18

 朝起きたら、何故か身体が縮んでいる──
 そんなことが我が身に起こるとは、まさか予想もしていなかった。
 談話室に入ってきたネロは、オズさんとリケ、スノウ様とホワイト様、そして賢者様に囲まれ途方に暮れている私を見るなり、大きく目を見開きフリーズした。リケがネロのもとへと駆け寄り、とんとんとネロの腕を叩く。ネロははっと気付くと、目を眇め、こちらをしげしげと眺めた。
「……えーと。誰だ? その子供」
「ナマエです」
「冗談?」
「ほんとうです……」
 答える私は、深く溜息をついた。

 どういうことかは分からないが、朝起きたら身体が縮んでいた。大体スノウ様とホワイト様の外見年齢と同じくらい──いやそれよりも幾らか幼いくらいの年齢だろうか。鏡に映った私は遠い昔の自分の姿で、起き抜けで血の巡りの悪い身体は、あまりの衝撃にふらりと貧血を起こした。
 が、ふらついてばかりもいられない。身体は縮もうとも、中身は大人の私のままだ。ひとまずぶかぶかの寝間着を着替えると、いつもの仕事着であるエプロンドレスに袖を通した。当然ながらぶかぶかで着れたものではない。が、私の持っている服ではこれが一番ましだった。仕方がないので、その恰好で賢者様の部屋に向かい、現在に至る。
 談話室に集う面子は、賢者様によって助けを求められたオズさんと双子、早起きのリケ。そこに同じく早起きのネロが合流した形だった。
 ひとまず、全員で食堂に移動する。小さくなった私は戦力外なので、ネロが用意してくれた朝食を摂りながら、今後の方針を相談することになった。
 リケは物珍しそうに、ネロと賢者様は哀れむように私を見ている。オズさんと双子はさして興味も無さそうだが、手助けしてくれようというつもりはあるらしい。ありがたいことだ。
 オズさんと双子の見立てでは、特に命に関わるような大変な状態ではないらしい。私としても困りはするが、特に害を感じているわけでもない。自分でも不思議なのだが、何故だかこの件に関して、私はほとんど取り乱していなかった。先日のオーエンさんとの一件で命を失いかけたことで、一時的に精神が太くなっているのだろうか。
 ともあれ、そういうわけで急ぐ必要もないと判断した魔法使いたちに従い、私も特に騒ぐこともせずネロの作ってくれた朝食をたいらげた。
 食事を済ませ人心地ついたところで、話はようやく本題──私の身体の戻し方についてに入った。
 まず口火を切ったのはスノウ様だった。スノウ様は、ネロの淹れた紅茶にたっぷりのミルクを入れ、くるくるとかき混ぜながら溜息をつく。
「人間を別の姿に変えること自体は、そう難しい魔法ではない。西の魔法使いたちの得意とするところでもあるしのう。しかし、これはどうもそういうのとは違うようじゃ」
「違う? どう違うのですか?」
 リケが尋ねる。リケの隣には食事の支度をしていたネロ。ネロはいつのまにか椅子を持参し、スノウ様の言葉に耳を傾けている。
「簡単に掛けられた魔法ならば、我らがささっと戻すこともできよう。しかしこれはそうではないということじゃ」
「呪いの類ということか」
 面白くなさそうにオズさんが発した。
 呪い。穏やかならざるその響きに、私は思わず唾を飲み込む。
 呪いの対義語が祝いであるように、当然ながら呪いは数ある不思議の力のなかでも禍々しいもののみを指している。そのくらいのことは一介の人間に過ぎない私でも知っていることだ。
 呪いが掛けられているとなれば、何処かに私を呪った者がいるはず。実際に大した害を感じていないとはいえ、その事実は私をうそ寒い気持ちにさせる。
 スノウ様の言を受け、ホワイト様が続けた。
