episode 11

「こっちのボーダーとこっちの無地、どっちがいいかな?」
「しま」
「ボーダーね」
 影山が指さした方のバスマットを買い物かごに入れ、選ばれなかった無地の方を棚に戻す。さっきからこんなことを繰り返しているものの、まだ買い物は全工程の三分の一も終わっていない。大きなショッピングカートを押す影山は、すでに飽きてきた顔をして私の後ろを従順についてくる。

 大学受験を終えてから一か月半が経とうとしている。今、私と影山がいるのは、都内にあるチェーンの家具量販店だった。場所が都内であることからも察することができる通り、私も影山も、無事に第一志望の大学に合格。ひと月前から都内での新生活をスタートさせている。

 受験生だった頃には『大学生になっても影山と友達でいられるか不安』などと弱気なことをのたまってもいたけれど──蓋を開けてみれば、私の通う公立大学と影山の通う私立大学は同じ沿線上にキャンパスを持っていた。少なくとも二年はこのキャンパスに通うことになる。
 両大学のちょうど中間地点らへんに私と影山はそれぞれ部屋を借りたので、物理的な距離というのはむしろ高校時代より大幅に近づいた、というわけだ。

 さすがに同じマンションというわけではなく、私は大学の事務が紹介している女子学生の専用マンション、影山は同じく、影山の通うことになった大学のバレー部が多く入居していてほとんど借り上げ状態になっているマンションに、それぞれ部屋を借りた。それでもお互いのマンションは徒歩三分の距離にあるので、上京して以降、すでに何度となくお互いの部屋を行き来してはものの貸し借りであったり、食事の調達だったりをしている。

 そして大学入学から一か月、やっと生活が落ち着いてきたころ、なんとなく後回しになっていた色々な家財道具をそろえるべく、私と影山はこうして買い物に出てきているのだった。

「それにしても影山が免許とるの間に合ってよかったよ」
 バス用品のコーナーを探索しながら私は言う。
 今日日、いくらでも通販で買い物ができると主張したのは影山だった。宮城にいたころから私は通販サイトやらフリマアプリやらを駆使して衣服や日用雑貨を調達しており、影山はそのことを知っていた。こういう主張をするのもむべなるかなという話だ。
 しかし、ある程度の使い捨てではなく四年間使うことになるかもしれない家財道具ならば、できるだけ自分の眼で現物を見て購入したい──これが私の主張である。
 これでも念願のひとり暮らしとあって、そこそこにインテリアにはこだわっている。ベッドやテーブルといった大型の家具はすでに選りすぐりを購入しているのだから、ここまできて妥協はしたくなかった。それがたとえ、セレクトショップでのお買い物ではなくお値段以上が売りの量販店であったとしても──だ。

 結局、折れたのは影山だった。進学先を夏ごろには決めていた影山は、それからの数か月、私が必死で受験勉強をしているのを傍目に普通自動車の免許を取得していたらしい。もちろん影山は年明けまで部活をしていたので、それから三か月ほどでの慌ただしい免許取得である。実技はともかく学科に足を引っ張られまくった影山が、三学期には休み時間のたびに教本と睨めっこしていたのは記憶に新しい。
 そして今日──ゴールデンウィーク中の部活が一段落したゴールデンウィークの最終日、部活が休みの影山をなんとか連れ出し、こうして足にしているというわけだった。都内の移動といえど、さすがに荷物の量が量なので、今日はレンタカーを借りて車移動をしている。初心者マークを堂々と貼り付けているものの、意外にも影山の運転はなかなかの安定感だった。

「お前、結局まだ免許とってねえんだろ。いつとるんだよ」
 呆れた声で影山は言う。レンタカー代は折半だけれど、単純に自分ひとりが運転係というのが気に食わないらしい。今日はしきりに「早く免許取れよ」とせっついてくる。
 うるさい影山をのらりくらり躱して、私はぼんやり返事をする。
「うーん、悩み中。受験の最後らへんであまりにもギリギリすぎて『自動車学校のお金払わなくていいからその分予備校の講座増やして!』って親に泣きついちゃったからさ」
「ああ、冬休みあたりの名字、目やばかったな」
「そう、自分でもあの時の私は春高を控えたバレー部にも負けない凄絶さだったと思うわ」
 しかし、そういう事情があるので、影山には悪いけれど今のところ免許をとる予定はない。そのうちバイト代がたまったら自動車学校に通うかもしれないけれど、少なくとも大学生活、二十三区内で生活している分には特に車が必要になることもない。大学を卒業するまでには何とかしようとか、その程度の認識だ。今日のように足が必要なときは食事をおごる代わりに影山に頼めばいいのだし。

