足跡だらけの白昼夢


 街に買い物に行きたい。
 そう要望を出したとき、その場にいた魔法使いの反応は三者三様――ではなく、三者二様だった。
 そのとき談話室で優雅にお茶を嗜んでいたのは、フィガロと双子の魔法使い。時刻はちょうどアフタヌーンティーの時間だが、ここの魔法使いたちは時間さえあればお茶を嗜んでいる。だからそのとき彼らが紅茶を飲んでいたのも、別に時間がどうだとかは関係なく、単に暇だからというだけのことかもしれなかった。
 唐突に部屋から出てきたかと思えば、藪から棒に外出したいと主張する私に対し、フィガロは露骨に「ついにきたか」という反応を示す。双子の方は「そろそろそう言い出す頃だと思っておった」と平然と紅茶を口にしていた。
「何はともあれ、名前。そなたもお茶会に参加してはどうじゃ?」
「ネロが焼いてくれたクッキーもある。和やかな空気の方が、そなたも要求を口にしやすいじゃろう」
 私の要求などほとんどすでに口にし終えたも同然だ。しかしそう言われてしまえば、こちらは頼む立場として、誘いを拒むことも難しい。それに相変わらずうっすら笑顔を浮かべながらもはっきり私を迷惑がっているフィガロを見れば、かえってテーブルにつきたくなるというものだ。
 双子にすすめられるまま空いた席――フィガロの真横の椅子に腰をおろし、私はさっそくクッキーに手を伸ばした。
「それで、さっきの話ですけど」
 スノウが手ずからカップに注いでくれたお茶もそこそこに、私は早々に切り出した。
「ここから前に出ていったときに、」
「勝手に飛び出していったときに」
 すかさずフィガロが話の腰を折った。むっと睨むと、フィガロは素知らぬ顔で笑っている。
 この男、私に対してはもはや感じよく接しようという気が皆無らしい。おそらくは先日厨房でミチルと自己紹介しあって以来、私がミチルとちょくちょく仲良くしていることが気に入らないのだろう。ミチルとルチルの兄弟は、幼いころからフィガロに面倒を見てもらい、家族同然の付き合いをしてきたらしい。ほかならぬミチル本人が教えてくれた。
 フィガロにとって、ミチルは可愛い親戚の子も同じ。その可愛い坊やが私のようなよく分からない不吉な異界人と仲良くしているのだ。保護者がわりのフィガロにしてみれば、さぞや面白くないに違いない。
 フィガロのささやかな意地悪を、私は咳払いだけして受け流した。
「ここから前に出ていったときに、ですね、この国の市場に少し立ち寄ったんですけど。あのあたりって食料品だけじゃなくて、街道沿いにいろいろと日用品のお店が出ていますよね」
「そうじゃな。王城のお膝元だけあって、この国でももっとも繁華な通りじゃろう」
「それでですね、ここで本腰入れて生活するというのなら、あの辺りに少し買い物に行きたいんですよね。ほら、衣服だってほとんど着の身着のままに近いですし」
 一応真木先輩の衣装を最低限のみお借りして、今のところは生活している。しかしこれではさすがに、着回しの幅が狭すぎた。
 外に出るような生活をしておらず、服がとんでもなく汚れるということもないのだが、やはり現代人としてはできる限りの清潔を保ちたい。ちなみに今は、幸福の村で用意してもらった服くらいしか、自分の持ち物といえる服がない。
 クロエが衣装を仕立ててくれるという話も、あるにはある。だがクロエにはクロエの、仕立て屋としての仕事と賢者の魔法使いとしての仕事もあるのだ。私のわがままで彼を急かすわけにはいかない。そもそも私にはクロエの衣装に支払えるだけの元手もない。
「あなた方の指示に従ってここにいる限り、衣食住を保障していただけるっていうのなら、少しくらい服を買い足させてもらえないかなと」
「ふむ。まあ、一理ある」ホワイトが頷いた。
「あまりここに詰めておっても気詰まりじゃろうし」
「でしょう!?」
「元気じゃないか。そんな大きな声出して、どこが気詰まり?」
 またしても、フィガロが私の期待をくじこうとする。
