episode 7

 夕食時になってきたのか、ファミレスの中はほとんどの席が埋まっていた。この辺りは結構な田舎で、このファミレス以外には昔ながらの個人経営の居酒屋とか、そんな飲食店しかない。高校生が出入りできるような店は限られている。
 駅前まで出ればもう少し色々あるのだけれど、そこまで行くと今度は却って混雑しすぎていて長居がしにくい。ここのファミレスは私と影山がご飯でも食べようかというときに第一候補に挙がる店だった。ちなみに、一年前のゴールデンウィーク以降、影山とスタバには行っていない。というか多分、影山はあれきりスタバに足を運んではいないと思う。影山飛雄はそういうやつだ。

 スタバのものとは比較にならない、なんだかやけに水っぽいオレンジジュースをずるずると音を立てて飲みながら私は影山を見た。私がファンに詰め寄られたりしていることなど、影山にとっては些細な事らしい。まあ影山にとって些細でないことなんてバレーくらいにはないのだろうけれど。
 打ったところで響きはしないと分かりつつ、それでも私は懲りずに言った。
「大体、影山がはっきり言わないから私までファンの子に色々聞かれるんだよ。はっきり言えばいいのに。『今は部活が忙しいからお付き合いはできません』って」
 そう文句を言うと、影山は憮然として言い返してくる。
「は? 俺はちゃんと言ってるぞ」
「ええ、本当? なんて言ってるの」
「『悪いけど無理』」
「それじゃあ女の子は納得しないでしょうに……」
 言葉足らずにもほどがある。その一言で問題ないと思っている影山に思わず溜息をついた。

 影山に告白して玉砕した女子たちの肩を持つ気はない。けれど、少なくとも告白までしてくるくらいの気持ちの女子に対して、何故無理なのかを説明しないのはいくらなんでも不親切すぎるというものだ。
 その上、影山のことだから『悪いけど』なんて言いながらもどうせ少しも悪びれた様子もなく淡々と言っているのだろう。この『悪いけど無理』という短文だって、もしかしたら部活の先輩あたりからの入れ知恵の可能性すらある。

 私の呆れた視線に影山はむっとし、いつものように唇をみゅっと突き出して、あからさまに嫌そうな顔をした。
「別にいいだろ。向こうだってどうせ本気で付き合いたいとか言ってるわけじゃねえんだろうし、いちいち真に受けてられねえ」
「あ、そういうのは一応分かってるんだ」
「馬鹿にしてんのか」
「ううん、意外だなと思っただけ」
 本気の好きかそうでもない好きかを鑑別するくらいの感覚を影山が持ち合わせていたことが。

 影山は続ける。
「真剣かどうかくらい俺でも分かる」
「野性的な嗅覚みたいなもの?」
「まあ、感覚」
「なるほどね」
 しかしそうなると、影山の言葉もまあ一理あるということになる。本気で好きです、付き合ってくださいと言ってきているわけでもない相手にいちいち真剣に返事をする必要はないからだ。

 影山のキャパシティは驚くほど小さい──より正確に言うのであれば、キャパシティや情報処理能力自体は世間並かそれ以上なのだろうけれど、その大部分をバレーに費やしているので残りがごく少ない。
 それだけに、影山が数も覚えていないほどに繰り返される『真剣ではない告白』に、いちいち真剣に取り合っていてはこちらが疲弊するだけなのだ。影山の対応はもしかしたら褒められたものではないのかもしれないけれど──しかしひとつの正解ではあるのかもしれない。
 まあ、モテたことなどこれまで一度もない私には、想像することしかできないけれど。
 モテる人間にはモテる人間なりの面倒や苦労があって、そしてそれが必ずしも歓迎すべき事態ではないときには相応の対応をしなければならないのだと、影山を見ていて私は思う。それこそ、そんな些事で摩耗して、本文であるバレーに支障をきたしてはたまったものではないのだろうから。

 とはいえ、それはあくまで相手が真剣ではない場合だ。相手も真剣だったら──影山がバレーに向き合うように、相手も影山に向き合っていたとしたら──そのとき影山はどうするのだろう。
 ふと浮かんだ疑問に、私は口を開く。
「じゃあさ、逆に影山のことを本気で好きで、本気の告白をしてきた子がいたら──その子にはきちんと対応するってこと?」
「そりゃ、まあ」
 いともあっさり影山は答えた。そこに迷いや照れは一切なく、いっそ清々しい。恋愛の話をしているとは到底思えないトーンだ。
「そんなやつがいるとは思えねえけど」
「そっか、なるほどね」
「ま、どっちみち付き合うとか無理だけどな」
「それは決定事項なの?」
「んな余裕ねえし」
 それもあっさり言い切って、影山は口を閉じた。そのあまりの潔さに影山のバレーへの熱意を改めて垣間見た気がした。
 男子高校生であれば大なり小なり恋愛への興味を持っているのが普通だと思うのだけれど、影山にはそういう普通は一切通用しないのだ。全国大会出場校のレギュラーともなればほかの人たちもこんな具合なのだろうか。私には影山くらいしかそういうトップレベルの友人がいないので比較のしようがない。まあ、影山以外もそうであったところで影山の尋常じゃなさが薄れてしまうということはないわけだけれど。

