十二月。冬、師走、年の瀬。年末のある日、珍しく相澤先生がお客様を伴って帰宅した。
 その日は朝のうちに、相澤先生から帰りが遅くなると言われていた。そういうことは珍しくない。年の瀬なので、何かと飲み会や会合もあるのだろう。大学は冬休み真っ只中で、私には特に用事もなかった。年末年始のための買い物を日中に済ませると、夜はひとりで夕飯を摂った。
 夜も更け、さてそろそろ化粧を落として風呂に入るかという頃になって、思いがけず玄関のドアが開く音がした。遅くなるとわざわざ言いおいて行ったわりには、まだ早い時間だ。
 相澤先生は仕事柄セキュリティのしっかりしたマンションを借りているから、よほど不審者の心配はしていない。いざとなれば、ヒーロー科卒の実力で自分で対処できるという自負もある。だからそう気負うこともなく玄関を覗くと、相澤先生と、そしてすでにほろ酔いのプレゼント・マイク先生が転がり込んできたのだった。

「あれ、今日忘年会だったんじゃ?」
 勝手知ったる様子でさっさと室内に入っていくマイク先生を視線で追いかけつつ、嫌そうにしている相澤先生からコートを受け取り耳打ちする。衣服から多少アルコールのにおいがするものの、先生は顔色をほとんど変えていない。自らのぼさぼさの頭に手をつっこんでぽりぽりと頭をかき、先生はうんざりと溜息を吐いた。
「そうだよ。さっきまで二駅先の飲み屋の宴会場だった。けどお開きになって帰りの電車に乗ってから、あいつが飲み足りねえって騒ぎだしてな。ちょうどいい飲み屋がどこも混んでたから、嫌がる俺をマイクがここまで連れてきたんだ」
「先生の家なのにマイク先生が連れてきちゃったんですか」
「俺が自宅であいつと飲みたがると思うのか」
「それもそうですね……」

 それでも途中でマイク先生のことを放り出さずに一緒にうちまで帰ってきたのだから、相澤先生はつくづく面倒見がいい。
 外から帰ってきたふたりが連れてきた冷気にぶるりと身体を震わせ、着ていたセーターの袖口に両手をしまう。
 何か酒のつまみになるものを作るためキッチンへと向かおうとしたら「コンビニで買ってきてるからいい」と腕を引かれた。そのままダイニングへと引っ張られていく。ダイニングテーブルにはすでにマイク先生がスタンバイしていて、コンビニで買ってきたというおつまみやビールが広げられていた。

「オッ、名字も飲む? ジュースは買ってきてねえぞ?」
 テーブルについた私を見てマイク先生がげらげら笑う。
「失敬な。私ももうお酒飲める年ですよ!」
「その割にはまだ雰囲気がレディっつーよりガール……いや、キッズ?」
「立派なマダムです!」
「マダムではないだろ」
 相澤先生が冷静につっこんだ。

 マイク先生は私が雄英生だった頃、相澤先生同様お世話になった先生のひとりだ。担任を持ってもらったことはないけれど、気さくで人気のある先生だったから在学中から話す機会は多かった。あの頃から私はすでに相澤先生に懐いており、それを面白がられていたというのもある。
「しかしまー、名字もいつの間にか酒飲める年になったんだなー」
 缶ビール片手に燻製卵をむしゃむしゃしているマイク先生は、そう言って感慨深げに目を細めた。私服な上に夜間なので、今日はいつものサングラスはかけていない。整った顔だなあなんて考えながら、私も頷いた。
 私はまだビールの美味しさがわからないから、一緒にコンビニ袋の中に入っていた梅酒をもらって飲んでいる。相澤先生は甘いお酒は飲まないから、これはきっと私のためにわざわざ先生が買ってきてくれたのだろう。
「割と酒飲むの?」
「付き合い程度には飲みますよー、飲み会だって行きます」
「ホー、じゃあイレイザーヘッドと一緒に飲んだりもすんの?」
「いえ、相澤先生は家では飲まないので。だからあんまり先生が酔ったところ見たことないです」
「イレイザーは俺らと飲んでてもほとんど変わらねえから全然面白くねーの」
「お前らが酒に弱すぎるんだ」
 それ飲んだら帰れよ。そう溜息混じりに言った相澤先生に苦笑した。

 暫く三人でテレビを見ながらだらだらと飲んでいると、ヴーッヴーッと相澤先生の携帯が鳴った。

「っと、電話だ。少し出てくる」
 携帯片手に部屋を出ていく先生をじっと見ていると、マイク先生に「お前も好きねえ」と笑われた。
「高校んときからずっと一途にフォーリンラブだろ? 九も上の男に。そろそろ飽きねえわけ? そりゃオレらからしてみりゃ若ェ女子と付き合えんのは上げ上げなことなんだろうけどよォ。ぶっちゃけオッサンじゃん?」
「でも付き合い始めたのは高校卒業したときからなので、まだ二年とか、そんなもんですよ」
「オレらの二年とJDの二年じゃ違ェじゃん?」
「うーん、まあそうかもしんないです。分かんないけど」
 私と同じ、若い時代を経て今に至っている先生たちと違って、私はまだ今の自分が感じる時間の経過の早さしか知らない。私と相澤先生にとっての二年が同じ二年じゃないということは、言葉の上では理解出来るけれど、しかしやっぱり実感はない。
 むしゃむしゃとするめいかを噛んだ。

