はてさて君の憂鬱よ


 二十名以上の居住者の食事を用意しているからには、キッチンといってもきっと給食室のような厨房なのだろうと、以前から薄々想像していた。食事を運んでくるネロに詳しく聞いてもよかったが、彼は必要以上の会話を私とするのを避けているらしい。それで私も、彼に色々話を聞くのはなんとなく遠慮していた。
 ブラッドリーに案内されて足を踏み入れたキッチンは広々と清潔で、想像していたよりもずっとおしゃれな造りになっていた。オーブンがあるが、電力はどうしているのだろう。この世界の照明はほとんどが蝋に火を灯すものなので、電化製品らしいものがあるということに純粋に驚く。
 そういえば、最初にここにやってきたときに乗っていたエレベーターの動力源も、私はひそかに気になっていた。魔法が使える世界なのだからそんなことに疑問を持つなと言われればそれまでだが、魔法使いではない一般市民にまで、広く魔法のちからが普及しているのだろうか。そうだとすれば、文化レベルは私が想像している以上に高いことになる。
 そんなことを考えつつ、私はブラッドリーに教えてもらったとおりにキッチンで水差しに水を汲んだ。上下水道が完備しているのか、蛇口をひねれば飲用にもなる清潔な水が出る。つくづくこの世界に文化レベル、技術のレベルはよく分からない。
「ついでにおやつとか貰ってったら怒られるかな? ブラッドリーさん、ここっておやつとかないんですか?」
 水を汲みながら私が尋ねると、パントリーを物色していたブラッドリーが首を伸ばしてこちらを見た。どうやらブラッドリーも、何か腹に入れるものを探しているらしい。
「甘いもんならこの時間、小せえののためにネロが用意したもんがその辺にあるんじゃねえか」
 小せえのというのは、幼い魔法使いのことだろうか。私はまだここに来てから、双子以外の子供とは会っていない。子供がいるというのなら、おやつくらい用意されていても不思議ではない。
「ええー、いいな。つまんだら怒られるかな」
「ネロはつまみ食いにすげえ厳しいぞ。俺様はそれでも食いたいもんがあれば食うけどな」
「怒らせるのはちょっとまずいかな……。ネロさんには配膳お願いしてるから……」
 残念ながら今の私には三食の食事くらいしか楽しみと呼べるものはない。ネロを怒らせるようなことは避けた方がよさそうだと、つまみ食いは断念することにした。
 ブラッドリーも、これといって収獲はなかったらしい。手ぶらでパントリーから出てくると、キッチンの出入り口へと目を向けて、それから「げ」と低く発した。
 つられて私も出入口へと視線を遣る。そこにいたのは、いつの間に現れたのか、にこにこと無邪気な笑顔を浮かべた双子の魔法使いたちだった。
「おや、これは珍しい組み合わせじゃ」
 まるで飛ぶような滑らかな足取りで、双子は肩を並べてこちらにやってくる。出入口側から距離を詰められてしまったので、私もブラッドリーも逃げることもできず、彼らを待ち受けるしかなかった。
「しかし、はて。そなたに渡しておいたベルは、たしか鳴っておらぬはずじゃが……?」
 スノウが私を上目遣いに見て、わざとらしく口の端を上げる。用事があれば鳴らせと言われた銀のベルは結局数えるほどしか使用していない。
「そうでしたっけ? おかしいなー。もしかしたら毎日リンリン鳴らし過ぎて壊れちゃったかもしれないですねー」
 私が見え透いた嘘でしらばっくれると、スノウは「まあよい」と、かすかな溜息を吐き出した。
「そろそろそなたを部屋に閉じ込めておくのも限界だと、我らも思っておったところじゃ」
「やっぱり閉じ込められてたんだ……」
 そうだと確信はしていたが、私を軟禁している張本人にこうもはっきり言われると、何とも言えない気分になる。
「はじめに我らに怒鳴ったときのそなたの様子からして、三日もてばいい方だと思っておった。むしろ一週間ももったことに驚いておる」
「まあ、そうですね。三日目あたりから不満を感じ始めていたので……」
「とはいえ、まさかブラッドリーに目をつけるとは思わんかったがのう」
