05

 店主さんに胸のうちを吐露した夜から、少しだけ、心と身体が軽くなったような気がする。その軽くなった勢いが萎んでしまわないうちにと、これまた少しずつではあるが、私は賢者の魔法使いたちとの交流を持つようになった。
 もっとも、積極的に魔法使いたちの輪の中に入っていくわけではない。あくまで挨拶のついでに一言二言交わすとか、何かの折に意見を求められれば答えるとか、私にできるのはその程度だ。
 これは私の内気で臆病な性格ゆえの距離感なのだが、そもそも人ならざるもの──魔法使いたちとの交流にはまだ気後れするというのも、この距離感を保っている理由のひとつだ。
 また、単に親しくするには身分差があるということもある。私が彼らとの交流にいまひとつ積極的になりきれない理由のひとつは、この身分差だった。
 ここは賢者の魔法使いたちが住まう魔法舎。魔法舎というからには、賢者様とカナリアさん、その御主人であるクックロビンさん以外、ここで暮らしているのは全員魔法使いだ。
 しかし魔法使いとひと口に言っても、ただ魔法使いであるというだけで生計を立てて暮らしているのは一部の魔法使いだけで、ほとんどは魔法使いであることとは別に職業や身分を持っているらしい。
 もっとも魔法使いであることを隠してお店を開いていた店主さんや、それこそ国中の人も魔法使いも統べるアーサー殿下のように、魔法使いであることと職業が関連しない方もいる。しかし魔法使いという人ならざる特別な力を持っているのだから、それを生活の糧に利用しようというのは、何も不思議なことではない。
 そういうわけで、メイドというか小間使いとして働いている私も自然と、彼らの社会的な立場や身分に合わせ、彼らの呼び方を変えている。たとえばヒースクリフ様を様付で、アーサー殿下を殿下と呼ぶように。それはごく自然に、社会の中の一員として生きている者として、当たり前のようにしていることだ。
 あるいは、私の家は古くから商売をやっている家だから、余計に身分や立場を重視する、そういう癖がついているのかもしれない──

 そんなことを思ったのは、雨の降りしきるある日のことだった。廊下の掃除中に雨粒が窓を打つ音が聞こえ、ついつい私はそのまま窓の外をぼうと眺めていた。
 私には、雨が降るたび思い出すものがある。それは声。雨のたびに身体の節々が痛むと呻いていた、父の声だ。
 ここのところは気持ちがいいほどの晴天が続いていたので、思い出すこともほとんどなかった。けれど今日は明け方から、ばけつをひっくり返したような土砂降りだ。
 その雨の音に父のことを思い出し、家業のことを思い出し、そのまま思考があらぬ方向に逸れていったのだ。
「はあ……」
 思考がまた父のことに戻ってきたことで、知らず識らずのうちに溜息が漏れた。
 父の逮捕を不当なこととは思っていない。裕福ではなかったとはいえ、我が家は困窮しきっていたわけではないのだ。つつましく過ごし、月に一度の外食を楽しみにするくらいの生活をしていれば、十分に暮らしていけた。窃盗をはたらいた上に他人に暴力をふるうなど、檻に入れられても当然の所業だと、娘の私でも思う。
 しかし肉親がやはり獄中にある身を思えば、多少は心配にもなる。頭に血が上りやすい人だったのはたしかだが、父はけして悪い父親でも非道な夫でもなかったはずだ。
 特に雨の街は降雨量も雨の頻度も多い。父が獄中にあっても、痛み止めの薬でももらえていたらいいと、思わずにはいられない。
「はあ……」
 何度目かの溜息をつき、私は廊下の窓から視線を外した。ぼんやりしていても仕方がない。早く掃除を終わらせなければ──
 と、一歩足を踏み出したところで、すぐ目のまえに大柄な男性が立っていることに気が付いた。危うくぶつかるところだったが、彼もまた、先程までの私のように窓の外に視線を遣っており、心ここに在らずといった様子だ。
 私がすぐそこに迫っていることに今ようやく気付いたのか、彼──ブラッドリーはどうでもよさげに私を見下ろした。
「お、お掃除失礼しますね、ブラッドリー」
 挨拶をすべきか悩んで、掃除中であることの断りだけ入れることにした。私の存在に気付いていなかったくらいだ。私が掃除をしていることなど、見ていても気が付かないかもしれない。
 私としても、いきなり埃を巻き上げてブラッドリーに怒られるのは嫌だった。北の魔法使いは力が強く、人格も穏やかではない魔法使いが多いと聞く。まして、彼は私が魔法舎にやってきたその日に、店主さんと並んで私の雇用に異を唱えた人物だ。
