誕生日

 ごろりとベッドに横になると、すぐにネロの腕が腰に回される。くすぐったさを覚えながら顎を上げれば、ネロの青みがかった琥珀の瞳が、やわらかく細められて私を見つめていた。
「今日は一日楽しかったですねぇ」
 先ほどまでの団欒の余韻にひたりながら、私はしみじみと呟く。
 九月八日。
 今日はネロの数百回目の誕生日だった。
 リケや東の国の魔法使いたちが主となって催し、私も準備を手伝ったネロの誕生日の宴は、ささやかで穏やかで、手作り感満載だった。派手さやきらびやかさはない。それでも誠心誠意、心のこもった宴は心地よく、末席ながらその宴に加えてもらった私もまた楽しいひと時を過ごした。
 私の呟きに、ネロが間延びした声を出す。
「そうだなぁ、こういうのは柄じゃねえと思ってたんだけど」
「今までネロのお店で誕生日パーティーをしたりはしませんでしたか?」
 ネロの店はけして大きくはなかったが、家族や仲間内でのパーティーくらいならばできるだけの十分な広さがあった。ネロは料理だけでなく甘いものを作るのもうまいから、頼まれればパーティー用のケーキだって何だって作れただろう。
「客のパーティーなら何度かやったことあるけど」
「ネロ自身のお誕生日パーティーは?」
「店主が自分の店で、自分の誕生日を祝ってどうすんだよ」
「そういうことする方もいると思いますけど」
「そりゃそういうやつもいるだろうけど、俺がすると思う?」
「しないですよね」
「そういうことだよ」
 目をすがめたネロが、小さく笑って私の背をとんとんと叩いた。なんとなく色気に欠ける触れ方ではあるけれど、それが今は嬉しくもある。ネロに心を許されているような気がする。
 私たちの故郷の雨の街は、何につけてもまずは法典の遵守が義務付けられる。法典で許されていないということを理由に、そこに住む人々はあらゆる言動を縛られる。
 家族以外に誕生日を祝われるということも、諍いの原因になるからという理由で禁じられていた。もっとも誕生日なんて個人的なことまでは流石に縛り切れないのか、こっそりと匿名でお祝いの言葉を届ける文化もあると聞く。
 ただ、私の場合は家族以外の誕生日を祝うのは、今日がはじめてだった。それも、特別な相手の誕生日だ。
 私の機嫌がいいことに気が付いたのか、ネロが「嬉しそうだな」と微笑む。
「もちろん嬉しいですよ。ネロの誕生日をはじめて祝った日ですから。私、はじめてのことってあんまり得意じゃないんですけど、ネロと一緒のはじめては嬉しいです」
「そりゃよかったよ。あんたに喜んでもらえれば、俺も誕生日を迎えた甲斐があったってもんだ」
 そう答えたネロは、しかしすぐにふっと表情に影を落とした。そして、
「あんたの誕生日に、俺は多分あんたみたいに喜んでやれないんだろうな」
 どこか乾いた声音と調子で、そんなことを零す。思わず私はネロの顔に手を伸ばすと、その頬にぺたんと手のひらを当てた。
「もう、すぐそういうことを言うんですから」
「当日になって浮かない顔されるよりいいだろ」
「そうですけど……」
 無論、ネロが言わんとすることは分かっている。要するに、誕生日をいくら迎えたところでさして変化のない魔法使いと、一歩また人生の終着地点に向かっていることを確認する人間とでは、誕生日の持つ意味合いが違うという話だ。永い時を生きるネロにしてみれば、たかだか数十年しか生きない私の誕生日が巡ってくるということは、どうしようもなく恐ろしいことに違いない。それは取りも直さず、ネロがいつか私に置いて逝かれる日が近づいていることでもある。
 ふっと部屋の空気が重くなった気がした。付き合うと決めたとき、この手の話は極力考えまいとしようと決めたとはいえ、折に触れて思い出し、考えてしまうのだから仕方がない。私もネロも口では何と言っていたって、問題を見て見ぬふりできるほど楽観的な性格をしていない。
 それでも、一緒にいると決めた。
 私はネロの誕生日を祝えることが嬉しいし、ネロだって、私の誕生日をまったくの心の底から祝うことはできなくたって、私が一年ネロのそばで生きたことを喜んでくれないわけではないはずだ。
「心配しなくてもその時が来たら、ネロはちゃんとお祝いしてくれると思いますよ。美味しいごはんを作ってくれて、おめでとうって言ってくれる気がします」
 胸中の不安や弱気は言葉にせず、努めて明るく言葉を返す。今日はネロの誕生日なのだ。暗い気持ちで一日を終えたくはない。
 果たして私のそんな思いが通じたのか、ネロは小さく笑いを零して言った。
「そう言えるように心の準備はしておくよ」
 そうして、ネロの指が私の髪を梳く。その心地よさに、私はうっとりと目を細めた。
「ネロ、来年の誕生日も、みんなで楽しくお祝いできるといいですね」
「そうだな」
 と、ネロは短い返事をして。
「さて、と」
 私の髪を梳く手を止めると、今度は強く、私の身体を抱き寄せた。
「『みんなで楽しく』の時間は終いだけど、そういえばあんたにはまだ、ちゃんとは祝ってもらってなかったな」
「えっ、でもお祝いの言葉ならさっき──」
「たしかに祝いはされたけど、恋人としてのお祝いはまだだよ。祝ってくれるんだろ? 結構楽しみにしてたんだけど」
 悪戯めかして笑うネロの瞳に引き込まれ、気付けばこくりと頷いていた。ネロが魔法で部屋の明かりを落とす。時計の針はてっぺんを回っても、誕生日の夜はまだ終わらない。

(20200908)

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