「なに、ブラッドリーの面倒見の良さは、こういうときに役に立つ」
「ふざけんなよ。こんなよく分かんねえやつの面倒なんか見てられるか。なりゆきで一緒に下りてきただけだ」
 ホワイトの言葉が気に入らないのか、ブラッドリーが鼻を鳴らして吐き出した。そうだそうだと、私も内心同意する。助けてもらっておいて何なのだが、私まで不良の仲間だと思われてはたまらない。
 大体ブラッドリーだって、私のようなよく分からない子分はほしくなんてないだろう。まさにそう言いたげに、ブラッドリーがぷいとそっぽを向く。そのせいで、自然と私が双子ふたりの相手をする形になった。黄金色の二対の瞳が同時に私に向けられる。少しだけ、居心地の悪さを覚えた。
 実を言うとホワイトが幽霊だと分かってから、なんとなく私は双子のことを避けてしまっている。向こうも私と積極的にかかわろうとはしないので、あくまで私の気持ちの問題でしかないのだが。それでもやはり、避けている相手と向かい合うのは気まずい。
 そんな私の気まずさに気付かぬはずはないだろうに、ホワイトはあくまで穏やかな笑みを私に向けて言う。
「どうじゃ、名前。魔法舎での生活には慣れたかのう?」
「はあ、まあ……」
 ほとんど部屋から出てすらいないのだから、慣れるも何もないだろう。気まずさも相まって、どっちつかずの曖昧な返事になってしまった。それでもなお、双子は笑みを崩さない。作りものめいている──そんな失礼なことを、私はぼんやりと思う。
 これもただの勘なのだが、私が賢者である真木さんと不必要な接触をしないよう、注意して私の行動を管理しているのはきっとこの双子だろう。真木さんの方にも何か制限があるのかは分からないが、きっと彼女はいつも通りに過ごしているに違いない。この世界での真木さんは特別待遇の重要人物。その彼女に何かを無理強いしたり、彼女の意に染まない制限したりするとは思えない。
 逆に言えば、私の気分などどれだけ害しても構わないと、彼らは思っているのだろう。こうして表面上は親切な態度を示してくれるが、腹の底が信用できないということでは双子はブラッドリーの比ではない。少なくともブラッドリーは、私のことが心底気に入らなければ親切な態度などとらない気がする。
「先日も話したことじゃが、同じ時代にふたりの異界の客人が並び立ったことは歴史上一度として有り得ぬこと。そのせいで、多少そなたへの対応がまごついておるが、その辺りは大目に見てもらえると我らも助かる」
「賢者の同郷の友ということならば、我らとしても格別のもてなしで迎えねばならぬ。そのための準備じゃと思ってくれるとよいのじゃが」
「とはいえ不便があったらいつでも言うのじゃよ。我らに言いづらければ、そこのブラッドリーにでも伝えればよい」
「おい。人を便利に使おうとするんじゃねえ」
 流れるように私を丸め込みながら、流れ弾でブラッドリーまで巻き込んでいた。そっぽを向いていたブラッドリーがすかさず反論するも、「ブラッドリーちゃん、恩赦恩赦」と子供を大人しくさせるくらいの簡単さで、ブラッドリーはいとも容易く宥められてしまう。
「ったく、てめえら何かっつーとそれじゃねえか。大体今までの恩赦もちゃんと全部ツケてんだろうな。誤魔化したらただじゃおかねえぞ」
「もちろんじゃ。ブラッドリーちゃんってば極悪非道の悪党兄さんだったから」
「刑期がちょっと人並外れて長いせいで、なかなか実感が湧かぬやもしれぬが、我ら断じて嘘は吐かぬ」
「ケッ、どこまで信じていいもんだか」
 恩赦、悪党、刑期。何やら物騒な単語が飛び交っているような気がしたが、この場で深く追及するのはやめにした。うっかり余計な情報を知って殺されてはたまらない。
 一通り私とブラッドリーを丸め込んだところで、双子はふたたび飛び去るような足取りで去っていった。キッチンの中にまで入ってきたが、特に何をしたというわけでもない。私が部屋から無断で出ているのを感知して、様子を見に来ただけだったのかもしれない。ゆるやかな軟禁は、ゆるやかな監視によって成り立っている。
