23

 ある日の夕刻のこと。夕食の最後の仕上げをカナリアさんに任せたネロが、食堂でテーブルをセッティングしていた私のもとへとやってきた。
 私は首を傾げる。というのも、ここ暫く、ネロとは元の通りの距離感でうまくやっている。気まずげに首の後ろをかきながら、私に何をどう言うべきかと悩んでいるようにやってくるのは、少し前にあったスープのにおいの晩以来のことだった。
「なあ、ちょっと聞きたいんだけど」
「なんでしょう?」
 ネロが、さりげなくテーブルクロスを直しながら言った。それが私の仕事の手落ちを指摘するものではなく、無意識の手慰みのようなものだということは分かっている。余程言いにくいことなのだろう。作業の手を止め、ネロの方へと向き直った。
「パーティーとかって、興味ある?」
「パーティー、ですか」
「無理なら断ってくれていいんだけど」
「ま、まだ何も聞いてないも同然なんですけれども」
 私の突っ込みに、ネロが苦り切った顔をする。重苦しい溜息をついたのは、できれば話したくないことだったからだろう。パーティーなんて華やかな響きの話題とはうらはらに、ネロの顔はあまり楽しげではない。
 それでも、結局ネロは話を始めた。
「東の国で料理屋をやってたとき、わりあい近所で店を出してたやつが、今度中央の国に出店するらしくて。この間たまたま市場で買い物してるときに、そこの店主と会ったんだ。それで、明日の晩にオープニングパーティーをするから来ないかって言われて」
 明日の晩とはずいぶんと急なことだ。しかしネロが「この間」と言っているから、実際に話を受けたのはもう少し前のことなのだろう。最近は私からネロに距離を取ったりもしていたので、言うにしてもなかなか機会がなかったのかもしれない。
「ははあ、そういう横のつながりがあるんですね」
 適当な相槌を打ちながら、私は話に耳を傾ける。
「まあ、一応。ほとんどのやつは俺が魔法使いって知って疎遠になったけど」
「あ……、すみません」
 慌てて頭を下げる。ネロが苦笑した。
「いいよ。そうなるだろうと分かってたから、魔法使いであることを隠して店をやってたわけだし。どのみちもう何年かしたら店をよそに移さなきゃいけなかったから、縁もそこまでだったしな」
 ネロの言葉に暗い響きはない。多分、今本人が言った通り、ある程度の覚悟を持ってお店をやっていたのだろう。あるいは魔法使いだと知られたうえで店をやっていくわけでもなく、今は賢者の魔法使いとして中央の国を拠点にしていることも、ネロの心を救っているのかもしれない。
「でも、その再会した店主さんは、ネロのことを魔法使いだと知ってても誘ってくれたんですね」
 うん、とネロが頷いた。
「そいつは元々東の国の人間じゃなかったからな。料理人を目指して色々な国を旅して回ってて、東の国にいたときも、店を任されてはいたけど雇われ店長だったみたいだし。それがようやく、故郷の中央の国で店を出せたっていう話らしい」
「故郷に錦を飾るってやつですね」
「そうだな」
 分かりにくいが、ネロの表情が少しだけやわらかくなった気がした。同じ料理人として、自分の店を出すことができる喜びには共感するところがあるのかもしれない。
 とにかく、ネロが東の国で親しくしていた料理人仲間とこの中央の国で再開し、そして開店記念のパーティーに招かれているのだということは理解した。ネロはあまり過去のことを語らず、友人の話などもしない。東の国でのことというと、長命のネロにとってはごく最近のことのうちに入るのだろうが、いずれ過去の話であることには変わりない。
 私はてっきり、ネロならば昔の友人のことも、今の自分とは関係のない過去のこととして切り捨ててしまうかもしれないと思っていた。しかし私の予想に反して、ネロは魔法舎にくる以前の知人との再会を喜んでいるふうだった。ふむ、と私は思案する。
「事情は大体わかりました。でも、何故そこで私にお声がかかるんですか?」
 ネロの知り合いに誘われているのだから、ネロがひとりで行けばいいのではないだろうか。知り合いに誘われたのだと言えば、賢者様とて駄目とは言わないだろう。
 魔法使いたちにとって、魔法舎での共同生活は半ば義務のようなもの。しかしだからといって、それぞれの行動を極端に抑制するものではないはずだ。ひとりで出掛けてはいけないなんて、それこそ子供でもあるまいし。
