ぽっかりメルヘンチック

「名前って結婚願望とかあるの?」
 友人から発せられたその問いかけに、私は思わず咥えていたストローを口から落とした。

 同僚の結婚式の余興ムービーを作るため、今日は花嫁以外の同僚三人が我が家に集まって、ひたすらムービー編集をしている。なぜ場所が我が家なのかと言えば、私以外はみんな実家住まいなのと、単純に私の家が一番使い勝手がいいためだ。事前にSNSなどを駆使して集めた、花嫁の学生時代の友人や恩師たちのムービーや写真をひたすら編集して繋ぎ合わせつつ、もっぱら意識は女子トークの方に持っていかれている。話題が結婚のことになるのは妙齢の女子の集いではよくあることだが、している作業が作業なだけに、それはこの場で持ち出される話題としてもっとも自然な話題でもあった。
「結婚ねえ、相手がまだ大学生だから何とも」
 落としたストローを拾いながら答える。誤魔化すつもりもなく、本心だった。 
「就活は終わってるんだっけ、彼氏」
「いや、まだ。でもインターンは行ってたし、あの余裕の感じからすると、ほとんど内定みたいなもんなんじゃないかな。詳しくは知らないけど、あの子結構顔が広いし、就職のことはあんまり心配はしてない」
「ふうん、そういうものなの」
 うん、まあ。と今度は曖昧に答え、私は止まっていた手を動かし始めた。
 黒尾本人が焦っている様子がなさそうなので詳しく突っ込んで聞いたりはしなかったが、黒尾がリクルートスーツを着て家を出る姿は何度か目にしていたので、就活はしているのだと思う。少し前にはインターンに行くとか行ったとか、そんなことも言っていたはずだ。最近ではそれも終わったのか、晴れやかな顔でバイトやら飲み会やらに出掛けていく。だから私は勝手に、黒尾の就活が終わったか、終わっていなくてもどうにかなりそうなのだと勝手に納得していた。ちなみにその黒尾は今日はバイトで一日家にいない。鉢合わせることもないから、こうして好き勝手なことを言うこともできる。
 友達のうちひとりが、机に散らばった写真をかき集めながら言う。
「名前のところは放任主義なんだね。じゃあ結婚とかはまだまだ先の話かー」
「そうだね、今のところそういう話はしてないし、する気もないかな」
「でもさ、正直二つも年下の彼氏って子供じゃない? 大学生の彼氏とか、私だったら話が合う自信ないんだけど」
 そう言ったのは年上狙い、婚活真っ最中の同僚だった。言葉だけ見ればかなり失礼なことを言っているようにも取れるが、黒尾を貶したりしたいわけではないということは分かっている。こちらも別に、それで嫌な気持ちになったりはしなかった。私だって相手が高校時代から付き合っている黒尾でなければ、今頃同じようなことを思っていただろう。正直、黒尾とだって話が合わないことや感覚のずれを感じることもある。
「たしかにねえ……」
 私は頷く。
「でも、それはむしろ私が大学生で向こうが高校生の頃の方がすごかったよ。今はまだ一緒に生活してるし、向こうも学生ではあるけど成人はしたし、だいぶましになった方」
「そこ乗り越えてきてるんだよねえ、すごいわ」
 はぁ、とため息を吐き、それから自分と彼氏の愚痴話にシフトしていく同僚を私は笑って見つめる。心のどこかで、これ以上この話を続けなくてもいいことに安堵していた。
 ふたつ年下の彼氏と五年付き合っていることを人に話すと、結構な頻度で今のような話の流れになる。たいてい、凄いね、愛だねといい話風にまとめられ、なんとなくぞんざいに話を締めくくることになるのだ。
 しかし、これは果たして本当にすごいことなのだろうか。我がことのはずなのに妙に他人事のように感じ、毎度飽きもせず、私は曖昧な笑みを浮かべて話が終わるのを遣りすごしている。
 高校生と大学生、大学生と大学生、そして大学生と社会人の今。付き合う前の高校生同士だった頃から数えれば、のべ三度の関係性の変化を経ている。その結果、私と黒尾の関係は、かなり強固なものになっていると思う。
 時々喧嘩はするものの、別れがちらつくような言いあいにまで発展したことは一度だってない。黒尾に大きな文句もない。細かい文句や不満を言い始めればきりがないが、それはお互い様だろう。何より、そんなものは社会人同士のカップルだって当たり前に抱えている問題で、私と黒尾の間に特別なハンディとして立ちはだかるものではない。
 そういう意味では、私と黒尾は世間のカップルたちと比べても、特別なことなんて何もないような気がする。黒尾がどう思っているかは分からないが、ふたつの年の差というのは微細なジェネレーションギャップを生みつつも、付き合っていくうえでの障害にはならないのだと、私はそう思っている。

