機織りバラッド後日談

(※本編完結後)

 そろそろ夜も更けてきたかという時刻、私はひとり、厨房の片づけに精を出していた。厨房の守り役であるネロが依頼で不在のため、今日の厨房の片づけはカナリアさんと私でしなければならなかった。カナリアさんは先程クックロビンさんと帰宅したため、今は私が最後の拭き掃除をしているところだった。
 そろそろネロは帰ってくる頃だろうか。今回はそう長くなる予定ではないとだけ聞いているのだが。そんなことを考えながらコンロを拭き上げていると、魔法舎のどこかから集団のざわめきのようなものが響いてきた。はっとして厨房から出ると、丁度今まさに、北と東の魔法使いたち、それに賢者様が戻られたところだった。
 輪の中にいたネロが、私に気付き寄ってくる。私は賢者様たちに遠巻きに頭を下げると、戻ったネロを労った。
「お疲れ様です。今回は塔のエレベーターは使わなかったんですね」
「ああ、今回はミスラがいたから」
「なるほど」
 そういえばミスラさんは空間移動の魔法が得意だったと、以前オーエンさんに聞いたことがあった。そんなことを思い出しながら、私はネロの服からのぞく腕や首筋、うなじなどをつぶさに検め始めた。
「どうした?」
 ネロが訝し気に問いかける。私はまだネロの全身を、あくまで服の上から分かる範囲で確認しながら、
「いえ、北の魔法使いの皆さんと一緒と聞いたので、またぞろ怪我でもしてきたんじゃないかと思っていたんですけど……でも、今回はそういうことはなかったみたいで安心しました」
 そう答えた。ネロが苦笑する。
「今回はそういう依頼じゃなかったからな。何かを退治したり、攻撃したりされたりっていうんじゃなかったんだ」
「そうなんですか。あの、ネロさえよければ、どんな依頼だったのか聞いてもいいですか? 私、お茶いれます」
 私の提案に、ネロはゆるりと頷いた。

