07

 ある日の夕刻、部屋で繕い物をしていると、窓の外からクックロビンさんの「ひゃあ」という声が風に乗って聞こえてきた。私の部屋は棟の端にあり、魔法舎の門から出入口まで続く道がちょうど部屋の窓から見える。作業の手を止め窓から外の様子をのぞくと、クックロビンさんは扉の前で盛大に荷物をぶちまけているところだった。中央の城からの荷物などなのだろうが、鞄でも使えばいいものを、クックロビンさんは何故かすべて腕に抱えて持ち帰ってきたようだ。
 ほんの束の間、手を貸すべきか悩んだ。カナリアさんには日々お世話になっているけれど、書記官のクックロビンさんとは、実のところあまり話をしたことがなかったのだ。もしも手を貸して「いきなり何だ」などと言われたら、さすがにちょっと悲しい。
 けれど結局、私はすぐに部屋から出ると、慌てて散らかった荷物を拾い集めているクックロビンさんのもとへと向かった。
 外に出て間もなく、地面に膝をついてあたふたしているクックロビンさんを見つけた。
 薄暮の頃で視界も明瞭とはいえない。特に魔法舎は森のすぐ裏手に建っているので、日が暮れ始めるとあっという間に鬱蒼とした雰囲気に包まれる。この中でひとり、散らかった荷物をかき集めるのは骨に違いない。
「手伝います」
 私が言うと、クックロビンさんが心底ありがたそうな顔で、
「ああっ、ありがとうございます!」
 と頭を下げた。
 私もしゃがみ、書簡をひとつ拾う。拾った封に視線を落とすと、深紅の封蝋に押された印章は王城で使用されているものだった。ここで働くようになり、グランヴェル城からの書簡も何度か目にする機会があったので覚えている。恐らく、中央の城を通して魔法使いたちに依頼された仕事についてだろう。
「魔法使いの皆さんは、引っ張りだこですね」
 私が言うと、クックロビンさんは何故か我がことのように誇らし気に胸を張る。
「そうなんです。あ、ナマエさんにも城に手紙が届いていましたよ。小包も」
 クックロビンさんの言葉に、私は首を傾げた。
「私に手紙が?」
「はい、たしか此処に──ああっ、ナマエさんの手紙も落としてしまいました……」
「だ、大丈夫です。読めればそれで……」
 慌てて書簡を拾い上げたクックロビンさんから、私宛だという手紙と小包を受け取る。私に手紙を送ってくるような相手と言えば母くらいしか思いつかないが、私はつい数日前に近況を記した手紙を送ったばかりだ。その際に返信はいらないとも書いておいた。良くも悪くもさっぱりした気質の母が、それでもと返信を送ってくるとは考えにくい。
「そもそも母さん以外には連絡先も教えてないし……」
 と独り言ちながら差出人を確認する。その名前をみとめた瞬間、
「ああ、なるほど」
 そんな声が、ひとりでに口からこぼれていた。

 魔法舎の中に戻ると、談話室にはちょうど東の国の魔法使いたちが集合していた。朝から揃って出掛けていたが、どうやら今まさに戻ってきたところらしい。
 疲れているところに声を掛けるのは憚られたが、かといって用件を後回しにするのも良くない。私は彼らにそっと近寄ると、固まって立っている東の国の魔法使いたちの中のひとり──ヒースクリフ様に声を掛けた。
「あの、ヒースクリフ様……。その、今少しだけお時間よろしいでしょうか」
 私に話しかけられ、ヒースクリフ様は驚いたように目を瞬かせた。無理もない。私が此処で働き始めて暫くになるが、ヒースクリフ様に話しかけたことはおろか、同じ輪の中で会話をしたことすらはじめてのことだった。
「えっ、あ、はい」
「先に用件を話せよ」
「こら、シノ」
 主人に代わって促すシノに、ヒースクリフ様が厳しい声を飛ばす。しかしシノの言い分は正当だったので、私は首を振ってから用件を切り出した。
「その、私にはブランシェットに住む親戚がおりまして、今は母もそこにお世話になっているのですが……実はその親戚から、ヒースクリフ様に贈り物ということで、私に荷物が届いておりまして……」
「俺に贈り物……?」
