あなたのための檻


「賢者様とおまえの違いは何? どちらも同じ世界からやってきた、取るに足らないくだらない人間。違うのは、『賢者』であるかどうかだけ。『賢者』だから大切にされて相手にされる。『賢者』じゃないから、おまえは責められ要らないんだと蔑まれる」
「さ、蔑まれてまではいませんが……? え、もしかして影で蔑まれている?」
 あまりにひどい言われようで、はっと我に返った。少なくとも、オーエン以外は普通に接してくれていると思っていたのだが。ファウストですら、私が問題を起こさない限りは何も口を出してこない。
「正直に言えよ。本当は自分が『賢者様』になりたかったんじゃない? 自分が『賢者様』になって、そして魔法使いにかしずかれたくはなかった? 貧乏くじの二番手なんかじゃなく、一番のりの特別に」
「真木さんは魔法使いにかしずかれているんですか?」
 困惑して聞き返すと、オーエンは面倒くさげに溜息を吐く。
「僕はそんなことしない。だけど、そういうことをしたがるやつはいるかもね」
「それじゃあ真木さんは、かしずかれることを望んでいるんですか?」
「さあ、どうかな。賢者様が何を考えているかなんてこと、興味もないよ」
「ええ……? でも、それなら……」
 それならばオーエンの言葉は限りなく言いがかりに近いのではないだろうか。そう問いたくなった気持ちを、私は咄嗟にどうにか飲み込んだ。
 先程は勢いに呑まれて不安を感じてしまったが、落ち着いて考えればオーエンの問いはけして私の本心をつつくようなものではない。真木さんが私を覚えていないことはたしかに悲しいことではあるが、それだって遠い昔の特別親しくもない後輩相手ならば仕方のないことだ。私だって、きっと街で顔を合わせても誰か分からない相手などたくさんいる。
 それに、真木さんはただ最初にこの世界にきたから賢者になった、というわけではない。そのことはこれまでほかの魔法使いが私に見せたやんわりとした拒絶、そして真木さんへの情を見れば明らかだ。私より先に来たから真木さんが賢者になったのではない。真木さんだから選ばれて、真木さんだから賢者になりえた。真木さんだから、真の意味で魔法使いに選ばれた。
 真木さんがどういう意気込みで賢者の役に就いているのかは知らない。だが十中八九、オーエンの言うような不埒な感情を、真木さんは持ってはいないだろう。そしてきっとそのことを、オーエンは賢者の魔法使いの一員として理解している。理解していてあえて、私の気持ちを揺さぶるためだけにこんな話をしている。
 無駄で無意味で、無益な話。
 この世界がもしも漫画やアニメの世界だったなら、異世界からやってきて唯一無二の存在になった真木さんは、掛け値なし、文句なしの主人公なのだろう。
 世界の命運を託された、たったひとりの主人公。認められた、見初められた、魔法使いたちの救世主──救世の英雄。

