番外編 その17

 とはいえ、俺に何かと気にしすぎのきらいがあるのは今に始まったことではない。直そうと思って直せるものでもなかった。考えても仕方がないことだ。そう割り切って、胸に淀んだものを溜息をともに吐き出す。
 ナマエはまだ来ない。もしかしたら、服を選ぶのに手間取っているのかもしれない。魔法舎へ来た頃はほとんど毎日同じ服を繰り返し洗って着ていたナマエだが、ここでの給金を少しずつ貯めては仕立て屋くんに衣装をつくってもらっている。賢者さんも交えて三人で楽しそうに衣装の相談をしているところを見ると、年頃の娘らしい楽しみができたようで何よりだと思う。
 ブラッドとつるんでいた頃にひと通り遊んだ俺と違って、ナマエは多分、そう遊び慣れているわけじゃない。外で友人を作ってどうこうということをしない分、ここで楽しみを見つけられるのならばそれに越したことはない。年齢差があるせいか、はたまた親元からあずかっているという意識があるためか、ついついそんなことまで考えてしまう。
 つらつらと思考を遊ばせながら、談話室のソファーに腰掛けぼんやり時間を潰す。と、そのとき、不意にやわらかな声が俺の名前を呼んだ。
「ネロ。何処かへ出かけるところですか?」
 何時の間にかリケが、俺のすぐそばに立ってじっとこちらを見つめていた。先程厨房にいたときにもリケとミチルの話し声が聞こえていたが、どうやら今はリケひとりだけのようだ。軽く頭を振って思考を切り替えてから、俺はリケに向かって肯いた。
「ああ、ちょっとパンを買いに」
「パン? ネロが焼いてくれるのではなく?」
「そこはまあ、いろいろあって」
「そうですか……?」
 不思議そうに首を傾げるリケ。そうしていると、本来の年齢以上に幼く見える。
「お待たせしました。あれっ、リケ」
 ばたばたと慌ただしく、ナマエが談話室の中へとやってくる。急いできたのか、髪がわずかに乱れていた。
「着ていく服がなかなか決まらなかった?」
「うっ、お待たせしてしまいましたか」
「いや、そういうわけじゃないけど」
「ネロと出掛けると思うと、つい色々考えてしまって」
「そりゃどうも」
 似合ってるよ、という言葉が喉元まで上がってきたが、それはひとまず飲み込んだ。今更恋人を誉めることが恥ずかしいわけでもないのだが、今はそこにリケもいる。人前で恋人らしい振る舞いをするのは自分らしくなかった。
 そのリケはといえば、入ってきたナマエを見て何故だか怪訝そうな顔をしていた。その顔に気付き、俺は内心首を捻る。ナマエはリケと仲がいいから、ナマエの登場にリケが訝し気にするのは珍しい。
「……ナマエも出掛けるのですか?」
 訝し気な顔のまま、リケは呟くように尋ねた。
「うん。ネロと一緒にパンを買いに行くんだよ。何か買ってきてほしいものはある?」
「いえ、僕は……」
 特に、何も、と。ぶつ切りの言葉を発しながら、リケは徐々に顔を俯けていく。思わず、俺とナマエは顔を見合わせた。一体全体、俺たちがリケに何か悪いことをしただろうか。心当たりはまるでない。それはナマエも同じようで、ナマエが俺に向けた顔には途方に暮れた表情が浮かんでいた。
「ええと、あの、リケ……?」
「……ナマエとネロに聞きたいことがあります」
 おそるおそる掛けた声に、リケは俯いたままで答えた。
「なんだ?」
「ふたりは恋人同士というものなのですか」
「えっ、どうしたの、いきなり」
「ミチルがそう言っていました」
「ミチルが……」
 ようやく顔を上げたリケは、俺とナマエをまっすぐ見据えていた。何か思うところがあるのだろうか。まさかリケに限ってそういう話をしてくるとは思わなかったから、俺は内心多少狼狽えていた。
 俺とナマエの関係はもはや魔法舎中で周知の事実になっている。あのミスラやオズまでもが知っているのだから、まあ全員もれなく知っているという認識で間違いないだろう。
 リケやミチルにそういう話をしたことはなかったし、ふたりから俺とナマエの関係について尋ねてくることもなかった。しかし子供といったって、ふたりとももう分別のつく年頃だ。世間を知らないリケはともかく、ミチルの方はすでに大人と同じように俺とナマエの関係を知っていてもおかしくなかった。
 しかしてリケのこの反応から察するに、俺とナマエの関係をミチルは察していて、リケは察していなかった──気付いていなかった、ということなのだろう。
