episode 14

 ピーカンの晴天のもと、カフェのテラス席では氷がからりとグラスの中で音を立てて揺れた。
 ゴールデンウィークの最終日だった。太陽は私たちの頭の真上──生成り色のパラソルの上に輝き、燦々と陽の光を降らしている。毎年びっくりするのだけれど、まだ春のはずなのにゴールデンウィークはどうしてこうも暑いのだろう。

 益体もないことを考えるには不似合だよなあ、と私は頭を振って思考を打ち消す。
 ここは流行りの洒落たカフェ──いわゆるマクロビカフェというやつなので、動物性のものは一切提供されない。私はお肉が大好きだけれど、今日は同行者がどうしてもこの店にきたいと言って譲らなかったので、こういう場所に来ることになったわけである。
 そんな影山とは絶対に来られないタイプのこのカフェで私と一緒にいるのは、影山──ではもちろんなくて、大学の友人の女子だった。名を日下部ちゃんという。

 日下部ちゃんはゼミが一緒の友人で、半年ほど前から親しくしている。私とは違う、東京生まれの東京育ち。女子高出身者というだけあって、期待を裏切らずに女子らしい女子の中の女子だ。いつも睫毛は上を向き、髪は左右対称にくるんときれいに巻かれている。スカートは上品な丈ながら、しかし適度な肌見せも忘れない。なんというか、完成されている。それでいながらフットワークも軽く気さくなので、男女ともに友人が多い子だった。そしてどうやら、未だに田舎娘の雰囲気が抜けない私をかまうのが楽しいらしい。まあ性根がいい子なのは分かるので構わないのだけれど。

「それで、名前ちゃんと影山くんはいつになったら付き合うの?」
 と。グルテンフリーのベイクドチーズケーキをつつきながら友人は言う。仲良くなったばかりの頃にはもう少し遠慮がちな物言いだったはずなのだけれど、ここ最近ではすっかりこうして手厳しい、姉か母親のような態度で私に詰め寄ってくる。
 見かけ通りの恋愛番長ぶりを発揮しながらも、彼女はけしてビッチと呼ばれない要領のよさや立ち居振る舞いをしている。日下部ちゃんからしてみれば、私のような奥手も奥手、ぱっとしない恋愛に没頭している女子はそれだけでも我慢ならないのだそうだ。

 すでに今日だけでも幾度となく繰り返された質問に、少しだけ辟易しながら私は答える。
「私が聞きたい。教えてほしいんだけど、私はいつになったら影山と付き合えるの?」
「私も、答えられるものなら答えてあげたいよ」
 そうして二人揃って溜息をつく。この遣り取りの不毛さにはいい加減うんざりだった。

 花も盛りの大学二年のゴールデンウィークである。先輩たちの教えに従い、一般教養の授業を詰め込みまくった昨年度だったけれど、無事に全単位を取得して私は二年生に進級した。相も変わらずバレーばかりやっている影山も、どうにかこうにか進級したらしい。他校なので詳細は知らないけれど、どうにもバレー部の諸先輩方の尽力や、伝統として部で受け継がれてきた伝家の宝刀・レポートデータUSBなどに救われたようだ。まあ、影山の場合はバレー推薦で入学しているのだから、そんな風にでも進級できればいいのだろう。と、一般女子大生の私は徒然と考えたりしている。

 そんなわけで。一年と少しの間東京で生活してみて、やっと一人暮らしにも慣れたころ──そして私と影山の、つかず離れずの大学生活にも慣れたころだった。
 ずぞぞとアイスティーをすすって、私は溜息をつく。
 この友人に限った話ではなく、私とある程度親しい女友達はみんな、程度の差はあれど私と影山の関係を知っている。私と影やあの関係──すなわち、高校時代からの腐れ縁であり、約一年前から私が片思いをしているという、なんともぐらぐらした関係についてを、だ。
 そりゃあ私だって好きで今の関係に甘んじているわけではないのだけれど、いかんせん友人として一番近い位置というのを三年以上続けてしまったせいで、どうにもこうにも関係を変化させにくい現状。大学の友人にはこういう拗らせ方をし、その上で幸せを掴み取っているロールモデルがいないので、いまひとつ有用なアドバイスを受けることもできないまま今に至っている。

