それはふたりで夕飯を食べていた時のこと。

「少なくとも騒動がおさまるまで、俺も寮に入ることになる。監督責任があるしな」
 相澤先生からの宣告はいつでも突然である。なので私も「突然」に耐性がついてきているのだけれど、しかし今回のこれは、流石に突然極まっている。

 ★

 林間合宿を襲った襲撃に始まる今回の一連の騒動は、オールマイトの引退という大きすぎる代償を払うことで一応の幕引きとなった。
 けれど、敵からの危機が、脅威が、完全に去ったわけではない。度重なる襲撃は着実に先生たちを追い詰めているし、生徒の不安も煽っている。
 そんな流れの中、雄英が全寮制を採択したのはある意味では当然の選択で、仕方の無いことなのだった。

「……そうですか」
 夕飯のハンバーグは少し塩気が多かった。そんなことを考えながら私は先生の言葉に相槌を打つ。
 先生の話によれば、全寮制になることでプロヒーローであり教員でもある先生たちが雄英の敷地内に常駐することになるということ。もちろん交代に休みはとれるし夜間のヒーロー活動は今まで通り続くけれど、自宅に帰ることの出来る日は大幅に減ること。
 淡々と説明されるそれらの事柄はすべて決定事項で、先生たちは明日から生徒達の家庭訪問をして了承を得ることになるという。
 つまり、今更私がどうこう言ったところで仕方がなく、駄々をこねても仕方がないことなのだった。

「仕方ないですもんね。うん、めちゃくちゃ悲しいけど、仕方ない」
 ハンバーグをつつきながらそう言うと、先生は何か言いたげな視線を投げてよこす。どうせ嫌だ嫌だとごねるとでも思われていたのだろう。自分の日頃の行いを顧みればそう思われていても仕方がないことだ。そりゃあ私だって、これでごねてどうにかなる問題だったら全力でごねる。
 けれど、そういう問題じゃないのだから仕方がない。

 手にしていた箸を箸置きに戻す。お味噌汁を一口すすって、ううんと小さく声を発する。
「あのね、先生。私、今回のことで色々考えたんです。私はヒーローにならなかったけど、でもヒーローがどれだけのものを期待されて、背負って、全うしなきゃいけないかってことはよく分かってます。私だって雄英の卒業生、ヒーローの端くれの端くれのそのまた先っぽくらいではあるから」
「お前が分かってるってことは分かってる」
「変な日本語」
 茶化すように言うと眉を顰められた。
 
重い空気になるのが嫌でいつも適当なことを言って混ぜ返してしまうけれど、それが悪癖である自覚はある。相澤先生にもいつも怒られる。
 これ以上脱線してしまうとさらに怒られそうだったので話を本筋に戻す。
「先生のお仕事のことは全力で応援します。フォローもする。でもその代わり、先生が疲れた時に帰ってきてほしいんです。先生の代わりに泣いたりへこんだりしたい。両親が死んじゃった時、先生はそばにいてくれたから……私もちゃんと先生のことを支えたいんです」

 林間合宿の襲撃事件の後、テレビで繰り返し流れた記者会見の映像を見るたびに心が痛んだ。メディア嫌いで有名な先生が、着なれないきちんとしたスーツを着て、髪も整えて誠心誠意記者の人の質問に答えていた。理不尽にも思えるような言葉に頭を下げていた。
 そんな先生の姿を見ているのはつらかった。先生の判断が正しかったのかどうかは人によって判断が分かれるところかもしれない。それでも、先生の教え子だったヒーロー科卒業生の私にしてみれば、先生のあの緊急時の判断はあの場での最善だったと思う。何も非難されるようなことはない。

 先生は非難されることもヒーローの仕事だと言った。きっとヒーローになったときからずっと、先生はもう覚悟を決めてしまっている。非難されることにも、心無いことを言われることにも。
 だったら私も覚悟を決めるしかない。先生の隣に並んでいたいから。先生の分まで傷つく覚悟。傷ついても倒れずに先生を支える覚悟。かつて先生は私を支えてくれた。私も同じように先生を支えたい。
たとえ先生がそんなものは必要ないと言ったって。

「何もまったく帰ってこられないわけじゃないんですよね? だったら大丈夫。留守は任せてください!」
 そう言って笑うと、先生は少しだけ顎を引いて私を見つめた。いつものことながら何を考えているのかよく分からない目だ。私の言葉を、覚悟を見極めようと量っているのかもしれない。あるいは生意気なことを言っていると呆れているのかもしれない。
 箸を置いたまま、先生の目を見返す。視線を逸らしたら負けな気がしてとりあえず目に力を込めておく。

