明かりが消えたらただの人


 柄と鞘の先を鈍く輝く黄金で装飾し、鞘全体には花だろうか、不思議な文様が最低限だけほどこされた刀剣は、芸術品のような華美さとはかけ離れ、むしろ、厳かで無愛想なたたずまいに見える。
 剣は見るからに重そうだが、カインは苦も無く両腕の力だけで支えた。眼前に差し出された剣に、私はごくりと唾を飲んだ。
「結構な重量があるものだから、持つのはやめておいた方がいいだろうな」
「そうですね、さすがに……」
「抜こうか?」
「えっ」
 やはり今度も私の返事を待つことなく、カインはすらりと剣を鞘から抜いた。抜き身の剣は幅広で、日本刀のような繊細な鋭さは微塵もない。それでも剣先は触れただけで皮膚が容易に裂けそうなほど研ぎ澄まされているし、太い剣身は力強さをまざまざと感じさせた。
 本物の剣を見るのは、これがはじめてのことだ。
「お、おお……これ、普通に切れるんですよね?」
 ブラッドリーの銃を見た時と同じく、ついつい間抜けなことを口走ってしまったが、カインは笑うこともなく嬉しそうに肯いた。
「もちろん。リケはよく俺をがさつだと言うが、剣の手入れだけはまめにやってる。切れ味はいいはずだ」
「わぁ……」
「騎士にとって剣は相棒であり、誇りであり、魂だから。相棒がぴかぴかだと、俺も気分がいい」
 そう語るカインの言葉には、騎士としてのたしかな矜持が滲んでいた。私にとってこの剣は、人を斬り殺すことができる恐るべき道具でしかない。どれだけ勇ましく美しかろうと、大前提としてこれは凶器だ。しかしカインの言葉からは、そうした卑屈さのようなものは一切感じとることができない。それどころか、相棒とまで言ってのける。その感覚が、私には分からなかった。
「騎士にとってということは……カインは騎士だから、剣を佩いているんですか?」
 たまらず尋ねる。カインは暫しの思案ののち、答えた。
「たしかにこの剣は騎士団長に就任した際、国王陛下から賜ったものだ。だが、騎士だから何時いかなる時も剣を佩いているというわけではないよ。剣は俺の魔道具だから、魔法を使う可能性があるとき──要するに、大抵のときには肌身離さず持つようにしている。そもそも俺は正式には騎士の称号をはく奪されているからなぁ」
「えっ、そうなんですか?」
 思わず聞き返すと、カインは少しだけ眉を下げて困ったように微笑んだ。
「何せ俺は魔法使いだからな。志しの持ち方や在り方とは関係なく、今この中央の国で正式に騎士に叙されるには、第一に人間でないといけない。いや、最初から魔法使いだと公表していればいいのかな」
「最初からというと」
「魔法使いとして騎士団に入団すれば、大きな問題はなかったのかもしれないということだ。もっともそれだと、どれだけ努力したところで騎士団長にまで叙任されることはなさそうだが」
「カインは違ったんですか? その、魔法使いだと隠していた?」
「ああ。俺が魔法使いだと知っているのは、数年前までは家族だけだった」
「ええと……つまりカインは、魔法使いだと隠して騎士団に入団していて……、それがバレたから騎士の称号をはく奪されたということ?」
「ざっくり言うとそうだな。……いや、待てそんな顔をするな」
「いや、センシティブな話題にずけずけ踏み込んですみませんでした……」
「せんしてぃぶ? が何かは分からないが、あんたが気にすることじゃない。これは俺の問題だし、すでに済んでしまったことだから」
 カインはそう言うが、どう言われようと自己嫌悪の気持ちが薄れるものではなかった。済んだことだと言われても、それでも彼はまだ、こうして騎士の衣装に身を包んだままで生活している。アーサー殿下を主君とあおぎ、彼に使えることを誇りとしている。それほどまでにカインにとって、騎士というものは大きな意味を持つものなのだろう。ただの職業や役割ではない。それなのにずけずけと踏み込んだ私の言葉は、ひどく無礼なものだった。
 しかし同時に、私は思う。主君をいただき、主君の剣となる忠実なしもべであるからこそ、騎士は帯剣を許されるのだ。そして今のカインは正式には、騎士の身分を持っていない。騎士という立場によって、剣を振るうことを許されているわけではない。
 振るった剣の重みはすべて、カイン個人に跳ね返っていく。
「……とんでもない無礼をすでに働いていることは重々承知で、そのうえでもう少しだけ無礼なことを聞いてもいいでしょうか」
