24

 パーティーの会場となる店は、魔法舎と中央の王城のちょうど中間あたりにあった。まだ正式なオープンはしていないそうだが、ほとんど準備は整っているように見える。ガーデン席も設けられており、垣根の向こうからは楽しそうな声が聞こえてくる。
 開け放たれた門の前にはアンティークものの黒板が置かれ、そこに「本日貸し切り」の札がぶら下がっていた。アーチに絡まるつるバラの匂いが、夕暮れの風に乗って香ってくる。
「へえ、いい店だな。立派だけど偉そうな感じがしなくて、通りすがりの客も入りやすそうだ」
 門をくぐりながら、感心したようにネロが言う。かつては自分の店を持っていた身としては、やはり他人の店の構えも気になるのだろう。
 料理屋は料理だけ美味しければそれでいいわけではない、というのは、食事にまつわるあらゆることに細やかな気配りをするネロの普段の様子を見ていれば自ずと知れる。いくら立派で豪華な店構えであったとしても、客を気おくれさせるような雰囲気の店はネロの料理とはそぐわない。
 その点、この店はネロから見ても及第点なのだろう。たしかにネロの言う通り、洒落てはいるが鼻につくような感じはしない。
 ガーデンではすでに何組かの招待客が談笑していた。様子を窺いながら進んでいくと、こちらに気付いた男性がひとり、にこにこと人の好さそうな笑みを浮かべながら私たちの方に歩み寄ってきた。
「やあ、ネロ! 本当に来てくれるとは思わなかったよ!」
 線の細いネロとは違い、しっかりとした体つきの男性だ。見た目の年齢だけで比べれば、ネロよりも少し年上くらいだろうか。がっしりとした腕と見るからに固そうな手は、ネロと同じく料理人の手だった。
 気さくに肩をたたかれたネロは、何ともきまりが悪そうに笑った。さすがに中央の国の出身だけあって、今日のホストは随分とフレンドリーなコミュニケーションの方法を用いるタイプらしい。根っから東の国の出身であるネロが居心地悪そうにするのも仕方がない。
 とはいえ、ネロもけして嫌がっているわけではないようだった。
「来ない方がよかったか?」
 皮肉るような言い方だが、そこにはちゃんと親愛の情が感じられる。店主の方もそれを分かっているらしく、またネロの肩を叩いてからりと笑った。
「君は相変わらずだなぁ。そんなはずないだろう? さ、今日は飲んで食べて楽しんでいってくれ。俺がつくった料理はどれも自信作ばかりだぞ!」
 と、そこで店主はネロの隣の私に目を留める。彼は少しばかり不躾な視線をこちらに寄越したあと、やはりさっぱりとした笑顔で、
「ん、失礼。そちらの女性は、たしか東の国でお会いしたことがありましたね?」
 と私に手を差し出した。その手をとり、会釈をする。
「本日はお招きいただきありがとうございます。私、ナマエ・ミョウジと申します。以前は雨の街の貴族のお屋敷で手伝いのようなことをしておりましたので。どこかでお会いしていたかもしれません」
「そうでしたか。いや、ネロが女性をちゃんと連れてきてくれるとは嬉しいな。今日は楽しんでいってくださいね」
「ええ、ありがとうございます」
 次なる客人を迎えるため、店主は颯爽と去っていく。その姿を安堵を胸に見送っていると、隣のネロが私の腕を軽くつついた。
 見上げると、ネロは何故だか呆れたような顔をして私を見下ろしている。
「あんたが貴族のお屋敷に出入りしてたなんて知らなかった」
「言ってませんでしたっけ」
 店のフロアに面した大窓に向かいながら、私は首を傾げた。店の中心には大きな丸テーブルが配され、その上に何種類もの料理が並べられている。
 ここの給仕らしい女性が、ぴかぴかに磨き上げられたグラスを私とネロにも渡してくれた。せっかくなのでもらったスパークリングワインは、天井のシャンデリアの光を受けて泡をきらめかせている。
「出入りといっても、通いで家の中のことを手伝ったり子守りをしたり、その程度ですけど。はい、これネロのお皿」
 取り皿を手渡しながら、視線を料理に走らせた。どれも美味しそうに見えるから、何から取っていいものか迷ってしまう。
「こういう時って何から食べていいものか、迷っちゃいますね」
「何でも好きなもの食べたらいいんじゃねえか。一応冷たいものから、とかいう話はあるけど、別に誰も見ちゃいないし」