 同僚たちが帰って行ったあとの部屋で、お菓子や酒類の缶を片付けながら、私はぼんやり黒尾のことを考えていた。五年も付き合っていれば確かに、結婚の二文字がちらつくこともある。なんだかんだ言っても私だって社会人一年目を終えようとしているし、SNSを開けば学生時代の友人たちの入籍報告が日々更新されていく。
 むろん、このままいけば黒尾と結婚するだろうと、そのくらいのことは思っている。このままいけば、というよりも正しくは「このまま結婚までいきたい」だろうか。
 しかしそのように考えているのだということを、私が黒尾本人に直接ぶつけたことは今まで一度だってない。何せ向こうはまだ大学生で、社会に出た経験すらないのだ。その状態で結婚という誓約の話をするのは、いささか以上に重すぎるだろう。そう思うと、気が引ける。
 第一、経済基盤もしっかりしていない相手と結婚となれば、私の実家の両親も黙ってはいないだろうし、黒尾の方の家族だって色々と思うところはあるはずだ。いくら高校時代から付き合っているという安心感があっても、それはあくまで恋人同士までのこと。結婚ともなると、さすがにそれだけでは不足がありすぎる。
 今までは十分だったものでは不足といわれるのだ。黒尾にとって、そして私にとってそれはきっと耐えがたいつらいこととなる。重いと思われたくない。重いと思ってほしくない。

