つまる瞳とつまらない話


 誰に憚ることもない飲み会は、ふたりしか参加者がいないこともあって、まったりとした空気で進んでいく。ブラッドリーはどうやら酒豪のたぐいらしく、顔色ひとつ変えることなく、強い酒をすいすいさかんに飲んでいる。私はこの世界のことをほとんど何も知らないし、ボトルのラベルに書かれた文字すら読めないが、これだけ美味しい酒なのだからきっと高級なのだろう。きっちり味わいつつも惜しむことなく飲み進めていくブラッドリーの様子は、見ていてひじょうに気持ちいい。
「そういえば」
 小皿のナッツに手を伸ばしながら、私はテーブルごしのブラッドリーを上目遣いで見た。
「魔法舎で一番危険なのって、ブラッドリーさんの目から見たらオーエンさんってことですか?」
 先程のオーエンとブラッドリーの遣り取りを思い出しながら、私は尋ねた。
「あ? なんでそう思うんだよ」
「だって、さっきの言い合いでブラッドリーさんが先に引いたというか、矛を収めた感じだったから。あんまり喧嘩したくないような相手なのかなと思ったんですけど……違いましたか?」
「いや、あいつは危険というか……まあ、たしかにドンパチやりてえ相手ではねえな。顔を合わせずに済めばラッキーな相手には違いない」
 ということは、さっきの私とオーエンの遣り取りも、うっかり受け答えを間違ったりしていたら今頃ひどい目に遭わされていたかもしれないのだろうか。だったらそれは、やはりブラッドリーの言うとおり、双子かフィガロあたりがちゃんと、私に注意事項として説明しておくべきではないだろうか。そもそも世界を守る賢者の魔法使いたちに、そんな危険人物が紛れ込んでいるとはどういうことなのか。
 ミスラのときといい、オーエンといい、魔法舎には危険人物が野放しになり過ぎている気がする。ミスラとオーエン、どちらも北の国の魔法使いだが、まさか今こうして酒を飲みかわしているブラッドリーまでもが、いきなり豹変して私を八つ裂きにしたりすることはないと信じたい。酒につられてのこのこ部屋に上がった末に八つ裂きになったりなどしたら、さすがに笑いごとでは済まないのだが。
 ひそかに戦々恐々としていた私の胸中を知ってか知らずか、ブラッドリーは悠々と足を組みなおす。愉しげに目を細めて私を見ると、からのグラスをテーブルに戻して言った。
「逆にてめえの目から見て、この魔法舎にオーエンより危ねえやつがいるか?」
「それはもちろん、ブラッドリーさん!」
「酒が欲しいって顔で言うんじゃねえよ」
「ばれました? 今のはリップサービスです」
 ごますりがすぐにバレたので、私は素直に薄情した。ちょろそうに見せかけて、ブラッドリーはちゃんと人の言葉を聞いている。
 いくぶん軽くなってきたボトルを手にし、私はブラッドリーのグラスに酒を注ぐ。そして。
「怖そうっていうと……やっぱあの、騎士の人とか?」
 初日のことを思い出しながら、そう答えた。途端にブラッドリーが眉をひそめる。
「はぁ? 騎士ってカインのことか?」
「あの人カインとおっしゃるんですか? 初日に名前を聞き忘れてから一度も顔を合わせてないので、名前までは存じ上げないんですけども」
「騎士っつったらあいつしかいねえだろ。いや、それにしたって馬鹿、お前、オズやらミスラやら差し置いて、なんであの青二才が怖ぇんだよ。まんじゅう怖いか?」
「お、よく知ってますね」
「賢者に聞いた」
 私が感心すると、ブラッドリーが得意げな顔をする。しかし日本の古典芸能の演目を、なぜ真木さんが魔法使いに教えているのだろう。シチュエーションがいまいちよく分からないが、これもひとつの異文化交流なのかもしれない。
 とはいえ私が騎士の人を怖がっているのは、騎士が好きだからというわけではない。
「だってあの人、腰に剣さげてるじゃないですか。あれがもう怖いんですよ。私の世界だったらあんなの、銃刀法違反でそっこう逮捕されてますからね」
「あれはあいつの魔道具だろ。別に誰彼構わず剣で切り殺すために佩いてるんじゃねえよ」
「あ、そうなんですか。なるほど、魔道具……」
「魔道具がなくても魔法を使えはする。それでもあった方が魔法が安定するし、特にあいつはまだまだひよっこだからな」
「なるほどなるほど。勉強になります」
 魔道具。そういうものもあるのかと、私はふむふむ相槌を打った。
