番外編 その8

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 目を覚ました瞬間、悲鳴を上げそうになった。見知らぬ顔──それも種々様々な美形が勢ぞろいして、みんなで私の顔を覗き込んでいたためだ。
「えーと……」
 ベッドの上で身体を起こす。声を発してみると、からからの喉から掠れた声が漏れる。
 それでも私を取り囲む顔が、私が起き上がったことで一様にほっと安堵したのが分かった。
「やっと目ェ覚ましやがったか。フィガロがヤブなせいでまじで死んだかと思ったぜ」
「おいおい、自分の失敗を俺のせいにするなよ。元はと言えばブラッドリーとミスラが招いた事態だろう」
「この人も息を吹き返したことですし、俺はもう戻ってもいいですか?」
「待つのじゃ。ちゃんとごめんなさいするまで部屋を出てはならぬ」
「ミスラさん、ごめんなさいは?」
「……≪アルシム≫」
「あっこら逃げるでない!」
「おい、ミスラ! 何てめえだけトンズラここうとしてんだ!」
 やんややんやと言い合う彼らの姿に、目の前がくらくらと眩むような感覚に襲われる。一体何がどうなっているのだろう。何故私は美青年や美少年に囲まれているのだろう。ここは天国か?
 思わず額に手を遣れば、そばについていた金髪の少年が「大丈夫ですか?」と私の肩を支えてくれる。ここが天国なのであれば、彼はさしずめ天使だろう。
 いや、違う。ここは天国などではないし、金髪の彼も天使などではないはずだ。先ほどから繰り広げられている会話と、目の前に広がる不思議な光景。それらをすべて総合して鑑みるに──
「あのぅ」
 おずおずと挙手し、誰にともなく声を掛ける。瞬間、ぴたりと周囲の会話が止んだ。全員の双眸が私に向けられていることを自覚し、背中をうっすらと冷汗が伝う。
 からからの喉がぎゅっと締まるような居心地悪い空気のなか、私は勇気を奮い立たせて口を開いた。
「皆さんは、もしかして魔法使いなのでしょうか? ここは魔法使いたちの秘密のアジトで、これは魔法使いたちの集会のようなものなのでしょうか……? もしかして今まさに、私を取って食ったりする相談の真っ最中なのでしょうか……?」


 ★

 まことに信じがたいことなのだが、私は魔法舎という賢者の魔法使いたちが寝起きする施設で、メイドのような仕事をしているらしい。自分のことなのに「らしい」というのは如何にも他人事のようだが、自分ではその覚えがないのだから仕方がない。
 記憶喪失──ということらしい。目を覚ましたときに私が覚えていたのは、世界の仕組みと道徳やマナー、およそ生活するのに必要なこの世界の知識だけだった。そのほかのこと、たとえば自分の名前や出身地、あるいは私を困惑顔で見つめている面々の名前や顔などは、何ひとつ覚えていなかった。
 今しがた説明された事実をうまく受け容れられず、私はぼうと宙を見つめていた。脳が理解を拒んでいる気がする。この世界で魔法使いが人間たちに恐れられていること、年に一度の<大いなる厄災>と戦うための賢者の魔法使いが存在することは分かっていても、目の前にいるのがその賢者の魔法使いであることとは結びつかなかった。
 まして、自分が彼らと寝食をともにしているなど。自分がどんな人間なのかすら覚えていないのだが、少なくとも遠巻きにされる存在である魔法使いたちと率先して交流しようとするような、そういう人間ではないだろうことは何となく分かる。
「てめえ、女」
「はい」
 名前を呼ばれてもピンとこないが、自分が女だということは分かる。本来ならば無礼千万とでもいうべき呼び方だが、今の私にとっては最も据わりのよい呼び方で、ツートンカラーの頭の男性は私の顔にずいっと顔を寄せた。
「俺様はブラッドリー。北の魔法使いのブラッドリー・ベイン様だ。畏怖と尊敬と崇拝の念をこめて偉大な盗賊ブラッドリー様と呼べ」
「は、はあ」
 ブラッドリーさんというらしい男性は、そう言ってふんぞり返って笑った。その傲岸不遜な態度に、私は気おくれしてしまう。
「これブラッドリー、どさくさに紛れて道理に外れた要求をするでない」
「というかそんな頭の悪い呼ばれかたで嬉しいのかのう、ブラッドリーや……」
