カードゲーム

 彼女の遅めの昼休憩に合わせて食後のお茶を用意して厨房に戻ると、厨房の調理台を食卓がわりにしてサンドイッチを頬張っていた彼女が、
「ネロってカードゲームが強いんですか?」
 と、口の中のサンドイッチを飲み下し、やにわに俺に聞いてきた。その瞬間、悪い予感が背の真ん中をぞわりとせり上がり、俺は思わず眉間に皺を寄せる。
「なに? どこでそんな話聞いてきたんだ?」
「そんなに訝らなくても……」
 少しだけ申し訳なさげに眉を下げ、彼女はこぼした。こういうとき、相手の顔色を伺い過ぎる彼女の癖は、余計な言葉を交わさずともこちらの気持ちを汲んでくれてありがたい。
「どこっていうか、ブラッドリーに聞いたんですよ。さっきムルとブラッドリーが賭けポーカーをやってるところにたまたま出くわして」
「それでなんで俺の話になんの?」
「ブラッドリーが勝ってたようなので強いんですねって言ったら、ネロもそれなりの腕だって。ムルもそう言ってたので、てっきりそうなのかと」
 あいつら、余計なことを言ってくれる。大体、俺がカードで勝つときにはまっとうな勝負でないか、そうでなければ勝たされているかのどちらかだ。
「いや、まあ、うん。時々やるくらいで別に特別強いってこともねえと思うけど」
「あれ、そうなんですか?」
「そうそう、全然。言うほど」
 そうなんですかぁ、と露骨にがっかりした顔で、彼女はぱくりとサンドイッチに食いついた。
 昼食用のサンドイッチはもうほとんど食べ終わりそうだった。来たる夏に向け、どうやら食事の量を減らしているらしい。そんなことしなくても元から丸くもないだろうにと、そんなことを考えながら、俺は彼女の分の紅茶を淹れ、彼女の前に差し出した。
「ちなみにだけど、そういうあんたは?」
「何がですか? あ、紅茶ありがとうございます」
「カードゲームだよ。見た感じ、ゲームとか賭け事とか縁が無さそうだな」
「それは勝負事に向いてなさそうという意味ですか?」
「だってポーカーフェイスとか苦手じゃん」
 思っていることや考えていることは、大体全部顔に出てしまう。天性の正直者というべきか、彼女はとにかく隠し事のできないたちをしているのだ。
 しかし彼女は気分を害したふうもなく、それどころか嬉しそうに顔を綻ばせると顔の前で立てた人差し指をゆらゆらと振って見せた。
「ふふ、ネロは私を見くびっていますね? 実はこれでも、ポーカーの腕にはちょっと自信があるんですよ」
「へえ。じゃあ一丁やってみるか。今夜、仕事が終わったらどうだ? カードなら俺も持ってるから」
「いいですけど、今夜は寝かせませんよ」
「そういうの何処で覚えてくんの……?」

 その日の晩。カードのお供につくったつまみを食べながら、俺たちはふたりでポーカーに精を出していた。勝率は、彼女が八割というところだろうか。
「いやー、強い強い。思ってたより全然強いな」
「ね? だから言ったでしょう、これでも少しは腕に覚えがあるんです」
 今日は少しだが酒も飲んでいる。どうせ俺の部屋だし、酔って寝てしまってもそのまま寝かせられる。ほろ酔いと快勝が重なって、彼女は普段滅多に見ないほどの上機嫌だった。
「そうだ。折角ですし、私たちも何か賭けますか?」
 何度目かの勝利ののち、彼女はにこにこと言った。
「といっても、私には賭けられるほどの財産がないので……、ここは負けた方が何かひとつ、勝った方の言うことを聞くのではどうですか?」
「……それ、何でもいいの?」
「何でもいいですよ。どんな命令もありにしましょう」
「言ったな? よっし、やるぞ」
 袖をぐいっと肘までまくり、俺は身を乗り出した。
 ところで、ここまでの勝負の結果がこれほど彼女の勝利に傾いているのには、もちろん裏がある。端的に言えば、俺はイカサマをしていた。もっとも自分が勝つためのイカサマではなく、彼女を勝たせるためのイカサマだ。
 ポーカーを始めてすぐ、俺がこれまでやってきたポーカーと彼女のポーカーでは根本的に違うゲームなのだということがはっきり分かった。彼女はポーカーの最中、自分の手札と俺の顔くらいしか見ない。俺の手元などまったく眼中にない。イカサマなんてされないことは大前提、顔を見ているのだって表情から何かを探ってやろうという意図はないのだろう。
 要するに、彼女がしているのは純粋な運に多少の戦略を垂らした程度の、ファミリー向けゲームだった。

「はい、俺の勝ち」
「ぐう……」
 俺が開示した手札を見て、彼女は唸り声を上げた。大した手役ではないが、まあほとんど運頼みならばこんなものだろう。それでも彼女に勝てるくらいには、俺も場数と経験値を積んでいる。
「まぁ、まぐれだな。けど、勝ちは勝ちだよな?」
「そうですね……。ネロの勝ちです」
 渋々認めた彼女は、酒のせいでほんのり赤くなった瞳でじとりと恨めし気に俺を睨んでいる。俺はテーブルの上のカードを集めると、酒瓶からグラスに酒を注いだ。
「で、命令、何でもいいって言ったよな」
「えっ、あ、はい」
「何でもか。何でも。何でも、ねぇ」
 グラスの中身をゆらゆら揺らし、俺はじっくり彼女を眺めた。今夜は随分気分が良さそうな彼女だが、果たして何処までならば「うん」と言ってくれるだろう。このところ彼女の里帰りや俺の任務が続き、気付けば随分とご無沙汰なのだった。久し振りだし、ちょっとくらい羽目を外してみたい気もする。
「ね、ネロ?」
「何でもいいんだよな?」
「……な、何でもいいです、よ……?」
 念押しのようにしつこく尋ねると、彼女は不穏な気配を察知したのか、及び腰の返事を寄越す。なおもじっと見つめると、見る間にその目があたふた泳ぎ始め、やがて何か覚悟でもしたかのように、きゅっと口を引き結んで俺を見返した。
 その顔をとくと眺めているうちに──残念ながら俺の中の悪戯心は見る影もなく萎れてしまった。
「わかった。じゃあ週末は俺のつくったケーキを満腹になるまで食べること」
「え?」俺の命令に、彼女はきょとんとした顔をした。
「最近ダイエットとか言ってあんまり甘いもの食べてなかっただろ。俺もいい加減、気持ちよく完食するあんたを見たくてうずうずしてるんだ」
 これもけして嘘ではない。食事の量も控え目、甘いものは最低限。そのくせ俺のつくった料理やお菓子を物欲し気に見つめる姿ばかり見せられて、俺の方もそういう意味では欲求不満なのだった。
 俺の命令の内容に、彼女はあからさまにほっとした顔をした。
「分かりました。では週末は心を鬼にして、ネロを満足させる食べっぷりをお目に掛けますよ」
「おー、俺も腕によりをかけて振る舞わせてもらうよ」
 結局、こうなる。予定調和的な落としどころしか選べない自分に呆れながら、それでも俺は彼女がにこにこ笑っている姿に満足感を覚えてしまうのだった。

(20210429)

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