 ヒースクリフ様は今度は困惑したように、私の言葉を繰り返した。その反応だけで、私はもう居たたまれない気持ちでいっぱいになってくる。
 私の親戚──今は私の母が身を寄せている母の生家は、ブランシェット領で機械やからくり仕掛けの民芸品をつくることを生業としている。その歴史は古く、かつては領内の祝い事の際にはブランシェットの領主様に祝いの品を献上することもたびたびあったという。
 この頃ではそうした華々しさとは縁がないものの、それでも領主様からのお墨付きをいただいた品々として、観光客などを相手にもっぱら土産ものを商うことで生計を立てている。
 今回の贈り物も、大方ヒースクリフ様が賢者の魔法使いであることを知り、私をだしにして貢物を献上しようと考えたのだろう。それ自体は悪いことではない。が、勝手に私を仲介役にするのはやめてほしかった。
 贈り物として預かってしまった以上、それを私が勝手にどうこうすることはできない。受け取るにしても送り返すにしても、いずれにせよヒースクリフ様に話をして指示を仰がねばならない。
「その、お恥ずかしい話なのですが、私が此方でお世話になれることになったのは、ヒースクリフ様のお口添えがあったに違いないと勘違いしているようです」
「なんでそんな勘違いを」
「私がその辺りの事情を説明しなかったものですから」
 溜息まじりに、そう説明した。
 手紙で伝えようにも、魔法舎で働くとなれば普通以上に説明をしなければならない。何せ私の親戚たちはみな、揃いも揃って東の国の国民なのだ。魔法使いへの偏見は、ほかの国とは比べ物にならないくらいに根深い。
 だからこそ、母への手紙にも返信はいらないと書いていたのだ。万が一魔法使いを貶めるようなことを書かれ、それが魔法使いたちの目に触れてはまずい。
「伯父たちは恐らく、得体のしれない人間である私を魔法使いの皆さんが受け容れてくれるはずがなく、私の窮状を見かねたヒースクリフ様が助けてくださった……と思っているようなのです。伯父たちは日頃から領主様にお引き立ていただき、感謝の念にたえないようなので」
 私の説明に、ヒースクリフ様は困り顔ながらも納得してくれたようだった。本当はこんなことでヒースクリフ様の手を煩わせたくないので、いっそ送り返しておいてくれと言ってくれはしないかと、私は内心で碌でもないことを考える。
 しかし、残念ながらそう都合よく話は進まなかった。
「贈り物というか貢物だが……もらってやればいいじゃないか」
 これまで黙ってそばで話を聞いていたファウストさんが、ヒースクリフ様にそう助言したのだ。その助言にシノも同調した。
「そうだぞ。領民からの尊崇を集めそれにこたえるのも、上に立つ人間のつとめだ」
「勝手な事言うなよ!」
 ヒースクリフ様は溜息をつき、視線を彷徨わせた。私はできるだけ申し訳なさそう見えるよう肩をすぼめて縮こまり、ヒースクリフ様からの言葉を待つ。
 ややあって、ヒースクリフ様は尋ねた。
「それで、贈り物というのはどういうものなんですか」
「私も包みを開いて中身を確認したわけではないので、詳しいことは分かりませんが……、一緒に届いた私宛の手紙には、からくり仕掛けの小箱と、郷土のお菓子と、あとお世話になっている皆さまにってお酒が……」
「俺とヒースは酒は飲めない」
「はい。ですからそちらは、よろしければネロとファウストさんで分けていただければと……」
 そう言ってちらりとネロとファウストさんに視線を送る。しかし、
「ありがたいけど、俺たちが受け取るのは筋違いだろ」
「そうだ。面識のない相手から贈り物を受け取るわけにはいかない」
 予想はしていたが、しかし予想以上ににべもない返事をされ、私はまたがくりと肩を落とした。
 ヒースクリフ様は領主の息子という立場で贈り物──いや貢物にも慣れているのだろうが、このふたりは恐らくそういうものを受け取ることは少ない。親しい相手からならばともかく、顔を見たこともない相手からの贈り物など、気味が悪いとすら思っているかもしれない。