 ナマエが目線でどうしたものかと尋ねてくる。束の間の思案のすえ、俺は正直にみとめることにした。
「まあ、そうだな。言葉にするのは気恥ずかしいが、恋人同士ってことで間違ってない」
「そうですね。たしかに」
 ナマエも俺に続く。実際付き合ってはいるのだから、嘘を吐く理由もない。
 しかしリケは、俺とナマエの反応にあからさまにショックを受けた顔をした。そして。
「そんな……」
「どうしたの?」
「ただれています……!」
「えっ、た、ただ!?」
「二人とも、ただれています!!」
 リケははっきりと、断固とした口調で俺たちに宣言した。
「司祭さまが教えてくださいました。堕落した人間は数えきれないほどの罪を犯すものだと。そして放蕩に耽る行いは数ある罪のなかでももっとも堕落した行いであると」
「リケ、難しい言葉を知っているんだね……?」
「放蕩に耽る……俺のことか……?」
 別に付き合っているというだけで、リケの言うようにただれた関係というわけではないのだが。とはいえ一応することはしている身であるから、まるきり潔白というわけでもないのだった。ナマエも困った顔で笑っている。多分、笑うしかないのだろう。
 それにしても、こうして神の使徒らしい言葉を話しているときのリケは、驚くほどに迷いが少なくきっぱりしていた。こういうリケを見るのは久しぶりな気もする。そして今この状況において、リケはただ義憤を感じているというわけでもないようだった。
 リケが俺のことを慕ってくれているのは知っているし、ナマエとリケの仲がいいことも知っている。となれば、慕っているふたりが堕落の道をたどろうとしていることに対し、憤り以上に悲しみを感じているのだろうか。リケの年齢ならば、そういうことがあってもおかしくはない。
「ふたりは放蕩に耽り、みだらな行いをしているのですか? 穢れているのですか?」
 責めるような言葉のわりに、リケの声は俺たち以上に途方に暮れているようだった。ナマエの眉も一層下がる。
「ええと、リケ……」
 声を掛けあぐねるナマエの気持ちも痛いほどよく分かった。何故ならみだらな行いはしているのだ。というか、めっちゃしてる。夜な夜なとは言わずとも、まあまあそこそこしてる。
 しかし流石にそこまで開けっぴろげなことを言えるはずもない。そもそもリケがどこまで具体的な「みだらな行い」を知っているのかも分からないのだ。迂闊なことを言って後から中央の国の魔法使いたちに叱られるようなことはしたくなかった。そういう話をするならルチルあたりが責任もってすべきだ。
 はてさて、この場をどう切り抜けるべきか。困り果てたナマエは声を掛けるのを諦めたのか、顔を赤くして申し訳なさそうな顔をしていた。果てしなく気まずい空気のなか、俺より困っているナマエを頼ることもできない。
 どうにか誤魔化しきらなければ。そう決め、俺が頭を回転させ始めたその時。
 突如として談話室に、神の使徒ならぬ救世主が現れた。
「リケ、それにネロ。何の話をしてるんだ?」
「カイン!」
 リケより先にナマエが、心底ほっとしたのか明るい声を上げた。その声につられ、カインの視線が辺りを彷徨う。
「おっ、この声はナマエだな。あんたもいたのか。悪いがここに触ってくれないか」
「あっ、はい」
 胸の高さで開いたカインの手に、ナマエがそっと触れた。あらぬ方向を向いていたカインの視線が、ようやくナマエの顔へと定まる。
 腰に愛剣を佩いたカインは、どうやら今ちょうど外から戻ってきたところのようだった。城にでも行っていたのだろうか。元騎士団長は、この国の王子に負けず劣らず何かと忙しそうにしていることが多い。
 俺とリケは今日はもうすでにカインに触れている。この場の全員の姿を確認できるようになったところで、カインがにこやかに切り出した。
「それで、何の話だ? このメンバーってことはおやつの相談とか?」
「違います。放蕩に耽り堕落の道をたどっているのか、ネロとナマエに確かめているところです」
 リケのきっぱりとした言葉に、カインがぽかんと口を開けた
「ほう……何だって?」
「放蕩です。享楽に溺れ身を亡ぼす愚かな行いのことだと、司祭さまから教わりました」
「なるほど、よく分からないが、ネロとナマエの陥っている大体の状況は理解した」