 ブラッドリーさんの横に控えていた小さな双子が、呆れたような声を出す。双子は私の視線に気が付くと、可愛らしく揃ってポーズをとった。
「ええと……?」
「そうじゃった。我らのことも忘れてしもうたのじゃな。我ら、可愛い双子の魔法使いじゃ」
「お姉ちゃま、親しみと愛情をこめてスノウちゃま、ホワイトちゃまって呼んでね」
「おいこらジジイ。てめえらも似たようなもんじゃねえか」
 先ほどのお返しとばかりに、今度はブラッドリーさんがうんざりした顔をする。どうにもよく分からないのだが、魔法使いたちというのは何だか自由に生きる人たちが多いようだ。
 私はぐるりと周囲を見回す。私を囲んでいるだけでも、十人ほどはいるだろうか。事情はよく分からないものの、とにかく名乗ってくれた魔法使いたちの名前から順番に覚えていくしかない。
「ええと。ブラッドリーさんに、スノウちゃん、ホワイトちゃん……?」
 教わったままに、呼んでみる。さすがに偉大ななんちゃらとは呼べないので、ブラッドリーさんのことは無難にさん付けで呼んでおくことにした。きゃっきゃと双子が笑い声を上げる。
「ほほほ、これは何とも新鮮で初々しい響きじゃのう」
「これはこれで満更でもないのう。どれ、当分そう呼んでもらうことにしようかのう」
 と、手と手を取り合って喜ぶ双子の後ろから、白衣を纏った長身痩躯の男性がずいっと割り込んだ。
「はいはい、おふたりとも。悪ふざけはそこまでにしてくださいよ。怪我人なんですからね」
 そう言って男性は、聴診器を手に私に見せる。お医者様なのだろうか。私の胸中を読んだように、白衣の男性はにっこり笑う。
「やあ、ナマエ。災難だったね。俺の名前はフィガロ。この魔法舎の頼れるお医者様だ。額はまだ痛むかな」
「そういえば、少し」
 じんと痛む額を手のひらで額を撫で、答える。信じがたいことだが、私は先ほど額を一発撃ち抜かれたという。本来即死していてもおかしくない──というか実際今際の際の一歩手前くらいまではいったらしいのだが、そこに手を尽くして救命してくださったのがこのフィガロ先生ということらしい。
 人当たりの良さそうな微笑みを浮かべたフィガロ先生は、私の前髪をよけて改めて額を検分すると、
「あとで薬草を出しておくことにしよう。記憶の方も外傷性だと思うんだけど、俺の見立てでは一過性のものだろうね。じきに思い出せるだろうからそう落ち込まないで」
 そうして私の肩をぽんぽんと二度叩いた。「はあ……」とつられて頷く。
「まあ、こんなときに限ってネロも賢者様もいないというのが、ちょっと間が悪かったけどね」
「ネロ? それに賢者様?」
 新しい名前だ。この場にはいないというふたりの名──ひとりは役職名のようだが──を耳にして、私の頭が鈍く、かすかに痛む。フィガロ先生はそれには気付かず、歌うように話を続けた。
「ああ、そうか。ふたりのことも当然忘れてしまっているんだね。賢者様はまあ、君の頼れる友人といったところかな。年の近い人間の女の子同士で、微笑ましく仲良くしていた相手だ。異世界からいらっしゃった人だからこちらの文字が読めなくて、君がよく本を読む手伝いをしていたんだよ」
 なるほど、自分にも同性の友人がいたことを知り、内心ひっそり安堵する。さすがにこの美形三昧に囲まれて女ひとりで生活するのは息苦しそうだと思っていたところだった。賢者様ということは私よりも立場が偉い人ではあるのだろうが、それでも友人のように付き合っていたと聞いてほっとした。
 賢者様が何者なのかは分かった。それではもうひとり──フィガロ先生の話しぶりからは私と親しくしていたらしい、ネロというのはどういう人なのだろうか。
 そんな私の無言の問いに答えてくれたのは、意外にもブラッドリーさんだった。
「ネロはてめえの男だ」
「えっ、わた、私の……」
「男」
「おっ、おと……」
 男。その短いひとことに、私の心臓がひっくり返ったような心地がした。驚きすぎて言葉を失くす私に、ブラッドリーさんは呆れたように言う。
「んな顔しねえでも、明日の晩には戻ってくる。そしたら嫌でも会えるだろうよ」
「い、いえ、あの、そういうことでは」
 ないのだが。しかし私が思いをすべて口にするより先に、ふたたびブラッドリーさんが口を開く。