 よくよく考えてみれば、この世界に来てからほとんど魔法使いとしか接していないにもかかわらず、私は魔法や魔法使いというものについて、まったく誰からも教わっていなかった。魔法使いの道具といえば、私は真っ先に杖と箒を連想するのだが、要するにその杖のかわりに使っているのがそれぞれ固有の魔道具ということなのだろう。ざっくりとした解釈だが、そう大きく間違えてもいないだろう。
「それでも剣は剣なわけだから、物騒には変わりないですけど」
「そりゃそうだが」
 釈然としない私に向け、ブラッドリーが呆れ顔をする。かと思えば、いきなり悪い笑顔をつくって「せっかくだ、俺様の魔道具も教えてやろうか」などと言い出した。
 この流れからして、ブラッドリーの魔道具もたいがい物騒なものだろうことは想像に難くない。剣のたぐいは恐ろしいので、できれば目の前に差し出してほしくはないのが私の本音。だが酒をごちそうになっている手前、ホストに対する接待も必要だろう。
「わあ、見たい見たーい」
「棒読みじゃねえか。ごまするならもっと真面目にやれ」
 普通に駄目だしされてしまった。露骨にごまをするのはいいのかと、つっこみ返したくなる。その辺りの塩梅は、ブラッドリーなりに基準やルールがあるのだろう。
 閑話休題──ブラッドリーはカウチから腰を上げると、そばに立てかけてあった何かを手に取り、ふたたび元の場所に腰を下ろした。ブラッドリーの手に支えられ、彼の膝の上にゆったりと置かれたそれを見て、私はついつい身を乗り出す。
「わぁ、なんですかこれ? 銃?」
「それ以外何に見えんだよ」
「すごーい、銃だ! はじめて本物見ました! えっ、本物ですよね? これ狙撃とかできるんですか?」
「そりゃできるだろ。できなかったら何のための銃だよ」
 それはたしかにそうなのだが。映画やドラマの小道具ではない本物の銃が目の前にあるのだと思うと、ついついしげしげ眺めてしまう。不思議なことに、妙に気分が高揚した。
 銃火器についての造詣が深くないので、私はひとくくりに銃と呼んでしまったが、フィクションでよく見るピストルと比べると、見るからに重そうでいかめしい。銃本来の使用はもちろん、思い切り振り降ろせば鈍器としても威力を発揮しそうだ。それでも無骨さのなかに不思議な上品さがあって、そういうところはこの銃の持ち主によく似ているような気がする。
「へぇー、すごーい……。私本物の銃ってはじめて見ました」
「なんだよ、びびらせてやるつもりだったのに喜んでんじゃねえか。中央の騎士様の剣は怖がって、銃には目ぇ輝かせるってどういうことだよ」
「いや、だって銃ですよ。かっこいいなって」
「まあそういうことなら悪い気はしねえな」
 今度はごまをすったわけではなく、本心からの賛辞だった。赤みの茶色の長銃はよく手入れされているらしく、鈍い輝きを放ってブラッドリーの上におさまっている。銃に触れるブラッドリーの手つきからも、彼が魔道具である長銃をただの道具として以上に大切にしていることがうかがえる。
 銃も剣も、等しく相手を傷つけ死に至らしめる道具だ。しかし不思議と、ブラッドリーの長銃に対して、私が根元的な恐れのようなものを抱くことはなかった。本来であればむしろ、剣を鞘から抜かなかったカインの剣の方が、私にとっては安全だったにもかかわらずだ。
 そんな私の疑問を察したのだろうか、ブラッドリーは長銃を元の位置に立てかけ直すと、さっき私が満たしたばかりのグラスを手に取った。彼は茶化すような気配もなく、いたって真面目に私に視線を寄越す。
「いいか? この際、銃か剣かなんつうことはどっちでもいい。問題なのは銃や剣なんか使わねえでも、人間のひとりくらい魔法で簡単に殺せるってことだ。だからひよっことはいえ一端の魔法使いに向かって『剣が怖い』っつうのは、筋が通ってねえだろ」
「たしかに」
 ブラッドリーの言葉に納得し、私はひとつ肯いた。
 たしかにブラッドリーの言い分は正しい。実際、ミスラの魔法によって私は一度死にかけている。あのときは私を狙った魔法ではなかったから、丸腰の私でもどうにか逃げのびることもできた。
 しかしミスラに限らずここの魔法使いたちが本気で私を殺そうと思ったら、きっと彼らは然程の労も苦もなく私を葬り去れるだろう。魔法のことも魔法使いのこともほとんど何も知らなくとも、そのくらいのことは容易に想像がつく。
「だがてめえは、魔法使いだってことにはびびらねえんだろ。魔法さえあればてめえなんざイチコロだっつーのに、てめえはそのことは無視して、剣が怖いだなんだと騒ぐ。俺にはそれが理解できねえな」
