episode 26
0.5ポンドのハンバーグは十分に私のお腹を満たしてくれた。付け合わせやサラダが思ったよりもしっかりとつていたので、最後の方はほとんど水で流し込んだようなものだ。おかげでお腹の仲がなんだかちゃぽちゃぽしている。
会計は自分が食べた分をきっちり支払う方式。それは今も昔も変わらない。膨れたお腹をさすりながら、影山と一緒にハンバーグ屋さんを後にした。
外に出ると、すっかり夜の帳がおりていた。周囲の店の看板のネオンが眩く輝いている。空気は生温く、しかし昼間の暑さを思えばかなり快適だ。
今日はカラオケに行く前に私の買い物もしたから結構な荷物の量だったけれど、半分くらいは影山が持ってくれていた。さすがに数年来の友人として私の買い物に付き合う頻度もそこそこなだけあって、何も言わずとも影山は自主的に荷物持ちをしてくれる。
今日は電車で出掛けていたので、どちらともなく駅の方に向かって歩き始めた。直後、ふと街中に設置された時計を見る。電車はちょうど混み合う時間帯。今日は連休最終日なのだし、もう少し経てば電車も多少は空くはずだ。
「満員電車に乗るのも嫌だし、もう少しどこかで時間潰してから帰る?」
私が尋ねると、影山もこくりと頷く。宮城を出て今年で六年になるけれど、影山は未だに満員電車に慣れない。会社までは徒歩通勤だし、大学時代も自転車通学をしていた。
「この辺どこか時間潰せそうなところあったっけ?」
「さあ、知らね。調べるか」
尻ポケットから携帯を取り出した影山にならって、私も携帯を取り出した。
夕飯を食べた後なので、飲食店に入るのは正直微妙だろう。影山はともかく、私はかなり満腹になっている。ドリンクを流し込む余地すらない。そうなると漫画喫茶あたりで適当にだらだらとして、それから帰るのが妥当だろうか。検索バーに漫画喫茶、と入力して検索する。
しかし残念ながら、食事のために駅からは反対方向に歩いてきてしまったせいで、ネットで調べてみても目ぼしい店は辺りにはなさそうだった。一番最寄りの漫画喫茶は駅の近くだけれど、この時間で駅の近くだと十中八九満員だろう。
「店、ねえな」
同じ結論に達した影山は、さっさと諦め携帯をしまった。こういう時の影山の見切りの早さというか、切り替えの早さには目を瞠るものがある。
「そうだねえ……。仕方ないから、その辺散歩でもする?」
「散歩? なんで」
「いや、散歩に理由とかないけど……。ちょっと涼しくなってきたし、腹ごなしも兼ねて」
うろんな顔をする影山の手から買い物袋を取り上げた。大したものは買っていないので実際のところは私の腕でも十分に持つことができる。
「もう少し歩いていくと海浜公園の方に出るでしょ。あっちまで歩いてみようよ」
「公園? いいけど、何かあんのか」
「いや、特に何もないと思うよ、知らないけど……。私も行ったことないから分かんない」
「分かんねえのかよ」
「まあまあ、いいじゃん。影山も今日は全然動いてなくて身体鈍ってるでしょ」
不満げな顔をしていた影山だったけれど、とはいえ影山とて代案があるわけでもなかった。反対する理由もなく、ぼんやりだらだらと私たちは歩き始めた。
目的地──というには大した目的があって行き先に定めたわけではないけれど、とにかく、私たちの向かう海浜公園までは歩いて三十分ほどだった。影山はともかく、普段運動不足の私にはそれなりにガッツのいる距離だ。しかし幸い今日の足元はスニーカーだったので、足が痛くなることもなく、さっき食べたハンバーグが胃の中で踊り狂うのに気持ち悪くなる程度で済んだ。
「最近どう?」
道中、私は何の気なしにそう尋ねる。これといって意味のない、場繋ぎの質問だ。案の定、影山は眉根を寄せる。
「何だそのふわっとした質問」
「いや、とりあえず聞いてみただけだけど」
「あっそ──最近……、いや別に何もねえよ。起きて走って仕事してバレーして飯食って寝てる」
「それ最近じゃなくてもずっとそうじゃん」
「だからそう言ってんだろ。最近どうって話なんかねえ」
「ふうん。遊びに行ったりしないの?」
「誘われれば行くけど。バレーして飯食う以外は寝てたい」
「寝る子は育つもんね」
「さすがにもうほとんど伸びてねえけどな」
「買い物とか行けばいいのに。影山遊ばないからお金貯まるばっかでしょ」
「買い物はお前と行ってるから。それ以外には別に」
「私たぶん、影山が持ってる服全部把握してると思う。今日の服も私と一緒に買い物行ったときに買ったやつでしょ、それ」
「つうか服なんてお前が選んで買ったやつしか持ってねえ」
「自前で買うのなんか変なTシャツだけだもんね」
「変じゃねえ」
「変だよ」
「変じゃねえ」
頑なに変じゃないと言い張る影山に、はいはい、と受け流すと怒られた。変かどうかはともかく、すくなくともファッショナブルでないことだけは確かだろう。いや、もしかしたら男子バレー界隈ではあれがファッショナブルでおしゃれであるという可能性もあるにはあるけれど、しかしそんな限局的な条件下でのおしゃれさを一般に持ち込まれても困る。
「まあふたりで出掛ける時にあのシャツ着てこないのであれば、影山がどこで何を着ていようが私には構わないんだけど」