 双子が完全に立ち去ったのを確認して、私はひとつ長い溜息を吐いた。彼らの幼い容姿についついこちらも油断してしまうが、双子と話した後にはぐっと精神が疲弊する。気持ちが張り詰めるというか。就活のときを思い出すというか。
 双子の持つ恐ろしさは、オズやミスラのような分かりやすい恐ろしさではない。それだけに、気を抜くともっと悪いことになるような気がする。そういう意味では、双子とフィガロは話したときの感覚が似通っている。フィガロはそれでも、私の扱いが丁重に見えてぞんざいなので分かりやすい方ではあるが。
 私がほぉっと息を吐き終えると同時に、ブラッドリーが苛立たし気にまた鼻を鳴らした。ブラッドリーと双子は同じ北の国の魔法使い同士のはずなのだが、出身が同じでも親しくしているとは限らないのだろうか。そんなことをふと考えていると、
「てめえは良かったのかよ? じじい共に文句のひとつでも言ってやらねえで」
 私を見下ろしたブラッドリーが、しかめっつらでそう尋ねた。
「ああ、まあ、はい。そうですね……」
 疲弊した精神で先程の双子とのやりとりを思い出し、私は頷く。
 閉じ込めておくのは限界だと思っていた、と双子はたしかにそう明かした。ということは、これ以降は部屋の外に出てもいいということだろうか。はっきり言質を取ったわけではないが、ベルを鳴らさなかったことを咎められたわけでもない。部屋からの脱出が認められたのだとしたら、ひとまずのところは結果オーライだ。
 双子に文句を言わなかった理由としては、此処の責任者たる双子に、あまり生意気なことを言えないというのもある。彼らを怒らせ今以上に待遇が悪くなるのはまずい。しかしそれ以上に、感情的になって彼らと直接ぶつかるようなことは、私はもうしたくなかった。七日前の一件で、私も結構懲りているということだ。
 そんな我が胸中など知る由もなく、ブラッドリーは訝し気に私を眺め下している。
「何も言わねえのは、じじいや賢者たちへの義理立てか?」
「いや、全然」
 これにはすぐに答えられた。私は首を傾げてブラッドリーを見上げる。
「というかそもそも、義理って何の義理ですか? 何か私、義理を感じなきゃならないようなこと、してもらいましたっけ」
 衣食住の保障をしてくれている義理ということだろうか。しかしそれは、ここに私を閉じ込めてる人の義務のはずだ。義務を果たしたくないのなら、さっさと私をここから追い出してしまえばいい。
 しいていえば毎食配膳までさせられているネロへの義理があるくらいだが、ネロは多分、義理がどうとかいう以前に、私と関わり合いたくないはずだ。日々のお礼を言うくらいに留めておくのが、ネロに対して最大限義理を果たすということになっている。
 私の返事に満足したのか、ブラッドリーが呆れたような顔をして口許を歪めた。
「ま、そうだわな。お前そういうタイプじゃねえだろうし」
「いや、これでも借りとか恩とか義理とかは、結構大事にするタイプですよ。借りパクとか絶対に許さないし」
「それはパクられるやつに隙があんのが悪い」
「そんな最悪の理屈が通るわけないでしょ。いついかなる時でもパクるやつが悪ですよ」
 そもそもパクるとかいう簡単な言葉で誤魔化しているが、それは普通に窃盗だ。盗まれるやつが悪いなどという理屈が認めろなんて、どんなならず者だ。治安が悪い。
「それにあの人たちも、私のことを疎みたくて疎んでるわけじゃないって、そういうのが多少は分かるじゃないですか。あの人たちとか、あと、ほかの人たちもそうですけど」
「普通にお前のこと嫌いってやつもいるんじゃねえの」
「なんでそんなこと言うんですか? せっかくいい話っぽくまとめようとしたのに。今この瞬間に私がブラッドリーさんのこと嫌いになりますよ」
「キッチンまで連れてきてやった恩は」
「それについてはありがとうございました」
 やっぱりブラッドリーは段違いに会話がしやすい相手だった。多少ならず者ではあるのだが、もはやそのことを認めないわけにはいかなかった。

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