 いや、目下ひとりでの外出を禁じられている私が言うのも何なのだが。
 私の疑問に、ネロはまた溜息をつく。
「そこがちょっと面倒くさい話なんだけど……、パーティーの出席は男女一組でっていうルールらしくて」
「それで私に? あの、賢者様とかお誘いになったら喜ばれると思うんですけども」
「いや、賢者さんはその日、南の魔法使いたちと任務でいないんだよ」
「そうでしたか」
「たしかそのはず。声掛けてないから間違ってるかもしれないけど」
 なるほど、と答えながら、私は内心で悶え呻いていた。
 ネロに対して「近づいたと思ったら離れていく」と半ば愚痴めいた苦言を呈したのは、つい最近のこと。とはいえ、ネロの距離感の作り方は彼が長年の人間との生活の中で培った、彼も周りも傷つかないようにするための最善の策なのだろうということは私にも分かる。だからその距離感に対して、たかだか二十年かそこらしか生きていない人間の私がどうこう言うつもりはない。
 しかし、これはいくら何でもいきなり近づきすぎなんじゃないだろうか。
 パーティーに一緒に行くって、相当親しくないとおかしいと思うのだが、ネロはその辺りのことをどう思っているのだろう。私はもう、この誘いをどう受け止めるべきか分からずにかなりいっぱいいっぱいになってしまっているというのに。
 ネロは、私のネロへの気持ちを知っていながら、どうしてそんなお誘いをするんですか──よっぽどそう尋ねてしまいたい衝動に駆られながらも、なけなしの自制心で衝動を抑えこむ。
 ごほんとひとつ咳払いをして、私は改めてネロの顔を見た。私が問うまでもなく、ネロも気まずげで、何処か困惑しているような顔つきだった。
 ネロは私にどうしてほしいのだろうか。行くと行ってほしいのか、断ってほしいのか。それにネロの思惑がどうであるにしろ、私も私で確認しなければならないこともある。
「ええと、そうですね……その主催の方は、中央の国の方なんですよね? いつごろこちらにお戻りになられたんですか?」
「さあ。詳しいことは聞いてないけど、店を出す準備とかもろもろあったって言ってたから、結構前から戻ってたんじゃないかな。そういや俺が賢者の魔法使いの呼び出しに応じたときにはもう、雨の街からいなくなっていたような気もする」
「そうですか」
 それならば、私が故郷を出てくるよりも前に中央の国に戻ってきたとみて間違いないだろう。もともと中央の国の人間ならば、主立った交友関係も中央の国の人間相手だろうと想像できる。
 頬に手を当て、暫し私は思案する。そんな私の反応を芳しくないと思ったのか、ネロは困り口調で、
「さっきも言ったけど、嫌なら全然断ってくれていいよ」
 と眉尻を下げて笑った。が、それは私にとってはまったくの逆効果だ。正直に言うと、ネロのそういう顔は私には効果てきめんだった。そうでなくても、この誘いを断ろうというつもりはない。
「もし私が断ったら、ネロはどうするんですか?」
「俺もパーティーには行かないだけだ。元々そういう社交の場みたいなのはあんまり得意じゃないしな」
 それは薄々想像がつく。ネロに限らず、東の人間はそういう場があまり得意ではないのだ。同じ料理人同士の近所づきあいくらいはできても、畏まった華やかな場でどうこうとなると話が違うのだろう。
 しかし。
「でも……たまには魔法使いの顔じゃなくて、料理人としてのネロの顔に戻りたくはありませんか? 中央の国に来てからは、ネロは魔法使いとばかり一緒にいるだろうと思うから……その、たまには別の場所が恋しくなったりはしませんか?」
 あくまでも私の憶測にすぎないことではある。それでも、そうなんじゃないだろうかという思いはあった。
 ネロは魔法使いとしての自分に倦んでいるように見えるときがある。半面、料理人としてのネロは何処までも一途で、真摯だ。それは多分、生まれながらに持ち得た不思議の力とは違い、料理人という道はネロ自身が選択した生き方だから。誰かに押し付けられたものではないから。私はそう、勝手に想像している。
 だからこそ、賢者の魔法使いたちの中での料理人という役割、ではなく、ただの料理人のネロとして顔を出せる場所があれば。ネロにとって、それは嬉しいことではないのだろうか。そう思った。
 案の定、ネロは一瞬不意をつかれたような顔をして、それから目を細めて笑った。
「……それはちょっと、ずるくないか? そういう言い方をされちまったら、俺はそりゃそうしたいって言いたくなっちゃうだろ」
