episode 21
そんな自分のわがままを影山に指摘された気がして、なんだか居心地が悪い思いを誤魔化すように私は鼻を鳴らす。
「何よ、そう言う影山だって宮城には帰らないでしょ」
「俺はこっちでバレーすんだから当たり前だろ」
「何が当たり前なものか。影山がこっちにいるなら私だけ帰るなんてやだ」
我ながら子供じみた物言いと態度だとは思ったけれど、やはり影山も同じことを思ったようで「ガキかよ」と呆れられた。
影山は来年からは企業に所属してバレーを続けていくつもりらしい。もとより影山が就職したくらいでバレーをやめるとは思っていな方けれど、まさかそんなにも本格的に、バレーを生活の軸にして活動していくとは思っていなかったので、話を聞いた時には随分と驚いたものである。
私の就職活動の話同様に、私も影山のバレー事情は聞いても分からないことが多い。なのでその手のことについてはかなりざっくりとした情報しか知らないのだけれど、午前中は仕事をして午後からチームの練習をしたり、とにかくそういう生活になるらしい。プロとは違うのだろうかとか色々と疑問はあるけれど、そこはあまり深く追求していない。これまでも大学生とバレー選手の二足の草鞋のようなものなので、そう大きく生活が変わるというわけではないということだけ分かっていれば十分だ。
寧ろ、会社からバレーありきでいいという認識を持ってもらえるだけ、今より影山にとっては融通がきくのかもしれない。何せ大学時代の影山はといえば、他大学の私が不安になるほどの綱渡りで単位を落としまくっていたのだから。
影山も、きちんとした内定こそ出ていないものの、すでに大体の就職先は決まっているという。やたらと私の今後を気にしてくるのは、自分がある程度先行きの決まった身であるからこその余裕みたいなものだろう。まったく、大学受験のときもそうだったけれど、バレーというたったひとつの武器でもって進路をどんどん決めていけるのは、こうして日々就活地獄に苛まれている身からしてみれば羨ましいものである。
まあ、影山のそれは努力と才能に裏付けされているので、羨んだところで私のような凡人にはどうにもならないものではあるのだけれど。
そんな話をしつつ。
私は運転中の影山のため、宿を出る前に買っておいたペットボトルの蓋をあけて手渡す。それを影山は視線を寄越すことなく受け取った。
「ていうか、影山だって私が宮城に帰っちゃったら寂しいでしょ?」
「は? んなわけねえだろ」
すげなく返し、ついでにペットボトルも返される。
「東京に残る目的もねえなら、いてもしょうがねえじゃねえか」
「え、うそ……私は影山と離れたら寂しいのに……私にそんなに帰ってほしいの……?」
「ばっ、お、別に帰れとは言ってねえだろ!」
「出たよ、影山のツンデレ」
影山が怒りだしたところで、ちょうど目的のレンタカー屋に到着した。
無事に車を返却し、そこからは家まで歩いて帰ることになる。せっかく温泉に入っておきながら最後の最後に歩いて汗をかくのも嫌なものではあるけれど、こればっかりは仕方がない。
途中でコンビ二に寄ったりなんだりとしながら、とぼとぼと帰路につく。この間買ったばかりのサンダルが、私の足元でぱたぱたと音を立てている。
運転のお礼に影山に棒アイスをおごり、自分も同じものを食べながらぼんやりと、考えるともなく考える。特に何を考えるということもなく、とっちらかった思考回路そのままに意識をあっちこっちさせるだけなのだけれど、それでもどうしたって、思考は先ほどまで交わしていた会話──すなわち今後の私の進退について、に収束していく。
実家の両親から帰ってこい、こっちで就職しろとせっつかれているのは事実だった。大学だって半ば無理やり東京に出てきたようなもので、両親はけして喜んで送りだしたわけではない。
地元に帰って就職して、地元の男の人と結婚して、実家の近くで子育てして、みたいな生活を両親は望んでいるのだろうことは、この年になると嫌でも察する。事実、高校時代の友人たちは着々とその道を進み始めている。
もちろん私としてはこのまま逃げ切るつもりではあるのだけれど、そうなると色々と考えなければならないことも出てくるわけで。
サンダルの先で転がっていた小石を蹴とばす。食べ終えてしまったアイスの棒をがじがじと噛みしめると気の味が口の中に拡がった。
「ま、さっきの話はさっきの話として──色々考えないといけないのは確かなんだよね。今住んでるところ、学生マンションでしょ。社会人になっても住めるは住めるんだけど、大学卒業した時点で同じ部屋でも家賃が上がるし。就職のことはもちろんだけど、ほかにも実家に帰らないってなると色々考えることは山積みだなあ」
「ふうん」
大して興味無さそうに影山が相槌を打つ。相槌を打つだけ、これでも高校時代に比べれば丸くなった方だ。
「影山が女の子だったらルームシェアでも持ち掛けるところだけど」
「どっちみち俺は寮だし無理だろ」
