛む。擦りむいたかもしれない。
「すみませ――」
「どこ見て歩いてんだ、気ィつけろ!」
 謝ろうとした瞬間に、すぐさま怒鳴り声が飛んできた。驚き、びくりと首を竦める。雷をぶつけられたような迫力に一瞬ひるむ。視線を上げれば、そこにいたのは熊のようにむくりとした、髭面のおじさんだった。顔が赤らんでいるから、昼間から酒に酔っているのかもしれない。
「ふらふらしてんじゃねえぞ!」
「す、すみません……」
 心ここにあらずだったのは事実なので、そこは素直に謝った。しかし怒鳴られながらも、すでにミスラのとんでもない破壊活動を目の当たりにしている私は、さしたる恐怖も感じない。
 正直ミスラの大怪獣ぶりに比べれば、人間のおじさんの怒鳴り声など、いくら大音声だいおんじょうでもまったく怖くない。おじさんの怒鳴り声は頑丈な建物の外壁を破壊したりはしない。
 とはいえ出会い頭に怒鳴られるなど、とうてい気分のいいものではない。むっとした気分が顔に出ていたのか、おじさんはぐっと腰を屈めると、検分するように私の顔をじろじろと眺めまわした。
「それにしても……なんだぁ? おまえ、見慣れねえ格好しやがって……魔女か?」
「は、はぁ?」
 あまりにも分かりやすく難癖をつけられて、思わず一歩後ずさる。見慣れもないも何も、私が今身に纏っているのは、この国で織られた上等な織物だ。知らないのならば、それはそちらの見識が浅いだけと言わざるを得ない。
「違います、魔女じゃないです。そもそも私のどこが魔女っぽいっていうんですか」
 この世界の魔女というものに、私はまだ遭遇していない。だから魔女なのかと疑われたところで、自分のどこが魔女っぽいのかすら分からない。若干一名、魔女も斯くやという艶っぽいフェロモンを出す魔法使いになら心当たりがあるものの、彼を知っていればなおさら、私に魔女っぽいところがあるとは思えない。
 しかし難癖おじさんの方も、どういうわけか一歩も引かない。
「どうだかなぁ。よく見りゃ顔立ちも人間っぽくねえしなぁ?」
「それはこの国の人間っぽくないというだけでは……」
「人間っぽくねえってことは、やっぱり魔女ってことじゃねえか」
「あ、揚げ足取り……! この国のって言ってるのに!」
 そもそも私はこの世界の人間ですらないのだ。美男美女率が圧倒的に高いこの世界の人間らしくなくたって、そんなのは仕方のないことではないか。言っておくがおじさんだって、人のことをどうこう言える見た目はしていない。むくつけきおじさんだ。
 というか、この国って魔法使いと比較的うまくやっている方の国なんじゃなかったのか。こんなふうに往来を歩いていただけで、難癖をつけられることがあるなんて。繊細で心優しいクロエについてきてもらわなくてよかったと、こんなときだが心底思う。
「おうコラ、聞いてんのか?」
 揚げ足取りに調子づいたのか、おじさんが一層凄んでくる。何にせよ、黙っているのは得策ではない。私は急いでこくこく頷いた。
「はいはい、はい、もちろんです。魔女じゃないです」
「違うっていうなら、人間だって証明してみろ」
「そんなむちゃくちゃな」
 もはや悪魔の証明のようなことを言い出すおじさんに、私は途方に暮れた。通り過ぎていく人たちが、ちらちらとこちらに戸惑いの視線を投げていく。だが誰かが助けてくれるわけでもないあたり、彼らも私が魔女だったなら関わり合いになりたくないということか。
 となれば、この窮状を自分でどうにかするよりない。難癖おじさんに口喧嘩で勝てるとも思えないし、目立ち過ぎればまた魔法使いたちに迷惑をかけかねない。どうにかするといっても、私にできることなどこの場から逃げ出すことくらいだ。
 足の速さで勝てるだろうか? 自慢じゃないが、運動能力は学生卒業以降低下の一途を辿っている。
 じり、と一歩後ずさり、撤退の姿勢を整える。さらに一歩後ずさり、いよいよ踵を返そうとしたその瞬間、引いた半身が固い何かに、どんと思い切りぶつかった。