「ですよね。本当は、分かってて言いました」
「時々妙にずるいこと言うな……」
「それほどでも。では、私でよければお供させていただきます」
 はきはきと請け負って、パーティーへの同伴が決まったところで。
 私はふと、あることに思い至った。
「あっ、でも私、パーティーに着ていくものなんて持ってないです。ネロと一緒に行くとなると、クロエに依頼して仕立ててもらわないといけないですね」
 ただでさえ自分の訓練や任務の衣装の準備など、大忙しのクロエである。個人的な依頼をするというのは、どうにも少し気が引けた。こちらから頼むとなれば当然対価は支払うわけだが、私の懐だってけしてあたたかいわけではない。
 すっかり困ってしまった私に、ネロが助け船を出す。
「衣装がないってんなら俺もだよ。まあラフなパーティーって話だから、この間着てたやつでもいい気がするけど」
「この間?」
「一緒にケーキ買いに行った日があっただろ? あの時の」
「ああ、そうでした。たしかにあれならラフなパーティーくらいなら大丈夫そう」
 というより、多分クロエはある程度そういう場所にも対応できる服をつくってくれたのだろうと思う。碌に外出着を持っていない私が、何かの折に困らないように。
「むしろ俺の方が問題だよな……。クロエに頼むか、誰かに借りるかするか……」
 ネロが頭をガシガシと掻く。ちょうどそのとき、夕食を食べにやってきたクロエやルチルたちが食堂にやってきて、ひとまずその話はそれでおしまいになった。
 その後夕食の給仕をしていると、ネロがクロエに衣装の相談をしている声が聞こえた。ということは、恐らくネロの衣装はクロエが新たに仕立てるのだろう。クロエが嬉しそうにはしゃいでいる声が聞こえる。
 一体ネロはどんな素敵な衣装を用意するのだろう。他人事ながら、私は楽しみな気分で明日の夕方を待つことにした。

 ★

 翌日の夕方。ネロの部屋に迎えに行った私が見たのは、ネロの心底気まずげな顔だった。
 いや、ネロだけが気まずげな顔をしているのではない。ネロの姿をひと目見た瞬間から、私も多分ネロほどではないにせよ、それなりに居たたまれなさげな顔をしていたはずだった。
「クロエ……」
 呻くネロに、私は同情するよりほかになかった。
 今日のネロは夜空のような濃紺のジャケットとパンツに、シルバーのシャツという出で立ち。ネロの瞳と同じ琥珀のようなブラウンにブルーのアクセントの入ったネクタイは、これ以上ないほどにネロにしっくりと馴染んでいた。
 固くなりすぎず、ラフにもなりすぎない、見本のようなスーツの着こなし。ネロもきっと、クロエの完璧な仕事ぶりにさぞ感心していたに違いない。
 その素敵なスーツの色合いが、先程私がクロエに渡されたきれいなワンピースの色合いと、まったく同じであることが発覚した今この瞬間までは。
「クロエには俺のスーツだけ頼んだはずだったんだけどな……」
 溜息交じりに吐き出すネロは、見るとうっすら目元を赤らめている。こうもあからさまに雰囲気を合わせた衣装を着て私と出歩くというのは、さすがにどうも恥ずかしいのだろう。大体、ペアルックを喜ぶような性格でもない。
 反対に私はといえば、ネロに対しての多少の同情心と気まずさこそあれど、そこまで恥ずかしいという思いはない。というよりむしろ、滅多に着ることのないような素敵なドレスに身を包み、それがさらにネロとおそろいだというのだから、ふわふわと楽しい気分になっているくらいだ。
「なんだか、魔法使いの皆さんの仲間入りをした気分です」
 揃いの衣装に身を包み、大陸中を不思議の力で救う賢者の魔法使いたちに、私は少なからず憧れがあったのだ。クロエお手製のネロとお揃いの衣装を着られるという状況は、まるで夢がかなったとでもいうような、そんな気分にさせてくれた。
 私が浮かれているのに気まずさを挫かれたのか、ネロは「まあ、たまにはいいか」と苦笑する。
「そのスーツ、ネロによくお似合いですよ」
「どうも。あんたもよく似合ってるよ」
「クロエの腕がいいので……。そ、それより行きましょう」
「そうだな」
 履きなれないヒールで躓かないように細心の注意を払いながら、私とネロは揃って魔法舎の門を出た。

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