「無礼なんて思っていないし、聞きたいことは何でも聞いてくれ」
「騎士の身でないのに剣を持っているのは、重くないですか」
「重い?」
「だって、これは人を殺すことを許された身分の者が持つ、武器でしょう」
 カインがまばたきをひとつした後、わずかに目を見開き私を見つめる。言葉足らずだったと今更気付き、私は慌てて言葉を付け足した。
「すみません、カインや騎士という職のことを貶めるつもりはないんです。不快にさせてしまったのならすみません。不躾なことを聞いてしまって……」
「いや、いい。不快とかじゃなく、考えてただけだ」
 カインはそうして抜いたままになっていた剣を、なめらかな動作で鞘へと戻した。ひとつひとつの仕草が丁寧で、なおかつ一切のぎこちなさを感じない。
 この剣は騎士団長に叙されたときに賜ったものだというから、おそらくカインにとっても、それほど古くから手になじんでいる剣というわけではないのだろう。それなのに、カインは剣をまるで手足のように自在に操る。それはおそらく、たゆまぬ鍛錬と剣への敬愛がなければできないことだ。
 カインは暫し、言葉を探すように黙って宙を眺めていた。ややあって、
「重いというのは、まあたしかに重いんだろうな。生半な覚悟で持てば、剣の重さに負けて膝をつくことになる。剣に振り回されることだってあるだろう」
 真面目な口ぶりで、そう言った。
「だけど、だからこそ、俺は剣を握ると背筋が伸びるよ」
 虚飾を一切感じさせない、まっすぐ伸びやかな声だった。
 この世界にやってきてはじめて聞く、裏表のない純粋な響きの声。私に名前を教えてくれたときの真木さんの声ですら、何処か躊躇いの響きを含んでいたというのに。カインの声からは躊躇いも、あるいは見栄や衒いすら、欠片も感じ取れなかった。
「それに魔法だって剣だって同じことだろう? 賢者の魔法使いは、誰かを救うために魔法を使う。騎士は主君を守るために剣を振るう。人を傷つけられる道具を持っているのに、人を傷つけず、自分と誰かの幸福のためにそれを使うことができるんだ。そういう在り方を許されてるんだと思うと、背筋が伸びる」
 ともすれば、それは底の浅いきれいごとにしか聞こえないような言説なのかもしれない。耳障りが良く道徳的で、教科書に書いてあるお手本のような美辞麗句。それなのに、カインは堂々とその言葉を私に語る。紛れもない本心だから、恥ずかしがる必要もないのだ。自分にも相手にも、何ら恥じることのない言葉しか、カインは口にしていない。
「分かんないなぁ、私には」
 思わず笑ってしまった。カインがあまりにも清廉潔白な人だから。カインの言葉の美しさ、正しさを頭で思考することはできたとしても、心から理解することはおそらくできない。
 私はこんなふうに、人の善性を信じ切ることはできないだろう。自分の中の善性を、揺らぐことない支えにはできない。誰かが私に剣を持たせるとき、それを信用のあかしなのだと解釈することは絶対にできない。
「でも、カインがものすごくきちんとした人なのだということは分かりました。カインがけして、不用意に誰かを傷つけたりはしないということも。本当のことを言うと、私最初のとき、腰から剣を下げているカインのことを怖いと思ってちょっと、というか、かなり引きました。すみませんでした」
 正直に打ち明け頭を下げると、カインはからりと笑って見せた。
「あはは、なんとなく察してたよ。これでも相手の発してる雰囲気を読むのは得意なんだ」
「すみません……」
「仕方ないさ。晶から聞いたけど、あっちの世界に騎士はいないんだろ?」
「いるところには思うんですけど、……そうですね、カインみたいな騎士はいないと思います」
「俺の剣があんたに向くことはないだろうから、心配しなくても大丈夫だ」
 きっぱりとそう言ってくれた優しさと、それでも絶対にとは言い切らない誠実さが眩しくて、私は目を細めて肯いた。自分にできる精いっぱいの、誠心誠意をカインは私にあらわしてくれた。そのことが嬉しくもあり、また翻って己をかんがみたとき、後ろめたくもあった。
 カインは爽やかな笑顔のまま続ける。
「さっきも言ったけど、晶には平気なことでもあんたには平気じゃないこともあるんだろう。逆もそうだろうけどさ。だからまあ、そう色々気に病まずにここの生活に慣れていってくれ」
「……ありがとう、カイン」
 私のことを気遣ってくれて。私に誠実な態度で接してくれて。