 さっきも難癖おじさんにぶつかったばかりだというのに、今日はぶつかってばかりだ。踏んだり蹴ったりだと思いつつ顔を上げると、そこにあったのは顔の中央に大きな傷の痕を持つ、甘い瞳の男の顔だった。
「おい」
 ぶつかった私の肩に手を置き、ブラッドリーはぞんざいな手つきで私を引き剥がす。ブラッドリーは眉間に皺を寄せて私を見下ろしていたが、つと視線を上げると、私の正面にいる難癖おじさんへと視線を移した。
 ブラッドリーの厳しい視線に射すくめられ、今度はおじさんの方が一歩後ずさる。もしかしておじさん、私が若い女だからというそれだけの理由でやたら強気だったのだろうか。ブラッドリーの登場により一気に弱気になったおじさんに、私はついつい胡乱な目を向けた。
「おい、虜囚」ブラッドリーが不機嫌そうに言う。「ちょっと目ェ離したすきに、何を雑魚に絡まれてんだよ」
「目を離したというか、完全に見放してましたよね……」
「似たようなもんだろ」
 どこが、と言い返したいのをぐっと堪える。ブラッドリーの意思はともかく、私がブラッドリーに助けてもらった格好なのはたしかだ。ここで余計なことを言うのは、さすがに恩知らずだった。
 私が口をつぐんだのを見て、ブラッドリーがふたたびおじさんに視線を戻す。おじさんは、私とブラッドリーが遣り取りしている間にさりげなく撤退しようとしていたようだが、ブラッドリーがまた視線を戻したことで、ぴたりと摺り足を止めた。
「おい、そこのてめえ。こいつに何か用か?」
 ブラッドリーが問う。彼にとってはただの質問なのだろうが、首から反社会的勢力の木札を下げているも同然のブラッドリーに詰められれば、一般市民は額に銃口を向けられているような気分になるに違いない。
 それでも、おじさんは最後の威勢をふり絞り、
「な、なんだおまえ……」
 ブラッドリーに言い返す。だが、これが最大の悪手だった。
「あ? てめえ今、俺に『なんだ』っつったか?」
 大盗賊として名が売れていることに、ブラッドリーは並々ならぬ自負を持っている。そのブラッドリーに対し「なんだおまえ」は、もっとも言ってはならない一言だった。見る間に表情を険しくしたブラッドリーは、私の横をすりぬけると、つかつかと大股でおじさんの方へと歩み寄る。
 そうしておじさんの目の前、文字通りの目の前まで近寄ると、ブラッドリーはその凶悪な表情のままで、ぐっと顔を近づけた。
「おいコラ、首都に住んでながら俺様のことも知らねえとは、てめえもぐりか?」
 ひっ、とおじさんが小さく声をもらす。今にも胸ぐらを掴みそうなブラッドリーに、私ははらはら固唾をのむ。
「いいか、呼吸も止めてよく聞けよ。俺様はブラッドリー。北の国の魔法使い、泣く子も黙る大盗賊のブラッドリー様だ。覚えられねえっていうんなら、俺様がてめえの腕にでも刻んでやろうか?」
「や、やめてくれっ」
 ナイフか何かを握るような身振りをしたブラッドリーに、おじさんが悲鳴を上げた。ブラッドリーの口角がぐっと持ち上がる。
「分かったなら復唱してみな。『北の国の魔法使い。天と地のすべてを手にする、偉大な大盗賊ブラッドリー・ベイン様』」
「き、『北の国の魔法使い……天と地の』……」
「柄の悪い絡み方やめてくださいよ」
 さすがに見るに見かねて、割って入った。いくら何でも脅かし過ぎだ。堅気の人間相手にそこまで脅しつける必要はないだろう。というか、さりげなく情報を盛るな。
 ブラッドリーが憮然として鼻を鳴らす。
「てめえが絡まれてたところを、親切な俺様が助けてやったんだろうが」
「助けるのをとっくに通り過ぎてるんですよ」
 私の仲裁をこれ幸いと、おじさんは危ない足取りで、その場から転がるように逃げていく。よほどブラッドリーが怖かったのだろう。私に絡んできたときの威圧感は欠片も残っておらず、走り去る背中を眺めていても何の感情も湧かない。

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