「ネロが見てるじゃないですか」
「俺は育ちが良くないんでね、まあ適当にやるよ」
 そう言いつつも、ネロはきちんと冷たい前菜から皿に盛る。私も真似て、同じものをお皿にとった。
 ガーデンに出ていた招待客たちが店内に戻ってくる。壁際に寄って見ていると、店主が短い挨拶の口上を述べた。その言葉に耳を傾けていると、ネロが「それより」と小声で話しかけてくる。
「それより、さっきの話の続きは?」
「さっきの話って?」
「だから、東の国にいた頃の話。そういや家族の話は聞いたことあるけど、あんた自身の話ってあんまり聞いたことなかったな」
「それ、ネロが言いますか?」
 他人のことにはあまり興味がなく、自分の話はほとんどしない。ネロの方こそ、ネロ自身の話なんてろくにしないのに。
 ふくれっ面をした私の反論にも、ネロは何処吹く風で平気な顔をしている。家族の話も故郷の話も、古い知り合いの話だって──ネロのことなら私はなんだって教えてほしいのに、ネロは肝心なことは何ひとつ教えてはくれない。
 それでも、私の話に興味を持ってくれたことは嬉しかった。
 これみよがしに溜息をつき、私は小さく口を開いた。
「別に、普通ですよ。さっき言った通り、貴族のお屋敷で働いてはいましたけど、それも元々は母が家政婦をしていたお屋敷なので、ほとんど親戚のような感覚ですし。それだけです」
 その勤め先にしたところで、父が投獄されたことで、暇を出されてしまったわけで、とは言わない。そんなことを言ったところで仕方がないし、何よりネロならわざわざ口に出さなくても、そのくらいのことは想像がつくだろう。魔法使いであることを隠して東の国で暮らしていたネロならば、少しでも法典の定めた枠を逸脱した者──異端の者がどんな扱いを受けるのか、嫌というほど知っているはずだから。
 案の定、ネロはもの言いたげな視線を床に向け、「そうか」と簡素な返事をしただけだった。思いがけず重くなっていた空気を払拭すべく、私は空元気の笑顔を浮かべる。会場はちょうど、店主が乾杯の音頭をとったところだった。
「それよりネロ、美味しそうな料理がこんなにもあるんですから、折角ですし色々食べましょう」
「そうだな。何か料理のヒントになるもんがあるといいな」
「ネロは何でも作れるんじゃないんですか?」
「何でもは無理だって」

 それから暫く、ネロと共に美味しい料理に舌鼓を打ちながらパーティーを満喫した。招かれているのはみな店主の知人ばかりで、中には中央の国の騎士団の制服を着た男性なども混じっている。ネロのように飲食店を経営していると思しき風体の人もちらほらといたが、大多数は店主が個人的に親しくしている友人たちのようだ。そのためか、パーティーの雰囲気も和やかそのものだった。
 皿がからっぽになったので、ネロから離れて料理を取りにいく。ネロによれば、置いてあるお酒のセンスもいいらしい。生憎お酒に強くない私にとっては、もっぱら食べることばかりが楽しみだ。
 前菜からメインまで、かなり色々な料理を少量ずつ食べた。ひと通り、とまでは言わずとも、八割くらいの料理はいただいたんじゃないだろうか。どれも看板料理にするのにふさわしい、味と雰囲気を兼ね備えた料理ばかりだった。
 それでも、ネロが作ってくれた料理の方が、私にはやはり美味しく感じる気がする。
 もちろんここの料理の方が好きだと思う人はいるのだろうし、味の好みは人それぞれだ。どちらの方がより優れているという問題ではないし、そもそも私は料理の良し悪しが分かるほど、料理というものに詳しくはなかった。
 ただ、ネロの料理の方が私の舌に馴染む。ほっとして、あたたかくて、懐かしい気分になる。以前ネロに「いつまで俺の料理が一番だって思ってくれるのか」と言われたことがあったが、一番とか二番とか、多分もうそういう位置にネロの料理はないのだ。そのくらい特別で、そのくらい当然そこにあってほしいもの。それがネロの作ってくれる料理。
 そんなことを思いつつ、給仕から新しい皿を受け取って、ケーキをふた切れ皿に載せた。さすがに胃もたれするのでふたつは食べられないが、ネロと半分ずつなら二種類もいけなくはないはずだ。
