「え、じゃあ名前ちゃん焼け出されちゃったってこと!?」
 お茶子ちゃんが顔を蒼くして声を上げるので、私はうん、と頷く。
「ええ……そんなことになってたなら行ってくれたらよかったのに……」
「いやあ、だってお茶子ちゃんもここのところ忙しかっただろうし。こっちも職場、休みをとれるような状態じゃないなかでの色々引っ越しとかだったし」
 目のまえの鉄板の上でじゅうじゅうと音を立てるお好み焼きにソースをかけながら、私はしんみりと言った。私もお茶子ちゃんも、互いにこうして一日きっちりとオフをとることができているのは本当に久しぶりのことだ。すでに春と呼べる季節は終わり、季節は早くも初夏にかかろうとしていた。それでもまだ、全国的な混乱は収束しきっていないのが現状である。
「まあ、たしかに連絡しにくかったのは分かるけどぉ」
 お茶子ちゃんがまだ完全には納得していない声で言って、お好み焼きに起金を入れた。
「ていうか、今名前ちゃんどこに住んでるの?」
 ──ついに来たか、その話題が。
 そんなことを咄嗟に思い、私は眉間を揉む。こんな癖はなかったはずなのに、ここ暫くの激務のなかで、いつのまにかなんとも年より臭い癖が職場の年配医師たちからうつってしまっていた。
「いやぁ、本当に言いにくいんだけど、まあいろいろ事情がありまして──」
 爆豪くんちに住んでいます。
 騒がしい店内で、私は誰に遠慮するというわけでもないのに一段声をひそめ、そう言った。

 二週間ほど前のこと。爆豪くんと通話しながら帰ったら、自宅マンションで火災が発生していた。あまりのことに呆然とした私は、電話の向こうの爆豪くんにろくに事情も説明しないままとにかく駆けつけていた警察と消防士に事情を聞くことになった。こういうとき、ヒーローの資格を持っているというのは身許の証明するのにこの上なく有効だ。おかげで私は、火災の被害者でありながらかなり早い段階で事情を説明してもらうことができた。
 出火元は事故のたぐいではなく、放火だろうというのが消防と警察の見立てだった。
 というのも、私がよく知らなかっただけでこの近隣でも最近は随分とぼや騒ぎなどが起こってたらしい。治安のいい地区だからと油断していたが、世間のどうにもきな臭い風潮の影響は、私や爆豪くんの住まうこの町にまでいつの間にか忍び寄っていたのだった。
 幸か不幸か放火犯についてはすでに現行犯で逮捕されているらしく、今後模倣犯が出ない保証こそないものの、ひとまずの事件としては一応の幕切れとなっている。
 が、当然ながらマンションは当面住めるような状況ではない。とりあえずは職場とヒーロー協会に連絡し、どうにかこうにか病院の寮の空き部屋を工面してもらうことになったのだった。重ねてになるが、こういうときヒーローの資格を持っている人間の要請となると何かと対応がはやくて助かる。
 火災現場となったマンションの自室から、必要最低限の貴重品と生活用品だけを借り住まいの寮に持ち込み、数日掛けてどうにか生活の体裁をととのえたところで、爆豪くんから再び連絡があった。
 火災の当日、呆然としながら電話を切ったきりだった私のことをひそかに心配してくれていた──かどうかは定かではないが、一応気にしてくれてはいたのだろう。諸々の手続きなどが一段落したころを見計らって連絡を寄越すあたりが、爆豪くんのそつのなさを物語っている。
 最低限の家電しか置かれていない部屋で、私は爆豪くんからの電話を受けた。家具なんてものはないので、リースの布団一色をフローリングの上に敷き、そのうえで正座をしている。机もなければベッドもない。今が晩春だからこそどうにかなるような設えだった。とはいえどのみち一日のほとんどの時間は職場にいるのだし、最悪、冷蔵庫だけあればどうにか生きていくことはできる。
「まあ、そういうわけです」
 ここ数日の出来事をどうにかこうにかまとめ、できるだけ電話が長くならないように伝えた。電話の向こうの爆豪くんは呆れているのか同情しているのか、とにかく返答に窮している気配だけが伝わってきた。言語感覚においてはほぼ脳直で暴言を発することに定評のある爆豪くんでも、さすがに火災によって住む場所にも困っているような有様の人間に吐く暴言はないらしい。
「まあ、明日は無理を言って午後から半休もらってるから、不動産屋さんでも回ってみるつもり。時期的にはあんまりいい物件ないのかもしれないけど、いつまでも寮の空き部屋にこのままってわけにはいかないし」
 今回は特例で部屋を間借りしているが、そもそも病院の寮は入職三年目までしか借りられない規則になっている。私は今年が三年目なので、このまま借りたところで一年と経たずに追い出されてしまう。
 ホテル住まいや家具家電付きの物件ならばともかく、ここはただ部屋を借りているだけだ。新しく家具や家電を用意するのならば次の住まいに合わせたものを用意したい。
「あ、もし爆豪くんの知り合いで、しばらく家を空ける人がいたらその間だけでも部屋貸してもらえないかな。明日あたり、不動産屋さんと並行してお茶子ちゃんにも心当たりがないか聞いてみるつもりなんだけど」
 とはいえ、ヒーローという職に就いているであろう知り合いがほとんどのお茶子ちゃんや爆豪くんである。ヒーローなんて数多ある職業の中でもプライベートを秘匿して慎重にならなければならない職業の筆頭だろう。だからそう簡単に、見ず知らずの人間に部屋を貸してくれるような奇特な人間がいるとも思えない。これはあくまでも「見つかればラッキー」程度の案だ。
 と、そんなことを考えて若干気分が沈んだところで、
「んなもん、当面オレんち使えばいいだろ」
 唐突に爆豪くんが言った。いつものようにぞんざいな、それがごく当たり前のことであるような口調だったので、私は一瞬「そっか、たしかに。さすが爆豪くん」と返事をしかけ──しかしそれはさすがに違うだろうということにぎりぎりのところで気付く。
「爆豪くんちって、あの爆豪くんちだよね? うちの近所の」
「それ以外にどこがあんだよ」
「いやー……」
 爆豪くんの家には私も何度か上がったことがある。抱いた感想は、さすが若手注目株だけあるな、というものだ。新卒時代に無理をして借りたと聞いていたから、部屋にはじめて上がったときには思わず「本当に無理したねえ」とこぼして爆豪くんに怒られたのを今でも覚えている。
 部屋も立派ならば備え付けの設備も十分すぎるほど。ついでに言えば爆豪くんのセンスで選ばれた家具家電や最低限の調度品も、何から何までが「すごいねえ」と言いたくなるような代物だ。とにかく、総評としては二十代前半とは思えない具合に整っている部屋なのだった。
「いや、さすがにそれはちょっと──」
 言い淀む私に、
「どうせこっちの仕事は当分片付かねえし、片付いたところで東京戻っても家になんかろくに帰れねえよ。てめえもそんくらい分かるだろ」
 と爆豪くんが言い分を重ねる。その主張はかなり正論で、しかも私が先ほど爆豪くんに「こういう知り合いはいないか」と尋ねた条件に見事に合致していたものだから、私はただ「う、まあ、たしかに」と答えるしかなかった。実際、私だってこんな殺風景な部屋でもさして不便を感じないほど、家には碌に帰っていない。ほとんど寝に戻るだけのようなものだし、ひどいときにはそれだって仮眠室で済ませてしまっている。
 空き部屋でもさして不便ではない。だからこそ、逆に言えば爆豪くんの部屋でもきっと不便などまったくない──というのが、多分爆豪くんの主張であり思考だ。おそらく、爆豪くんは「女を部屋にあげる」とか「女である苗字に見られたら困るものがある」という意識は皆無に違いない。爆豪くんにとっての私という存在は、そういう存在だ。ありがたいことではあるが。
「職場の寮なんかよりセキュリティも何もかもよっぽどちゃんとしてんだ。うち使いやいいだろ」
 事もなげにそう言って、それから爆豪くんは低く一言付け足した。
「ただしちっとでも汚したら殺す」
「ういっす」
 もはや、断る理由がない。そんなわけで、私は爆豪くんとの通話を切ると、爆豪くんから預かっている合鍵──きちんと防火金庫に貴重品とひとまとめにして入れておいたので、預かりものの合鍵を火災で失うようなことにはならずに済んだ──をキーケースにつけ、今後の算段を付け始めたのだった。

