episode 18

 その日の新幹線の終電に慌ただしく乗り込んで、私と影山は漸くはあと息をつく。大量の荷物とサークルやバイト先に配るためのお土産『萩の月』──地元への帰省も三年目ともなると慣れたもので、むしろいい加減私の友人知人は『萩の月』にも飽きてきたころかなあ、とすら考える。
 ゴールデンウィークも最終日、東京方面へののぼり新幹線は時間も時間なので思ったよりもすいていた。貧乏学生の私たちは自由席にしか乗れないけれど、それでも車内には空席が目立つ。私たちの後ろの座席が空席であることを確認してから背もたれを倒すと、真っ暗な景色が流れる窓の外に目を遣った。

 大学三年のゴールデンウィーク。最終日。毎年この日は意識的に影山と過ごしているので、こうして隣に影山がいるのも最早恒例行事のようなものである。
 例年はもっと早い時期、ゴールデンウィークの頭あたりに帰省をするけれど、今年は影山の部活の関係で随分と後ろにずれこんだ。合宿施設の兼ね合いの問題らしいけれど、詳しいことは聞いていない。一緒に帰省をできるかどうかが大切であって、実際はそれが数日ずれようが私にはそう問題ではない。
 明日は講義もバイトもないことだし、のんびりしたものである。もちろん帰省の予定に合わせてバイトはわざと入れなかったし、三年生にもなれば講義の数はそう多くない。

 隣の座席で携帯をいじっている影山をちらりと見た。高校一年生のころ、隣の席だった影山とは通路を挟んで隣り合わせに座っていたけれど、今の私たちはぴたりと並んだ座席で、肩を並べて座る仲だ。けれどそれはあくまでもそれだけの距離を許された仲というだけで、肩を触れ合わせるような距離の関係ではないという話の裏返しでしかないのだけれど。
 思いながら、私は影山の腕を肘でつついた。
「なんかみんなやっぱりちょっとずつ変わってたね」
 ぽつりと言って、窓の外に視線を戻す。

 私たちが終電に乗っているのは、直前までクラス会に参加していたからだ。高校二年のときのクラスは仲が良く、全員が成人したこのタイミングでクラス会が企画されていた。これ以前にも小さな規模の物はちょくちょくあったのだろうけれど、そういうものには地元を出た私や影山にはお声がかからない。クラス会の参加は私も影山も、これがはじめてだった。
 ああ、と影山も相槌を打つ。影山は影山でそれなりに疲れた顔をしていた。まあ、その心境は分からないでもない。

「もう社会人の子とかもいるし、なんか大人って感じだよね」
「まあ、学生と社会人じゃ話題も違ったよな」
「ねー。て言っても影山は相変わらず誰とでもバレーの話ばっかりしてたみたいだけど」
「別にばっかりじゃねえよ。向こうから振ってくるんだから仕方ねえだろ」
「まあ『世界の影山』になりつつあるしねえ」
 駅のホームで買ったビールとおつまみを取り出しながら、私は溜息をつく。

 私たちの代で『男子バレーが強かった』というのはもはや言うまでもない共通認識であるけれど、その中でも影山はすでにプロと肩を並べて戦っている。いわばテレビの中の人だ。地元に戻ればちやほやともてはやされるのは当然の流れだった。
 普段東京で一緒に遊んだりしていると、影山のことをすごいやつだとは思えど、しかし特別だなんだという感覚はだんだん薄れてしまう。今回の帰省ではそれを久し振りに突きつけられたような気がして、なんだか余計にげんなりしてしまった。さしもの影山が疲れた顔をしているのはそういう事情あってのことだ。

 けれど──もちろんそれも私たちを疲弊させる一因ではあるのだけれど、しかし私がこうもテンションを落としているのはほかにも事情がある。
 同じクラスだった女子の、高校時代では考えられないほどの影山に対するアグレッシブさを思い出し、私はまた溜息をついた。
 はじめて参加したクラス会、そこでの地元の星になった影山を狙う女子の多いこと多いこと。正直、私が傍から見ていてすら、なかなかきついものがあった。

 ──まあ、そういう年頃だもんねえ、私たちも。
 と、そんな風に考えて、胸の裡にもやもや燻ぶる感情をなんとか飲み下す。

 東京で大学生をしているとまだまだ楽しい年頃に思うけれど、ひとたび地元に帰ればすでに社会に出て数年目の友人もいるわけで。何となくそろそろ結婚を視野に入れてお付き合いを、みたいな空気が薄く、しかし確実に私たちの周りを取り囲んでいる。特に私たち女子の周りにはそれが顕著だ。
 もっとも影山はそこまでのオーラを感じ取ってはいないようだけれど、同じ女子の私が見ていると、ボディタッチを含めなかなか露骨なアプローチを受けていたように思う。あまり直接的ではなく、しかし着実に相手の心に入り込む日下部ちゃんのようなタイプとは真逆の、露骨で、あけすけで、いっそこちらが恥ずかしくなるような仕掛け方。
 それを恥ずかしく思ってしまうのは、私が恋愛経験をいっこうに積まないなりに、東京で色々な男女の駆け引きを見てきたからなのだろう。まあ、端的に言えば不毛な合コンの産物というか。

