「から回ってんじゃねえよ、凡人」
とたった一言で片づけた。その言葉からは私の本心が何処にあるか、ある程度のところまで爆豪くんにばれてしまっていることが窺える。それでも変に優しくしたり気の毒がったりしないところが爆豪くんらしいと思ったし、そうやって接してくれることがありがたくもあった。
「うるさいなあ、自分がちょっと高所得者だからって」
照れを隠すように言えば、爆豪くんはふんと鼻を鳴らす。
「は、まだ全然だわ」
「え、そうなの?」
思わず普通に聞き返してしまった。先ほど乗せてもらった車にしても住んでいる場所にしても、とても社会人二年目らしい薄給しか貰っていないとは思えない。
あんまり他人の懐事情の話を追及するのも品がないとは思ったけれど、それでも正直に気になる気持ちの方が勝った。爆豪くんが嫌そうな顔をしないのをいいことに、私は「本当に?」と質問を重ねる。
「当たり前だろうが。まだ独立もしてねえサイドキックの稼ぎなんざたかが知れてんだよ」
「ええ? でも一年目の頃からいい車乗っていいとこ住んでたんじゃないの」
思ったことをそのまま口にする。爆豪くんは一瞬ばつが悪そうに視線を私から逸らし、そして今度は小さく舌打ちをした。
「──そうやって自分を追い込んでかねえと、なるべきもんになれねえだろ」
静かに発された声は、それが混じりけない爆豪くんの本心であることを如実に示しているかのようだった。
知らず、ごくりと息をのんだ。
爆豪くんほどの実力者であっても、ただ努力を怠らないのみならず常に自分を追い込んでいる──自らが到達すべき高みに、少しでも近づくための努力を惜しまずに。
自分が至るべき場所を明確に見定めて、現状に甘んじることもなく。
そのことに、思いがけず励まされたような、そんな気がした。
もちろん爆豪くんが頑張っているからといって、相対的に私が頑張っていないことになるとは思わない。爆豪くんの努力は爆豪くんだけのもので、私の努力とはこれっぽっちだって関係ない。爆豪くんが頑張っていることで私の努力が矮小化されることはなく、私の置かれている現状が誰かの状況に比べて易しいものだとも思わない。それとこれとはまったくの無関係だ。
けれど、ただ、必死で未来に食らいつくように努力しているのが私以外にひとり、こうしてちゃんと目のまえに存在してくれているということが──今の私にはどうしようもなく心強かった。
「そっか。爆豪くんも必死で頑張ってんだなー」
かすかに弾む声で言えば、爆豪くんがすぐさま威嚇するような視線をこちらに寄越す。
「は? 誰が必死なんて言った」
「必死でしょ。そうじゃなきゃ──がむしゃら?」
「てめえ俺にそんなサムい言葉あてはめてんじゃねえ」
「サムくないでしょ。いい言葉だよ、がむしゃら」
「よかねえ!」
怒鳴る爆豪くんにけらけら笑っていたら、ここしばらく味わっていないようなすっきりした気分になった。相談を聞いてもらったわけでもなければ建設的なアドバイスをもらったわけでもない。それでも爆豪くんはいつでも、私が悩んでいるときにするりとその暗闇の果てを指し示していく。
爆豪くんと再会できて、今日こうして爆豪くんとふたりで食事をすることができて、本当によかった。心の底からそう思った。
その後話していて分かったことだが、どうやら私のマンションと爆豪くんのマンションは本当に目と鼻の先と言っていいような近い距離にあったらしい。最寄りの駅どころか最寄りのコンビニまで同じレベルのご近所さんだった。これまで顔を合わせていなかったことが不思議なくらいだ。
「最近引っ越してきたばっかりなの?」
「一年は住んでる」
「じゃあ本当にたまたま顔を合わせなかっただけかぁ」
食後のデザートに注文したあんみつを掬いながら私は言った。もちろん互いに多忙の身であり、また爆豪くんはかなり不規則な生活をしている。顔を合わせなくても不思議ではない。それでもせっかくご近所に住んでいるのであれば、もっと早く顔を合わせていたらよかったのにと、そう思わずにはいられない。
