episode 16

 創作イタリアンは思ったよりもいけた。創作しなければきっともっと繁盛するに違いないとは思うのだけれど、それはまあ個人の嗜好の問題だろう。魚介ベースのよく分からないポタージュスープを飲みながら、ぼんやりと取り留めもなく考える。
「影山、最近どう?」
 暫く沈黙が続いていたので、特に深い意味もなく私は質問を投げかけた。影山との間に落ちる沈黙になんか今更どうとも思わないけれど、せっかくの食事なので多少の会話はほしい。

 急に話を振られた影山は、フリッターらしきものを頬張り胡乱な目を向ける。どうでもいいけれどフリッターって、多分イタリアンではない気がするのだけれど。創作とはいっても、もはやイタリアンでも何でもないものというのはさすがに主義に反しないのだろうか。非情に気になるところである。
 もちろん影山はそのことを気にした風もなく──というか多分イタリア料理ではないということに気が付いてもいないまま、口の中のフリッターをごくんと飲み下し、口を開いた。
「どうって何だよ。ふわっとした聞き方すんなよ」
「じゃあ最近どう以外にどう聞けばいいのよ?」
「知らねえけど」
「じゃあ言わないでよ」
 言い負かされ、影山はまたむっつりとした顔をする。大方私が『少林バレー』のことを馬鹿にしたことをまだ根に持っているのだろう。そのことについてはすでに謝っているのに、バレーへの愛情が振り切れているせいで影山には私を許そうという気がないらしい。

 それにしても、ことバレーのこととなるとまったく信じられないくらい熱心になる影山だった。こんな些細なことでその事実を再確認することになり、私はひっそりと溜息をつく。たしかに影山が選んでくれた映画に「げえっ」とリアクションするのは失礼だった。そのことは反省すべきことだろう。
 だがしかし、たとえ私が影山の前で誰かに馬鹿にされようと、影山はきっと私のためにここまで怒ってはくれないだろう、と不毛なことも考えてみる──不毛すぎてやめた。

 気を取り直して、影山の手の甲を指先で叩く。すっかり話を終わらせた気でいたらしい影山は、その動作で私がまだ話を終えていないのに気が付き、呆れた顔をした。
「それで、どうなの。最近の影山事情」
「……別に。ふつう」
 そっけない返事だけれど、これはまあ普段通りだ。気にするほどではない。
「ふうん。部活忙しい?」
「相変わらず──あ、宮さんが彼女と別れたっつってうるせえ」
「宮さんって──ああ、あの関西弁の」
「そう、それ」
 聞いたことのある名前だ。ふうん、とひとつ相槌を打つ。

 大学の部活の先輩こと『宮さん』は、高校時代からの知り合いらしい。高校時代から影山にはそう知り合いは多くないし、けしてとっつきやすい性格というわけでもない。大学に入って多少まるくはなったものの、バレー以外への興味のなさと無愛想さ、近付きにくさは健在である。
 そんな中で『宮さん』は、影山が高一のときに参加した全日本ユースからの縁で、なんだかんだと親しくしているひとつ上の先輩だった。影山が住まう学生マンションも元をたどれば『宮さん』の紹介らしい。そのほかにも『宮さんのバイト先でもらった』というよく分からないお惣菜が影山の家の食卓に並んでいることもある。
 私は直接『宮さん』と話をしたことはないけれど、影山からの話に頻繁に登場するので名前くらいは覚えていた。話を聞く限り、どうにも影山と親しくなるようなタイプとは思えないのでちょっと不思議に思っていたりもする。色恋の話も絶えないらしいし。

 脳内の『宮さん』情報を探っていると、ふいに前回影山から聞いた『宮さん』の話を思い出す。
「ねえ、ちょっと前にも宮さん彼女と別れたって言ってなかったっけ? わりと最近影山から聞いた気がするんだけど」
 私の言葉に影山が首をひねった。
「そうだったか?」
「うん、それでカラオケオール付き合わされて眠いって」
「あー……」
「いつも荒れてるわりにスパン短いね」
「女子人気あるから」
 ようするに、引く手あまたということなのだろう。顔が整っているのかだとか、そういうのは分からないけれど、しかし想像を上回る色男ぶりではある。まあ別れる際に荒れるということは、好意を寄せられることも多いわりにフラれることも多いのだろうけれど。

 しかしそれもさもありなんという話で。影山と同じ部の先輩ならば、おおむね影山と同じような生活をしているのだろう。となると、そのバレー中心の生活に付き合えない女子は少なくないはずだ。顔がよくてバレーもうまければ、それだけで寄ってくる女子は多い。影山と長年付き合えるだけのコミュニケーション能力を持っているならなおさらだ。
 そう考えると、その『宮さん』というのは仮に影山が告白してくる女子とほいほい付き合っていたらという鏡写しのような存在なのかもしれない。そうでなくてよかったと、その『宮さん』の話を聞きながら思った。
 とはいえ、影山はそういう先輩とつるんでいるのだ。そのことはやはり、私をやきもきさせるには十分すぎる情報である。