 トイレブラシをかごに放り入れる。二段カートの上のかごは私の買い物、下のかごは影山の買い物だ。ぎりぎりまで結果発表がされず、入試の後も引き続き受験勉強を強いられていた──そんな私が一人暮らしの準備を十分に終えていないままに上京してしまったのは仕方がないにしても、腐るほど時間があったはずの影山が私と同じように買い物をしているというのはどういうことだろう。
 影山の部屋にも何度も足を踏み入れているけれど、彼の部屋には私の部屋以上に必要最低限のものしか置いていない。それどころか洗濯し終えた衣服は、恐らく引っ越しの際に使ったであろう『服』と書かれた段ボールに戻されているという無頓着ぶりだ。
 高校三年生のころに影山のお母さんが言っていたという『名字さんも東京の大学に進学したら安心』というのはこういうことだったのか、と驚き呆れつつも納得したのが一か月前のことである。
「衣装ケース、この三段のやつ買っていったら?」
「でかくねえか、それ」
「影山の部屋のクローゼットなら入るでしょ。ふたつくらい買ってもいいくらいだよ」
「いや、持ち運びが」
「ぎりぎり載るんじゃない?」
 影山が渋い顔をするけれど、問答無用で私がカートに載せた。おしゃれさも何もない凡庸な衣装ケースだけれど、影山はそういうことにはこだわらないから問題ない。とにかくあの『段ボールにリリース』式収納術をはやく卒業してくれさえすれば何でもよかった。衣装ケースの上からさらにハンガーもかごに入れる。影山の部屋に必要なものも大体は把握してきている。

 そんな風にして、私たちは一時間半ほどかけて広い店内をぐるりと一周した。傍目に見れば微笑ましい若いカップルが同棲の準備に来たように見えるのだろうけれど、ふたつのかごの中に入っている商品は完全に別々の系統で、どう見ても二部屋分の買い物である。会計も当然別々にした。

 会計を終えるとレジ横のスペースで、衣装ケースにこまごまとした雑貨を詰め込む。もくもくと手を動かしながら、同じく手を動かしている影山を見た。結局、私の買い物よりも影山の買い物の方が大荷物になっている。
「この後どうする? どっか寄ってから帰るか、いったん荷物置きに家帰るか」
「どっちでもいい。どっか行きたいとこあんのか」
「うーん。行きたいパン屋さんがこの近くにあるんだよね。ここから歩いていける距離」
「じゃあ車ここの駐車場に置いて、歩いていくか。駐車券の時間まだ余裕あんだろ」
「賛成ー」
 一度車に買い物の荷物を運びこんでから、次なる目的地であるパン屋へと向かった。

 東京で暮らし始めたら行きたかった店も、すでにこの一か月であらかた行ってしまった。気が付けば高校時代に貯めていたお年玉やお小遣いをものすごい勢いで食いつぶし、今は節制中である。サークルにも入ったしバイトも始めたし、それなりに充実した大学生ライフを満喫している。
「そういえば影山、バイトの面接どうなったの? 部活の先輩に紹介してもらったっていう──」
 人通りの多い駅前を歩きながら尋ねる。影山は私の隣。特に何も言っていないけれど、影山はいつのまにか『歩くペースを合わせる』ということを覚えていた。三年かかった。
「受かった」
「よかったじゃん。バレークラブのコーチだっけ」
「おう」
「そうだよね、飲食とかで重いもの持たない方がいいもんねえ」
 影山は当たり前みたいな顔をして頷く。バレーをするために大学に通っているようなものだし、本分以外のところで怪我をしていては元も子もないということなのだろう。それに、こう言っては悪いけれど、影山に接客業が向いているとは到底思えなかった──小学生のクラブチームでウケるかも正直微妙なところではあるけれど、そこはそこ、実力があればある程度のことは撥ね飛ばせるのだろうと予想している。

「でも、いいなー。コーチって割がいいんでしょ?」
「つっても大した時間数はねえからそんなに稼げるわけでもない」
「東京物価高いもんねえ……」
「そっちは? バイト」
「私? 私はまあ、そこそこに」
「そこそこ?」
「そこそこ」
 大学生活が始まって一か月、私は書店とコンビニの掛け持ちでバイトをしている。先に決めたのは書店だったけれど、思った以上にシフトが入れなかったので後からコンビニのバイトも始めた。これまた入ったばかりのサークルはゆるく、週に一度しか活動がない。だからその分バイトをみっちりと詰め込んでいた。
 東京に出てきてもなお、私が一番よくつるんでいるのは影山だ。その影山は連日遅くまで部活がある。節約のために一緒に夕飯を食べたりするためには、時間に融通が利く私の方が影山の予定に合わせなければならないわけで、だから影山が部活をしている時間、私はバイトをしている、というわけだ。

 正直、影山以外とももっと遊ぶべきだとは思っている。大学でできた友人たちからは頻りに有名大学の学生との合コンに誘われるし、そうでなくとも華やかな大学生らしい夜遊びに呼ばれることも多い。私はけして世慣れた派手なグループには属していないはずなのだけれど、それでも田舎から上京してきたばかりの私にとってはそのグループすら十分にきらびやかでゴージャスなグループに思える。
 影山といると、そういう世界とは無縁になる。影山は今時の若者なのにろくにSNSも扱えないし、流行の店にも疎い。未成年飲酒などもってのほかで、外食するとなると宮城にいたころと同じようなファミレスか牛丼屋かラーメン屋にばかり連れていかれる。というか、東京だろうが宮城だろうが、影山はバレー以外のことに目が向かないのだ。
 華々しい都会の女子大生として振る舞うのも楽しいけれど、やはり影山と一緒にどうでもいいことを話したり話さなかったりする、そういう時間は私にとってのオアシスだった。

prev - index - next
- ナノ -