ネロとシノ

(※本編完結後)
(※ネロ視点)

 夜な夜な俺の部屋を訪れてくる相手といえばある程度顔ぶれは決まっている。今夜二人目の来客であるシノは、部屋に入ってテーブルを一瞥するなり呆れたように小さく息を吐いた。
「また来てるのか、あいつ」
「ああ、まあ」
「こう毎晩一緒にいて、よく飽きないな。あいつも、ネロも」
 テーブルに突っ伏すように眠っているのは、紆余曲折のすえにうっかり恋人の座におさまってしまった、同郷の彼女だった。今夜も俺の部屋に来たはいいものの、先程俺が小用で席を外していた間に、そのままテーブルで眠ってしまったらしい。起こしてベッドに動かそうと思った矢先のシノの来訪だった。
 ナッツの素焼きを小皿に盛って出してやる。シノは空いた方の椅子に躊躇なく腰を下ろすと、ぽりぽりとそれを齧った。その様子をキッチンに体重をあずけて見るともなく眺めながら、ふとシノの言葉を繰り返す。
「飽きる、か」
「なんだ?」
 きょとんとした顔のシノに俺は苦笑した。
「おまえさん、ヒースと一緒にいて飽きる日があるか?」
 途端にシノはむっとした顔をする。
「は? あるはずないだろ。だけど、俺とヒースは一蓮托生の主従だ。ネロたちとは違う。一緒にするなよ」
「はは、そりゃ悪かった。たしかにな」
 シノの言うことも一理あった。俺はあっさり謝って、それからシノに向けていた視線を、自分の腕を枕にして突っ伏しているナマエのつむじへと向けた。
 シノのことを子供だと思う反面で、ナマエのことは女として扱っている。俺から見ればシノと彼女の年の差など、ほんの誤差の範囲内でしかないのに、都合の悪い事実には見て見ぬふりをしている。
「けど、まあ飽きるなんてことはないよ」
 胸中に芽を出す不安とも罪悪感ともつかない何かに目を瞑り、俺は先程のシノの問いに答えた。シノはナッツをつまみながら、「へえ」と、どうでよさそうな返事をする。
「シノ、おまえさん今いくつだっけ」
「十七だけど」
「そうか。若いよな」
 しみじみと呟けば、これもまたシノの顰蹙を買ったようだった。
「……年長者ぶった説教ならいらないぜ」
「いや、そういうんじゃねえけどさ」
 そう前置きをして。俺はシノの隣に寄ると、皿からナッツをひと粒とって口に放り込んだ。口の中でぼりぼりと音を立てるナッツを俺が飲み込むのを、シノがじっと黙って待っていた。
「おまえさんにとっての一年の長さは、今までの十七年間のうちの十七分の一だろ」
「なに当たり前のこと言ってるんだ」
「俺にとっての一年は、人生の中でのたった数百分の一だよ」
 シノの赤い瞳が、惑うように揺れていた。多分今のシノにはまだ、言葉の意味を理解することはできないだろう。想像はできても、理解はできない。それはナマエにしても同じことだ。ナマエが何度覚悟を口にしたところで、それが完全な理解のもとの覚悟となることはない。俺は多分、ずっとナマエを騙しているような気分を味わいながら、それでも手放せず、こうやって日々を繰り返していく。
「数百年のうちの短い時間だから、飽きることはないって?」
 シノのざっくりとした要約に、俺はやはり苦笑まじりの首肯を返した。
「まあ、そういうことかな。この短い夜を何回繰り返したって飽きることはないし、多分十分だ、もういいなんて思える日も来ないんだろうなと思うよ」
 先に好きだと言ったのはそっちなのだから。
 俺はあんなにやめておいた方がいいと示したのに。
 そんな免罪符を用いながら、何度も、ずっと。
 果たしてシノが、俺の言葉に混ざった自嘲や悔悟、それに大人げない執着心にどれほど気付いたのかは定かではない。しかしシノも、若いながらも立派に東の魔法使いだ。それ以上話を掘り下げようとすることもなく、空になった皿に向かって「ご馳走様でした」と手を合わせた。そして、
「それ、俺じゃなくて本人に言ってやれよ。喜ぶぜ」
 と妙に大人びた調子で言う。
「そうだな。ま、気が向いたらかな」
 そうして小腹を満たしたシノを部屋から送り出すと、俺はドアが閉まったのを確認してから、テーブルに突っ伏し続けているナマエに意地の悪い声を飛ばした。
「さて、それで、いつまで寝たふりしてる気なんだ?」
 うう、と小さなうめき声が漏れた気がしたが、それでもナマエが顔を上げることはなかった。俺に見えるのは依然として彼女のつむじだ。それでも、小さく肩が震えているのが見て取れた。
 恋人になる前は滅多に涙を見せないナマエだったが、ここのところはよく泣く気がする。それがいいことなのか悪いことなのかは判然としない。が、多分、俺は彼女を泣かせる悪い男なのだろう。
「まだ顔上げない?」
 重ねて問うと、ナマエが小さく頷いたのが分かった。
「……ネロに見せられるような顔してないので」
「そうかい。俺はシノの食べたもんの後片付けしてるから、落ち着いたら言ってくれ」
 それからしばらくして、キッチンに立つ俺の背にしがみつくようにして抱きついたナマエは、まだ洟をすすっていた。俺にできることなどせいぜい、腰に回された彼女の両手を払いのけることなく、自らの手を重ねてやるくらいなのだろう。そんなことを、ぼんやり考える。

(20200806)

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