 ふと視線を下すと、ネロのスーツと同じ濃紺のドレスの裾が目に入る。浮かれた気分に足取りも軽く、ネロのもとに戻ろうとしたとき、ちょうど招待客の男性がひとりネロに声を掛けるのが目に入った。
 男性は私に背を向けており、私からは彼の表情などは窺えない。ただ、ネロの表情が時折見せるうっすらとした作り笑いだったことから、けして話していて楽しい相手との会話ではないのだろうことは想像がついた。
 暫し、その場で様子を窺う。今すぐネロのところに戻ってもよかったが、ネロにはネロの躱し方もあるだろう。ネロは私の方に身体を向けているから、遅かれ早かれ私に気付くはずだ。私をだしに会話を切り上げたいだとか、とにかく何かあればネロの方から私に呼びかけてくるはずだ。
 そう判断し、私はネロたちから少し離れた場所でケーキをつつく。耳をそばだてふたりの会話を聞き取ると、どうやら男性は今ようやくネロが誰なのかを思い出したところのようだった。
「そうだ、思い出した。あんたはたしか雨の街で料理屋をやっていた魔法使いの──」
「久し振りだな」
「あ、ああ……」
 ネロの笑顔は冷ややかだ。勿論彼も客商売をしていたわけだから、ひと目見て本心の笑顔ではないことを悟らせるような真似はしない。けれど数か月ネロのことばかり目で追い続けていた私には、それが仮面のような笑顔であることが分かってしまう。
 あれは、私がまだ魔法舎に来て間もないころにネロに向けられていたのと同じ笑顔だ。中身の伴わない、かどを立てないためだけの笑顔。
 そんなことを思っている間にも、ふたりの会話は続く。
「どうしてあんたがここに?」
「店主とたまたま中央の市場で顔を合わせてね」
「そうだったのか……」
 そう呟いた男性の声は、多少の固さを残しながらも、けしてネロを──魔法使いを忌避するような声ではなかった。雨の街の店を知っているということは、恐らくは東の国の人間のはずだ。ほかのどの国よりも魔法使いを厭う東の国の国民が、ネロに対して忌み嫌うような態度をとらない。それはこの中央の国の雰囲気にあてられているのか、それとも私と同じようにネロの料理に惚れこんでいたのか──
 どうやら男性は、後者のようだった。
「あんたの料理、うまかったな。大きな声では言えないが、俺はあの街の料理屋だったらあんたの店が一番のお気に入りだったよ」
「そりゃどうも」
 しみじみと、まるでネロの料理の味を思い出すかのように、男性は深く溜息をつきながら言う。ネロも苦笑いを浮かべてはいるが、先程までの仮面のような表情ではなくなっていた。男性の言葉は、どう聞いても世辞の類ではなさそうだった。
「中央の国では魔法使いとして働いてるんだろ? もう料理屋はやらないのかい」
「どうだろうね。まあ、当面その予定はないよ」
「そうか……」
「だからここの店を中央の国での贔屓にしてやってくれよ。俺もさっき料理をいただいたけど、あいつ昔よりも腕を上げたよ」
「ああ、そうだな。うん、美味しい料理ばかりだ」
 話の流れが和やかな方向に向かったことを確認して、私はそっとふたりに背を向ける。ネロが魔法使いであることを理由に難癖をつけられてはたまらないが、ひとまずその恐れはなさそうだ。それよりも、東の国──特に雨の街の住人であれば、私の方こそできるだけ顔を合わせたくはない。ネロと男性にばれないよう、こっそりと距離をとる。
 と、そのまま人の輪の中に混じろうとしたそのとき、
「あれ、ナマエ。何してんだ」
 ネロが気付いて、私の名前を呼んだ。ネロが呼んだ私の名前を、男性が訝し気に繰り返す。
「ナマエ……?」
 無視するわけにはいかなかった。皿とグラスを落とさないように注意して振り返る。
 ようやく見えた男性の顔は、残念ながら私にも見覚えのある顔だった。雨の街で、うちの近所に住んでいた本屋の主人。幼いころから何度も通った本屋だったから、私もよく覚えている。
 少ない小遣いを握りしめて本を買いに行くと、主人はよくおまけにお菓子や、時にはノートなどの文房具をくれた。もちろん、代金以上の品をおまけとしてつけることは法典で禁じられている。しかし主人は、昔からずっと子供たちに優しかった。そんな主人のことが私も好きだったから、おまけのことはけしてほかの大人におまけの話を告げ口したりはしなかった。