 そうして暫し見つめ合った後、ふいに先生が口を開いた。
「籍、入れるか」
「そうですよ、籍だって入れ…………、え?」

 沈黙が流れる。今、私の聞き間違いでなければ先生はとんでもないことを言ったような気がするのだけれど。籍、籍入れるって言った。
 せき。席とか咳とか堰とか、せきは色々あるけれど、入れるという動詞を伴うのは籍くらいしかない。籍を入れる。それ即ち。
「だから、籍。名字が良ければだけど、入れようかって言ったんだ」
 結婚したいんじゃないのか、と。そう続ける先生の顔色はいつもと何ひとつ違わず、まるでその日の出来事を話しているようなトーンで、先生はそんなこと、籍を入れるなんてことを、唐突に、平坦に私に言ったのだ。

「……相澤先生」
「なに」
「それはその……プロポーズというやつ、では」
「ああ、まあそうだな 」
 事も無げにそう言ってのける先生の声に、再び長考に入る。
 プロポーズ。今さっきのあれは、やはり私の勘違いなんかではなく、間違いなくプロポーズだったらしい。
 少し前に私が相澤先生にプロポーズしたときには有耶無耶になってしまっていたのと同じことを、今度は先生の方から私に申し入れてきたことになる。当然、私としては断る理由などひとつもなく、諸手をあげて受け入れるべきことなのだろうけれど。いや、勿論諸手をあげて受け入れるのだけれども。

 プロポーズって果たしてこんな感じのものなのだろうか。
「……先生、私は今から大きい声を出しますよ」
「ああ、うん」
「……あのね! そういうのは! もっとムードがあるところで! 然るべき時に言うのが男の甲斐性じゃないんですか!?」
 さすがに雄英から教鞭をとってほしいとお声がかかるようなプロヒーロー。相澤先生の借りているこの部屋は家賃も高く、防音性もばっちりだ。普段の生活で音に気を付けることはほとんどなく、また上下左右の部屋からの音が気になったこともない。
 そんな防音性ばっちりの部屋をもってしてもちょっとは音漏れで迷惑がかかるんじゃないかと思われるほどの声量で、私は思い切り吠えた。そりゃあもう、魂の咆哮とでもいうような。
「そりゃあ私だって病室で切羽詰まってプロポーズしちゃいましたけど、あの時とは状況が違うじゃないですか! 先生はもっと乙女心を理解するべき! ていうかしてほしい! こんななあなあなプロポーズなんてガッデム!」
「口が悪い」
「すみません!」

 普通に叱られてしまったので、渋々口を噤む。それを見て先生は溜息を吐いた。そして言う。
「どこで言おうが、結果が同じなら早く言うに越したことはないだろ。ムードに拘るなんて合理性に欠けるよ」
「そういうところ! そういうところが!」
「そういうところが?」
「……すき」
 好きなのだった。ずるずると引きずり出されるみたいに好きだと言わされ、自分が情けなくなってくる。
 こんな合理性と現実感のかたまりの相澤先生と付き合っていたって私は普通の女子大生で、人並み程度にはロマンチックなシチュエーションに憧れていたりもするのに。期待だってするのに。
 それなのに、そんなものを一顧だにしない先生のことがやっぱり好きで仕方が無いのだ。極限まで無駄を削ぎ落としているのに、私なんかにプロポーズしてしまうような、愛情に溢れた先生のことが。

「先生はずるいですよ……そんな、だってこっちがやっと待ちの姿勢をとる覚悟を決めたところだっていうのに、そんな簡単に私のこと喜ばせたりなんかして」
「いいじゃねえか、喜んでるなら」
「悔しいんですよ、いつも一枚上をいかれて」
 そう反論するけれど、先生は「逆だろ」と真っ向から私の意見を否定する。
「あのな、俺は伊達にお前より十年近く長く生きてないんだよ。年上なんだ、そりゃお前より上をいかなきゃ恥ずかしい」
「恥ずかしくなんてないですよ! 私は先生の隣を歩きたいのに、いつも先生ばっかり余裕があって」
「だったら俺のプロポーズ受ければいいだろ。俺は結婚して、名字と家族になりたいって言ってるんだから、俺を喜ばせたけりゃそうしてくれるのが一番なんだが」
「なんだか上手いこと言いくるめられてる……」

 結局口のうまさで先生にかなうはずもないのだった。
 先生は私のことを強引だとか勝手だとか散々に言うけれど、それは先生だって同じことだ。付き合うのも同棲するのも私が無理を通した結果。だけどそれ以外はほとんど、私が先生の無茶やわがままを聞いている。
 プロポーズだって、私のプロポーズは聞いてもらえなかった。

「で、お前の返事は?」
 先生が静かに問い詰める。答えなんて考えなくたって決まりきっていた。
「末永く宜しくお願いします……」
「うん、こっちこそよろしく」

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