「うーん、そう言われましても。単純に私の元居た世界には魔法なんて存在しないので、そんな夢物語みたいなものよりももっと現実的に、剣や銃のような凶器を怖がるのは身に沁みついた癖みたいなものだと思いますけど」
 元居た世界では、魔法使いは物語の中の生き物でしかなかった。魔法もまた、物語の中だけで通用する不思議のちからだ。たとえ物語にのめりこむことがあったとしても、分別のつく年頃になれば、物語と現実と混同するようなことはしない。憧れはしても、恐れはしないのはそのためだと思う。
 だがたとえそれをブラッドリーに話したところで、きっと完全に分かってはもらえないだろう。ブラッドリーにとって魔法は現実だ。生まれ持ったその感覚が思考のベースにあるのだから、私の話を理解はできても、実感することは絶対に不可能だ。
 異なるルールで動く、別の世界を生きる私たちは、きっとどれだけ言葉を尽くしたところで細部まで完全に相手を理解することはできない。だから適当なところで話をそらし、話の行先を有耶無耶にすることにした。
「あとはまあ、あれですね。騎士の人ってなんとなく好青年っぽいじゃないですか。親切そう、いい人そうな騎士の人がでっかい剣をさげてたから、それでちょっと怖さが割増しみたいなのも正直あります」
「俺様が銃持ってんのはいいのかよ?」
「ブラッドリーさんはだってほら、見るからに反社っぽいじゃないですか。そういうあからさまな相手には、こっちもそこそこ覚悟してるので逆に腹がすわる、みたいな……。銃くらい持っててもおかしくないっていう先入観があるというか」
 我ながら失礼なことを言っている自覚はあったのだが、ブラッドリーは怒るよりも先に「反射?」と首を捻った。なるほど、この世界には反社の概念はないらしい。
「反社っていうのは、私たちが元いた世界にあった悪の組織の総称みたいなものです」
「そういうことなら悪くはねえが、そもそも盗賊団は悪の組織ではねえだろ」
「いや、わりと反社の筆頭だと思いますけど。え? というかブラッドリーさんって盗賊の人なんですか?」
「何を今更びびってんだよ。人呼んで天下の大盗賊、夜の帝王ブラッドリー様とはこの俺様のことよ」
「夜の帝王……!?」
 公序良俗に反しいちじるしく風紀紊乱な単語が飛び出してきた。それにしても、なるほど、盗賊。どうりで刑期とか不穏な言葉がぽんぽん会話に出てくるわけだ。北の魔法使いの中では話が通じやすいと思っていたブラッドリーが、まさか一番札付きの悪だったとは。私のことを虜囚だなんだとあげつらっておきながら、そういう自分こそが本物の虜囚だったのか。
「一応お伺いしますけど、義賊とかではなく?」
「義賊ではねえな。基本的に俺様が奪ったもんは俺様の懐に入る」
「なるほど、それは確実に反社ですね……」
 たとえ義賊であったとしても、現行の日本の法律によれば、問答無用でそれは反社になるのだろうが──ともあれ。
「まあでも、魔法使いたちを怖いと思わないのは、私が魔法舎の中しか知らないかもしれませんね」
 引き続き酒を飲みながら、私はさりげなく話題をもとに戻した。
 普段であれば酒の場などで、そうそう真面目な話をすることはない。だがこの七日間部屋に缶詰めになって考え事ばかりしていたのだから、その考えを誰かに話したい気持ちも多少はあった。ブラッドリーは意外にも優れた聞き手だ。これ幸いと私は話を続けた。
「この世界でも、この建物の外に出さえすれば、魔法使いよりも普通の人間の方が数が多いんですよね?」
「まあな。国ごとにばらつきはあるだろうが、大抵どこにいこうがある程度環境がおだやかな場所なら、人間の方が圧倒的に多い」
「ということは、この魔法舎はこの世界では相当異質な場所ということですよね。この世界の価値観というか、平均的なものの考え方を私は知らない。だから魔法使いを怖いと思うこの世界の人の気持ちが私には分からない、というのもあると思うんですよ」
 魔法使いたちから与えられた自分の待遇について、思うところは多々あれど、直截的に私の心身を害されたことは数えるほどしかない。それだって半分事故のようにミスラの魔法に巻き込まれたことと、あとはついさっきオーエンに絡まれたことくらいだろう。魔法使いに対していい感情を持っているとは言い難いものの、だからといって無闇に恐れたり厭うような対象として彼らを見ているわけでもない。