「一応手紙には、お世話になっている方にと書かれていたのでお二人に、と思ったのですが」
「ネロはともかく、僕は君のお世話なんかしていない」
「す、すみません……」
 ファウストさんの贈り物など迷惑だと言わんばかりの雰囲気に、もはや私は謝るしかなかった。もちろんネロとファウストさんの言い分は正しいことは私にも分かっている。だからこれ以上ごり押しするわけにもいかない。
 仕方がない。ヒースクリフ様とシノへのお菓子だけ渡して、お酒はどうにかしよう。そう諦めたところに、ファウストさんがまた溜息をついた。
「……そういう顔をするのはやめてくれないか。まるでこっちが酷いことを言っているみたいじゃないか」
「厚意を無下にするのは酷いことじゃないのか?」
 混ぜ返すようなシノの言葉に、ファウストさんがむっと眉を顰める。先日のネロとブラッドリーのこともある。魔法使い同士が険悪な雰囲気になるのは嫌だったので、私は慌てて割り込んだ。
「すみません。あの、大丈夫です。お酒はシャイロックのバーにでも引き取ってもらいますし、あ、それか料理酒として使えそうならネロに」
「ええ?」
 急に話を振られたネロが迷惑そうに声を上げる。その遣り取りを見て、ファウストさんはもう一度、今日一番大きな溜息をついてから首を横に振った。
「……分かったよ。僕とネロでそのお酒とやらは引き受ける。シノの言うとおり、折角の厚意を無駄にする必要はないな。それに、酒に罪はない。ネロ、今晩予定はあるか」
「いや、特にないけど」
 ファウストさんに問われ、ネロが怪訝そうに答える。ファウストさんはまだ不機嫌そうな顔をしたまま、
「じゃあ丁度いい。酒盛りにするぞ」
 と有無を言わさず命令した。
「ヒースクリフとシノも来なさい。酒は出せないが、そもそもはヒースクリフへの贈り物なんだから」
「そうだな。何かソフトドリンクにも合うつまみでも作るよ」
 ファウストさんの案に、ネロも首肯する。中央の国や西の国の魔法使いたちと違って、東の魔法使いたちが必要時以外に集まる姿を見るのははじめてだ。ファウストさんは如何にも迷惑そうな顔をしていたが、ネロはすでに笑っていたし、ヒースクリフ様とシノも表情をゆるめ頷いた。
 話がまとまりそうでよかった。私は内心ほっと息を吐いた。
 正直に言えば親戚とヒースクリフ様との間で板挟みにされるのは御免だったし、ヒースクリフ様や魔法使いたちに迷惑をかけるのはもっと嫌だったのだ。ファウストさんとネロが引いてくれたとはいえ、一応は話がまるく収まったことに、私は安堵していた。
 と、ほっとしたのも束の間、ファウストさんが私の名を呼ぶ。はっと顔を上げれば、ファウストさんが色眼鏡ごしに私を眺めていた。
「君も、よければ来るといい」
「いっ、いえ! 私は──」
「わざわざ君を通して贈り物をしてくるなんて、きっと送ってきた親戚たちは魔法舎で働く君を労うつもりもあったんだろう。厚意を無駄にしない方がいいのは君も同じことじゃないか」
 果たしてそうだろうか。ファウストさんのその言い分には、多分に疑問があった。しかしそれをわざわざ今ここで表明する必要はない。私はファウストさんと議論をしたいわけではなかったし、ファウストさんに限らず誰とも口論はしたくなかった。
 ファウストさんに加勢するように、ネロも横から口をはさむ。
「そうだな。下戸ってわけではないって言ってたし、一杯くらいなら平気だろ。まあ、無理にとは言わないが──」
「さっ、参加させていただきます」
 慌てて言えば、ファウストさんとネロ、そしてヒースクリフ様までもが揃って笑った。ただひとりシノだけは、私の参加などどうでもよさそうに眺めている。
 ともあれ、これで東の国の魔法使いと、私が酒宴に参加することが決定した。ファウストさんが帽子をなおし、思案するようにぐるりと辺りを見回した。
「場所は……そうだな、食堂でいいか。さすがにこの人数で誰かの部屋というのは手狭だろう」
「俺もその方がありがたいよ。厨房が近い方が何かと便利だ」
「ネロ、言っておくが君も飲むんだぞ」