 高校時代はまだ、多少モテたところで真面目で堅実な先輩に囲まれていたので浮つくことはなかったけれど、こうやって女子と楽しく遊ぶ先輩を間近で見ていれば、いつ影山が感化されないとも限らない。それは友人として、多少心配である──友人として。そこで何か言えるほどの権限も、権利も、特権も、私は持っていないのだけれど。
 ──そのことはよくよく分かっている。

「……影山も女子に人気あるの? 高校のときみたいに」
 鬱陶しがられないといい──そう思い、念じながら私は言った。声に変に感情がのってしまわないよう、細心の注意を払って。対して影山は、なんでもないことのように答える。
「あ? ああ、まあ。宮さんほどじゃねえけど」
「ふうん」
「食い物はもらっても食うなって先輩たちに言われてるから、別に何もいいことねえよ」
「そういうの、ちゃんと教育されるんだ」
「うちの部はな。ほかは知らねえ」
 デザートが運ばれてきて、それぞれの前に置かれる。ひんやりとした皿に小さなケーキがひとつ載っていた。

 影山がモテることは知っていて、今もその人気が日に日に増していることも知っている。いつまでもこのまま胡坐をかいていられる状況ではないことは重々承知している。
 かといって今この関係を崩すのは──やはり、恐ろしい。今の私の生活の影山依存度を考えると、万が一気まずくなってしまうようなことがあればそれはなかなかの死活問題だ。それに影山の唯一の女子の友人、親友である立場を、アドバンテージを失いたくないとも思っている。
 怯懦だ、腰抜けだと言われればその通りすぎて返す言葉もない。自ら状況を打破しようともせず、そのくせ影山に女子の影がちらつくことをこんなにも恐れてるのだから我ながら情けなくなる。

 もしも影山が『宮さん』のように言い寄ってくる女子に少しでも興味を持ってしまったら?

 そんな『もしも』は想像もできないけれど、しかしまったく有り得ないということはないはずだ。そしてもしもそうなってしまった時、私が影山にかけることのできる言葉は、この世界にひとつだって存在しない。
 影山を止めることはできないし、せいぜいが「やめておきなよ」と影山のことを思っているふりをした、自分勝手な言葉を囁くのみだ。

 自己嫌悪と嫌な想像で、さっき食べたパスタが急激に胃もたれしてきた。思わず水を流し込むと、影山が怪訝そうに私を見た。
「なんだよ?」
「……何もないけど」
「あっそ」
 言って、影山も水を飲む。料理はおいしかったけれど、デザートはやたらと甘くて喉を通すのに苦労した。

 やっと片付いたお皿をわきに退け、時計を確認する。そろそろ店を出ないとならない頃だった。影山そろそろ、と言いかけたところで再び影山が話し始める。
「つーか高校のときもだけど、よく知らねえやつに騒がれてもうるせえだけだろ。なんで宮さんがにこにこできんのか、まじで分かんねえ」
「ふつうは大なり小なり喜ぶと思うけどねえ」
「じゃあお前、知らない男に騒がれて嬉しいと思うのか?」
「……少なくとも悪い気はしない」
「信じらんねえ」
 正直に言ったのに、露骨に嫌な顔をされる。影山の正直ものめ、と何だかうしろめたさを感じながら影山のことを睨め付ける。

 別にいいじゃないか、私は影山と違って騒がれたりモテたりしたことなんて人生で一度もないのだし。ちょっとくらいそういう思いをしてみたいと思うのは私の自由で、権利だ。
 そう反論しかけて、しかし開きかけた口を私は閉じた。これではまるで、影山だって騒がれたら嬉しく思うのが普通だと言っているようなものだ。私はそうではなく、騒がれたところで一切関せず動じずの影山が好きなのだし、できればずっとそうであってほしいと思っているのだ。余計なことは言わない方がいい。無理に潮流を変える必要もないだろう。

 下衆じみた思考のもと黙った私に、影山は何を勘違いしたのか「ああ」と何か思い出したように呟く。
「そういやお前、合コンとか行くもんな」
「ばっ、そ、それは今関係なくない?」
 思いがけない方向からの攻撃に、思わず狼狽えた。なぜ、何。なんで今、そんな話をする。それは今関係ない話じゃないか。関係ないし、興味もない話のはずじゃないか。

 そんな私を見て、影山はにやりと笑う。影山が私を言い負かしたり混乱させたりすることは少ないので、狼狽する私にいい気味だと思っているのかもしれない。これ幸いとさらに追及してくる。
「関係なくねえだろ。つーかお前、男に飢えてんのか……?」
「最悪! なんでそういう言い方すんの!? 影山下品!」
 そんな物言いをするなんて、絶対大学で悪い先輩の影響を受けている。狼狽と羞恥を覆い隠すべく、想像上の影山の『悪い先輩』を思い浮かべてぶん殴った。より具体的に言うのなら『宮さん』である。
「ていうか影山合コンのことなんて何も知らないでしょ! 決めつけないでよね!」
「じゃあ何しに行くんだよ。合コンって出会いの場じゃねえのかよ」
「そうだけど、そうじゃないの! 私の場合は数合わせで呼ばれてるだけ! 別に出会い求めてるわけじゃない!」
「は? 変なヤツ」
「影山にだけは言われたくないよ!」
 水を飲んでごまかそうにも、デザートの後に一気飲みしてしまったせいでグラスは空だった。

prev - index - next
- ナノ -