「それは分かってるけどー」
私の悲鳴に影山は鼻を鳴らした。
実際問題、住居は大きな問題だ。けして広い部屋に住みたいわけではなくても、女子の一人暮らしである以上、それなりの安全性や利便性を求めるのは当然である。両親だって、今時オートロックもついていないようなマンションの娘を一人暮らしさせるのにはいい顔をしないし、それこそ最悪、家に引きずり戻される可能性だってある。田舎の両親は東京を世紀末並の治安だと思い込んでいるのだ。
ともあれ、そうはいっても条件をつければつけるだけ、当然それに見合って家賃も高くなるわけで。果たして社会人一年目のしがないOLがどれほどの金額を住居に出すことができるだろうと、考えるだけで今から頭が痛くなる。一応、就職先を決めるときには住居手当が出るかどうかなども合わせて確認しているものの、そもそもまだ面接すら始まっていないのだから、捕らぬ狸の皮算用とはまさにこのことだ。
いっそルームシェアでもしてくれる友人がいればいいのだけれど、残念ながら私の最も親しい友人であるところの影山は残念ながら社員寮に入る予定である。というか仮にそうでなくても、男性の影山と一緒にふたりでルームシェアというのは、やはり色々と都合が悪い。親からの安全面チェックでいうのならば、オートロックなしのあばら屋にひとりで住むのと評価は大して変わらないんじゃなかろうか。
いや、もちろん影山は私を女として見てもいないので、安全性は影山と住む方が各段に上なのだけれど。いや、というか一緒に住むわけじゃないのだけれど。
「女の友達いるだろ、そいつらに頼めばいいんじゃねえの」
と、影山。一応影山も、色々考えてはくれているらしい。
「うーん、最初はそれも考えたんだけどね。けど私の大学の友達って東京生まれ東京育ちのお嬢さんが多いから、ほとんど実家から出てないんだよね。数少ない一人暮らし組も大学卒業したら実家に帰るとか、彼氏と同棲するとかで」
「それで断られてんのかよ」
「そう。もうこの際シェアハウスとかもありかなって思って、今色々見てるんだけど──」
途端に影山がぐるりと私の方を向いた。と、ものすごい勢いで私を凝視している。元から目力のすごい目でそうもまっすぐ見られては、どきどきするより以前に心臓に悪いとしか思えない。
何か悪いことを言っただろうか。考えてはみるものの特に思い当たることもない。一体何が何だか分からず、私はとりあえず、影山に見つめられるままになっていた。影山の頭、まるいな──とか、呑気にそんなことを考える。
「見ず知らずのやつと生活すんのか? それは危ねえだろ」
やがて影山は仏頂面で言った。仏頂面な上、口調は苦々し気だ。その様子に私は首を傾げた。影山にしては過剰反応に思えたからだ。
「え、そう? ルームシェアとかシェアハウスとかって、今時わりとよく聞く話じゃない?」
「いやだめだろ、そういうのは信用できるやつとじゃねえと。つーかシェアハウスってテレビでやってるようなアレだろ、なんか男と女が何人かで暮らすみたいな、シャラっとした」
「……シェアハウスって、女子だけのところとかも沢山あるよ?」
というか、私の性格からして考えても、はじめましての男女がひとつ屋根の下で生活するような場所が向いているとも思えないし。
そう説明すると、影山は一瞬きょとんとした顔をして、それから何だかばつの悪そうな顔をして視線を逸らした。なんだ、影山ってば心配してくれていたのか。それが分かり少しだけ嬉しくなった。好きな人に心配されるて嫌な気にはならない。
まあ、私が影山のお母さんから「飛雄をよろしく」されているように、影山もうちの両親とは面識があるから、そういう意味で色々と世話を焼いてくれているのかもしれないけれど、だからといってそれでがっかりするのも勿体ない。素直に喜んでおくことにした。
ふふふん、と軽やかに鼻歌を歌う。影山が舌打ちをした。
「──けど、やっぱそういうところはあれだろ」
「ふふ、あれってどれよ」
「知るか!」
「逆ギレやめて」
と。
影山がふいと視線をそらしたまま、小さく「お前」と呟いた。
「ん?」
「お前、まだ」
「まだ?」
影山らしくない、はっきりしない物言いに急かすように聞き返す。影山は視線を宙に漂わせ、何か言葉を探しているように見えた。何か、私には見えない宙の言葉を掴んで、並べている最中みたいに。
けれど。
「──なんでもねえ」
結局、影山がその言葉を口にすることはなかった。じっと待っていた私は知らず知らずのうちに緊張していたらしい。気が抜けてしまった。影山が言いかけて飲みこんだ言葉は何だったのか──それが気になり、張りつめていた意識の矛先をどこに向けていいのか分からなくなる。腹いせに影山のわき腹を肘でつついた。
「ええ? 何それ、何言おうとしたの? 影山らしくないことしないで教えてよ」
「うるせえ」
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