 ──というのが、事の顛末だ。

「え、じゃあ今それで名前ちゃん爆豪くんちに住んどるの?」
「うん、なんか流れで」
 顛末というよりあらまし、流れとでもいうべきだろうか。お茶子ちゃんの驚いた声に、力なく答えた。
 気が付いたら自宅が燃えていて、気が付いたら爆豪くんの家をお借りすることになっていた。自分の意志で何かしたのは、せいぜい寮の空き部屋を借りるために申請をして事務に掛け合ったくらいのものだ。その掛け合って借りた部屋だって、ものの一週間で退室することになってしまった。なんというか、色々なことが目まぐるしく動いていて、自分でも何が起きているのかよく分からないくらいだ。
「なんか、仕事に追われているというのもあるけど……なんだかねえ」
 ふうと溜息をつくと、ここのところ溜りにたまった疲労感が空気にまじって肺から漏れ出てくるような気がした。久しぶりにお茶子ちゃんと顔を合わせたことで、どこか張りつめていた緊張の糸のようなものがふっとゆるんだのかもしれない。爆豪くんとの電話でも少しだけ心が軽くなる気はするけれど、やはりこうして顔を合わせて話をするのは事情が違う。
 取り皿にとったお好み焼きをつついていると、暫し黙っていたお茶子ちゃんが「そっかぁ」と何かをまとめるように発した。
「爆豪くんも随分まるくなったなとは思ってたけど、そっかぁ。名前ちゃんにとってはありがたい話だけど」
 言葉だけを聞けば場合によっては嫌味とも聞こえなくはないけれど、そこは話しているのがお茶子ちゃんなので含みのようなものは感じられない。だからこちらも特に何を思うこともなく、
「まあ、あっちも今彼女いないから」
 と返す。
「彼女いたらさすがにそんなこと言わないだろうし、私もさすがに遠慮するところだよ」
「だねえ」
 お茶子ちゃんも頷く。
 爆豪くんに彼女がいた時期もあるけれど、この一年ほどはそういう話はまったく聞いていない。爆豪くんに限って女の子遊びをするようなこともなく、私以外に親しい女の子の友達がいるとも聞いていない。そうでなければ私だって爆豪くんに部屋を借りるなんてことはしなかっただろう。
 爆豪くんが私のことを女と数えていないことはさておいても、私は爆豪くんのことを一応異性として数えている。ただ恋愛の土俵に上げていないだけで、爆豪くんはちゃんと私にとって男のひとだ。

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