 ネロから聞いた話では、今回は本当に剣呑な依頼ではなかったらしい。それどころかどこか風流というか、北の魔法使いたちの依頼と聞いて想像するのとはおよそ正反対の、雅やかな依頼のようだった。
「舞、ですか」
「ああ。ミスラとオーエンと、あとヒースがな」
「ヒースクリフ様の舞……」想像しうるこの世のあらゆる美しさを動員しても、なおヒースクリフ様の美しさには叶わないのではないだろうか──思わずそんなことを考える。「でも、ネロも踊ったんでしょう」
「まあ、一応……? いや、俺なんか本当に端役も端役だけど。分かるだろ」
「分かりますけど」
 貴人の家の出で、シノからの強力なプッシュもあったであろうヒースクリフ様と違い、ネロはあくまでも裏方を好む。むしろ舞に参加しただけでも物凄いことだった。人数の問題もあるのだろうが、それにしたって意外だ。
 私の胸中を読んだのか、ネロはわずかに眉間に皺を寄せた。
「なんだよ?」
「いえ。ただネロも舞を踊ったりするのだなあと思って。少し意外です」
 正直にそう打ち明けて、私は自分でいれたお茶をひと口啜った。ネロが踊るなんて意外だ。けれど、似合わないわけではないと思う。いや、むしろ──
「端役といったって、ネロはかっこいいし、料理をしているときの身のこなしを見ていても、うん、何となくきれいな舞だったんだろうなっていうのは分かります。繊細で、洗練されていて、無駄がなくて、それに楽しそうですし。料理中のネロって、ほぼ舞を舞ってるみたいなものですよね?」
「いや、それは違うだろ……」
「そうかなぁ……」
 納得しない私を見て、ネロが呆れたように笑った。
「ったく。相変わらず聞いてるこっちが気恥ずかしくなるくらい誉めてくれるよな」
「だって事実ですから。でも、料理中のあれは舞とは別物だとすると、私はネロの舞を見たことがないんですよね」
 ネロのことなら大抵どんなことでも知りたいが、舞などそうそう見られるものでもない。依頼を受けて魔法使いとして参じた先でのこととはいえ、その場に自分が居合わせられなかったのはやはり口惜しいものがあった。
 と、ここでネロが意外な言葉を口にした。
「よければ、今ここで踊ってみせてやろうか」
「えっ、いいんですか」
 思わず目を瞬かせてネロを見る。ネロは悪戯めいた顔で笑い、「誰もいねえしな」と言いながら椅子から腰を上げた。そして、
「ほら」
「えっ」
 流れるような仕草で手をとられ、私も椅子から立ち上がらされる。気が付けば、そのままネロに半ば振り回されるようにして私は身体を動かしていた。
「わっわっ、ちょっと待ってくださいネロ! 私、舞なんか踊れないですよ!」
 ステップを踏むなんて立派なものではない。たたらを踏むだとか、地団太を踏むだとか、とにかくステップ以外の別の何かを踏むような、無様な足さばきだった。優美とは程遠い。それでもネロは気にすることもない。どういうわけか、今夜のネロはやけに機嫌がよさそうだった。
「いいんだって。こういうのは適当に身体動かせばそれっぽくなる」
「そ、そんな大雑把な、ブラッドリーみたいなこと言わないでくださいよっ」
「ブラッドリー?」
 その瞬間、ネロが私の背に腕を回す。そして大きく私の背を逸らせた。ネロの支えなしでは倒れてしまいそうなほど、私の身体がしなっている。
「ね、ネロ」
「ブラッドリーみたい、なぁ。そんな嬉しくねえことを言うのは誰だ?」
「えっ、うわぁっ」
 ネロが私の腕を引く。ようやく身体の軸が縦になったかと思えば、今度はくるりとその場で回された。不意をつかれたせいで私の身体は大きくぐらつき、視界の速度で目が回る。
「あはは、よく回る」
「う、うう……なんてことするんですか……」
「こういうとき、賢者さんの元居た国では『あーれー、お助け』って言うらしいぜ」
「そ、そうなんですか……?」
「なんかパーティーの余興? みたいな話だった気がする。うろ覚えだけど」
「それで、どうなるんですか?」
「たしかペアの男が『よいではないか』とか何とか、合いの手を入れるんだっけな」
「……それ、本当ですか?」
「まあ、娘を襲う悪漢を演じる舞、みたいなもんじゃないのか? 分かんねえけど」
「伝統舞踊?」
「多分……?」
 ネロの物言いも、大概あやしい。多分適当に聞いていた話をうろ覚えのままで口にしているせいだろう。しかし賢者様の元いた世界とこちらの世界では何かと様式が違うから、私たちには理解できないことでも賢者様の世界では常識、ということもありうる。
 暫し、私とネロは見つめ合う。やがて心を決めた私は、ひとつ咳払いをして言った。
「ええ、では。ごほん。はい、大丈夫です」
「よし、行くぞ」
 言うなり、ネロが景気よく私を回す。私は頃合いを見計らって、できるだけ哀れっぽい感じで声を出した。
「あーれー、お助けー」
「よいではないか」
 もはや何が何だかよく分からないが、賢者様の世界ではこれが伝統舞踊なのだろう。私たちは今、ささやかな異世界の文化体験に興じていた。
 が、楽しんでいたのも束の間。
「何やってんだ、てめえら」
 食堂に柄の悪い声が響き、私とネロはぴたりと動きを止めた。
「ゲッ、ブラッドリー……」
「なんだそれ、ダンスか? 根暗と根暗がくっつくとそういうことになんのかよ……」
「う、うるせえ!」
「俺には分かんねえ世界観だぜ」
「忘れてください、ブラッドリー……」
 本心から引いた顔をしているブラッドリーを目のまえに、羞恥の許容量が限界を突破した私は情けなくもその場にくずおれた。

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