episode 6

 待ち合わせ時間の五分前に約束のファミレスに到着すると、影山はすでに到着していた。
 窓際のソファー席でひとり、からあげ定食をもくもくと口に運んでいる。私の姿に気が付くと軽く左手を上げ「よう」と言った。
 まだ約束時間の前なのだから、飲み物はまだしも本格的に食事を始めるのを待てなかったんだろうか──とは、もはや言うつもりもない。影山は何時如何なるときでも私相手に自分のペースを崩したりするようなことはない。恐ろしいまでのマイペース男だ。私もそれには慣れっこなので、特に文句を言うこともなく影山の正面に座った。

 部活の後そのままここにきたのか、影山はTシャツの上に部活パーカーを羽織っている。外はそれなりに暑かったけれど店内は冷房がきいて冷え冷えとしていたので、昼間のままTシャツ姿の私はそのパーカーを少しだけ羨ましく思った。
 『男子、三日会わざれば刮目して見よ』というけれど、一週間見ない間に影山は少し日焼けをしたように見える。バレー部とはいえ体育館の中でばかり練習をしているわけではないということを、私は影山と仲良くなってはじめて知った。炎天下でも学校の裏で坂道ダッシュしたりしているのを見ると、バレー部も大変だなあと思うことしきりである。

「お待たせ、約束の時間前なのに早いね」
 テーブルの横に立ててあったメニューを開き、その上に視線を遣ったまま影山に言う。見えていないけれど、定食を食べている影山も似たようなものだろう。視線は手元の皿に向いているに違いない。
「ここ来るまでの信号に一回も引っかかんなかったからな」
「まじ? ラッキーだったね。合宿所からそのままきたの?」
「ああ」
「その割には荷物少ないけど」
「そんなことねえよ」
 影山がそう言ったのと同時に、ぼすんと足元から何か柔らかいものを蹴る音がする。テーブルの下をのぞくと、たしかに足元に大きなカバンが置かれていた。今の音は影山がかばんを蹴った音らしい。
 ちょうどその時店員さんがやってきたので、自分の分のドリンクバーと、それから限定メニューのパスタをセットで注文した。今日は親には夕飯はいらないと言ってある。

「それで、合宿どうだった?」
 と、ドリンクバーで注いできたジンジャーエールを飲みながら私は尋ねる。影山は「ああ」と影山らしい返事をした。
「よかった」
「よかったってねえ、もうちょっと何かないの?」
「言っても名字分かんねえだろうが」
「たしかに詳しいことは分かんないけど……」
 影山の言う通りなのだけれど、そうもばっさり切られると悲しいものがある。これでも影山の話を延々聞かされてきたので、この一年で多少はバレーについての知識もついたのだ。まったくさっぱり分からないと言うこともないだろう。
 そんな私の不満顔に、影山は呆れたように私を見た。それから私でも分かるよう、
「夏までそんなに時間ねえからな。まだ新体制になってから日が浅いし、時間はどれだけあっても足りねえよ」
 と、当たり前といえば当たり前のコメントをした。

 影山とのコミュニケーションもかなり円滑に進むようになったと思う。その結果こうして影山に面倒くさがられたり適当にあしらわれたりすることも増えたのだけれど、それはまあ、友好の証として好意的に受け取ることにしている。こちらもこちらで影山相手にはラフな対応をしているので、そういうところがお互い楽で一緒にいるのだと思う。

 そんなことを考えつつ、私は傍らに置いたかばんに手を伸ばした。今日ここに来た本題は、合宿についての話を聞くためではなかった。
「そうそう。はい、これ影山が休んでた日のプリントね」
 クリアファイルごと、プリントをテーブルの向こうの影山に差し出す。今日の目的はこれを影山に渡すことだった。
 とっくに料理を食べ終えた影山はごくごくと水を飲みながら、片手でそれを受け取った。
「おう、サンキュ」
「休んでた日の授業のノートは今日持ってきてないけど、バレー部のために振替の補習あるんだよね?」
「らしい」
「じゃあいっか」
 そう確認すると、何故か不承不承といった様子で影山は頷いた。

 影山が一年の冬に東京まで出向いて参加した全日本ユースの強化合宿──あれは公欠扱いになっていたけれど、ただの部の行事である合宿では残念ながらそういう配慮はなされない。それでも全国大会出場を果たし、今年も期待を寄せられているバレー部には特別に平日を跨いだゴールデンウィーク合宿が許可されているのだ。それだけでも十分に特例の処置といえるだろう。おまけに、そのアフターフォローとしての補修もばっちり組まれている。至れり尽くせりだ。
 もっとも影山にしてみれば補習なんてなくてもいいくらいに思っているのだろう。けれど進学クラスの月島くんや山口くん、それに受験生である三年生の先輩たちはそういうわけにもいかないはずだ。
 補習は平日の授業後にあるらしいので、部活に参加したくば嫌でも補習を受けよ、ということになるそうだ。ご愁傷様、影山。