「いやいやまさか、全然元気じゃないですよ。しおしおです、しおしお」
「本当かなぁ。あやしいもんだけど」
「あやしくないです。気詰まりすぎて今にも死にそう」
「調子いいことばっかり言って……」
 フィガロは完全に呆れているが、そんなことはまったく問題ではなかった。フィガロに呆れられようが怒られようが、今は外出の権利をもぎ取ることの方が重要だ。
 双子の金の瞳を順に見据え、私は畳みかけるように「とにかく」と言葉を続けた。
「とにかく、私は精神的な理由からも現実的な理由からも、外に買い物にいく必要があるんです。これは正当な要求です。ここって人間と魔法使いが助け合いながら暮らしていく世界を目指す、前線基地でもあるんですよね? それなら懐に入れた人間の要望ひとつ通せなくて、どうして世界が変えられますか?」
 革命家の顔じゃ、とスノウが茶化す。
 指導者の器じゃ、とホワイトが笑う。
 道化の間違いでは、とフィガロが鼻白む。
「どうとでもおっしゃってください。私は買い物に行きます。市場までの道は覚えてますから、ひとりで行ってきていいなら行くんですけど」
「さすがにそれは許可できぬが、……まあ、付き添いありで買い物に出るくらいなら良しとしよう」
「やった。ありがとうございます!」
 飛び上がらんばかりに喜んだ私に、スノウがちらと意地悪な笑顔を浮かべた。
「そもそも我らがそなたに、面倒で窮屈な生活を強いておるのじゃが」
「たしかに。お礼の言い損だったかも」
 私がわざとらしく首を傾げて見せると、
「君、結構怖いものなしだよね……」
 フィガロがいよいよ苦りきった顔で呟いた。
 もちろん私だって、誰にでもこんな態度をとるわけではない。真木先輩やクロエ、それにネロやカインに対しては、これでも慎み深く接しているつもりだ。
 自分に対して理不尽なことを強いてくる相手に遠慮しないのは、ここで生活するうえでストレスを必要以上に溜めない私なりの処世術でもあった。突っかかったりするのをやめたのだから、これくらいのおふざけは許されるはずだ。

 とはいえ、話はそううまくは転がらない。
 ようやくのことで外出の権利を獲得した私だが、肝心のお供をしてくれそうな候補の方々が、ことごとく多忙を極めていた。
 二十一人の賢者の魔法使いたちを束ね、彼らとともに大陸中を行ったり来たりしている真木先輩は言うに及ばず。クロエも衣装の制作が立て込んでいるのだとかで、申し訳なさそうに私の頼みを断った。
「ごめんね、俺、名前の最初の買い物なんて絶対に絶対に一緒に行きたいんだけど、どうしても期日までに作らないといけない衣装があって……。うう、でも本当に行きたい気持ちはあるんだ……」
 クロエのあの、宝石のような大きな瞳を心底申し訳なさそうに揺らめかせる様を目の当たりにすれば、無理を通すことなど到底できっこない。
 そもそも私はクロエに無理を強いるつもりなどまったくない。制作作業においては何の役にも立たない私だが、それ以外の部分でならサポートできることもあるはずだ。せめて何か美味しいお土産でも買ってきてあげよう。そうしんみり思ったところで、私の軍資金は私のお小遣いではなく魔法舎の経費であることを思い出した。結局のところ、私が自力で誰かに何かをしてあげるというのは、現状、不可能に近いのかもしれない。
 やっぱり、何をするにも先立つものが必要だ。
 まずは文字の読み書きとこの世界の一般常識の学習。そしてどうにかして手に職を得たのち、経済的に自立する。それしかこの世界での私の自由はない。
 そんな悲しい現状確認をしながら、私は魔法舎の玄関ホールで待ち人を待っていた。
 真木先輩もクロエも捕まらず、そのほかの比較的声を掛けやすい魔法使いたちは、はかったかのように全員外出中だった。途方に暮れる私のため、双子が急遽、今回の同伴者を用意してくれた。
 もっとも、双子が直々に私と一緒に行くというのではない。彼らは私のために、そこまで親身にはなってくれない。