「あんた、ミョウジの娘か」
 主人と目が合う。
「……こんばんは」
 先に目を逸らしたのは、私の方だった。俯けた顔の、額に刺さるような主人の視線が痛い。ネロは私と本屋の主人の間の空気が悪いことに気が付いているのだろうが、事情が分からないためか、口を挟むに挟めないでいるようだった。
「なんだってあんたがこんなところにいるんだい」
 咎めるような声に、心がすっと冷たくなった。努めて平静を保ったまま、私は口を開いた。
「今、賢者の魔法使いの方々にお世話になっているんです。今日は日頃の労いにと、特別な温情をネロさんから賜りまして」
「はあ? おい、何言って」
 私の突飛な言い分に、ネロが素っ頓狂な声を上げた。しかし、本屋の主人は私の短い説明で納得したようだった。納得というよりも、溜飲が下がるというのだろうか。この主人の感じている感情は、恐らくはそういう類のものなのだ。東の国の人間に染みついた、習性として抱く感情。
 私もよく、知っている。
「そういうことなら……」
 主人はそういうと、私から視線を外した。そうして吐き出すように、
「それでもこんなところをふらふらしているもんじゃないぞ、囚人の娘が」
 と付け加える。ネロが肩を揺らしたが、ネロが何か言うより先に、私が「そうですね」と瞳を伏せたままで頷いた。
 本屋の主人はそれで気が済んだらしい。結局はネロにももの言いたげな視線を向け、さっさとその場を立ち去った。
 その後ろ姿に、ネロが食って掛かろうとする。
「ちょっと、あんた──」
「ネロ」
 咄嗟にネロの腕をとり、彼の動きを制した。私を見下ろすネロに瞳には、憤りと困惑がゆらりと滲んでいる。「囚人の娘」という言葉で、ネロも大体の事情は察しただろう。そしてきっと、思い出したはずだ。私がどうして東の国を出なければならなかったのか、私が何故魔法舎でお世話になることになったのかを。
 ネロが私のために腹を立ててくれていることは分かる。しかし、相手は東の国の人間だ。ただでさえ魔法使いのネロに対していい感情を抱いてはいなかっただろうに、それをネロの料理の腕前が覆したのだ。私のために怒ったりなどしたら、せっかくのネロの料理の評価まで下がってしまうかもしれない。
 もしももう二度とネロが雨の街でお店を出すことはないとしても。もう二度と、あの主人がネロの料理を口にすることはなかったとしても。それでも、私のせいでネロの料理に不当な評価がついていいということにはならない。
 掴んだネロの服の袖をぎゅっと握る。まっすぐにネロの目を見据えると、私ではなくネロの方が居心地悪そうに眉根を寄せた。
「大丈夫です。それに、せっかくのパーティーですから。ネロのお知り合いのお店の開店をお祝いするパーティーに、私のせいでケチをつけるようなことしたくないんです」
 ネロの瞳がかすかに泳いだ。この場で諍いを起こし、パーティーの主催者である知人に迷惑をかけたくない気持ちはネロだって同じだろう。いや、店主とは今日がほとんど初対面に近い私などよりも、同じ料理人として少なからず店主と付き合いのあったネロの方が、その気持ちが強いのは当然だ。
 むっつりと口を噤んだネロに、私はようやく袖を離すと笑いかけた。
「すみません。私ちょっと外で涼んできますね。ネロはここにいてください」
「いや、そういうわけには」
「お願いですから」
 引き留めかけたネロの手が、私の手を握ることなく空を掴む。呆然としたネロの顔は、もしかして傷ついているのだろうか。そういえばネロの手を拒んだのは、これがはじめてかもしれない。
 しかしネロはすぐさま、その感傷を瞼の裏にしまいこむ。ゲストとして招かれたこのパーティーで、自分がどのように振る舞うべきなのか、ネロは正しく理解していた。そのことに、ほっとする。自然と笑みがこぼれた、
「私は大丈夫です。ファウストさんにいただいた呪い返しのお守りもちゃんと持ってますから!」
 それでは、と呟いて。
 私はネロに背を向けると、人気の少なくなったガーデンへと足早に立ち去った。

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