「呪いといえばファウストじゃが、生憎今日は引きこもっておる。いつにもまして夢見が悪かったらしくてのう」
「ほら、あの子繊細だから」
 呪いといえばファウストさん──そう思っていた私は、スノウ様とホワイト様の憂い顔を見て、少なからずがっかりした。詳しい事情は分からないが、ふたりの様子からしてファウストさんの「夢見が悪い」というのは、恐らくただ嫌な夢を見るに留まらない、魔法使い特有の事情か何かがあるのだろう。ふたりが無理だと判断したところを覆そうとは思えない。
「ほかの魔法使いの皆さんはどうでしょう? 呪いを解いたりとかは」
 さりげなく、オズさんに視線を遣る。この魔法舎で一番強大な力を持っているのはオズさんだというから、頼るならばまずはオズさんだ。
 オズさんは私の視線に気付くと、むっと眉根を寄せた。
「できないことはない。が、専門外だ」
「なんか聞いたことあるな。こういうのって結構こまかな加減が難しいから、一歩間違うと一層ひどくなるとか、最悪死ぬとか」
「死……!?」
 ネロの言葉に、一気に恐ろしさが増した。リケと賢者様など、あまりのことに絶句している。
 当然ながら、私は魔法使いでもなければ賢者でもない。基本的には不思議の力とは無関係な人間だ。常にのんびり、のらりくらりと日々を生き、生きるだ死ぬだとはおよそ無縁の生活をしていた。
 そこに突然「死」などという単語が出てきたことで、呑気に構えていた私たちは一気に緊迫した雰囲気になった。状況が何か変わったわけではないのだが。
 言葉を失くす私たちに、双子とオズさんが神妙な顔で頷いた。
「これネロ、無闇に脅かすでないわ。あくまでも、そういうことも十分にあり得るという話であって、別に絶対死ぬとか、そういう話ではないぞ」
「だからこそ、我らとしてはその道の専門家であるファウストに頼みたかったんじゃが」
「ナマエよ、ファウストが出てくるまでそのままでいるか、オズに頼んで死ぬか戻るかの賭けに出るかどちらがいい?」
「隠し選択肢としてファウストを無理やり叩き起こすというのもあるにはあるが、それは九割の確率で失敗するからおすすめせん」
 畳みかけるように、スノウ様とホワイト様が私に問いかける。
 そんなもの、選択肢のない一択問題のようなものだ。問題にすらなっていない。
「じゃあ、待ちます」
「うむうむ。それがよい」
 間髪を容れずに答えた私に、双子がかすかな哀れみを込めた目で私を見たところで、早朝の対策会議はお開きとなった。
 食堂に集った賢者様と魔法使いたちは三々五々に散っていき、私はひとまず子供用のサイズの衣服に着替えるため、スノウ様とホワイト様の部屋に足を運ぶことになった。
 食堂を出る間際、先程の「最悪死ぬ」という話のせいかまだ顔色のすぐれない賢者様が、「今日は無理せず、ゆっくりしてくださいね」と声を掛けてくださる。ありがたいことだと思いつつ、私は一礼して食堂を出た。
 正直、衣服など魔法でどうにでもできてしまうのでは、と思わないでもない。魔法のことは詳しくないが、呪いを外すのとは違い、ものの大きさを縮小させるくらいのことは、高名な魔法使いたちには朝飯前のことのような気がする。
 しかし私の気を知ってか知らずか、スノウ様もホワイト様も随分愉しそうなお顔をされていた。見た目にはいとけない双子が、新しいおもちゃを与えられてはしゃいでいるようにも見える。その姿を見ていたら、自分の希望を押し通そうという気も起きなかった。
 そも、たかだか小間使いの人間のことを気に掛けてもらえるだけ、私は恵まれているのだろう。呪いを掛けられている真っ只中にありながら、私はそう自分を納得させ、双子に粛々と従ったのだった。