 双子が便利にあごで使える立場にあり、なおかつ私ともそれなりに親しくしている相手といえば、そんな人物はただひとり。
「ったく、あのジジイども。この頃じゃ何かっつーと恩赦って言っときゃいいと思っていやがる」
 不機嫌そうにかかとを鳴らし、ぼやきながら歩いてきたブラッドリーは、ぼんやり立ち尽くしていた私をみとめると「てめえも面倒くせえこと言い出すんじゃねえよ」と私にも一通り文句をぶつけた。
 見たところ、部屋でくつろいでいたところを叩き起こされてきたらしい。スーツの上にコートを引っかけたブラッドリーは、鬱陶しそうに眉根を寄せていた。目立つ傷跡に皺が寄って、凄むとなかなか迫力がある。
「まあまあ、でも実際恩赦になるならいいんじゃないですか?」
「そりゃあ悪いってことはねえが」
 ちっと舌打ちをしたブラッドリーは、そのまま「さっさと行くぞ」と私を追い抜き扉を開けた。私はその背中を小走りで追いながら、先程ブラッドリーに声を掛けたから安心せい、と朗らかに笑っていた双子とかわした、一連の会話を思い出していた。

 五階のブラッドリーの部屋から戻ってきた双子は、談話室で待機していた私のもとに戻ってくると、跳ぶように軽やかな足取りで私の周囲をくるくると回った。
「恩赦を条件に、ブラッドリーに供を頼んでおいた。じきに降りてくるじゃろう」
 ほめてほめてと言わんばかりの笑顔のふたりに、私はかねて気になっていた質問を向けた。
「前から思っていたんですけど、子供のおつかいみたいな言いつけにいちいち恩赦って言ってていいんですか?」
 双子が揃って足を止め、きょとんとした顔で互いに顔を見合わせる。そうしていると本当に無垢な天使にしか見えないが、彼らは今まさに獄囚に恩赦をちらつかせてきたばかりだ。天使の所業とはほど遠い。
「いや、きょとんとされても。私が元いた世界では、恩赦を出すってかなりの一大事でしたよ。場合によっては反発だって出るでしょうし」
 当然ながら、恩赦を受けるのは罪を犯した者だ。その罪を軽くしてやろうというのだから、健全に順法精神をはぐくむ無辜むこの市民としては、いろいろと思うところもあるだろう。
 まして、ブラッドリーは魔法使い。人間の市民生活をおびやかしかねない悪い魔法使いが、そうほいほいと恩赦で減刑されていると知れば、ふつうの人間は心中穏やかではいられない。そのくらいのことは、この世界の人間でない私でも容易に想像がついた。
 しかし双子は、私の質問にも鷹揚おうように笑んでいる。
「ほほほ、心配せずともよい。ブラッドリーは今でこそあんなじゃが、本来超第一級の大罪人」
「多少の恩赦で吹き飛ぶような軽い刑期ではないということじゃよ」
「でも、塵も積もれば山となるといいますし」
「しかし山となるには、それこそ気の遠くなるような時間が必要になるじゃろう?」
「そもそも山となる前に、塵が吹き飛ばされぬとも限らぬしのう」
 平然とそう言ってのける双子に、思わず眉間に皺が寄ったのが自分で分かった。それではまるで、ブラッドリーを意味のない恩赦で便利に使っているも同然だ。
「それは……」
 言葉を返しあぐねた私に、双子はまるで慈悲深い聖母のような顔で微笑んだ。
「なに、物のたとえじゃよ。実際には一度口にした恩赦をそう容易くなかったことにはできぬ」
「もちろんブラッドリーがこれ以上刑期の伸びるような行いをせぬ限り、じゃが」
「我らブラッドリーちゃんのこと信じておるし?」
「若者の更生の可能性に期待をかけておるし?」
 目を細めた彼らの、金色のなかに環を重ねたような、吸い込まれそうな瞳から目をそらし、私は曖昧に頷く。フィガロのはしばみ色の瞳もそら恐ろしくあるが、双子の美しい金眼は、もっと何か、不吉なものを相手にしているような気分になる。
 とはいえまさかそんなことを口にできるはずもなく、私はその場から逃げ出すように玄関ホールへと向かった。

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