episode 15

 日下部ちゃんと半日買い物を楽しんで、日が沈んだ頃に解散した。待ち合わせの駅の改札前で腕に巻いた時計を確認する。午後六時二十分。影山は、まだ来ていない。
 額に浮かんだ汗をタオルハンカチで拭いながら、改札前まで伸びた商業施設、そのショーウィンドウでこそこそと髪型を整える。日下部ちゃんはこのあと、最近いい雰囲気になっている某大学の四年生とデートらしい。意気揚々と私に手を振り戦場へと歩いていった。その後ろ姿があまりにも可愛い女子大生として完成していたことを思い出す。恋する女子は後ろ姿まで可愛らしいのだ。

 デート。
 その甘やかな響きに、私は知らず知らずのうちにひとり、羨望と諦念のまんなかあたりの溜息をつく。デート──、デートか。
 私がひそかに思いを寄せる男性こと影山飛雄との約束を十分後に控えた我が身。その我が身を思ってみても、今からの約束をデートと称するというのは、しかしどうにもしっくりとは来なかった。わざわざ影山と外で食事というのは珍しいのだけれど、そうは言ってもそれだけだ。いや、今日はそれだけというわけではないのだけれど、それでもデートというふわふわとしていて、魅惑の響きを持つものとは、遠くかけ離れているような気がした。

 とはいえ、それではどういうものがデートなのか、と問われれば返答に窮する質問である。恋愛に通じた人間なので断言はできないけれど、想像しやすいところで言えば気持ちの問題──だろうか。しかしもしそうだとしたら、私から影山には恋愛感情がある以上、影山がこれをデートと認識していないだろうからデートではない、ということになりかねない。それってなんだか、私があまりにも惨めでかわいそうじゃないか?

 これまでの人生で碌に恋愛を経験してこなかったことは、私にとっては実はそれほど気にする問題ではない。こればかりは焦っても仕方がないことだったと諦めがついている。しかし、好きな人ができたところで、却って惨めになっているのでは仕方がない。
 それもこれも、すべては影山のせい。影山が私の恋愛対象になんてなるからこんな目に遭っているんだ。

 そんな理不尽な怒りを影山に抱いていると、改札の向こうから、頭一つすぽんと抜け出た長身が、きょろきょろしながら歩いてくるのが見えた。
 高校時代から変わらない、染髪していない真っ黒の髪。いつもTシャツばかり着ている彼にしては珍しい、開襟のシャツ。スラックス。顔もいい上にスタイルもいいことが、雑踏の中でも影山を見つけやすい一因だった。
「影山ー」
 先に到着の連絡をしていた私を探す影山に、私は胸のあたりで小さく手をふり呼びかける。もう一度周囲を見回して、それから影山はこちらに気が付き歩み寄ってくる。
「おう、遅くなった」
「連絡くれてたし別にいいよ。それより部活の後なのに荷物少なくない? Tシャツじゃないし」
「重かったからコインロッカーに預けた」
「なるほど」
 さすがに高校時代のようにどでかい角ばったエナメルバッグを提げてどこにでも行くようなことはしなくなった影山である。デートだなんてことはこれっぽちも期待していないけれど、しかしさすがにTシャツとジャージ、大きなかばんで来られはムードも何もあったものではないので、多少安心した。ちなみに私が安心したのは影山には何度か前科があるからだ。基本的に部活の後の待ち合わせになると、六割くらいの確率で影山は気の抜けた部活ルックで登場する。

 どちらからともなく歩き出す。ここに来る前にケーキを食べてきたとはいえ、時間が時間なのでそろそろお腹が空いてくるころだった。部活終わりの影山なんて、なおさら空腹だろう。
 駅ビルの中の飲食店街に足を向けつつ、携帯を取り出す。映画の上映時刻まではまだ多分に余裕があった。
「それににしても珍しいね、影山の方から『映画行こう』なんて」
 駅ビルの中を進みながら私は言う。
 普段ならば一緒に食事をするにしてもどちらかの──大概は私の家、あるいは下宿先のマンション近くにあるラーメン屋か中華料理屋あたりで済ませることが多い。だから影山と一緒に食事をするなどといっても、それはデートにカウントされることのない日常の延長だ。
 けれど、昨晩影山からきたメッセージにはそれだけでなく、食事のあとに映画にいこうという一文が記されていた。これは珍しいことである。もちろんそのことに浮かれてぬか喜びになるのは嫌なので、そこは慎重に慎重を重ね、それこそ万全を期して今日に挑んでいるわけだけれど。

 そんなほとんど疑心暗鬼のような状態の私の内心などつゆ知らず、影山はいつものようなぼんやりした相槌を打つ。
「あ? ああ、先輩が」
「先輩が?」
 思いがけない影山の発言に思わず繰り返す。先輩。先輩って、バレー部の先輩だろうか。
「お前と飯行くっつったら、たまには映画くらい誘えって。なんかよく分かんねえけど」
「……ふうん」
 自分から聞いておきながら、随分とそっけない返事をしてしまった。自分で思っていた以上に私は影山への期待値を高く設定していたらしい、と図らずも気が付いてしまい、そんな自分に少しだけ嫌気がさす。
 私のそっけないリアクションに、影山は不満そうに顔をしかめた。
「なんだよ」
「……影山に誘われたと思ってうきうきして損した」
 正直にそう申告するも、当然影山がその真意を汲み取れるはずもない。さらに眉間のしわを深めると、意味不明だとでも言わんばかりに目を眇めて私を見た。
「は? 誘ってんだろ」
「そういうことじゃないし。まあいいけど!」
 よく分かんねえ、と影山がぼやくのを無視して。私は早足に創作イタリアンと看板の出ているよく分からない店に私は突入した。よく分かんないだと? そんな馬鹿な。だって私、こんなにも分かりやすいのに。影山の鈍感め。