「分かってるって」
 軽やかに笑ったネロの薄っぺらな声に、ファウストさんが今日何度目かも分からない溜息をついた。

 ★

 夕食の済んだ後の食堂で、東の国の魔法使いたちによる酒盛りが開始され、一時間半ほどが経過した。美味しいお酒と、ネロのつくる美味しいおつまみ。戸惑いながらも色々な話を披露してくださるヒースクリフ様とシノ、含蓄に富む話をぽつりぽつりと零すように話してくれるファウストさん。
 私は暫し、賢者の魔法使いたちと違って自分がいち使用人に過ぎないことも、それどころか自分が賢者の魔法使いたちを目のまえにしていることも忘れ、愉しく穏やかな時間を過ごした。
 意外にも、私のグラスが空になるたびに「空だぞ、もっと飲め」と言ってくれたのはシノだった。どうやら私がヒースクリフ様に対し貴人に対する礼節をわきまえた上で接していることが、シノの気分を良くしたらしい。親戚から送られてきた酒はあっさりとした飲み口で、するすると水のように私の喉を流れていった。
 その結果──
「おおーい、大丈夫か? 目が据わってるぞ」
 私の目のまえに腰を屈めたネロは今、輪郭を曖昧にして分裂している。分裂したせいで片手十本指になった手のひらをひらひらと振り、私の意識を確認した。
 いや、分裂しているのではない。単に私の目にはそう見えているというだけの話だ。それを分かっているのだから、私はまだ正常な状態──シラフも同然ということになる。
「大丈夫です、全然、大丈夫です」
「酔ってる?」
「酔ってません」
「それは酔ってる人間の常套句だ」
 私の正面に座ってグラスを傾けるファウストさんが、呆れたと言わんばかりに嘆息した。この人は今日、いったい何度溜息をつけば気が済むのだろう。少なくともお酒を飲んでいる間は存外愉しそうにしていたはずなのだけれど、今はまた渋い顔をしてグラスの中身を舐めていた。
 頭の中身がぐらぐら揺れている感じがする。頭を揺らすと中身がこぼれてしまいそうなので、私は極力頭を動かさないように努めながら、ぼんやりと周りの会話に耳を傾けた。
「甘くて飲み口がさっぱりしているから油断したな」
「そうだな。たしかにうまい酒だけど」
「ブランシェットの名産品のひとつだからな」
 何故か自慢げなシノの声に続き、
「俺の実家でも、遠方から客人を招くときには出してました。もっとも、何も知らないお客が飲みやすくてどんどん飲むと何時の間にか酔ってしまうので、大切な話があるときには出さないことにしているみたいですが」
 とヒースクリフ様の声が聞こえる。ファウストさんが溜息で応じた。
「そんな酒を送ってくるって、どういう親戚なんだ……」
「まあ、高級なことには違いないからなー。少なくとも、うちの店では置けなかった程度にはいい酒だよ」
 ネロがそう言うのと同時に、ぼんやりと座っていた私の肩を数度、ぽんぽんと叩いた。ゆるりと顔を上げ視線を向ければ、ネロが呆れているのと心配そうにしているのの、丁度まんなかのような顔をして私の顔を覗き込んでいた。
「なんですか……、ネロ」
「もうそろそろ限界だろ? 俺が部屋まで送っていくよ。立てるか?」
「立てます。……ひとりで大丈夫です」
「いくらすぐ近くだからって、そのふらふらした状態で送り出すわけにはいかないよ」
 ネロに言われ、椅子から腰を上げた。途端に耳が遠くなり、床がぐらぐらと揺れているような感覚に襲われる。が、それも暫くテーブルに手をついてじっと立っていると、じきに落ち着いた。
 私の立ち方が多少ましになるのを待ってから、ネロが腕を組む。その仕草に一瞬どきりと胸が跳ねた。それがもっとも身体の接触の少ない支え方だと気付いたのは、ネロが行くぞ、と声を掛けてからだった。
「じゃあそういうわけだから。ちょっと部屋まで送ってくる」
「ああ、頼んだ」
 ファウストさんたちの声に送られて、私とネロは夜の談話室を後にした。

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