episode 2

「へえ、そんな小さいころからバレーをねえ」
 スタバまでの道中、私と影山くんはどちらからともなく自分の生い立ちの話をしていた。影山くんは沈黙を苦にするタイプではなさそうだったけれど、私の方が気にする。クラスメイトとはいえ、そう親しくない男の子とふたりで歩いていたら緊張する。

 生い立ちの話、とはいっても私の生い立ちはごくごく平凡だ。会社員の真面目な父親と、パート勤めの口うるさい母。勉強はそこそこ。スポーツもそこそこ。部活は中学は仲のいい友達と同じ部に入っていたけれど、高校では心機一転やったことのないことに取り組んでいる──とか、まあそのくらい。我ながら特筆すべきことのない十五年だと影山くんに話しながら思った。

 対して影山くんは、まあ家庭環境こそ私と似たようなものだけれど、彼には特筆すべき事項がある。バレーだ。
 小学二年生で始めたバレーを、彼は今も続けているらしい。彼の通っていた中学はバレーの強い学校で、そこで一年生の頃から時々試合にも出ていたらしい。その話をする影山くんは何故だかあんまり楽しそうではなかったけれど──それでもそんなに長い間ひとつのことに熱中できるということが、私にとってはもう尊敬に値することだった。

 私は昔から飽きっぽい。習い事でも何でも、二年続けばいい方だ。その上物ぐさときている。毎日同じ練習なんてしようものなら、ほぼ確実に飽きて投げ出す。だから影山くんがひたむきにバレーをやっているというのは、やはり単純にすごいと思った。
「そんなに毎日やってて嫌になったりしないの?」
 私だったら嫌になりそう。そう心の中で付け足して、私は影山くんに尋ねる。隣を歩く影山くんは何てことなさそうな顔をして、
「飽きねえよ」
 とだけ言った。それは多分、見栄も嘘もない言葉なのだろう。なんとなくそう思う。影山くんは多分、そういうことで嘘を吐いたりはしない。多分。

 そんなことを考えながら、私は影山くんの方を見る。ぼんやりした顔をした影山くんはつま先で小石を蹴り上げた。
「思うようにできなくてイラつくことはあるけど、バレーに飽きたり嫌になったりっつーことはない」
「ふうん。それってすごいよね。思うようにできなくて、嫌になっちゃうことなんて普通によくあることだと思うし」
「できないままにしておく方が嫌じゃねえのか」
「そう思えることがもう、すごいんだって話じゃないかな? 分かんないけど。そこまで熱中できること、それ自体がね」
「どうだろうな。ほかのやつは違うことに熱中してんじゃねえの」
「いやー、私なんて全然だよ。そんな風に一途になれるの羨ましいもん」
「あざす」
 ついうっかり自虐っぽいことを言ってしまいはっとした──けれど、何故かお礼を言われてしまった。微妙にずれた影山くんの返答は私の心を和ませる。教室ではいつもしかつめらしい顔をしているけれど、影山くんはどうやら思ったよりもずっと、面白い人らしい。

 そういえば、影山くんは随分と大荷物を提げて歩いているけれどバレーとはそんなにも大荷物な部活なのだろうか。ボールは学校──部の備品を使っているだろうし、そんなにも持ち帰りするものは無さそうなものだけれど。
「影山くん、いつもそんなに大荷物なの?」
 かばんを指さして尋ねる。これが毎度のこととなると、平日の授業がある日にはこれと勉強の用具も持ち運ばなければならないわけで、それはさすがに、がたいのいい男子であっても大変だろう。

 そんな私の心配をよそに、影山くんは自分でもかばんを一瞥し、
「合宿だったから」
 とさらりと言った。
「え、合宿? 今日?」
「今日まで」
「じゃあ今その帰りなの?」
「おう」
 あまりにもさらっと言っているけれど、運動部の合宿はかなりハードだと聞く。まして、影山くんはついこの間まで中学生だったわけで、高校の部活の合宿についていくのはかなり体力的にも精神的にもきついはずだ。いくら影山くんがバレー大好きっ子だからといって、物理的にしんどいものはしんどいはずだ。
「な、なんかごめんね……そんなお疲れのところをお誘いしちゃって」
 今更すぎるものの、謝っておいた。影山くんはきょとんとした顔をする。
「まあ確かに疲れてはいるけど」
「だよね」
「それと名字とスタバ行くことは関係なくねえか」
 やはり微妙にかみ合わない影山くんに、私はとりあえず曖昧に笑った。

 ところで、影山くんと歩いてみて分かったことなのだけれど、彼と私では大幅に歩幅が違う。女子の平均身長程度の私と男子の中でもたっぱのある影山くんが並んで歩けば当然だ。影山くんの一歩は、大体私の一歩半から二歩程度になる。
 問題は、影山くんが歩くペースを一切落とそうとしないことだった。いや、私が普通に歩けばもしかしたら影山くんが気をつかって歩くペースを落としてくれるかもしれないとは思う。目的地が「駅前のスタバ」と明快なことで、影山くんは話しながらとはいえ、文字通り脇目も振らず、一心不乱に歩いている。だから歩くペースが速い。そして私はそれに小走りでついていっている。