 ★

 双子の部屋で着るものを借りた私は、着替えを済ませたのち、再び食堂に戻ってきた。小さくなったからといって、大人としての仕事や役割がなくなったわけではない。お給金をもらって働いている以上、仕事は仕事としてこなさなければならない。
 食堂では丁度、東の国の魔法使いたちが朝食を食べているところだった。ファウストさんは不在なので、東の国とはいってもヒースクリフ様とシノだけだ。目を丸くするふたりに事情を説明していると、厨房から自分の分の朝食を持ってきたネロが話の輪に加わった。
「カナリアさんはお城の方に呼ばれていて不在なんですよね」
 ヒースクリフ様にオレンジジュースの入ったコップを差し出し、溜息をつく。このところ、そういうことが多いのだ。
 元々カナリアさんはグランヴェル城でメイドとして働いていたのを、魔法舎の人手が少なすぎることを理由に、魔法舎に職場を変わったという。配置換えというのだろうか。
 カナリアさんひとりならば出向させても問題はないだろう、ということで、カナリアさんの希望は早晩かなえられたそうだ。私がここにやってくる前の話なので、あくまで本人の口から聞いた話だが。
 しかしグランヴェル城は国の中枢といえど、常に人手が十分に足りているわけではない。むしろ国の中枢だからこそ、信頼するに足る人材が重宝される。
 カナリアさんは元々しっかりした仕事ぶりが評価されていたようで、それも当然のことではあるのだが、お城で何かあればすぐにカナリアさんを助っ人にとお声がかかる。現在は魔法使いの皆さんとも顔なじみ、彼らの近況にも詳しいとあって、何かにつけてお城に呼びつけられていた。
「ナマエさんひとりで大変じゃないですか? 俺たちにできることがあったら何でも言ってくださいね」
 そう声をかけてくださったヒースクリフ様に、シノが淡々と異を唱える。
「ヒースが小間使いの仕事をする必要はないだろ」
「そういう言い方するなよ……。それにここは俺の家じゃないんだから。助け合うのは共同生活の基本だろ」
「相変わらずお人よしだな。まあ、そこがヒースのいいところだけど」
 ヒースクリフ様とシノの微笑ましい遣り取りに、表情がゆるんでしまった。ヒースクリフ様は貴い方とは思えないほどに親切だし、シノのヒースクリフ様を慕う様子は見ているこちらを和ませる。時々強引にも見えるが、そこは旧知のふたりの間にしか分からない距離感というか、流儀のようなものがあるのだろう。
 テーブルについているヒースクリフ様の横に立ち、一礼した。ヒースクリフ様は座って、私は立っている。それでも私の身体が縮んでしまっているせいで、目線は私の方が低い。ヒースクリフ様の美しい瞳には、幼い姿の私が映っている。
「お気づかいいただきありがとうございます、ヒースクリフ様。ですが、だいじょうぶです。このままでもできることはたくさんありますから」
「そんな子供の発音で言われてもな……」
 ネロが苦笑し、混ぜ返した。
 身体が縮んだだけとは言うものの、短い手足は普段の感覚で動かすと寸足らずで不便だし、口は思うように回らない。いつもと同じように話していても、どうしても舌足らずで、こましゃくれた感じになってしまう。多分、ネロにはそれを面白がられているのだろう。
 見るとシノとヒースクリフ様も、申し訳なさそうに肩を震わせていた。──いや、申し訳なさそうにしているのはヒースクリフ様だけで、シノは悪びれた様子もなくにんまりしていた。普段は私の方が年上なので、今の状況はきっと気分がいいのだろう。うっかり呪いのために死ぬ可能性だってあるかもしれないのに、呑気なものだ。呑気に職務に従事している自分のことは棚に上げ、私はむっとした。
 が、そんなことで怒っていても仕方がない。私は空になったスープ皿を下げてから、テーブルに戻り東の魔法使いたちに尋ねた。
「ところでファウストさんはおへやなんですよね?」
「双子がそんなこと言ってたっけ」
 ネロが相槌を打つ。ヒースクリフ様の顔が心配そうに曇るが、シノは構わずパンを頬張っている。
「こういうときって、よくわからないんですけど、おすくりって持っていった方がいいんでしょうか」
 自分で言って、それからおや、と首を傾げた。お薬。私は今、お薬と言えただろうか?
 しかし私をにやにや見るネロとシノ、そしてやはり肩を震わせて視線を外しているヒースクリフ様の様子から察するに、お薬、とは言えていないようだった。
「おすくり、は要らないんじゃないの」
「おすくり、はな」
 ネロとシノに立て続けにいじめられる。お薬。おすくり。おくすり──頭の中で十分に言葉を整えて準備してから、再び私は口を開く。しかし──
「おすく、おく、おすく……ああっ、あたまでは分かっているのに口がかってに……」
「なんか、本当にちびっこなんだな」
「おい子供、飴でもやろうか」
「い、いりません!」
 にやつくシノにがうっと噛みつく。それも多分、小さな子供が駄々をこねているようにしか見えていないのだろうが。
 従者であるシノの仕打ちを見かねてか、ヒースクリフ様が「シノ」と咳払いと共に咎める声を発する。
「シノ、こんな小さな子供に飴なんか与えて喉に詰まらせたら大変だよ」
 その注意も、また微妙にずれていた。
「ヒースクリフ様、そういうことではなく……」
 そんな私たちの遣り取りに、ネロが苦笑しながら言った。
「なんかあんた、最近本当に踏んだり蹴ったりというか、こんなんばっかりだな」
 本当にそのとおりだった。オーエンさんに騙され危うく死にかけたと思ったら、次はこれだ。今回のことは恐らく魔法舎の中の魔法使いたちのせいではないとはいえ、このところ不思議な災難が続いているのはたしかだった。二十数年、東の国で暮らしていたときには不思議の力とはまったくの無縁だったというのに。
 ここで働き始めてから、何かよからぬものを惹きつけるようになっているのだろうか? 一度お祓いでもしてもらうべきか。
 半ば本気で悩み始めた私の頭を、ネロがぽんと軽く叩いた。
「まあ、薬はいらないだろ。前からこういうことは時々あるし。ファウストが休みになったら俺たちは自主鍛錬するだけだしな」
「それに薬がいるとしたら、フィガロが用意してるだろ。あいつは医者なんだから」
「それもそうですね」
 言われてみればそのとおりだった。今朝はまだフィガロ先生の姿は見ていないが、じきに南の面々と共にやってくるだろう。そうしたら、その時にまた必要に応じてフィガロ先生の指示を仰げばいい。

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