 この世界の人間たちが魔法使いという種に対し、一般にどのような見方をしているのかすら、私はいまだ知らないでいる。これまで耳にした話から察するに、けして関係良好とは言い難いだろうことくらいは察するが、それがどの程度の軋轢で、どの程度の偏見を含んでいるのかは分からない。少なくとも私はこの世界に蔓延る偏見にだけはまだ触れていないので、自分が感じたものだけをたよりに、魔法使いに対して悪くはないという印象を持っている。
 ただそれも、このまま此処で不自由な生活を続けていたら、いつ厭う方向に転じるかは正直自分でも分からない。無根拠に、ただ衣食住を保障してもらえるというそれだけの理由で魔法使いたちを信じられるほど、私は心が清らかでもないからだ。不満や猜疑心が積み重なれば、きっと容易く魔法使いを厭うことになる。自分のことだから、そのくらいは想像がつく。
「どのみちここにいても、真木さんと話もさせてもらえそうにもないし……。いっそ逃げちゃおうかなー」
 胸の中の鬱屈を吐き出すように、益体もないことを言ってみた。しかし口にした言葉の途方もなさと現実味のなさに、笑う気持ちもわいてこない。
 実際この七日間の間、ここから逃げ出すということをまったく考えなかったわけではなかった。もしも逃げ出してしまったら、そこから先は何がどうなろうとすべては自分の責任だと諦めもつく。衣食住を保障してくれる人は何処にもいないが、代わりに誰かに縛られることもない。
 だが、そんな空想は所詮夢物語でしかない。私はこの魔法舎の中のことすら詳しく知らされていないのだ。キッチンの在り処さえ、ブラッドリーに聞かなければ分からなかった。そんな私が、建物の外にひとりで出たところで、路頭に迷うのは目に見えている。
 土地勘もなければ安全な場所と危険な場所の区別もつかない。そんな人間でたとえ言葉が通じても、きっとまともには生きてはいけないはずだ。さすがに見知らぬ世界で行き倒れるのは御免被りたい。そも現実問題として、ここの魔法使いが私を外に出してくれるとも思えない。
 だからこの逃亡発言は、徹頭徹尾、何の気なしに呟いた戯言でしかなかった。言った先から自分自身で「できるはずないけど」と、希望の芽を踏みつけ片づけている。できるはずがないし、実行に移すつもりもない。私の反抗心などささやかなもの、せいぜいが勝手に部屋を出てうろつくとか、反社の囚人魔法使いと仲良くするとか、そのくらいが限界だ。
 それなのに。
「面白ェじゃねえか。やれよ」
 ふいにブラッドリーから投げかけられた言葉に、私は思わず眉をひそめた。しかし当のブラッドリーは、本気で面白がるように私を矯めつ眇めつ眺めている。値踏みするようなその視線は、「そのくらいやれるよな」と私を挑発しているようにも見える。
「え? まじで言ってますか?」
 冗談めかして言うつもりが、ブラッドリーの放つ空気に気圧されて、やけに固い声音になった。なごやかな空気の酒宴は一転、きりきりとした緊張を私に与えるものと化している。
 もしかするまでもない。本気だ。この人、本気で面白がっている。面白がって、企んで、それで私を焚きつけようとしてる。
 そう気付いてしまった瞬間、意図せず顔が笑ってしまった。恐らくは、さぞぎこちない笑顔であることだろう。頬が引き攣っているのが自分で分かる。
「え? いや、でも実際、逃亡って無理ですよね?」
 依然固く掠れた声で、私は尋ねた。
「なんで無理だと思うんだよ」
「だってここの人たちってみんな魔法使いでしょう。逃げたところで私ひとりくらい、魔法で簡単に捕捉できますよね?」
 正しいことを言っているはずだ、理は自分にあるはずだと、自分ではそう思っている。魔法使いは人智を超えた力を持つもの。その中でもこの魔法舎に集まっているのは、当代指折りの魔力を持つ魔法使いたちだ。丸腰の、この世界のことを何も知らない私のような人間が、おいそれと太刀打ちできるような相手ではない。
 それなのに、どうして目の前のブラッドリーは悪どい笑みを浮かべているのだろう。まさに今悪だくみをしているというような、見ているこっちが恐ろしくなるような笑顔を私に向けているのだろう。
「あの、ブラッドリーさん……?」
 こわごわ呼びかけた私の声に、ブラッドリーは背を丸める。そうして私の方に上半身を乗り出すと、一言「逃げたいか逃げたくないか、てめえで決めろ」と泣きたくなるような誘惑を突き付けた。

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