 ブラッドリーはじろじろと無遠慮に私の全身を眺める。やがて「ああ」と呟くと、鼻を鳴らしてにやりと笑った。
「お前、ネロの周りをちょこまかしてる新入りか」
「まあ……はい……」
「なんだ、辛気臭ェな」
 ブラッドリーの認識は間違っていないはずだ。しかし改めて言葉にされると、私が店主さんの迷惑も考えずに纏わりついていると言われているようで、あまりいい気分はしない。もっとも事実はその通りなのだろうから、私には声高に反論することなどできるはずもない。
 ブラッドリーが北の魔法使いで、本来ならば獄中にあるはずの盗賊団の首領であることは、すでにほかの魔法使いから聞いて知っている。こうして向かい合うと、傷の残った顔や如何にも粗野なふるまい、何よりこちらを値踏みし、見下し、ぞんざいに扱ってやろうという態度が透けて見え、どうしてもこちらも身構えてしまう。本当ならば、あまりお近づきになりたくないタイプだ。
 けれどその時、ブラッドリーからの無遠慮で無作法な視線に晒されながら、私は別のことを考えていた。
 犯した罪の重さや悪事への熱意、刑期こそ違えど、私の父とブラッドリーは等しく罪人という立場にある。それならば、ブラッドリーは私などよりもはるかに、父の今の暮らしぶりを知っているのではないか。
「ブラッドリーはたしか、元囚人、なんですよね」
 ためしに尋ねてみれば、ブラッドリーは不機嫌そうに顔を顰め、じろりと私を睨んだ。とはいえそれは不機嫌な心情のあらわれというわけではなく、単に目のまえの相手を威嚇しておこうという、彼の習性のようなものに見えた。
「元っつーか今も刑期明けたわけじゃねえけどな」
「牢獄の中というのは、どういう場所なんでしょうか」
「ああ? なんでてめえがそんなこと──」
 そこでブラッドリーは、はあん、と呟き、にやと笑った。私が答えるまでもなく、彼は自分の記憶の中に答えを見つけたようだ。
「そういや、お前、親父が投獄されたんだっけか」
「はい。だから、一応どんなところで暮らしているのかとか、多少は気になるというか」
 私の返事に、ブラッドリーはまたしても馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「んなもん知らねえよ。俺ほどの盗賊とてめえの父親みてえなチンケなコソ泥じゃ、捕まった後の処遇も刑期も違うだろ。おおかた東の国の牢に入れられたあとは奉仕活動でもして、刑期が明ければ普通に帰ってくるんだろうさ。ま、てめえらの故郷が元罪人をどの程度許容すんのかは知らねえが」
 そう言うと、ブラッドリーはどうなんだ、と言わんばかりの一瞥を寄越した。
 東の国──特に首都たる雨の街では、恐ろしいほど事細かな法律が法典で定められている。法典の内容を完璧に記憶しておくことは難しく、雨の街ではよその土地よりも逮捕される人間が多い。
 だが、実際に牢に入れられるほどの罪人はけして多くない。それは皆が法典を遵守して生活しているからだ。逆に投獄されるほどの罪を犯せば、それだけで社会的に白い目で見られるようになる。たとえ刑期を終えた後でも、その目は長く付き纏う。
 雨の街での窃盗の刑期はおおよそ五十年。そこに傷害も加われば、さらに数十年は刑期が伸びる。どのみち父が生きている間に戻ってくることはなさそうだし、戻ってきたとしても碌な生活はできない。
 だからこそ、父が牢獄の中でどんな生活をしているのか気になった。しかしブラッドリーの口調から推察するに、そう非人道的な扱いを受けることはないのだろう。それだけでも分かれば十分だった。
「なるほど、参考になりました。ありがとうございます。呼び止めてしまってすみませんでした」
 ふたたび頭を下げると、私は箒の柄を握りなおした。雨は依然激しく振り続けている。私の憂鬱も、父の状況も、何一つ変わらない。それでも何となく、身勝手ながら救われた気分になっていた。
 視線を下げたまま、私はブラッドリーの横を通り抜けようとする。しかし足を一歩踏み出したところで、
「待て」
 とブラッドリーが私を呼び止めた。顔を上げてブラッドリーを直視すれば、ブラッドリーはむっつりと眉根に皺を刻んで私を見下ろしている。
 ブラッドリーはほんの束の間、口を開くべきか否か悩み、躊躇っているように見えた。私は黙って、ブラッドリーの次の言葉を待つ。
 やがてブラッドリーは、さも忌々し気に舌打ちをひとつ打った。