「別にてめえに会ったところで話すこともねえだろ」
「こうやって今まさにごはん食べてるときにそういうこと言う?」
相変わらずひどい言いぐさの爆豪くんだが、たしかに顔を合わせてみたところで女子の友達と話している時のような話すことが尽きない、というような盛り上がりはない。会話が途切れて沈黙が落ちることも少なくなかったし、そもそも爆豪くんに会話を楽しく盛り上げようという気もなさそうだった。私も私で話し上手な方ではない。そんなふたりが顔を付き合わせて食事をしているのだから、取り立てて盛り上がることがないのも無理からぬことである。
とはいえそれで気詰まりだったり雰囲気が悪かったりするかと言われれば、必ずしもそういうわけではなかった。考えてみれば私と爆豪くんは高校時代からこんな感じだったし、こんな感じでも一応は友人関係が三年間継続している。むしろ今になって話がどっかんどっかん盛り上がる方がおかしい。そんなのは私の知っている爆豪くんではない。
そうして一時間ほどぽつぽつと会話をしながら食事をし、そろそろ店を出ることにした。時刻はまだ二十時にもなっていないけれど、お酒も飲まず共通の話題が高校時代の話くらいしかないのだからまあこんなものだろう。お互い一週間の疲れもたまっているのだし、この辺りで切り上げるのがベストだろうと思われた。
席を立ってレジに向かおうとすると、爆豪くんに「おい」と乱暴に呼び止められる。
「もう払った」
あっさりと言って、爆豪くんはそのまま店を出ようとする。慌てて私はその後を追いかけた。
「え? うそ、やめてよ。出す出す、半分出す」
「財布出してんじゃねえ! みっともねえだろうが!」
「私と爆豪くんの間に今更みっともないとかなくない!?」
「てめえにとってじゃねえわ、店に対しての話してんだよ!」
こっちは面割れてんだぞ、と怒鳴られ、私もようやく察した。
高校時代から通っている店ということは、つまり爆豪くんと私が雄英高校のヒーロー科の卒業生だということも知られているということだ。ことさらその件で声を掛けたりしてこなかったのは、さすがに雄英の近くで長年商売をしている人間としてわきまえているものがあるのだろうが、それでも爆豪くんが現在ヒーローをしていることがばれているのはほぼ間違いない。
ついでにいえば、店は大した広さではなく、お客も私と常連さんのひと組みだけだ。会話の内容はある程度筒抜けだっただろうから、私が苦学生をしていることを聞かれていてもおかしくない。
そんな状況で、爆豪くんが私に財布を出させることを「恰好が付かない」と思ったとしても、それはおかしなことではなく、むしろ至極爆豪くんらしい考え方だった。私がどうとかではなく、自分の体面のために食事代を支払った。そういうことなのだろう。
しばしの葛藤ののち、私は財布をかばんにしまう。すたすたと店を出て行ってしまった爆豪くんの後を追いかけると、
「じゃあ、次のご飯代は私が持つってことでひとつ」
とそんなところで折り合いをつけた。いくら爆豪くんの方が稼ぎがあるといったって、爆豪くんもけして左うちわの生活をしているわけではない。それに、ヒーローと学生という立場の差はあれど、友人としてはこれまで対等でやってきた──少なくとも私は対等な友人関係を目指してやってきたところに、そんなふうにして亀裂を入れたくはなかった。
私の言い分に、爆豪くんはむっつりと顔をしかめる。
「てめえ次の話勝手に始めんな」
ぴしゃりと言われ、思わず「えっ、次の機会ないの?」と聞き返した。
せっかく近所に住んでいることが分かったのだから、そう頻繁にとは言わなくても時々都合がつけば一緒に食事くらいしたいと思ったのだけれど、爆豪くんにとっては迷惑だっただろうか。たしかに一時疎遠になっていたとはいえ、一応は高校時代の友人なわけだしここから縁が復活しても何ら不自然はないと思う。
とはいえプロヒーローの爆豪くんは多忙の身なのだろうし、私のような箸にも棒にも掛からない学生相手に時間を割いている暇などないと言われてしまえばぐうの音も出ない。諦めて引き下がるしかないだろう。