 もっともその手の女子は地元から出るつもりはなく、しかし影山は恐らく卒業後も地元に帰ることもなさそうなので、そもそものマッチングがうまくいっていないじゃないか──と、私なんかは思ってしまうのだけれど。
 それはともかくとして。
「なんか、私たちも年とったよね。感慨深いよ」
 ふたり分のビールのプルタブを開けて。影山がそのうちの一本を取り上げた。
「そうか? 大して変わんねえだろ」
 たしかに、変わらないのが影山なのかもしれない。そうぼんやりと思いながら、私たちは小さく缶をぶつける。
「まあでもね、そうは言っても変わらないのは影山だけっすよ。山田くんだって田中くんだって、ちゃんと大人みたいな顔してたじゃない」
 影山が高校時代に親しくしていて、なおかつ今日のクラスかいに参加していた男子の名前を例に挙げる。ふたりともまだ地元で大学生をしているはずだけれど、それでも最後に会ったときよりもなんだか大人びて見えた。成人式のときには言葉を交わした覚えがないので、ちゃんと話したのは高校を卒業して以来はじめてだ。彼らは地元で就職するらしく、来月にはもうインターンシップが始まるらしい。

 私はあくまで東京で就職するつもりだ。すでに方向性もなんとなくだが決めている。就職活動らしい活動というのはまだ先の話だけれど、ぼんやりしているわけにもいかない。
 みんながそうやって大人になる。大人になる準備をする。そして私たちの周りには、普段はあまり見えないだけでもうとっくに大人になってしまった友人だっているはずなのだ。
 それでもまだ影山は納得しないのか、不満げな目を私に向けた。
「そんなの、髪型とか髭の問題だろ」
「そんなことないって、ちゃんと大人って感じだったよ。多分だけど、きっとこうやって卒業して働いて、そんで結婚してこどもができてってなるんだよ、何時の間にか」
「お前そんな予定あんのかよ」
「ないけど」
「ねえのかよ」

 それから暫く、黙ってビールを飲んだ。ビールのおいしさは、正直よく分からない。甘いお酒の方が美味しいと思うし、友達と飲んでいてもたいていは甘くてジュースみたいなお酒を飲むことが多い。というかそもそも、私はそんなにお酒が好きじゃないのだ。合コンで酔って嫌なことを言ってくる男の人のことも好きじゃない。
 けれど部活の人たちとお酒を飲むことが多い影山は、お酒を飲むというとビールを買う。多分、影山はお酒が嫌いじゃない。そして一緒に飲んでも悪酔いすることはない。なので影山といると、つられて私もビールを飲んでしまうのだった。だから私がビールを飲むのは影山と一緒にいるときだけ。もちろん影山はそんなこと知らないけれど。

 今日のクラス会で、高校時代仲のよかった何人かから『影山と付き合っていないのか』と聞かれた。影山とのつながりを主張するみたいにビールをあおりながら、付き合っていないと私は答えた。それが事実で、それが現実だからだ。
 高校時代から交際説がある私と影山が、卒業から二年以上経っても東京でまだ仲良くつるんでいると知れば、たいていの人は付き合っているか、付き合っていたか、まあ少なくとも何らかの関係の変化を経ているものと思うらしい。私だって他人事ならばそう思うだろう。
 私は男女の友情の存在を私は肯定しているけれど、しかしそれにしたって、私と影山は距離が近い。おかしな勘繰りをされてもおかしくないという自覚はある。それこそ肉体関係があるとか。

 カルーアミルクの入った丸っこいグラスを傾けて影山の腕に手を触れた、ミルキーピンクの指先を思い出す。鼻にかかった甘えた声は、きっと東京では役に立たない。けれどあの居酒屋でならばそれは強力な武器だった。

「影山くんって彼女いないの? じゃあ私、立候補しちゃおっかな」
 私が言えない言葉を、いともすんなり口にできる女子がいる。
 影山との境界線をいとも容易く超えようとする女子がいる。

 その言葉に対して影山が頷くことはなかったけれど、それでも、私は彼女のことが恐ろしく、妬ましく、そして喉をかきむしりたくなるほど──羨ましかった。
 私だってそんな風に影山に言いたい。現状を打破して、なんでもないことみたいに提案したい。
 ねえ、影山。私たち、恋人同士になっちゃおうよ。

 だけど現実はどうだろう。こうやって肩を並べて同じ街に帰ろうとしているのに、その肩と肩が触れることはなく、同じ家に帰ることもない。たとえ私が影山にとって限りなく恋人に近い場所であっても、そこは友情の名前に守られた安全で退屈な場所に過ぎないのだ。そして影山は、私がそこに安住することをきっと望んでいる。いや、もしかしたら恋人なんて場所の存在を私が知っていることすら、影山は知らないのかもしれない。影山にとっての私は、影山よりも恋愛経験値の低い、安全安心な──救いがたいほどに平凡な友人だ。

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