「チッ……獄中の父親のことが心配なら、せいぜい此処で金でも貯めろ。どこの国の刑務所だろうが、大抵は金を積めば刑期は短くなる。刑期が短くならなかったとしても、その金を看守に握らせれば便宜を図ってもらえることが多い。もっとも、東の国でどの程度賄賂が通用するのかまでは俺様の知るところじゃねえけどな」
 ブラッドリーの言葉に私はかすかに目を見開いた。
 それは元盗賊の首領らしい、悪どい手段ではあった。しかし実際には今の私に実行可能な範囲での、限りなく現実的なアドバイスでもあった。それこそ賄賂にしなくても、刑務所内でだって金で買えるものはあるだろう。けれどその発想は私にはなかった。
 だから純粋に、単純に感心した。
 私が何も答えずにいると、ブラッドリーはむっとしたように恐ろし気な表情を作り、私に顔を寄せて凄んで見せた。小心者な私はそれだけでも足がすくむほど恐ろしかったが、不思議とブラッドリーからは私に害をなそうとする意思は感じ取れなかった。
「なんだよ?」
 恫喝でもするように凄まれ、ごくりと唾を飲み込んだ。その恐ろしさを前に、思ったことを正直に打ち明けるべきか否か、頭の中でぐるぐると思案を巡らせる。
 暫し悩んだ結果、正直に思ったことを打ち明けることにした。
「いえ、その……ブラッドリーもそういうことを考えるんだなあと思って、ちょっと驚きました」
「そういうことって何だよ」
「私が父親のことを心配しているかもしれない、とか。ブラッドリーはその、そういう情緒とはあまり縁のない人なのかと思っていました」
「なんかよく分かんねえけど、誉められてる気がしねえ」
「正真正銘の悪だと思ってた、という話です」
「じゃあ誉められてるのか。いいぜ、もっと誉めろ」
「はあ……」
 嘘は言っていないけれど、そこまであっさり納得されてしまうと、なんだか騙しているような気分になった。ブラッドリーは見た目ほど、恐ろしくて残忍な人ではないのかもしれない。少なくとも今こうして相対している分には、会話は成り立つし、少し面白くもある。
 向こうが遠慮なくずけずけ踏み込んでくるからか、こちらも余計に気を遣わなくていいような気がして、それで気楽なのかもしれない。
 ブラッドリーはけらけら愉しそうに笑っていたが、一頻り笑うと、まなじりに笑みを滲ませたまま表情を引き締めた。そして私の額に、刺すように人差し指を突き立てた。
「別に、俺は誰かを哀れんだりするわけじゃねえけどな。俺の周りに集まるやつらのみんながみんな、俺のように強く在れるとは限らねえ。そういうやつらを従えるには、そいつらが大事に思っているもの、大事に思う心を知る必要がある──って話、つい最近誰かにもしたな」
「誰かというと、賢者様とか?」
「ああ、そうかもな。ここでそんなくだらねえ話をするのは、てめえと賢者くらいのもんだろうし。てめえとは今はじめて口を利いたが、まあてめえも賢者と同類だな」
「はあ」
 私の頭の中に、人のよい笑顔を浮かべた賢者様の顔が浮かぶ。ブラッドリーがどういう意図で私と賢者様を同類としたのかは分からないが、少なくともそれは常識に則って考えれば悪いことではないようだった。
 異世界から来訪したという賢者様は、私のような取柄のない人間にも優しく接してくださる。見た目には賢者様も普通の女性にしか見えないのに、少し接するだけでも彼女が魔法使いたちを従えるべく選ばれた人間なのだということを、ひしひしと感じることができる。
 またしても自分の思考の中に沈んでいこうとした私を現実に引き戻したのは、私の額にあてられたブラッドリーの指先だった。つん、と額を弾かれて、私は数歩後ろにたたらを踏む。
「おい女、いいことを教えてやる。俺の親父はてめえの親父なんか竦んで震えあがるような、それなりに筋金入りの悪だった。俺様ほどではねえけどな。今となっては親父も死んじまったが……、とにかく、そんな話はどこにでも、掃いて捨てるほど転がってる。一族郎党全員善人なんてやつはそういねえし、親兄弟が罪人なんてやつも然りってな」
「なるほど……、つまり私とブラッドリーは同じ境遇だということですか……?」
「全然違う」
「ええ……?」
 きっぱりと否定されてしまい、思わず首を傾げた。ブラッドリーの言葉の意味を理解しあぐね、私は箒の柄に顎を乗せ呻く。
 と、その時。

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