01

 店主さんと少年──リケという名前らしい──に連れられていったのは、魔法舎という、何やら立派な建物だった。今の賢者の魔法使いたちは、皆ここで共同生活を送っているらしい。店主さんが雨の街から去ってしまったのも、ここで生活するように求められたからだという。
 そう聞くと、私などは単純なので「そのせいであの素敵なお店を閉めなければならなくなったのか」と思ってしまう。さすがに言葉にはしなかったが、私の考えていたことなど筒抜けだったらしく、店主さんが苦い顔で笑った。
 通された魔法舎の食堂で、久しぶりに心ゆくまでお腹を満たした。雨の街で食べて以来に味わう店主さんの食事の味は、以前と変わらず、いや以前よりもどこかあたたかみを増して、じんわりと心と身体を満たしていく。ただ腹を膨らませるだけの作業としての食事ではない、心の通った食事にありつくのは久しぶりだった。最後に料理の味を感じたのは、一体いつだっただろうか。
 いつのまにか食堂にはほかの魔法使いたちも集まっていた。年も背格好も風貌も様々だが、総じて若く見えるのは彼らが魔法使いだからだろう。見た目の年齢よりも彼らがずっと長生きだという話は、以前にどこかで聞いたことがあった。
 私に向ける彼らの表情は様々だ。しかし私の来訪を迷惑がる顔はあっても、私そのものに悪感情を抱いていそうな顔はひとつもない。
 やがてひと心地ついた頃、私の食事をじっと見張りでもするように見守っていたリケが、
「それで」
 と切り出した。私をここに連れてきた者として、ひとまずはリケがこの場を代表しているようだ。
「それで、貴女はどうして行き倒れの寸前のようになっていたのですか」
 食後のお茶を運んできた店主さんも、何も言わないが興味ありげに私に視線を寄越す。私はお礼を言ってからお茶を受け取ると、
「元住んでいた街──というか東の国に、いられなくなってしまって」
 恐る恐る答えた。
「それで、何処か新しく暮らす場所を探していたところだったんです。急に出てくることになったものですから、路銀もあまり用意できず……」
「ただ引っ越しってわけじゃないんだろう?」
 店主さんが横から口をはさむ。
「いられなくなったっていうのは、また何とも剣呑な感じだな」
「実は父が──投獄されてしまって」
 そう言った瞬間、店主さんとリケが同時に顔を顰めた。慌てて私は顔の前で手を振る。
「あっ、でもそれは仕方がないことなんです。父は窃盗を働いたうえに現場に居合わせた人に怪我を負わせてしまったそうですから。東の国でなくても投獄されても仕方がないというか、薄情に聞こえるかもしれませんが自業自得というか……それに、私は食事をご馳走してくださったあなた方に何か危害を及ぼそうとか、悪事を働いてやろうというつもりはありません」
「そういう心配はしてないけどさ……」
 店主さんの言葉は歯切れが悪い。その続きを引き継ぐように口を開いたのは、やはりリケだった。
「罪を犯した者が然るべき場所で罪を贖うことは当然です。ですが、貴女自身が悪いことをしたわけではないのでしょう? どうして無実の貴女まで街を──国を追われなければならないんですか?」
「それは、彼女の出身が東の国からだろうな」
 私に代わって答えたのは、ゆったりとした襟巻に帽子と色眼鏡を掛けた男の人だった。彼の言葉に私も頷く。
「罪人の家族ですから、どうしても雨の街にはいづらくなってしまって……。東の国は閉鎖的で排他的な国柄ですし、こう、村八分的なことも起こりやすいんです。ブランシェット領で暮らす親戚を頼ろうかとも思ったのですが、東の国はそういう土地ですから、ほかの地域にもすぐに噂が広まってしまうんです」
「そういう話は珍しくない。だから残された家族がほかの地域の親戚をあてにしようにも、巻き込まれたくない親戚がそれを拒むというのもよくある話だ」
「はい。そうなんです」
 襟巻の男性は、東の事情に精通しているようだった。店主さんと同じく、彼も東の国の出身なのかもしれない。
「それでも母だけならば引き受けてくれると言われたので、母はブランシェット領にある自分の実家に戻りました。多分しばらくは外出もできないと思います。それでも、住む場所と食べられるものがあるだけましというものです」
「君の母親は娘を置いて自分だけ実家に戻ったのか」
「いえ、私が母にひとりで実家に戻るようお願いしたのです。ふたりで新しく暮らしを立て直すより、私ひとりの方が何かと身軽ですし。それに、母はあまり身体が丈夫ではないので」
 そして実際、それは正しい選択だったのだろう。母は私に持てるだけの路銀を持たせてくれたけれど、それでも中央の国までやってくる頃にはそれもかなり心許ない額にまで減っていた。これで母とふたりとなると、旅はさらに厳しいものになっていたはずだ。
「それで、ナマエさんはどうして中央の国に?」
 次の問いを投げかけたのは、私のはす向かいに座っている女性だった。先程リケが「こちらは賢者様です」と紹介してくれた。私とそう年の変わらない、こう言っては悪いが如何にも綺麗なお嬢さん風な彼女が、この館に集う魔法使いたちを束ねる偉大なる賢者様だとは私には信じられない。
 そのやわらかな雰囲気にほだされ、私もいくらか舌の回りがよくなる。
「東の国を出てくるときには、本当は中央の国を通って、南の国に行くつもりだったんです。南の国の方はおだやかな気風で、よそ者にも親切にしてくださると伺ったものですから。それに、これは私のイメージですけれど、人の後ろ暗いところを暴こうという人が少なそうだなと思って」
