episode 3

「そういえば、合宿ってどこでやってたの?」
 と。
 フラペチーノ片手に私は尋ねた。

 入店した時には女子大生だろうか、私たちより少し年上のグループがいくつかのテーブルでガールズトークに華を咲かせていたけれど、私たちと入れ替わるように立て続けに店を出て行ってしまったため、私たちの周りはがらんと空いていた。ちょうど混雑の谷間だったらしい。いずれにせよ、影山くんの声は低いので、周りが静かなのはありがたかった。会話をするにしても、これで声が聞き取りやすくなる。

 もくもくとフラペチーノを飲んでいた影山くんは、私の質問に対して一瞬ストローから口を離し、「なんか、合宿所」とだけ答えた。相変わらず無駄のない返事に苦笑する。
 情報伝達としてはこれ以上ないくらいにシンプルで分かりやすいけれど、しかしコミュニケーションとしてはかなり危うい。まあその辺りはこちらの慣れの問題でもあるだろうから、あまり気にするほどでもないかもしれないけれど。

 それにしても、合宿所か──と、私は思案する。その響きからして、学校所有の施設だろうかとは思うのだけれど、生憎とまだ高校入学して一か月しか経っていない私は、学校の施設を把握してはいない。合宿所と言われても、いまいちぴんと来なかった。

 先ほどの影山くんの言葉を思い出す。去年まではそんなに強くなかったけれど、今年の男子バレー部は強い。
 なるほど、まだ五月の時点で合宿があるなんて、それはちょっと強豪校っぽいような気がした。まあ私はそういう運動部の事情には詳しくはないので、それが普通だと言われれば返す言葉もないのだけれど。
「この時期の合宿って何やるの? まだ大会まではちょっとあるよね」
「いや、言うほど時間ねえ」
「そうなんだ」
「まあ、でも、基礎練メイン。今日は練習試合もしたけど」
「ふうん。相手この辺の学校?」
 知ってる学校だったらもしかしたら知り合いがいるかもしれない。私が通っていた中学には男子バレー部はなかったから誰かあてがあるわけではないけれど、話のネタになるかもしれない。そんな気持ちで尋ねる。
「いや、東京」
「東京!?」
 思いがけず強豪っぽい話を聞いてしまって、素っ頓狂な声が出た。なんと、この宮城の田舎まで首都たる東京の今を時めく高校生が遠征にきていたのか。そして東京の高校生と試合を組めたのか。正直、今この瞬間まで影山くんの弁を話半分に聞いていたから、これは結構な衝撃だった。
 東京の学校とわざわざ練習試合をするなんて、よく分からないけれど強豪っぽい。よく分からないけれど。

 私が困惑している間に、影山くんはその東京の高校のバレー部についてつらつらと説明をしてくれている。守備が、リベロが、レシーブが、速攻が──けれどそれは専門的な話だったので、残念ながら門外漢の私には、話の内容は半分ほども理解できなかった。
 バレーについてはボールを落としたら点をとられるとか、そのくらいの初歩的なルールしか知らない。申し訳ないけれど、この話について影山くんのいい話し相手になれる自信はなかった。せいぜいが丁度よさそうなタイミングで相槌を打つくらいのものである。

 とはいえ、影山くんがこうして色々と話してくれるのを見ているのは面白かった。人が熱意を持って自分の好きなものについて語っているのを見るのは楽しい。たとえその話の内容がよく分からなくても、だ。
 私は元来、あんまり話し上手な方ではない。人を楽しますことができるような巧みな話術も持っていない。大人数でのやりとりになればほとんど笑って聞き役に回るようなタイプだし、実際そういう風に立ち回ることは私にとっては何の苦痛でもなかった。
 こうして影山くんと一緒にいると、普通の話題──クラスメイト相手にするような話題ではどうしても私主導になる。影山くんは私が尋ねたことに対して端的に返事を返してくれるけれど、それだけだ。その点、こうやって熱っぽく語ってくれるのは普段聞き役の私にとってはありがたい展開なのだった。それに、知らないことを教えてもらえるのは楽しい。

「影山くん、楽しそうだね」
 活き活きとした表情で語っていた影山くんがなんだか可愛く見えて、思わずそうコメントする。すると影山くんははっとした顔をして、それから少しだけばつが悪そうな顔をした。
「……悪ィ」
「え? なんで?」
 突然謝られ、何のことか分からず首を傾げる。影山くんはその細い指先でぽりぽりと首の後ろを掻いた。
「いや、バレーのこととか意味分かんねえだろうから」
 自分が相手にとって意味の分からない話をしているという自覚があったのか──そのことに、私は少なからず驚く。影山くんのここまでの話しぶりや雰囲気からして、てっきり彼は自分にとっての常識は他者にとっても常識であると、そういう風に思っていると思っていた。いや、少なからずは思っていると思う。