 斯様な拗らせ女こと私であるから、この東京というきらびやかな都市で華やかな女子大生ライフを謳歌する、屈強なメンタルを持つ恋愛強者の友人たちから影山との関係を説教されることもしばしばで。
 そして今日もまた、こうしてお小言なのだかアドバイスなのだかよく分からないお言葉をありがたく頂戴しているのだった。まったく、泣ける。

 私の心境など知らず、友人、日下部ちゃんは言う。
「本当さ、宮城からの付き合いなんでしょ? 高一からだから、何年? 四年?」
「今年で五年目になる」
 苦々しく思いながら答えると、日下部ちゃんはさらに呆れたように顔を顰めた。まさしく豊頬曲眉である美しい眉根がぐぐっと寄る。

 この友人は可愛らしい顔をしておきながら、男女間の友情などというものを一切信用していない。いや、可愛らしい顔と無邪気な性格だからこそ、そういうものを信用できないというべきか。私とは違う、名門大学やトップ企業との謎のパイプを持つ交友関係の広さと比例し、彼女はこれまで女子として、とても楽観的ではいられないような色々なトラブルに見舞われてきたと聞く。
 そんな彼女にしてみれば、恋愛感情だけではなく男女の情を一切介さない私と影山の関係はさぞ奇怪なもの見えるだろう。まあ、男女の情を介さないと言い切るには私がすでに不純な感情を持ってしまっているのだけれど。

 それはさておき。日下部ちゃんの苦言は続く。
「で? なんだっけ? 都合が合えば一緒にご飯食べて? 買い物行って? 長期休暇は一緒に帰省して? ベッドこそともにしないものの、そこそこに一夜を共にして?」
「うん」
「それ、付き合ってないわけなくない?」
「わ、私に言われても……」
 付き合っていないのだから仕方がないじゃないか。そう強気に言い返したいのに、日下部ちゃんのあまりの迫力に、言葉は尻すぼみになって消えた。無念。それでも何も言い返さないとこてんぺんに言い負かされてしまうので、言い訳のようにずるずると、私は言葉を口にする。
「そもそも、今年で五年目なんて言い方をするから大仰な感じに受け取られるだけでね、好きだって気付いたのはここ最近だし」
「最近って、一年も前のことじゃん」
「うっ」
「大体が、私はその好きだって気付いた云々ってのもあやしいと思うけどね。好きでもなけりゃ四年だか五年だかもお互いフリーで友情なんて築けないでしょ」
「築けるんだから仕方ないじゃん」
「今となっちゃ築けてないどね」
 テンポよく次から次へと痛いところをつかれ、結局言い訳した分だけ割増しでこてんぱんに言い負かされた。返す言葉もなく、私は項垂れる。仕方がないのでわざとらしく溜息をつき、ふたたびアイスティーのストローに口をつけた。

 そりゃあ私だって、日下部ちゃん──というか私に苦言を呈してくれる友人たちが正しいことは分かっている。大学二年、つまりはもう私たちは二十歳になろうかという年齢で、いつまでも甘酸っぱい恋愛ごっこに興じている場合ではないのだ。来年になればゼミの内容もより一層本格化するし、うかうかしてたら就活だの卒論だの、そしてあっという間に大学卒業だ。時間を無駄遣いしている場合じゃない。
 こうして遊んでいられるのなど大学生のうちだけで──そしてそれは、影山にしたところで同じことが言える。