「そうですね。旅人さんには親切にします」
 今度は中性的な顔だちの、たおやかな雰囲気の男性が同意した。彼は南の国の出身なのだろう。直後、その隣に立った白衣を羽織ったこれまた温和そうな男性が、何度かの首肯ののちにやや眉尻を下げた。
「でも、南はよくも悪くも牧歌的でのんびりしているからね。正直、外から来た女の子がひとりで住むにはあまり向かないと思うよ。仕事もそう多くはないし、あってもほとんどが肉体労働だ」
「肉体労働はかまわないんですけど、でも、やっぱりそう甘くはないんですね」
 白衣の男性の言葉に、私はひとつ溜息をついた。
「南には働き口が少ないというのは、私もここまでの道中で聞きました。たまたま途中の宿で一緒になった人が南の国の出身で。それで、働き口を探しているのならば中央の国の方がまだいいんじゃないかって。アーサー殿下のお膝元ですし。それに、一度は王都を見てみたかったので」
 これでようやく賢者様からの質問の答えに辿り着いた。早い話が、私は職を求めて中央の国にやってきたのだ。大陸の中心に位置する国だけあって、中央の国は人も物も溢れている。南の国とは違う意味で、中央の国はいちいち隣人の素性を暴き立てようとすることもないだろう。そんなことをしている暇もないほどに、この国では皆忙しそうに、そして愉しそうに人々が暮らしている。
 私のことを眺める顔が、一様に納得した表情になった。これでも父親が罪人だと告白するのには勇気が必要だったので、そのことを糾弾されないことにほっと安堵の息をつく。それと同時に、そろそろ潮時だとも思った。
 食事を恵んでもらった恩としてつまらない話をしてしまったけれど、ともかくこれで此処での用は済んだ。今夜の宿も今から探し、質を問わなければ、屋根の下で眠ることくらいできるだろう。職探しは明日以降にするとしても、早く宿探しをしなければ野宿をする羽目になる。いくらここが都会だからといったって、女ひとり旅での野宿はできれば避けたいところだ。
 そろそろ、と私が口を開こうとしたその時、暫く黙っていた店主さんが、私より先に口を開いた。
「そういうことなら、魔法舎見学もできて満足しただろ? さっさと出ていかないと何処の宿屋もいっぱいになっちまうぞ」
「ネロ!」
 リケが咎めるように声を発するけれど、私は首を横に振ってそれを制した。
「店主さんの仰るとおりです。つまらない話を長々としてしまいすみませんでした。そろそろお暇させていただきますね。食事とお茶と、お菓子までごちそうさまでした。とっても美味しかったです」
 そう言って、私は椅子から腰を上げた。ふかふかの椅子は座り心地がよかったけれど、これ以上座っていると長居してしまいそうで少し怖かった。
 そんな私に声を掛けたのは、意外にも賢者様だった。
 賢者様は、茶色の瞳をまっすぐに私に向けると、視線とはうらはらの考えながら都度紡ぐような調子で、私に語りかけた。
「ナマエさんは住む場所も働き口もないんですよね? だったら、魔法舎で住み込みで働いていただくというのはどうでしょうか」
 その申し出に、何故か店主さんがぎょっとしたように目を見開いた。私にとっては有難くも申し訳ない申し出に、私は勢いよく首を振って遠慮の気持ちを示す。
「い、いえ、お言葉はありがたいのですが、私は魔女でも、まして魔法使いでもありません。賢者様のように特別な力も持ってはいません。ここで雇っていただけたとしても、皆さんのお役に立てることはないかと……」
「そんなことはないです。私は年の近い女の人がいてくれたら、それだけで助かることがたくさんあります」
「年の近い女性っていうならカナリアさんがいるじゃないか」
 店主さんの言葉に「いいえ」ときっぱりした反駁の声が続く。その声は、何時の間にか食堂に入ってきていたエプロンドレス姿の可愛らしい女性が発したものだった。
 店主さんの怪訝そうな視線を無視して、エプロン姿の女性は私を囲む魔法使いたちの輪を押しのけやってくる。そうして賢者様のそばに立つと、その茶目っ気たっぷりにきらきらした目をこちらに向け、にこりと微笑んだ。
「失礼ながら、話はそこで聞かせてもらいました。私も、ナマエさんには是非魔法舎においでいただきたいです。何せこの広い魔法舎を掃除するのは私ひとりなんですよ。いくら皆さまの私室は皆さまでお掃除いただいてるからといったって、人手があるに越したことはありません。食事だって、ネロさんが手伝ってくれるとはいえ私がメインで作ることも多いですし」
 思いがけない反論を受け、店主さんは眉根を寄せると口をつぐんだ。束の間、食堂に沈黙が落ちる。その沈黙を破ったのは、リケよりもさらに年若い──幼い双子の男の子たちだった。
「アーサーはどう思うのじゃ? ここの人件費や予算は中央の国が持っているわけじゃし」
 話を振られ、白髪の青年──その顔は田舎者の私ですら知る、中央の国の貴い方、アーサー殿下だった──は思案した様子で、
「私はここで賢者様やほかの皆さんが心地よく生活していただけるなら、もうひとりくらい手伝ってくれる人を雇ってもいいのではないかと思いますが」
 と遠慮がちに答えた。
「決まりじゃな」
「決定じゃな」
 口々に双子がはしゃぐ。もはや私の意見などは決定材料にもならず、最後はアーサー殿下の一言で私の身の振りが決まったと言っても過言ではない。そのくらい、私の意思は問われていなかった。
 頭がクラクラする。
 私が魔法使いたちの館で、暮らすことになる?
