相澤先生の入寮日が近付いている。生徒の家の家庭訪問もやっと終了し、慌ただしい日々がようやく一段落といった調子だ。

 今日はのんびりしながら、先生が寮に持っていく荷物をまとめる日の予定だった。入寮は週明けに迫っている。そして入寮日前には荷物を寮に送らなければならない。だというのに、先生の荷造りは一向に進んでいないのだった。
 とはいえ先生がこの家からまったく出て行くわけではない。ちょっと気合を入れて大きなボストンバッグに着替えや身嗜み用品を詰めれば、あっという間に支度は終わった。そもそも先生は持ち物が少ない。

「歯ブラシとかは新しいやつ買って、それを寮に持っていったらどうですか? 毎回持ち帰ってくるのも面倒だし」
 荷造りのリストを眺めながら確認すると、先生は大きく頷く。
「だな」
「それじゃあ午後から買い物行きましょうか。食料品も買いたいから」
「うん、それでいいよ」

 そんなわけで、昼食のサラダうどんを食べた後、私たちは並んで木椰区のモールへと向かった。モールに到着するなりさり気なく手を差し出してみると、意外にも指を絡めてくれる。
「フフッ、先生この間からやたらとラブラブモードですね」
「嫌なら手、離すが」
「ウソウソ、だめ、嫌じゃないです、興奮してます」
「するな」
「そうだ、買い物ついでに指輪も見ていいですか? 結婚指輪」
「ああ、そうだな。お前どんなのがいいんだ。自分で決めてもらった方が合理的かと思って、俺はまったく選んでないぞ。見ても分からん」
「やっぱり折角だしキラキラしてるやつですね! 先生がいなくてもそこにいるみたいな存在感のやつ!」
「ちゃんと値段は見て選べよ」
「はーい」

 徒然と話をしながらモールの中を歩いていく。目的地ははっきりしているので私も相澤先生も足取りに迷いはない。
 無駄を嫌い合理的であることを愛する相澤先生である。当然、肌着や私服を買う店も決まっている。毎回同じ店で同じものを買うのだ。

 休日のモールは家族連れで賑わっていた。しっかりと手を繋いでいるのではぐれる心配はないけれど、さっきから人波に揉まれて、前から歩いてくる人たちと肩がぶつかる。それに気付いた先生がさりげなく手を引いてくれたので、ありがたく先生の方に身を寄せた。
 恋人になって三年以上経つけれど、結婚すると決まってからやっと、私たちは外でも恋人らしい振る舞いができるようになったような気がする。先生は少しだけ大胆になった。
「買い物終わったらスタバ寄りましょうよ。新作フラペチーノ飲みたい」
「カロリー……」
「またそうやって嫌なこと言う!」

 と、そんな話をしていたら。
「あーっ! 相澤先生ーっ!」
「げっ」
 あからさまに嫌そうな声をあげた先生とは対照的に、はしゃいで興奮した様子の男子高校生たちが私たちの前に三人立っていた。派手な見た目の三人だ。赤い髪の子、金髪の子、そしてほか二人に比べて控えめな見た目の黒髪の子。慌てて繋いでいた手を離す。

 先生の教え子たちだろうかと思い彼らを観察していると、ハイテンションに近付いてきた三人も目は先生の隣に立っている私に目を留め、うおおおと大きな声をあげた。
「ウワッ、先生隣の人彼女ですか!?」
「わっか! えっ、若っ! 犯罪!?」
「つうかきれい! 先生にはもったねえんじゃないすか!?」
「お前らうるさい」
 相澤先生の静かな一喝にも男の子たちは動じない。これが若さというものか。
 さすがにモールの中で教壇に立っている時のような個性を使った一喝はしないけれど、それでもかつての教え子である私からしてみれば思わず口を噤んでしまうような威圧感がある。
 今の子たちは神経が太い。いや、私たちが学生だった時よりも色々なことを経験するのが早いから、こういう物怖じしない態度になるのかもしれない。
 まあそんなことは今は関係ないことだ。