 それならば、私は。

「そんなの、私は──」
 語る言葉も定まらぬまま、熱に浮かされたように言葉を紡ぎかけた、そのとき。
「いつまで俺様の部屋の前でごちゃごちゃやってんだよ」
 ガチャリと扉が開く音に合わせ、部屋の中からブラッドリーが、わずらわしげに顔を出した。その視線は私を素通りし、まっすぐオーエンに向けられている。キッチンで双子と鉢合わせしたとき以上の苛立たし気なまなざしに、自分に向けられたものではないにもかかわらず、私はびくりと身体を強張らせた。
「おいオーエン、なんでてめえがこの虜囚に絡んでんだ。社交的で面倒見がいいどっかの誰かさんの真似でもしてんのか?」
「は? 何それ、馬鹿馬鹿しい。おまえこそこんな頭の悪い人間まで部屋に招くなんて、盗賊のボスは取り巻きがいないと寂しくて仕方がないみたい」
「生憎と、俺様はてめえと違って人望があるんでな」
 出会い頭から喧嘩ごしなふたりは、今にも一触即発な空気をびしびし感じさせている。もしかして、今からここで殺し合いが始まってしまったりするんだろうか。ミスラがオズに喧嘩をしかけた前例をすでに知ってしまっているものだから、ついついそういう物騒な展開を想像してしまう。
 そうなったら、絶対に巻き込まれたくないから私は逃げよう。猛ダッシュで階段まで走り抜けば、爆風の直撃くらいは免れられるんじゃないだろうか。
 しかし幸いにして、そんな事態にはならないようだった。身体で開いた扉を支えていたブラッドリーは、さっと私の腕をとり部屋の中へと引っ張りこむ。
「てめえも部屋の前まで来てんならさっさと入ってこいよ。落ち着かねえだろうが」
 すでにオーエンから視線を外したブラッドリーは、それでもオーエンに聞こえるような声の調子で一通りぼやいたのち、音を立てて扉を閉めてしまった。見るからに強面のブラッドリーの方が諍いから先に手を引くのも意外だが、そんなことより、こんなふうにオーエンを邪険にして殴りこんで来られたらどうするんだと、そちらの方が気に掛かる。
 が、扉の外のオーエンの気配は、ほどなく何処かへ消え去った。ブラッドリーが私の手を離し、深く重たい溜息を吐いた。
「ったく、なにオーエンに絡まれてんだよ。オーエンとまともに遣り合うなって、じじいか賢者あたりに教わってねえのか」
「何ですか、その情報。誰もそんなこと教えてくれませんでしたけど」
「まじかよ。お前まじで放っておかれてんだな」
 本気で不憫がるような声で言われ、何とも言えない複雑な気分になった。問題児のブラッドリーですら不憫がるような状況って、一体どういうことなのだろう。衣食住を保障されているので表だって文句は言ってこなかったが、もしかしたら私の置かれた環境は結構劣悪だったのでは。
 とはいえオーエンに関しては、そもそも私が出歩きさえしなければ、無用なエンカウントも避けられたはずなのだ。そういう意味では、魔法使いたちに逆らっている私が悪いので、私に注意事項を説明しなかった魔法使い側ばかりを責めるわけにもいかない。
 私が扉の前で立ち尽くしていると、ブラッドリーはさっさとソファーに腰かけくつろぎ始める。
「突っ立ってねえで座れよ、落ち着かねえな」
 ぞんざいに椅子を勧められる、私も言われるままに腰を下ろした。
 ぐるりと室内を見回す。部屋の広さは私の借りている部屋と同じくらいだが、設備が微妙に違っている。私の部屋にあるような簡易キッチンはなく、それどころかこの部屋にはベッドすら置かれていなかった。高級そうなカウチとひとり掛けの肘掛け椅子が置かれているほかは、センスのいい飾り棚とサイドテーブルくらいしか物がない。寝起きする部屋というよりはむしろ、秘密のコレクション部屋といったおもむきだ。
「ここに来てから、ほかの人の部屋にはじめて入りました。ほかの魔法使いの部屋もこんな感じなんですか?」
「この部屋のセンスがいいのは俺様の趣味がいいからに決まってんだろ。ほかのやつの部屋は全然違う。ここのやつらは趣味も大概ばらけてるしな」
「へえ、結構自分好みにカスタマイズしてるんですね」
 私の借りている部屋も、言えばもう少し私好みに改装してくれたりするのだろうか。私物を置くと愛着がわくので嫌なのだが、もしもここに長居することになったとしたら、さすがにあの殺風景な部屋のままではどうにも気分が上がらない。
「真木さんの部屋はどうなのかな」
「賢者の部屋? なんかごちゃごちゃ色々置いてあったような気がするぜ。どこそこの土産だの、誰それからの贈り物だの」
「ああー、じゃあやっぱり私物を増やしてる感じなんだな……」
「想像はしてたが、お前ほかのやつらとそこまで交流ねえのかよ」
「そうですよ、私のこと構ってくれんのなんてブラッドリーさんだけですよぉ」
「酒が飲みてえからって露骨に媚びるな」
 そう言いつつも、ブラッドリーは重たいグラスを魔法でふたつ取り出すと、そこにとぷとぷと酒を注いでくれた。こちらもボトルを受け取ると、ブラッドリーのグラスに酒を注ぎ入れる。陽はまだ高い位置にあり、カーテンを開いた窓から入る陽光が、グラスの表面を照らしてきらきら瞬かせている。
「かんぱーい」
 グラスをそっと合わせると、私はグラスを傾けた。
 実に七日ぶりの飲酒。次に酒にありつけるのがいつかも分からないので、じっくり拝みながら飲むことにする。
 とろりと濃いのがグラスの傾きに合わせて口に流れ込む。まずはひと口。口に酒が入ってきた瞬間、驚いた。この世界の酒はずいぶんと元いた世界と味わいが違う。高級な酒だからだろうか。信じられないくらいに美味しい。
「あぁー……五臓六腑にしみわたる。細胞が息を吹き返してる……」
「賢者はてんで下戸らしいが、てめえはまあまあイケるくちだな」
 ブラッドリーがにやりと機嫌よく笑う。
「そういう血筋なんですよね。家族みんな、お酒好きで」
「そういや最初にてめえが来た時も、酒の缶持ってたって誰かが言ってたな」
「そんなこともありましたっけねぇ。ブラッドリーさんあの時いなかったんでしたっけ」
「わざわざ見に行かねえでも、どうせ連行されてくんだろ」
「連行って言わないで」
 虜囚といい連行と言い、人をお尋ね者のように言うのはやめてほしい。私は善良な市民であり、これまでもこれからも、お縄になるつもりはまったくない。
 それにしても、まだこの世界にやってきて一週間ほどしか経っていないとは。七日前に呑んだビールがまさか、元いた世界で口にした最後の飲食物になるだなんて、まったく思いもしなかった。
 あのときの缶は今もまだ、私の部屋に洗って干してある。缶をどうやってこの世界で捨てたらいいのか分からないし、そもそもリサイクルの概念があるのかどうも分からない。
 そういえば、私の手にあるビール缶を見て、あのとき真木さんはひどく驚いていたのだったっけ。あのときは何に驚いているのかもよく分かっていなかったが、今になって思えばたしかに、あれほど驚くのにも納得がいく。
 真木さんのことをぼんやり思い出していたからか、ふと先程のオーエンの言葉が脳裏をよぎった。本当は自分こそが──私こそが『賢者』になりたかったんじゃないのか。そう私に問うたオーエンの声は、今も耳にこびりついているようだ。
 先程は一瞬我を見失い、またブラッドリーの乱入もあったせいで、オーエンの問いに答えられぬまま話が流れてしまった。しかし私はオーエンの問いに、ちゃんと答えを持っている。
 自分が『賢者』になりたかったのか。
 もちろん答えは、否だ。
 私は『賢者』になりたくない。『賢者』になんか、死んでもなりたくない。
 だってそうだろう。私は自分が『賢者』でなくてよかったと、心の底から思ってる。賢者にしてあげると言われたって、そんなものはお断りするに決まっている。『賢者』が真木さんでよかったとは思うけれど、それは魔法使いとこの世界にとっての最善であるというだけで、真木さんにとってはご愁傷様としか思わない。
 『賢者』に選ばれなくて、本当によかった。
 世界の命運を託されるような主人公にされなくて。途方もない役目を担わされる、この世界の生贄にされなくて。

 私は、本当に、よかった。

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