 そんな馬鹿な。
 けして魔法使いを蔑視するわけではないけれど、さすがにこれは想定外の展開だ。あまりのことに全身からさっと血の気が引いていく。反論しようにも、すでにこの場では私の採用が決まりかけていたし、何よりただの住所不定の女がアーサー殿下の決定に楯突くなど、考えただけで気が遠くなりそうだった。
 が、私が真っ青になっているのを見かねて──というわけではなさそうだが、店主さんが私の採用に再び異を唱えた。
「おいおい、ここで暮らしてる俺たちの意見は聞かないのか?」
 その声に、見るからに悪そうな風情の男性も同調した。
「そうだ、俺は御免だぜ。使えるかも分かんねえ人間の女が俺の周りをぶらつくなんてよ」
「げ、ブラッドリーと意見が合っちまうとは……」
 しかしそんな反論も、双子の少年たちはあっさりと一蹴する。
「構わんじゃろ。ネロはともかく北の魔法使いたちは、どうせ人間の女の子がひとり増えたことになんて言われなければ気付きもしないじゃろうし」
「むしろ言われても気付かなさそうじゃし」
 物騒な見た目の男性は、双子の意見に盛大に舌打ちをした。反対派のふたりに与する者はそれ以上現れなかったことで、店主さんも自分がこの場の少数派であることを認識したようだった。もの言いたげに溜息をつくも、それ以上は何も言わない。
「ナマエさんはどうですか?」
 ここでようやく、賢者様が私に尋ねた。それは今まで私をここで採用することが主流意見であったことなど窺わせない、何も押し付けることのないさらりとした響きの声だった。その声を聞き、私はようやく気付く。今の今まで交わされていた議論は、私がここに留まることもここを去ることもできるように、その下地をつくってくれていただけなのだ。
 ここを去るというのならば引き留めはしない。けれどここで働きたいというのであれば自分たちは喜んでそれを受け容れる──そういう姿勢を示してくれていたのだ。
 ごくりと、私は唾を飲み込む。
 そうは言ってもやはり、賢者様だけでなくアーサー殿下にまで意見を賜り、もはやこれで私に引くなどという選択肢が許されているとは思えない。それにこれが私にとっては最善で最良の申し出であろうことは、もはや疑いようのない事実だった。
「あの、私は──私は、店主さんさえよければ、是非」
「ネロ?」
「店主さんは、昔の知り合いが近くにいるのは嫌なんじゃないのかなと」
 そう言って、私はちろりと店主さんの表情を窺った。先程までの話し合いで、店主さんが私をここで雇うことに否定的であることは分かっている。だからこそ、最終的な判断は店主さんに委ねたかった。
 物騒な男性のように見知らぬ相手ならばともかく、店主さんという多少なりとも知っている相手に嫌がられながら居座るというのは、私にとっては望むことではない。無論、私のこの言い方がずるいことは分かっている。けれど、これ以上の良い聞き方がほかに思いつかなかったのだから仕方がない。
 果たして、店主さんは私をここに連れてきたときと同じように、うんざりした様子で溜息をついた。
「知り合いというほど俺たち親しくもないだろ」
 そして面倒くさそうに視線を寄越すと、
「いいよ。俺はほかのやつらがいいのなら、文句は言わない」
 と如何にも納得していなさそうな声音で意見を呑んだ。
「じゃあ今度こそ決定ですね」
 賢者様が、テーブルごしに私の手を握る。私はまだ店主さんの顔を見つめていたが、店主さんはもう話は済んだと言わんばかりに、魔法使いたちの輪を脱して食堂を出ていった。

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