 と、そんなことを思ったり考えたりしていたら。
「ん、これ」
 影山がクリアファイルの中から一枚のわら半紙を取り出し首を傾げた。それをテーブル越しに覗き込もうとすると影山から手渡される。受け取って確認すると。
「ああ、それ。希望調査票だって」
「希望調査票?」
 訝るような声で影山が繰り返す。一切事情を把握していないといわんばかりだ。
「影山、先生の話聞いてなかったの? 休み前に話してたでしょ。二学期からの選択授業の希望を休み明けに出せって」
 そも、今日わざわざこうしてプリントを渡しにきたのも、休み明けに提出しなければならないこのプリントを渡すためだった。急ぎの用がないのであれば休み明け、明日学校で渡せばいい。

 それでも明日提出のプリントを前日に渡したのは、すでにそういうプリントを近々配布するから各自考えておくようにという担任からの話があったからだ。そう説明すると、影山はふうん、と曖昧な返事をした。
「そういやそんなこと言ってたっけ」
「何それ。影山本当にちゃんと覚えてた?」
「覚えてたっつーの」
 むっとして言うけれど、その言葉の残念ながら信憑性はゼロだ。影山が人の話を聞いていないのはいつものことだし、だからこそ影山関連の話が私にわざわざ回ってきたりする。伊達に一年『影山係り』扱いをされていない。何なら自分のことを影山の外部バックアップくらいに認識しているときすらある。

 影山の手にプリントを返却する。大きな手がそれを受け取った。
「名字は選択授業何にすんだ」
「私? 私は数学だよ。応用数学」
「は? なんでそんな眠くなりそうなの選んでんだよ」
「逆に影山が眠くならなさそうなのってどれなの」
「……」
「ないんじゃん」
 黙り込んだ影山のことを笑うと、影山は苦々し気に私を睨んだ。睨まれても困る。墓穴を掘ったのは自分じゃないか。

 とはいえ、私も好きで数学なんか履修したいわけではない。影山ほどではないにしても、私もけして勉強が得意なわけじゃない。だから好き嫌いで折角の選択授業を選べるような身分でもない。ないない尽くしでうんざりだ。
 そんなことを思いながら、ストローの先を噛み噛み私は説明する。
「受験のこととか考えると、やっぱり数学もちゃんとやっておいた方が良いかなと思って。国公立受けるってなったら文系の学部でも数学必要だし。塾にはまだ通いたくないから授業でとれるっていうならとるよね」
「お前、もう受験のこととか考えてんのか。この間高校受験終わったばっかじゃねえか」
「この間っていつの話してんの。ぼやぼやしてると高校生活折り返すよ」
 少なくとももう高校生活の三分の一は終わったのだし、うかうかしていると夏休みになってしまう。影山のように熱心に部活をやっているわけでもなし、私にしてみれば去年の一年だって気が付いたら終わっていたという感覚が強いのだ。受験まであと二年、いや一年半ほどだと思うとそう先の事とも思えない。

 なんだか気が塞ぐ話になってしまった。深く溜息をついて、
「大学かあ」
 と、ぼやく。早く大学生になって自由を謳歌したいとは思うけれど──かといって女子高生というブランド・身分を捨てたいとはまだ思えない。大人が大変そうであることくらい、この年になるとなんとなく親を見て察することもできる。それに中学を卒業したときには高校生活に夢を見たりもしたけれど、実際の高校生活といえばこんなもんだ。大学生活への期待も萎むというものだろう。

 まあ高校生活も悪いものじゃない。影山と仲良くなれたのはかなりラッキーだった。私には異性の友人は少ないし、その点影山はそういう余計なことを考えずに付き合える得難い友人だ。大学に進学してもできれば仲良くしていたいとも思う。
 影山はどうだろう。大学に入ってもバレーは続けるのだろうし、私ほどには高校から大学への進学を大事に捉えていないかもしれない。むしろ大学バレーという次の舞台に進めることを楽しみにしているくらいかも──いや、影山のことだし、そんなことまでまだ考えていないか。影山にとって大切なのは目の前のバレーだ。
「影山はもうどこの大学受験しようとか考えてるの?」
「全然」
「そっか」
 思った通りの返事が返ってくる。先ほどの恋愛の話と同様に迷いがない。
「推薦来ればいいけど、なかったらやべえ」
「あ、そうか。影山の場合はスポ推っていう選択肢があるのか」
「推薦が来ればな」
 そうは言っても、一年のうちから全日本ユースのお声がかかるような人材だ。順当に行けばまず間違いなく推薦が来るだろう。私のような一般人とはまた話が違ってくる。むしろ影山は選ぶ立場にいる。

 自分は影山よりも多少勉強ができる分半歩リードと思っていたけれど、思いがけず置いてきぼりにされてしまった気分だった。けれど言うまでもなく、私が特に目立つところのない平凡な女子高生なのに対して、影山は高校バレー界では有名人だ。私がバレーに疎いばかりに時々忘れてしまいそうになるけれど、こうして対等な友達でいても、影山と私では立っている場所が違うのかもしれない。

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