 影山は今この時、目の前しか見ていないけれど、実際にはバレーのことには詳しくない私の耳にも入ってくるほど、影山は今、注目を集めている。最近ではローカル局とはいえ、テレビデビューまで果たした。このまま当たり前のように社会人になるわけではないことは明白だ。
 時間がないのは私も影山も同じ──こうしてモラトリアムを満喫している間にも未来に思いを馳せなければならないのも同じ。こどもじゃないんだから、待っていれば誰がどうしてくれるというものでもない。自分で決めなければならない。
 だから進むにしろ戻るにしろ、さっさと決断して行動を起こすべきなのは分かっている。分かっているのだ。

 ぶわりと強い風が吹く。日下部ちゃんがきゃあっと声をあげて、器用にスカートと前髪を押さえた。私は無防備に額をさらしながら、テーブルの上のものが飛ばないように押さえる。
 はあ、と溜息をつきつつ髪型を整える日下部ちゃんにお礼を言われた。その蕩けるような微笑みにぽやーっとしていると、
「それにしても本当不思議だわ、名前ちゃんと影山くんの関係。どっちかに恋人がいるのならともかくフリー同士なら簡単に一線越えちゃいそうなもんだけど」
 まだその話を蒸し返すのかと嫌な顔をして見せたけれど、それはあっさりとスルーされた。日下部ちゃんにはそういうプレッシャーは一切通用しないのだ。百戦錬磨の海千山千女は格が違う。温和な顔に騙されて、私がこの半年余りに何度彼女に騙され飲み会に担ぎ出されたかしれない。

 ──そうはいっても、日下部ちゃんとの合コンではずれを引いたことはないんだけどなあ。
 と、現実逃避に思い出しながら、私はしかし律儀に影山の話をする。知らず知らずのうちに、私は日下部ちゃんのペースに乗せられてしまっていた。まあ、これもいつものことだ。
「フリーなんて言ったって、本当にフリーなのは私だけだよ。影山にはバレーが恋人みたいなものだし……」
 私がそう言うと日下部ちゃんは眉をひそめる。
「影山くんのは方便でしょ。実際、本当にバレーだけでいいなんて男が私たちの年頃にいるとは、私の経験上、到底思えない」
「それは日下部ちゃんが影山のことを知らないからだって。影山は本当、掛け値なくバレーのことしか考えてないから」
「逆に聞くけど、じゃあ名前ちゃんはそんな人のどこがいいの……?」
「……分かんない」
「難儀ですなぁ」
 そう呆れたように笑われて、私は肩を落とした。

 影山への気持ちを自覚して一年になる。ただの親友だと思っていた男のことが、実は好きだった。混じりけなく友情を築いていると思っていた相手に対して、不純な恋愛感情を抱いていた。そのことを認めるのに大体一週間ほどかかったけれど、しかし自分で思ったよりはすんなりと受け入れることができたと思う。
 そして、私たちの関係──私と影山の関係にこれといった変化がないまま一年が経った。

 影山のどこが好きなのか──それは私がこの一年、何度となく自分自身に問い続けてきた質問だ。影山がモテるということは知識・情報として知っている。影山の顔が世間でいうところのイケメンであることも知っている。バレーの技術が凄まじいということも、知っている。
 影山がモテる理由なんてものを、私は多分、すべてまるきり全部知っていて、そしてそのこと──そういう理由で影山が女子から人気があるということにも、異論はなかった。そしてそれでも、影山のことはずっと友達だと思っていた。友情以上の感情を影山に持つことはないと思っていた。そういう影山の美点が私の心を動かし揺るがすものではないと、私は信じていたわけだ。

 それが覆された。ほかでもない自分への信頼を、いともあっさりと覆された。そうするに足る何かが影山にはあったはずなのだ。だから私は、それが何なのかを知りたかった。その正体を、即ち影山のどこに惹かれているのかさえ明確になれば、もっとすっきりと私は影山を好きでいることもできるし、あるいはそんなものは気の迷いだと切り捨てることだってできたはずなのだから。