「Ah オレも華のJDと乳繰りあいてー!」
「元教え子になんてこと言うんですか。それに私と相澤先生はマジのガチの恋愛なんでマイク先生みたいな不純なやつじゃないですよ!」
「不純じゃねーよ。俺だってマジのガチでJDとラブハプニング起こしてえわけ!」
「人の恋路をハプニング扱いしないでください! なるべくしてなったフォーチュンですよ! デスティニー!」
「つーかさ、イレイザーってどんなセックスすんの? やっぱ合理的なアレなの?」
「聞いて! 人の話も聞いて! あとそんなこと聞かないでください!」

 けどなァ、とマイク先生は続ける。声のトーンが少しだけ低くなったので、私も噛んでいたするめいかを飲み込んだ。
「実際、イレイザーはいいやつだけど普通に同じくらいの年の男がよくなったりしねえの? と俺ってばまあまあ思っちまうわけ。ジェネレーションギャップとかあんじゃん」
「年の差なんて愛の前では塵ですよ」
「思い込んでからの勢いがすごいよネ、名字は」
「だって相澤先生以外なんて考えられないですもん。考えたくもない。先生よりかっこよくて強くて愛情深くて面倒見がいい人、ほかにいないですもん」
 それが私の本音だった。マイク先生は「惚気うぜー!」と笑う。
 ヒーローとの交際は、必ずしも秘密にしなければならない訳では無いけれど、とはいえあまり大っぴらにしていいことでもない。私もごくごく身近な友人にしか話していないし、仔細まで語ったことはない。
 こうして相澤先生とのことを誰に遠慮するでもなく語ることが出来るのは、相澤先生と旧知のマイク先生、それに学生時代からお世話になっているミッドナイト先生くらいのものだ。なので私も、大人たちの胸を借りるつもりでここぞとばかりに惚気けてしまう。私からの惚気話にはマイク先生は慣れっこだ。
「仲がよくて何よりだぜ」
「うふふ」
「で? イレイザーのセックスは実際どう、」
「マイクお前まじでつまみだすぞ」
 戻ってきた相澤先生によってしこたま叱られたマイク先生に、私はひそかに合掌したのだった。

 ★

 時計の短針がてっぺんを指す頃、マイク先生は漸く帰っていった。結構な量のお酒を飲んだにも関わらず足取りはしっかりしている。終電はまだあるけれど、タクシーで帰るらしい。有名人は満員電車に乗らないようだ。
 無事タクシーに乗り込んだマイク先生を見送ってから部屋に戻ってきた相澤先生は、溜息混じりに「悪かったな」と私に謝った。突然客を連れて帰ってきたことに対しての謝罪らしい。
「平気ですよ。私も久し振りにマイク先生に会えて楽しかったです」
「そうか、ならよかった」
「先生とお酒飲めたのも嬉しかったし」
 淹れたばかりの熱いお茶を、ローテーブルにふたつ出す。さすがに少しは酔ったのか、ぐたりとソファに凭れている先生の隣に腰掛けて、猫のように擦り寄った。ふわりとアルコールのにおいがする。体重をかけても押し返されないのをいいことに、完全に先生の方に凭れかかって目を閉じた。
「マイク先生に、相澤先生みたいなおじさんじゃなくて若者の方がよくなったりしないのかって聞かれましたよ」
「そりゃあ……。まあ、誰でもそう思うんじゃないか。今は名字ももう成人したが、ちょっと前までは絵面が犯罪みたいだなと思ってたぞ」
「ふふ、それで犯罪みたいだと思って興奮しました?」
「お前は俺を何だと思ってるんだ」
 呆れた声音でそう言いながらも、相澤先生は私の肩に回した腕でさらりと髪を撫でてくれた。
 大きくて節くれだった手はヒーローの手だ。ヒーローにならなかった私の手とは違う。たくさんの人を助けてきた手。私のことを救ってくれた手。
「心配しなくても、お前にもっといい男ができたら手放す準備は出来てるよ」
「心配しなくても、先生よりいい男なんていませんよ」
 先生の言葉が癪で、身体を寄せたまま上目遣いに言い返す。先生は特に気にした風もなく、表情を変えずに湯のみに腕を伸ばした。
「どうかな。名字はこうと決めたら頑固なところがあるから、そうだと思い込んでるだけかもしれん」
「……似たようなことマイク先生にも言われました。さっき」
「だろうな、名字は分かりやすい」
「でも、本当に私は先生がいいんですよ。先生じゃなきゃ嫌。先生は私でなくてもいいの?」
「……参るね、まったくお前には」
 相澤先生がぐいっと体を折り曲げて、私の顔を覗き込むような体勢をとった。私も重心を移動させて、先生の顔との距離を近づける。唇と唇がふれて、数秒後にゆっくり離れた。
 やわらかく押し付けるだけのキスは甘くて優しくて、そして少しだけもどかしい。私の肩に回されていた腕にそっと触れて、キスより先をねだるみたいに指を絡めたら笑われた。

「俺も、名字がいいよ」


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