 先ほどの会話で、影山が先輩と言ったけれど、影山の部には何人か私も知り合いがいる。以前影山の試合を応援に行ったときに何人かと顔見知りになったのだ。その時知り合いになったのは先輩ではなく影山の同級生──つまりは私とも同じ学年の男子バレー部の人たちだったけれど、その人たちが私のことを知ったということは、まあ上の先輩たちにも私という存在はなんとなく知られているのだろうことは想像がついた。
 私の存在がなんとなく知られている──そのこと自体には何の文句も不満もない。私と影山が高校時代からの友人同士であることは純然たる事実だし、隠すようなことでもない。というより寧ろ、バレー部のマネージャーだとか学部の女子の友人だとか、そういう人には積極的に私の存在を認知しておいてほしいくらいだ。学校が違う以上、ある程度牽制をしておきたいというのは、まあ恋愛に疎い私でも考えるところである。

 しかし同時に、自分がどう認知されているのかをまったく知ることができないというのは、やはり面白くないし、不安でもあった。影山は他人からの評価で人づきあいを決めるような人間ではないけれど、良くも悪くも素直すぎるきらいがある。心底慕っている先輩に『そんな高校時代からの付き合いなんてのは面倒なだけだからもっと遊べ』とか言われたら、うっかりそういうものかと思ってしまいそうな危うさがあった。
 まあ映画に誘えと言われているくらいだから、どちらかといえば私と影山をくっつけようだとか、そういう類のプッシュをされているのだろうけれど──それをはいじゃあそうしますと受け入れてしまうあたり、やはりまだ気は抜けない。せめて影山が自分の意志で私のことを誘ってくれていたのなら──たとえそれが恋愛感情を一切抜きにしたものであっても、もう少し素直に喜べただろうに。

 気を取り直して、メニュー表を眺める。創作イタリアンというだけあって、どう考えても王道なイタリアンの方が美味しいだろうところに余計なひと手間を加えてしまった料理を、いくつかオーダーした。
 影山は質より量、味より量のところが大きいので、とりあえず私が食べたいものをぽんぽんと頼むのがいつものスタイルだ。多少注文しすぎたところで、影山が食べきれないことは滅多にない。

 料理が運ばれてくるのを待ちながら、私は影山を見る。私の視線に気づくと、壁に掛けられていたよく分からないポスターを見ていた影山が視線をこちらに戻した。そのポスターにうつっているのが美女ではなくマッチョなイタリア男子だったことが救いだ。
「それで、何の映画観るか決めてるの?」
 私は尋ねる。
 映画に行こうと誘われたのが昨晩。なぜそんなことを考えたのかなんて誘われたときには特に考えず、一も二もなく了解のメッセージを返した。
 結局それは影山の意志というよりは先輩の計らい、面白がっているだけだったのだけれど、それはそれとして私はまだ何の映画を観る予定なのかも聞いていなかった。ただ、上映開始時刻だけは先に知らされていたので、影山の中ではすでに観る予定の映画は決まっているのだろう。
 私の質問に、影山はかばんから財布を取り出す。そこから紙片を取り出すと、私に手渡した。それはどうやら映画のチケットで、すでに発券してあったらしい。影山にしては随分と手回しがいい。

 しかし影山は影山である。
「少林バレー」
 私がチケットに印字された作品タイトルを読むのと、影山が作品タイトルを口にするのはほぼ同時だった。
「げえっ、まじ?」
「げえってなんだよ?」
「だって、女子を誘う映画のタイトルじゃないでしょ、それ」
「知らねえよ」
「知っててよ」
 影山のチョイスに果てしなく脱力する。『少林バレー』て。全然聞いたことないんですが。
 割とカルチャー情報には目を通す方だけれど、しかし『少林バレー』なんてテレビや雑誌で告知を打っているのを見たことがないし、SNSで話題になっている気配もない。寧ろ小さいころに似たような別の作品タイトルを聞いたことがある気がする。となると、その本家本元のパロディというかオマージュというか──いや、はっきり言ってパクリかバッタものなのだろう。
 そのくせこのあたりでもシアター数の多い、王道作品ばかりを上映している映画館で上映しているのだから謎は深まるばかりだ。これは一体どういう作品なのだろう。ひとつだけ言えるのは、影山に誘われなければ私が自分でチョイスすることは絶対にない類の映画だということだけだ。

 あからさまに『少林バレー』を馬鹿にしている私に、影山は少しだけ赤くなって、それからむっつりと睨む。
「じゃあ見ねえのかよ」
「やだやだ、見る。見たい」
「じゃあ文句言ってんじゃねえよ……」
「ごめんて」
 そんな話をしていたら料理が運ばれてきた。

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