「爆豪くんが嫌ならいいですけど」
でもそれは私の本意ではないです──と、そんな主張を色濃く声に乗せて言えば、爆豪くんは面倒くさそうに私を見たあと、
「……肉な」
とぶっきらぼうに答えた。
それが次回の食事へのリクエストであることは明白で、私は内心ガッツポーズをする。こういうところが爆豪くんのいいところだ。なんだかんだ言って、押しに弱くほだされやすい。
「肉かー。ちょっとお財布と相談しなきゃいけないけど、あれは? スーパーで買ってきた特売のお肉で家焼肉とかは?」
「ふざけろ、外で食うにきまっとんだろうが」
「やだよ、爆豪くん絶対めっちゃ食べるじゃん……」
そんな話をしながら爆豪くんの車の助手席に乗り込む。
行きにも乗せてもらった車は、しかし爆豪くんの覚悟と思いの丈を聞いたあとに乗ってみると、単純な高級車ということ以上の価値を持った車のように思えた。
それからというのも、私と爆豪くんは時折待ち合わせては一緒に食事をするようになった。もちろん食事といったってお互いあまり生活に余裕があるわけではなく、大抵は学生時代に使っていたような安い定食屋さんだ。お互いに二十歳の誕生日を迎えてからは行先の候補に居酒屋も増えたけれど、いずれお金があるわけではないので店のランクが上がるわけではない。
ただ、居酒屋での食事であれば安いお店でも個室があることが多い。そういう意味では気兼ねなく食事をすることができた。いくらぺーぺーの新米ヒーローといったって、爆豪くんは卒業前からすでに注目を集める期待のルーキーだ。どこで誰が見ているか分からない状態で、かつての同級生とはいえ女子の私とふたりで食事をするというのは、やはりあんまり良くないことのような気がした。
とはいえそんなことを気にしているのは私の方だけで、爆豪くんはさして気にする様子もない。探られて痛む腹があるわけでもなし、こそこそする必要なんてどこにもない──というのが彼の考えのようだった。
いよいよ年の暮れも近くなったある日のこと。
迫る看護師の国家試験のための勉強の息抜きに、私はちょうど非番だった爆豪くんを誘って鍋を食べに行くことにした。爆豪くんとのスケジュールを合わせるのは面倒なので、もうひと月の勤務予定が出次第、それを教えてもらうことにしている。
本来ヒーローの勤務予定は機密事項なのだろうが、サイドキックの爆豪くんにはそこまでも秘密厳守は敷かれていない。また教えてもらうにしてもまるっとひと月分のすべての勤務を教えてもらうのではなく、休日のうちの何日かを前もって教えておいてもらう程度に留めていた。何かあった時に私から情報がもれては困る。
もちろんそれでも緊急の仕事でドタキャンされることもしばしばだったが、それはこちらもヒーロー科卒の人間なので事情は理解している。爆豪くんがつかまらない日はひとりで食事をするかリカバリーガールを誘うか、あるいは学校の友人を誘うようにしていた。
このころになると、長期の実習をともに乗り越えた戦友として、専門学校のクラスメイトたちともそこそこに打ち解けるようになっていた。
閑話休題──鍋である。この日は爆豪くんに緊急の呼び出しがかかることもなく、私たちは居酒屋の個室でもつ鍋をつついていた。
「ていうかこの間の雑誌、爆豪くんのインタビューあれどこまで爆豪くんの言葉なの?」
おたまでもつとにらを掬いつつ、私はやにわに切り出した。話題は先日発売になったばかりのヒーロー雑誌に掲載されていた、赤マル注目若手ヒーローインタビューについてである。今月号はちょうど爆豪くんのインタビューが掲載されていた。
「少なからず爆豪くんを知っている人間としては、あれが爆豪くんの口から出た言葉、たとえ対メディアの姿勢だったとしても、爆豪くんの語る言葉だとは到底思えなかったんだけど」
そこに掲載されていたのは相も変わらず悪い顔で笑っているヴィランもかくやという様相の爆豪くんと、そんな表情とは打って変わって穏やかかつ理知的、そしてふんだんに美辞麗句を織り込んだ発言の数々だった。