「ただいまー」
 玄関から声がしてはっとした。片付けをしながら完全に意識は別の方に飛んで行っていたらしい。すっかり暗くなった部屋の中で時計を見ると、時刻はもう二十時を回ろうとしていた。動画編集をしながら間食をしていたせいで空腹も感じることなく、時間感覚がおかしくなっていたらしい。
「疲れたー、今日のバイトすげえ店混んだ」
「おつかれ」
 首をごきごき鳴らしながら部屋に入ってきた黒尾は、手に持っていたコンビニ袋をはい、と私に差し出す。袋の中をのぞくと、シュークリームがふたつ入っていた。
「わ、シュークリーム!」
「食べたいかなーと思って、お土産です」
「最高すぎる……」
「着替えてくるから、コーヒー淹れておいてくれると鉄朗くん嬉しいなー」
 言われるがまま、二人分のコーヒーをいれて黒尾が着替え終えるのを待つ。暫くして、グレーのスウェットに上下着替えた黒尾が、寝室からいそいそと戻ってきた。心なしか機嫌がよさそうに見える。バイトが忙しかったと言っていたが、そういう忙しくて頭を使わなくてはいけないような状況でこそ黒尾は輝く。黒尾にとって、「忙しかった」は「楽しかった」と同義なのだろう。
 ふたり並んで、ソファーに腰をおろす。私の隣にぴたりとくっついて座った黒尾は、くっついたままシュークリームに手を伸ばした。
「ムービー編集進んだ?」
「うん、あとちょっとで完成できそうなところまできたから、残りは私がぱぱっとやって完成品確認してもらうってところまできた」
「名前さん、すぐそういうの引き受けちゃうよな」
「あのメンバーの中で一番パソコン使えるの多分私だしね」
 面倒見いいなあと笑う黒尾の声の中には、少しだけ呆れたような感情が滲んでいる。同僚相手なので面倒見も何もないのだが、やはり黒尾から見ればそう見えるのは仕方がないのだろう。黒尾にとっては二学年年上のマネージャーだった私の印象が今もまだ残っているように思う。
 色違いのマグカップになみなみ注いだコーヒーをすすりながら、私はまた今日のことを思い出す。
 黒尾と結婚。今も同棲して三年目、ほとんど結婚しているのと変わりはない。黒尾が社会人になってもこのままきっと同棲は続くのだろうし、結婚するからといって大きな変化があるとも思えない。それなのにどうしても結婚の話を切り出せないのは、私の考え方が古いのだろうか。
「そういえば、黒尾って就活終わったの?」
「ん? まあ一応。終わってはいないけど、ほぼ終わったというか何というか。名前さんの会社ほど大きいとこじゃねえけど、聞けば名前さんも分かると思うよ」
 そう言って黒尾が挙げた社名は確かに私にも馴染みのあるものだった。黒尾がバレー選手を目指さないと知った時には驚いたが、そういう進路を考えていたというのならば納得もする。
 とはいえそこまで真剣に就活をしていたようには見えなかったし、そもそもまだ大学三年の黒尾がすでにそんなしっかりと内々定をもらっていたという事実に驚いた。同時に、何故聞くまで教えてくれなかったのだという疑問も胸に浮かぶ。付き合ってるのに。もう五年も。
「教えてくれたらよかったのに」
 文句に聞こえないように、でも少しだけ不満に思っていることが伝わるように言ってみる。黒尾はきょとんとした顔で私を見て、それからにやりと笑った。
「名前さん、拗ねてんの?」
「拗ねてるっていうか、だって彼女なんだし。内々定とはいえ、就職がほぼ決まったんだからさ、お祝いとか、普通することない? 私だって就職決まったとき黒尾に一番に報告したし」
「ごめんて。いや、ていうかちゃんと言おうとは思ってたんだけど、名前さん最近忙しそうだったし。それに名前さんにはちゃんとこう、色々準備が整ってから言おうと思ってたってのもある」
「整ってからって、何を整えるのよ」
「なんか、だって逆サプライズ的な……」
 もごもごと何事か言い募る黒尾は、暫く悩んで、それから溜息をつくのと同時に、顔をごしごしこすり始めた。照れ隠しのつもりなのかもしれないが、耳まですっかり赤くなっている。黒尾が何を照れているのか分からず一瞬ぽかんとしてしまったが、やがてなんだか可笑しくなってきて思わず噴き出した。
「ちょっと、何笑ってんですか」
 相変わらず耳まで赤くしてじとりとこちらを睨んでいる黒尾は、年下だからとかそういうことに関係なく、やたらと可愛く愛らしく見えた。自分よりもずっと図体の大きい年下の彼氏。普段かっこいいと思うことはあっても、黒尾を可愛いと感じることはけして多くない。
 それでも、時折こうして不意に可愛い彼氏ぶりを発揮されてしまうと、私はどうにもその可愛さに対して弱いのだった。先ほどまでは私の方がひねくれていたはずだったのに、結局黒尾の方が拗ねている。何だかよく分からない事態になっていた。
「普通そういうのって私がお祝いする側として仕掛けるものだと思うんだけど。ふうん、黒尾は逆サプライズとか狙ってたんだ?」
「まあ、普段から色々お世話になってるし……、これからもよろしく的な意味でなんかできたらと思ってたんだけど、今この瞬間に全部バレました」
 むっとしている黒尾の頭を、堪らず私はよしよしと撫でた。真っ黒い大きな犬みたいな黒尾は、身を固くしてそれを受ける。暫しそのまま撫でていると、やがてふっと糸が切れたように、黒尾が私の方に体重をかけてよりかかってきた。甘えている。
 ──これからもよろしく的な意味で。
 その言葉を黒尾がどういう意図で使ったのかは分からない。けれど、今の私にはそれだけで嬉しくなるのには十分だった。

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