 影山への片思いを始めて一年、残念ながら自分が影山のどこに惹かれているのか、それはまだ分からない。分からなくて、影山への曖昧で漠然としていて、そのくせはっきりと強固で頑丈な思いだけはぶくぶくと日々大きくなっているのだから、まったく始末に負えないとはこのことだ。
 挙句の果てには──と、そこまで考えて、私は私の前に座ってにまにまと笑っている日下部ちゃんの視線に気が付く。私はまた溜息をついた。

「まあ、当たり前だけど影山と付き合いたいって気持ちはね、そりゃああるんだよ。私にだって」
 正直にそう申告すると、日下部ちゃんはにっこり笑った。
「それすらなかったらびっくりするよ」
「でもでも、今までで『好き』とか『付き合いたい』と思ったことがなかったわけだから、それだけで私にとっては十分すごいことというか、大進歩というか、快挙なわけでね」
「どうせ初恋するならもっと実りやすそうなところを相手にすればいいものを。何もそんな『初恋は実らない』なんて、巷談じみた話に寄せなくても」
「私だって寄せたくて寄せてるんじゃないよ」
 勝手に寄ってしまったんだから仕方がない。影山に告白する女子たちのことを、私は相手が悪くて哀れにとすら思っていたはずなのに。

 そんなわけで、今日も今日とてこれといって私と影山の関係が好転するようなアドバイスは得られないまま、そろそろ店員の視線も痛くなってきた頃だった。
 何せデザートと飲み物だけで、私たちはランチからずっと居座っている。人気店なのに、このいい気候の日にテラス席をいつまでも独占されていては、店もたまったものじゃないだろう。同情する。

 どちらともなく帰り支度を始め、会計の準備のため財布の中を確認する。ちょうど食事代ぴったり財布の中に入っていたので、それを日下部ちゃんに手渡した。
「ありがと。この後どうする? 私夜のバイトまでまだ時間あるから、よければ買い物付き合ってほしいんだけど」
「大丈夫だよ。私も次の約束までまだだいぶ時間あるし。一回家まで帰るのも交通費勿体ないし」
「今日もこの後影山くんなんだっけ?」
「うん」
「本当よく飽きないね。甲斐甲斐しいっていうかさ」
 呆れたように言う日下部ちゃんに、私は眉を下げた。そんな言い方をされると反応に困ってしまう。

「別に、甲斐甲斐しくしてるわけじゃないよ。だって一緒にご飯食べたりするのだって、私にも下心があるわけだし……」
「下心って」
「実際そうだよ」
 恋に恋して、ひたむきに片想いができるほど、私は可愛くない。初心であることは認めるけれど、しかし初心であることとしたたかであること、下心を持つことは必ずしも相反するわけじゃない。日下部ちゃんは私のことを時々「純真」と笑うけれど、私だって腹の底では色々後暗いことを考えたりもするわけで。

 バレーにまっすぐひたむきな影山のようにはなれなくて、でも日下部ちゃんのような計算高い女子にもなれなくて。どっちつかずで藻掻いている自分に自己嫌悪することも然り。
 大きな溜息をついた私の背中を、日下部ちゃんがばしんと叩いた。
「はー、憎い。名前ちゃんのことを放し飼いにして遊ばせてる影山くんのことが憎いよ、私は」
 そう言って、
「ま、それはそれとして来月の合コンには顔出してよね。人数合わせにちょうどいいし」
「ええー、ほかの子誘ってよ」
「いいじゃん、彼氏持ち誘うのは良心が痛むし、その点名前ちゃんは心に決めた影山くんがいるとはいえ、事実上フリーなんだから」
「それはまあ、そうなんだろうけど」
「いいんじゃない? 美味しいごはん食べて、あーやっぱりうちの影山が一番かっこいいわーって確認して帰ってこれば」

 にっこり笑った日下部ちゃんの桃色の唇がつやりと光る。またしても丸め込まれた私は、しかしまんざらでもない気分で頷いた。

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