東の国のお茶会

「今後のためにネロに聞いておきたいことがある」
 前置きというにはいささか切れ味のよすぎる鎌を、ざくりと降り降ろすようにシノが言ったのは、東の国の魔法使いが顔を突き合わせてのお茶会でのことだった。魔法舎は夏季休業。一部の魔法使いたちはバカンスに出掛けているため、いつもの騒がしさも今日はまったく聞こえてこない。
「人間との恋愛ってどういう感じなんだ」
 続くシノの言葉に、俺はうっかり咽せた。幸い紅茶を噴き出すようなことはしなかったが、それでも動揺が手元にあらわれたのか、カップの中で紅茶が揺れる。
「どういう感じって……。なんだ? そのざっくりした質問は」
「シノ、きみ、好きな相手でもいるのか」
 ファウストも驚いたように、サングラスの奥の目を見開いている。
「俺じゃない。ヒースにそういう相手ができるかもしれない」
 しれっと答えるシノに反して、今度はヒースが驚き声を上げた。
「お、俺!?」
「そうなのか? ヒースクリフ」
「まったく身に覚えがないんですけど……」
 戸惑うヒースと、まったく動じていないシノを交互に見て、俺は訳が分からないなりに思案する。このメンツで恋愛の話なんてしたこともないが、考えてみれば年頃の魔法使いがふたりいるのだ。そういう話が聞こえてきても不思議ではなかった。
「この間ブランシェットのお屋敷に帰った時、旦那様がヒースに見合いの釣書を見せてただろ」
「おまえ、見てたのか?」
「たまたまな」
 つまりヒースが近々人間と見合いをすることになりそうなので、それならばと俺に話を聞こうというわけだった。シノの気持ちも分からないではない。ここには酸いも甘いも噛み分けた年長者から古老まで様々いるが、現在進行形で人間と恋愛しているのは俺だけだ。手っ取り早く話を聞くなら、俺か元々人間たちと暮らし人気もありそうなカインくらいだろう。
「ヒースクリフに見合いか……」
 やや平常心を取り戻したらしいファウストが、しみじみと呟く。俺たちの目から見ればヒースはまだまだ子どもだが、人間の、それも領主のひとり息子という立場ならば、たしかにそろそろその手の話が出ていてもおかしくなかった。
「俺はヒースの従者だから、たとえ生涯決まった相手がいなくても構わない。逆にヒースのためになると言われれば、よっぽどのことでもない限り誰とでも結婚くらいできる」
「俺はお前にそんなこと頼まないよ……」
「たとえばの話だ。だけど、ヒースは違う。ヒースはブランシェットの領主のひとり息子だ。当然いつかは奥方を迎えて跡取りをつくらなきゃならないだろ」
 ともすれば明け透けともとれる言い方だが、これもまた事実だった。少なくともヒースは魔法使いだからという理由で、跡取りの立場を追われたりはしていない。昨年の『大いなる厄災』への辛勝を受け、ヒースの両親が息子が無事なうちにと焦り始めていたとしても不思議ではない。
「身分の高い人間の結婚が必ずしも恋愛結婚じゃないことは分かる。だけどできれば、俺はヒースには旦那様と奥様みたいな夫婦になってほしい。ネロがそのためのヒントを持っているなら教えてほしいし、もしヒースが女にくびったけになることがあるとしたら、どういう感じなのか俺も知っておきたい」
 それだけ言うと、ようやくシノは紅茶のカップに口をつけた。自分の言いたいことはすべて話した、次はお前の番だとでも言いたげな強気の視線に、俺は思わず苦笑する。その苦笑は自然と、俺の正面に座っているヒースに向けたものになった。
「お前さんも大変だな、ヒース。だけど、俺にはお前たちに教えてやれることなんかないよ」
 はっきり断言すれば、途端にシノが眉を上げる。
「嘘だ。現にネロは人間とうまくやってるだろ」
「うまくねえ。まあ、たしかに拙いことはないな」
 ただ、それはあくまでも俺たちの間の問題で、俺たちの間の関係の話だった。それに俺たちだって、何もかもがうまくいっているというわけではない。魔法使いと人間でなくたって、小さな齟齬やすれ違いは日常茶飯事だ。それを都度話しあったり見て見ぬ振りしたり、あるいは妥協したりして、とにかく小さな調整や対処をし続けている。そうしてどうにか関係を保っている。その原動力がシノのいうところの首ったけになるほどの愛情というのなら、それも大きく外れているわけではないのだろう。
「けど、やっぱり俺から言えることはないな」
 繰り返した俺の言葉に、シノだけでなくヒースやファウストまでが何故と言いたげな目をした。ここではまるで、魔法使いと人間がうまくやっているというそれだけで、何かの希望の象徴のように見られることがある。そんな輝かしくて綺麗なものではないのに。
 そんな本音を苦笑で誤魔化し、俺は続けた。
「そもそも俺たちとヒースじゃ順序が違う。ヒースは婚約って形から入って相手を知るんだろうけど、俺たちはそうじゃない。だから参考にはならないよ」
 そうして空になったカップに紅茶を注ぎ足し、俺は小さく笑って見せた。
「大丈夫、ヒースもシノもその時がくればうまく立ち回れるさ」
「恋愛っていうのはうまく立ち回るとかそういうもんなのか?」
「まあ、多分」
 曖昧な言葉の理由は、俺もまだ何かを教えられるほどの関係を彼女と築けていないからだ。たかだか数か月の付き合いで訓示を垂れるほど、俺も驕ってはいない。
「いい相手に恵まれるといいな。ついでに先生も」
「余計なお世話だ」
 最後はファウストにオチを押し付け、その話題はそこで幕切れとなった。たよりにならない年長者として、俺はせめてヒースとシノ、それに必要であればファウストも、恋愛なんかで無意味に傷つくことがないようにと小さく祈った。

(20200914)

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