 視線を上げて先生の顔を見る。やがて先生は面倒くさそうに溜息をつくと、「うちのクラスの生徒だ」と乱雑な紹介をしてくれた。一人ひとりの紹介などもなく、一絡げにした言葉に思わず苦笑する。
 よくよく見れば体育祭の中継で見たことがある気もする。確かみんな本選まで残っていたはずだ。けれど正直、決勝戦や女の子の試合ばかり注目していたから男子の名前を憶えていなかった。
「はじめまして、こんにちは」
 相澤先生の彼女としてそれっぽい振る舞いをしなければ、そう思い持ちうる「大人らしさ」を総動員してにっこり笑ってみる。相手は高校生、私が挨拶すると向こうも慌ただしく頭を下げてくれた。礼儀正しい。
「は、はじめまして!」
「つうかお姉さん、まじで若くないすか!?」
 陽気な声に、先生はまた溜息を吐く。
「今年二十二だったか。雄英ヒーロー科卒、お前らの先輩だぞ」
「えっ、じゃあその人もヒーロー……」
 金髪の子に指さされ、私は顔の前でぱたぱたと手を振って返す。
「あ、ううん、私はヒーロー科から普通に大学に進学したから免許は持ってるけどヒーロー活動はしてないんだ」
「へええ、そういうパターンもあるんすか」
 驚いたような感心したような、彼らはそんな声をあげて私を見た。
 ヒーロー科に入学してヒーローになりたくない人間などいないだろうから、彼らからしてみれば私の進路はやはり異端に感じられるものなのかもしれない。とはいえヒーロー免許の試験合格率はけして高くはない。
 卒業しても免許がとれず就職浪人する者や、大学に進学して次の試験を待つ者もいることにはいる。雄英のような最高峰の教育機関からそういう生徒が出ることは少ない、というだけの話だ。
 いずれにせよ、ヒーローたる資格、免許を持っていながら大学に通い、今後もヒーローになるつもりはない人間は少ないのは事実である。

 と、私がそんなことを考えている間、先生は夏休み満喫中の三人に何か教育者らしいことを二言三言伝えていたけれど、それが終わるなり金髪の子が「そんなことより!」と声を上げた。

「そっちの人と先生とのご関係は!? やっぱり彼女!?」
「えっと……」
 金髪の子が私の方を見て問いかけているのは、恐らく先生よりも私に聞いた方が簡単に教えてくれそうだと思われているからなのだろう。正直に言っていいものか悩む。
「お、おい。まだ従姉妹の線とかあるから、な?」
「ねえよ! そんなもんはねえよ切島! 男の言う妹か従姉妹と出掛けてたなんてのは浮気の言い訳でしか聞いたことねえんだよ!」
「うるせえよ上鳴」
 赤髪の、切島と呼ばれた少年の取り成しにも一切耳を貸さない金髪くんはどんどんボルテージが上がっていくように見える。どうしたものかと先生の表情を盗み見れば、先生は困ったようにぽりぽりと頭をかいた。そして、ぼそりとこぼすように、
「奥さんになる予定の人」とだけ言った。

 その言葉に、私と三人は揃ってヒィッと悲鳴をあげた。
「お、オクサン!?」
「先生結婚するんすか!?」
「年の差婚!?」
「近々な。お前らまだ誰にも言うなよ」
「はーい!!」
 元気な返事だった。若いってすごい。若いって尊い。
 その後「オフの日までお前らの面倒を見る気は無い」と相澤先生がはっきり言い切り、三人とはそこで別れることになった。わいわい騒ぎながら去っていく三人の後ろ姿を見ながら、私は先生の腕に腕を絡ませる。表情筋が弛むのを抑えきれない。にやにやしながら先生に擦り寄ると呆れた視線を投げられた。

「奥さんになる人って……ふふ、ふっ、ふへっ」
「気持ち悪い笑い方するんじゃないよ」
「だって、今まで恋人とか彼女とかって紹介も碌にされたことないんですよ。それが一足飛びに奥さんってちょっと、えっどうしようやばい興奮してきました……奥さんって……こ、言葉がなんかこう、淫靡」
「そんなニュアンスは含んでない」
「ちょっと『こっちが妻です』って言ってみてもらってもいいですか」
「そんなに他人になりたいならそうするが」
「いけずだなあ」
 心底嫌そうにする相澤先生に対して尚もにやにや笑いながら、私は上機嫌で歩く。スキップでもしたい気分だったけれど、折角腕を組んでいるのだからそれはやめにした。
「指輪見に行きましょう。ギンギラギンのやつ」
「そんな悪趣味なの買うな」

fin(20180118)

(※林間合宿後、入寮前の話。相澤先生がA組の生徒に対して神野の件で怒っていたのは、ひとまずオフなので切り替えていたということで)

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