「察しがよくて助かるよ」
 乾いた笑いが喉からこぼれる。どうにかリケの追及を躱したいところだが、さりとてそのための名案が浮かんだわけでもない。神の使徒として清らかな、清らかすぎるほどの環境で暮らしてきたリケに対して、何がショックを与えるかの見極めをすることは困難だ。加えて適当に誤魔化すような言葉を捏ねれば、いつかリケにばれたときに信用を失いかねない。リケを傷つけないためには、どうにかして真実を部分的に話しつつ、うまく言いくるめる必要があった。
 この場で言えば多分、もっとも口がうまいのは俺だろう。ついでに言えば年長者でもある。だからどうにかして、うまいことやらなければ。
 そう思った矢先。
 思いがけず、カインがリケに向けて言葉を発した。
「なあ、リケ。リケは司祭さまを慕っていたんだよな?」
 カインの問いに、リケは一切の迷いなく肯いて見せる。
「司祭さまは僕に神の使徒としての務めを与えてくださった、高潔で立派な方です」
「そうだよな。それで、ミチルやルチルのことも好きだよな」
「もちろん。友達ですから」
「じゃあ俺やネロ、ナマエのことはどうだ? オズやアーサー様は?」
「もちろん好きですよ。カインには時々困らされていますし、オズは年長者なのにぼんやりしていますけど……」
「はは、それは悪かった」
 カインが爽やかに笑い飛ばす。俺とナマエはただ、話の流れを固唾をのんで見守っている。
 一頻り楽しそうに笑ったカインは、やがて笑われてむっとした顔をしているリケに、改めて視線を合わせなおした。そして眼差しを優しくゆるめると、今度は諭すようにゆっくりとした調子で話を始めた。
「そうやってリケに大切な人がいるように、ネロやナマエにも大切なひとがいる。そして大切の形にはいろいろある。たとえばリケが司祭さまに感じる大切さと、ミチルに感じる大切さは違うものだろ?」
 躊躇いがちに、リケが肯いた。カインもまた満足そうに浅く頷く。
「大人になると、その大切の種類がどんどん増える。大切な人が増えれば、大切の種類が増えるんだよ」
「それはどうしてですか? みんな大切ではだめなのですか」
「みんな大切でいいんだ。ただ、ひとりひとりに向ける大切の向きが少しずつ違う。友達と家族をどちらも同じく大切に思っていても、まるきり同じように大切というわけじゃないだろ? それは優劣とは違うし、悪いことじゃない」
「ですが、放蕩に耽るのは」
「ネロとナマエは放蕩に耽っているのか? すべきことを疎かにして、自分勝手に周りに迷惑をかけている?」
 リケの視線が、俺とナマエを順にとらえた。少しの間ののち、リケははっきりと首を横に振った。
「いえ、そうではないです」
「だろ? 恋人同士だからって放蕩に耽っているわけじゃないのなら、それでいいと思わないか?」
「たしかに、カインの言うことは分かりました。納得もしました。ありがとう、カイン」
「構わないさ。これで俺がリケを困らせたらしいことをひとつ、チャラにしてくれれば」
「それとこれとは話が別です」
 神の使徒らしく威厳たっぷりな顔をつくって、リケはカインの冗談を撥ね退けた。そうして「気を付けて出掛けてきてくださいね」と微笑むと、リケは機嫌よく談話室を後にした。残ったカインに、俺とナマエは礼を言う。
「助かったよ。俺たちじゃリケをうまく納得させられそうになかったからさ」
「そうなのか? ネロやナマエの話ならリケも聞いただろ」
「いえ、当事者が何を言ったところでちょっと言い訳っぽくなっちゃうじゃないですか」
「はは、たしかに」
 もちろん、それだけではないのだが、ナマエの言うことも事実だった。しどろもどろになりながらの説明は、却ってリケの不信感を煽るだけだ。その点カインの説明は一点の誤魔化しもなく、堂々としたものだった。元騎士団長という肩書は伊達ではない。
 俺がしみじみ感心していると、カインはそういえば、とちょっと眉を上げて言った。
「そういえば東の魔法使いたちは、明日から討伐任務だったよな。気を付けて、頑張れよ」
「ま、そこそこに頑張るよ」
「ネロらしいな」
 からりと笑ったカインの笑顔に別れを告げる。俺とナマエはようやく、噂のパン屋に向けて出発することにした。

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