 カインと一緒に飲んだカップの後片付けをしたのち、私は自分の部屋に戻った。カインは部屋の場所が分からないなら送ろうと言ってくれたが、それには及ばないからと私は自分ひとりで部屋に帰る。酔いもすっかり冷めていて、今度はもう建物の中で迷ったりはしなかった。
 部屋の前まで辿り着くと、そこには見慣れぬバスケットがひとつ、ぽつんと遠慮がちに置かれていた。この区画には客室と客用のバスルームくらいしかないから、まず間違いなく私のために置かれたバスケットだろう。掛けられた布巾をずらして中身を確認すると、中にはさらにしっかり包装されたサンドイッチとカットしたフルーツが、ポットと一緒におさめられていた。
「ネロかな……」
 メモは特についていない。どのみちこの世界の文字は読めないから、メモがあったところで読めるわけではない。それでもバスケットをひと目見て、それで分かることはある。
 これまで食事の際に、こうしてバスケットを渡されたことは一度もない。ということは、これは私が部屋にいないのを知ったネロが、わざわざ夜食に届けてくれたのだろう。ポットの蓋を開けてみれば、中にはあたたかなスープが入っている。
「これは絶対に、他の人の分とまとめて作ったものではないだろうなぁ……」
 ポットに蓋をしてバスケットを抱えると、私は部屋に入って鍵を閉める。そして窓に面した書き物机につくと、ネロの用意してくれた夜食をひと口ずつ、ゆっくりゆっくり味わった。
 これまでの一週間ほど、ここで魔法使いの優しさを感じたことなど、ほとんど無いに等しかった。私はここでは邪魔者で、自分でもそれを仕方がないことだと思っていた。異世界からやってきた不吉な運命の人間など、誰もかえりみなくても当然だと思っていた。
 いつしか自分ですら、そんなふうに思っていた。
「ネロのごはんって、冷めていても美味しいんだな……」
 そんな独り言を呟いて、私はサンドイッチの最後にひとかけを口に入れた。ポットに入っていたスープも全部飲み干して、ポットは流しでさっと洗う。
 バスケットを丁寧に拭いてから、中にポットを戻して廊下に出した。わずかに開いた窓から忍び込む夜の湿った空気の匂いが、あたたかな食事のにおいをあっという間に消し去っていく。
 頭の芯がぼんやりして、心がふにゃふにゃに溶けている。そんな自分に喝を入れるように、私は両手で思い切り、ばしんと頬をひっぱたいた。
「……よし!」
 私のひそやかな奮起は、夜に隠され誰にも何処にも届かない。

 その日の晩、私はブラッドリーに渡された地図とささやかな路銀を手に、ひとり魔法舎を抜け出した。

prev - index - next

- ナノ -