 テーブルに運ばれてきたパスタをくるくるとフォークで絡めとり、それを口に運ぶ。夏野菜がもりもり入っていて、昼から何も食べていなかった私の食欲をそそった。すでに自分の注文した食事を食べ終わってしまった影山は手持無沙汰で私が食べるのを待っている。そのうち食べ足りないとでも思ったのか、メニューを捲りだした。
 高校生男子の胃袋に恐れおののきつつ、先ほどまでの思考に立ち返る。パプリカをフォークでつつき、私は切り出す。
「しかしバレー部は大変だねえ。普通の公立の烏野で、合宿を授業より優先してもらえるようにあの教頭を説得したのもすごいけど、ゴールデンウィークの休みもずっと合宿なんて」
 私だったら逃げ出すよ、と言って、私は笑う。それに対して影山は特に笑わず、さも当たり前のこととでもいうように返した。
「毎日学校まで通うより合宿の方がむしろ楽だろ。授業もねえし」
「そういうところだよね」
 そういうところが、すごいところだよね──と心の中で付け足す。
 そういうところが私が一番最初に影山のことをすごいと思い、それから一年かけてどんどんその『すごい』を深めていったところだ。

 とはいえ──影山のこういうところは素直に尊敬するけれど、しかし私がバレー部の人間だったらと思うと恐ろしくもある。そりゃあ全国レベルの部といえど、みんながみんな影山マインドを持っているわけでもないだろう。日向くんあたりはかなり影山と似た人種のようだけれど、少なくとも進学クラスのふたり──月島くんと山口くんはここまで猪突猛進、一心不乱にバレーに没頭しているわけでもなさそうだ。
 特に月島くんなんて、どう見ても影山とはそりが合わなさそうな気がする。寝食ともにするとなると余計にだ。影山はバレー以外には物ぐさで適当なところも多いけれど、みんながみんなそういうわけでもないだろう。
「一週間近くも同じメンバーで寝起きして、日がな一日バレーばっかりして、嫌にならないの?」
「……嫌になるもんなのか」
 きょとんとした顔をして影山が聞き返す。そうも純粋に聞き返されると、そんな疑問を抱くこちらの方がおかしいような気になってくるからやめてほしい。
「まあ、そういう人もいるだろうって話だけど」
「バレーばっかりやってられるのって俺にとっては天国だけど」
「ははあ、なるほどね」
 話し合いにすらならなかった。影山の弁によれば、バレーができるということが大事であって、そこに誰がいるかはそう大きな問題ではないらしい。そのことが分かって、ついつい苦笑した。とことんマイペースである。

 ふと、昼間会った後輩とのやりとりを思い出す。
 私が影山と付き合っているだとか、告白するなら止めるかとか、彼女とはそんなような話をしただけだった。それについてだけれど、私と影山が付き合っているように見えるのはまあ、百歩譲って分かる。影山のことを格好いいと思う気持ちも分かる。私ですらたしかに影山は格好いいと思う。
 しかしながら影山のことを好きになり、その上影山に告白までする女子の気持ちというものが、私にはまったく分からなかった。
 この通り影山はバレー以外のことにはまったく興味がない。そのことは尊敬に値すると思う。けれど、それならば影山がバレー以外である女子というものに興味を持つ可能性が限りなく低いということも、同様に分かってもいいはずだ。極端な話、私と付き合っているかどうかなんてこの上なくどうでもいいことではないだろうか。

 そんなことを思いながら、改めて影山のことをよくよく眺める。追加の注文を終えてちまちまと携帯をいじっている影山は、私の視線に気が付くと怪訝そうに眉根を寄せた。その表情に私も顔を顰めて見せ、言う。
「まったく、どうして影山がモテるんだろうね。バレーがうまいのが格好いいっていうのは私も分かるけど、それでもこう、もっと一般的な感覚持ってる人の方がよさそうなものだけど」
「何の話だよ?」
「影山、今年に入ってから何回告白された?」
「……さあ?」
「まったく、よくおモテになることで」
 思わず溜息をついた。告白された回数を覚えていないだなんて、とんだ色男ぶりだ。もちろんそれもバレー以外のことには無頓着な影山らしいエピソードなのだろうけれど、しかしそれにしても年頃の男子が女子からの告白回数を覚えていないなんてことがあるだろうか。クラスメイトの男子が聞いたらさすがに影山でもぶん殴られそうだ。

「つーかそれが名字に何の関係があんだよ」
 相変わらず怪訝な顔をして影山が言う。影山が追加で頼んだやまもりポテトを腹いせに一本つまんで私は答えた。
「私のところにも来るんだよ。影山のファンが」
「は? なんで」
「さあ。私たちが学校でも外でもよく一緒にいるからじゃないの。そのせいでなんかあらぬ誤解をされてるっていうのはあるみたいだけど」
「誤解ってどんな」
「そりゃあ──……」
 付き合ってるとか。
 そう言いかけて、しかし私は口をつぐんだ。開きかけた口を閉じたことで、影山が不思議そうに首をかしげる。
「なんだよ、言えよ」
「別に。なんでもないよ」
 なんだか素直に答えるのが悔しくて、私はそっぽを向いた。

 私と影山の交際説についてはすでに影山も知るところなのだろうけれど、しかしそれを私の口から説明するのは、なんだかあまり面白くはなかった。事実無根の話ではあっても、なんとなく。それは多分、この噂についてあまり気にしていない私以上に影山の方が無関心だからということもあるだろう。
 ここでその噂をわざわざ口に出せば、私がまるで影山と付き合っているという噂を立てられていることをことさら気にしているようにみえそうで、それはどうにも面白くないように思えた。

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