 早足で歩き続けるのは疲れるけれど、あえてペースを落として歩くのもそれなりに疲れる。体力的な疲れというよりは気疲れする。そして今日一日、こうして外に出てくるまで家でぐうたらしていた私と合宿帰りの影山くんだったら、私が多少無理をする方がまだしもいいように思えた。
 高校に入ってから、ちょっと太ったし。
 そう自分に言い聞かせ、早歩きと小走りを繰り返すこと十五分。ようやく目的地に到着した頃には、私はうっすらと額に汗をかき、肩で息をしていた。

 かばんからハンカチを取り出して汗を拭う。いくら夕方とはいえ、五月に入って数日たつ。今年は猛暑との予報の通り、すでに昼間は夏日のように暑いのだ。ちょっとした有酸素運動をしてしまったせいで、冷たいドリンクを飲むにはぴったりのコンディションになっていた。
「なんか息上がってねえか」
 影山くんが困惑したように言った。彼には自分の歩幅に私が合わせた結果、今こんなにもぜえはあしているのだという考えは一切ないらしい。いっそ清々しい。
 早足ならまだしも、隣に小走りしている人間がいたら普通は何かしら思うところはあるんじゃなかろうか。自分で決めたことだけれど、ここまでの道中一切「どうした」の一言もなかった影山くんが少しだけ恨めしい。まだ整わない呼吸をゆっくりと整えながら、私は横目で影山くんを睨んだ。
「ちょっと、暑くてね。走ったからね」
「そういや、走ってたな」
「うん」
「いきなり止まると良くねえぞ。その辺歩いてクールダウンした方がいいんじゃねえの」
「……お気遣いありがとう」
 すぐに店の前に出ているブラックボードに視線を戻した影山くんに内心舌打ちをして、私は言われた通りスローペースで歩き始めた。

 ひとりでのんびりと歩いていると、駅前の大きな時計から陽気な音楽が流れてくる。時刻はちょうど午後の六時を回ったところだった。家を出てきてから二十分ほどが経っていた。
 うちから駅前までは歩いて十分とかからない。だから気軽に飲み物でも買いに行こう、と思っていたのだけれど、影山くんと会ったことですっかり、ちょっとしたお出かけになっていた。こんなことなら家にいた両親に声を掛けてから家を出てくるんだったと今更思う。まあこうなってしまったものは仕方がない。夕飯までに戻れば何も言われないのだろう。

 とぼとぼと、再び来た道を歩いて戻る。相変わらずブラックボードを凝視した影山くんが、私が戻ってきたのを見て口を開いた。
「この、ここに書いてあんのがおすすめ? なのか」
「まあ、そうだね。レギュラーメニューも色々あるけど、その期間限定のフラペチーノが今推されてる人気商品だよ」
「名字はこれにすんのか」
「そのつもり」
「じゃあ、俺もそれ」
 そう言って、影山くんはずんずんと店内に入って行った。私も後を追う。注文するものは決まっているし、店内は程よく空いている。あとはさくっと注文するだけだ。

 だけだ──だけだ、けれど。
「ス、ストロベリー……マッ……マ? マッチ?」
「ストロベリーベリーマッチフラペチーノをふたつ」
「ストロベリーベリーマッチフラペチーノをおふたつですね。サイズはいかがしますか?」
「サイズ……?」
 影山くんがスタバの難解なオーダーをこなせるはずもない。
 レジのお姉さんの前で眉間に皺を寄せている影山くんは、明らかに狼狽えていた。カタカナが並んだメニュー名は慣れない彼にとっては呪文のようなものだろうし、日本で一般的なSMLのサイズ表記と違うスタバのサイズ展開は影山くんを戸惑わせるには十分すぎる。
 仕方がないので彼に代わってふたり分のオーダーをして、影山くんには先に席を確保しておいてもらうことにした。両手にドリンクのカップを持って、影山くんに合流する。夕食前なので、ふたりともトールサイズに留めた。

 私の両手のドリンクを、影山くんが「おお……」と声を漏らして見つめる。
「お待たせ」
「サンキュ」
 別に甘いものが好きというわけではないという影山くんだけれど、やはり大きなドリンクがどんと目の前に出てくると多少興奮はするらしい。このあたりには小洒落たカフェの類は一切なく、スタバも駅前のこの一店舗しかない。果たして本当にドリンクを飲みたいかは別として、はじめてスタバに来たのならば感動もひとしおだという心情くらいは理解できた。

 私からドリンクを受け取った影山くんのその眼はきらきらと輝いている。こうして見てみると、切れ長の釣り目はぐりぐりと大きくて思ったよりも童顔だ。きれいな顔をしている。カップを持つ指先は男の子のものとは思えないほど細く、きれいに整えられている。
 私も席につくと、ずずずと音を立ててフラぺチーノをすする影山くんに倣って私もフラペチーノをすすった。限定品とはいっても私はすでに飲んだことがあったので、まあこんなものだろうという感想だ。それよりもほくほくした顔をしている影山くんを観察することの方に興味をそそられた。

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