「とりあえず、ネロが戻るまでは俺様がてめえの面倒見てやるよ」
「お、どういう風の吹き回しだ?」
 今まで黙っていたオッドアイの騎士然とした青年が、訝るように首を傾げた。そこに金髪の天使のような少年が同調する。
「そうです、おかしいです。もしかしてブラッドリー、何かナマエに酷いことをしようというのではありませんか? たとえばナマエを使ってネロの部屋の隠しおやつを盗んでくるとか」
「馬鹿、んなことするかよ」
 ガキじゃあるまいし、とブラッドリーさんが不機嫌そうに吐き出して。
 そして、私の頭を鷲掴みにして言った。
「てめえの頭吹っ飛ばしかけた弾はもとはといえば俺が撃ったもんだ。ミスラの野郎と違って、俺は義理や責任は果たす。原因の一端が俺にあるなら、まあ俺が面倒見るのがスジだろ。面倒くせえが」
 多分、本心から面倒くさがっているのだろう。私の頭を鷲掴みにする手には、容赦なく力が込められていた。頭の中がめりめり言っている気がするが、これが怪我人にする仕打ちだろうか。
 絶句する私。頭を鷲掴みにされ凄まれてなお「いえ、結構です」などと言える強靭な精神は、生憎と持ち合わせていない。本当ならばこの金髪の少年か、常識が通じそうな騎士然とした青年か、あるいはフィガロ先生の両脇にいる温厚そうな人たちのお世話になりたいのだが、そんな私の希望はないがしろにされたまま、話はどんどん進んでいく。
「ふむ、正論じゃな」
「原因の一端どころか、ブラッドリーがほぼ原因そのもののようなものじゃからな」
 双子が頷き合う。それはたしかにそうなのだろうが、ブラッドリーさんに人の面倒を見る適性があるとは思えない。この際双子の子供たちでもいいから、私に手を差し伸べてはくれないだろうか。悲嘆にくれた目で彼らを見つめたとき、ようやくブラッドリーさんが私の頭から手を離し、ぼそりと呟いた。
「それに、何かあったときにはこの女を頼むって言われてんだよ」
「……?」
 一体、誰に。自由になった首を傾げて辺りを見回す。私以外は全員ブラッドリーさんの言葉の意味が分かったのか、何故だか神妙な空気が流れていた。
 束の間、沈黙が落ちる。やがて、
「まあ、そういうことならブラッドリーに頼むことにしよう」
 騎士然とした青年がそう言って頷いた。その隣の見るからに貴い立場であろう白髪の青年も、やはりうんうんと首肯する。
「そうだな。今日のところは仕事も休んでゆっくりしていてくれ。自分たちのことは自分たちでやることにしよう」
「城に出てるカナリアに声を掛けますか?」
「そうだな。すぐには戻ってこられないかもしれないが、明日にはこちらに顔を出してもらえるようにしよう。その方が彼女も安心するだろうから」
 私ひとりを置き去りにして、話はすっかり纏まってしまった。三々五々に散っていく魔法使いたちの背中を、私は呆然と見送る。最後にひとり残ったのは、憮然とした顔をしているブラッドリーさんだった。
「そういうわけだ、つーか腹減ったな。飯食いに行くからついてこい、女」
 まったく意味が分からない。が、ブラッドリーさんがひとまず私の面倒を見てくれることだけは分かっている。どうにも物騒で荒くれものらしい風貌をしているが、私の面倒を見ると言い出してくれたこと、それに彼に一任することを皆が良しとしたということから、きっと信頼に足る人物ではあるのだろう。
 何より、何かあったら私のことを頼まれているという。誰に頼まれたのかは知らないが、その頼みを引き受ける程度には、彼は情に篤いのだと思う。
 すでに歩き始めたブラッドリーさんを追いかけるため、私は慌ててベッドをおりる。瞬間、頭がくらりと眩暈を起こし、身体が大きく傾いだ。振り返ったブラッドリーさんが、よろける私に慌てて手を貸す。
「そういやてめえ、頭撃ち抜かれてんだったな。いきなり立って歩かせるのは無理があるか」
「す、すみません……」
「担ぐぞ」
「えっ」
 答える暇もないままにブラッドリーさんに小脇に抱えられる。信頼に足る人物らしいという、ブラッドリーさんの評価が途端にあやしく感じられたが、もはや抗議の声を上げる気力もなかった。

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