「さすがに練習着で女子と出掛けるわけねえだろ」
「本当にそうかな? 高校の時の自分を振り返ってみなよ。大抵練習着とジャージだったよ」
「あんなん出掛けるのうちに入んねえだろ。近所のファミレスとかツタヤとか」
「私はそこそこ恥ずかしかったけど」
「まじか」
「まじだよ。私は普通に私服着てるのに横によく知らない名言がプリントされたTシャツ着てる人間がいたら、そりゃあちょっとは恥ずかしいよ」
とはいえ、そのころはまだ影山とは付き合っていなかったし、私も影山に対して恋心を抱いたりはしていなかった。だから影山が何を着ていようが私にどうこう言う権利はなく、恥ずかしいなあと思いながらも、まあこれが影山か、と諦めていたのだ。そもそも影山が練習着以外の私服を大して持っていないだろうということは容易に想像がついていた。
さすがに大学に入ってからは練習着ばかり着ているというわけにもいかなくなったので、買い物に私が随伴していくらか私服を見繕うようになったのだけれど。
そう考えてみると、もはや私は影山の恋人を遥かに通り越して、家族のような世話の焼き方をしている。影山の家族とも面識がある分、どうしてもそういう距離感になってしまうのは仕方がないことのような気もするけれど、それが私を影山にとっての「女」から遠ざけている一因であるとすれば、これはまったく困った問題だった。何せ、今更影山との距離を妙齢の男女の適正な距離に修正することは、途方もなく困難なことに思えるからだ。
「影山って、女子の友達とか仲いい人いるの?」
唐突な質問に、影山は少しだけ考えるようなそぶりをして、それから「お前」とこちらへ顎をしゃくった。
「いや、私はノーカンで」
というか、名ばかりといえど私は影山の『恋人』なので、仲のいい人に数えられるのはどうなのだろう。いや、影山にとっては名前だけの『恋人』よりも実感を伴った『仲いい人』に私をカウントするのは至極当然のことなのかもしれないけれど。
再び影山は考えて、それから短く「いねえな」と言った。
「部活のマネージャーとかは今でも部活で集まったら話すけど、そのくらいだな。大学のときも部活以外の講義とかは適当だったし、今の部署もそんなに女子いねえし。いてもパートの人くらいだし」
「そうなんだ」
となると、少なくとも影山にはそうそう新たな出会いはないと言うことだ。今後チームの人達に誰か女子を紹介されるとか、まあそういうことがまったくないとは言い切れないけれど、しかし影山も一応、周囲には「恋人がいる」と言ってくれているらしい。よほどのことがない限りはそういう心配はないはずだ。
──このままでも、いいのかもしれないなあ。
ぼんやりとそんなことを思う。影山が私のことを好きにならない以上、いつかはほかの誰かを好きになるのだろうと、私はそう思っていた。今も思っている。けれど、影山には新たな出会いはなさそうで、私以外の女子の影も見えない。これから新しい女子が影山の職場に現れる可能性についてはまったくの未知だけれど、しかし影山がそうそう簡単に女子のことを好きになるとも思えない。
私のこの『恋人』という立場がたとえ名ばかりであったとしても、しかしその立場が確固たるものとして安泰である可能性は、十分にある。このまま流れで『恋人』のまま、なんだかんだずるずるといってしまっても、まあ悪くはないのかもしれない。
ただの『友達』のままでいたときとは違う。だから、そんなことを思いもする。影山が今後のことをどう考えているかは分からないけれど、少なくとも私はそれでもいいかなと思っている。結婚願望だって別にない。これもまた、先のことは分からないけれど。
遠くに潮騒が聴こえる。気が付くと影山が私の顔を覗き込んでいた。自分でも思っていたよりずっと長い時間、私は黙って考え込んでしまっていたらしい。
取り繕うようにへらりと笑って、腕を伸ばすと影山の頭をわしゃりと撫でた。影山が不快そうに眉根を寄せる。
「何すんだ」
「別にー、影山が何か変な顔してたから」
「してねえ」
「はいはい、してないしてない」
と、そんな話をしているうちに目的地である海浜公園に到着した。園内にはちょっとした観覧車などもあって、ちょうどライトアップされているのが見えた。
「こんなところ、本当は夜に来るところじゃないんだろうけど、夜は夜でこうやってライトアップとかしてるんだ」
「思ったより人いるな」
「ね、案外夜景スポットなのかも」
ろくに下調べもせずに来てしまったので、その辺りの事はよく分からない。けれど観覧車だけでなく、対岸に向けて架かっている連絡橋もきらきらと光っているから、それなりにそういう需要はあるのだろう。よくよく見れば辺りに見えるのは私たちと同じ年頃のカップルばかりである。図らずも、私たちはまんまとデートスポットに来てしまったようだった。
少しだけ気まずく思いながら歩みを早める。幸い、影山は暗がりの中で辺りにいるのがどういう人たちなのかまで気にしてはいないようだった。
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