 だから、申し訳なさそうな顔をしている影山くんに私は言う。
「面白かったよ。たしかに意味は、あんまりよく分かんなかったけどね」
 話の内容は分からなかった──それは事実である。けれど影山くんは私にアドバイスを求めたりしているというわけでもない。それならば極端な話、影山くんの話している意味が分からなくても、それは大した問題ではないのだ。影山くんが私に話しているということ。私が影山くんの話を聞いているということ。影山くんがどういうことに興味があって、どういう風に興味を持っていて、そしてそのことについてどういう風に話すのかを知ることができるということ。私にとって重要なのは会話の中身ではない。少なくとも、今この時点──きちんと知り合ってほんの数十分という今の時点では。

 だから、正直にそう言った。意味が分からなくても面白い。影山くんの話を聞いているだけで、十分に私は楽しめている。そのことを、影山くんにも伝わるように噛み砕いて説明した。
 影山くんは納得できないのか理解しがたいのか──眉間に皺を寄せて言った。
「それ、面白いっていうのか?」
「うん、面白いよ」
「よく分かんねえ」
「うーん、そう言われてもねえ……面白いものは面白いし……」
 感覚的なものを口で説明するのが難しくて、どう言葉にしたものか思い悩む。その間にも影山くんはどんどん眉間の皺を深くしていた。何も知らない人間が見たら、さぞ不機嫌な人間に見えるだろう。私も、ついさっきまでの私だったらきっと何かしらの地雷を踏んだと勘違いするに違いない。影山くんは感情表現の起伏が乏しいけれど、そのくせネガティブな方向にはやたらと表情が豊かだったりする。

 その影山くんが、おもむろに口を開いて言った。
「名字、へ……変わってるって言われねえか」
「それ、影山くんにだけは言われたくないな」
 しかも今、『変』って言おうとしただろう。失礼なやつめ。むっとするほどでもないけれど、わざと怒った顔をつくって見せるも、影山くんはそれに気づいているんだかいないんだか、平然とした顔でフラペチーノをすすっている。

 いつの間にやらカップの中身は半分以下に減っていた。このペースで飲んでいくとすぐに飲み切ってしまうだろうけれど、それはなんだかすごく惜しいことのような気がする。何せ影山くんは休み時間に教室にいることは少ないし、いたとしてももくもくとお弁当を食べているか机に突っ伏して眠っているかだ。こうやって話す機会は、きっと学校にいたらあんまりない。
 それに、男子とふたりで仲良く話していたら何か変な噂を立てられるような気がする。うちのクラスはまだ、男子と女子の間に大きな壁がある。

 影山くんがぼんやりと窓の外を見つめていたので、つられて私も視線を窓の外に向けた。けれど特に何を見るというわけでもない。頭の中では新しいクラスのことをつれづれと考える。
 今、私が仲良くしているメンバーはクラスでも目立つ女子のグループだ。最初に仲良くなったのがたまたま目立つ子だったから、そのままずるずると今に至っている。別に嫌なわけじゃないし、そこを抜けてまで仲良くしたい子もいない。抜けたい理由もない。だから、一緒にいる。彼女たちは間違いなく私の『友達』だ。

 だけど──目の前の影山くんも、すでに私の『友達』だった。交わした言葉の数はそう多くないし、彼のことをそう沢山知っているわけでもない。もしかしたら影山くんは私のことを友達だなんて思っていないのかもしれないし、それどころか明日学校に行ったらまた名前を忘れた状態からのリスタートの可能性だってある。
 それでも。
 それでも、影山くんのことは友達だと思うし、これからも仲良くできたらいいと思う。学校でだって話したい。高校に入学して一か月のこの時期に、変な噂が立ったりするのは嫌だけれど、それと同じくらい、折角仲良くなった影山くんとの縁は大切にしたいとも思う。

 影山くんは整った顔をしている。今は目立たないけれど、きっとじきにみんなも気が付くだろう。その時、私の『友達』たちは何を言うだろう。何と言うだろう。私に向かってどんな言葉を、あるいは、私のいないところでどんな言葉を──
「名字?」
 呼びかけられて、はっとした。視線を目の前に戻すと、真っ黒い瞳がこちらを向いている。影山くんが訝し気な顔をして私のことをじっと見ていた。
「ああ、ごめん。ぼーっとしてた。何だった?」
 頭の中を渦巻く面白くない思考を振り払って、私は影山くんの尋ねる。
「いや、別に。何ってわけじゃねえけど、すげえ眉間に皺寄ってた」
「え、うそ。やだな」
 眉間を指先でほぐす。影山くんは特に何も言わずにそれを眺めていた。
 窓の外はゆっくりと紫色に染まり始めている。

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