俺が林間合宿から帰ってきてからというもの、名字の目はずっと赤い。

 連日テレビからは林間合宿襲撃事件と雄英バッシングが繰り返し流れている。生徒から負傷者だけでなく拉致されるやつまで出してしまったのだ。批難が溢れても仕方が無いことである。
 当然現場監督者として俺も叩かれているようだが、しかしそんなことよりも今は警察との連携やらマスコミ対策の準備やらとやるべきが山積していて、正直へこんでいる暇すらない。

 そんな有様なので、教師陣はみな雄英に詰めっぱなしで碌に帰ることも出来ないでいた。表には報道陣が詰めかけている。出入りは夜間に裏門からこっそり、それでも無理そうな時は、仕方が無いので名字に着替えを持ってきてもらったりしている。雄英の卒業生だけあって、名字は勝手が分かっている。

「明日、会見がある。悪いがスーツ一式届けてくれないか」
「わかりました。また家出る時に連絡しますね」
 ぶつんと切れた電話を見て、俺は溜息をつく。俺たちが疲れているのは言うまでもないが、電話の向こうの名字の声もまた随分疲れているように聞こえた。
 何度か家に帰ったときもそうだ。一応俺の前では笑うように努めているようだが、それでも目を見れば、声の調子を聞けば俺がいないところでどうしているかなんて一目瞭然だ。
 泣いている。肉親が死んだ時にもそうだったように、誰もいないところでひっそりと、誰に知られることもないままに今もまた。

 俺と名字の関係を知る人間はそう多くない。だから、たとえ俺がバッシングを受けようと名字まで被害を被るようなことはない。そうなると今名字が傷つき、疲弊しているとすれば、それはマスコミそのものに傷ついているのではなく、マスコミによって扱われている俺の像に心を痛めているのだろう。

 馬鹿だと思う。愚かだとも。
 マスコミなんてどうせ俺たちヒーローを都合いいときだけは持て囃し、ほとんどの場合は足を引っ張るようなことしか報じない。無益で無意味な存在だ。俺のメディア嫌いは身内にはよく知られているが、今回改めてその認識を深めた。
 くだらないし、相手にするだけ時間の無駄。あんなものをいちいち間に受けていても仕方がないのに。

 それでも、目を真っ赤に腫らして「お疲れ様です」と笑う名字を見ていると、こんな俺でも多少は胸が痛んだりもするのだった。子供みたいな顔して笑っているはずの人間が、大人の仮面で繕っている。似合わない。なのに似合わないと言う資格が俺にはない。
 間接的には俺にだって非があるのだから。

「疲れてんな。大丈夫か?」
 いつの間にか俺の隣に掛けていたプレゼント・マイクが労るように俺の肩を叩く。こいつが近づいてきたことにも気が付かないなんて、自分で思ってたより疲れてる。そう実感して、休憩室の天井を仰いだ。ブラインドを閉め切った室内は真昼なのに薄暗い。
 マイクが「ん」と俺に缶コーヒーを寄越す。有難くそれを頂戴し、プルタブを開けた。
 並んで休憩室のソファーに腰掛けていると、窓ガラスの向こうから叫ぶ取材陣の声が小さく聞こえた。そのけたたましさに思わず眉を顰める。
 と、ポケットに入れていた携帯が何度か振動した。

「名字からだ。今からスーツ持ってくると」
「名字ねェ……、大丈夫そうか?」
「どうだかな」

 どっちつかずな返事をしながら名字に了解と返信を打つ。マイクにはわざわざあいつが泣いていそうだなどとは言わなかった。ただでさえ現場監督だった俺は周囲から気を遣われている。この上名字の話までして余計に気を遣わせたくは無かった。
 返信を打ち終わった携帯を再びポケットにしまって、また大きな溜息を吐く。

 気を遣われえるのは慣れないし好きじゃない。借りを作ったりするのも好きじゃない。そういうことを考えれば、今回のことで名字には甚大な心配をかけているし、借りもつくっている。これはもう、恋人だから、同棲しているからという言葉で済ませることのできないレベルだ。
 そして名字との関係が近くなればなるほど、きっとこの先こういうことは増えていく。俺がヒーローを続けていく限り。

「こういうことがあるから結婚なんてしたくないんだ」
 思わず吐き出した本音に、マイクの耳にかかったヘッドフォンがずるりとずれた。ぽかんとした顔をしてマイクが俺を見る。
「エッ、お前結婚する予定なのカヨ」
「……失言だった、忘れろ」
「オイオイオイオイそりゃ無理だろ!!」
「今する話でもないだろ」

 にわかにテンションの上がったマイクが俺の方に身を乗り出してくるのを押し返す。
 ただでさえ生徒がひとり攫われているというのに、その上俺が警察で事情聴取を受けている間、会議では内通者がいるのではないかという話題になったとも聞いている。
 結局その話は校長の一声で追及しないことになったようだが、内通者の存在については誰もがうっすら考えてはいたことだった。空気がぴりぴりとしているのはただ敵の襲撃にあったからだけではない。

 そんな状況でわざわざ名字とのことを話すような気分にはなれなかった。そもそもプロポーズされた件については誰にも話す気なんてなかったのだ。今うっかり口が滑ってしまったのは、ここ数日の疲労によるものに違いない。
「結婚っておま……」
「うるさい。そろそろ戻るぞ」
「いや結婚って」
「うるさい」
 マイクを無視して立ち上がると、会議室へと戻った。

 ★

 会議室に戻ってすぐ、名字から到着したと連絡があった。本来、卒業生である名字は部外者であるため自由に雄英の敷地内に出入りすることはできないが、時期が時期なので今だけは通行用パスを渡してある。
 連絡を受けて職員室前で待ち合わせると、スーツカバーを手にした名字は疲れた顔をしてそこに立っていた。

 最後に会ったのは昨日、警察から解放され雄英に戻ってくる前に一度自宅に寄ったときだが、その時も顔色を悪くしていた。今はその時よりももっと蒼い顔をして、腫れぼったい目をしている。
 みんな会議室に出払っていてよかった。本人は平気なように振舞っているが、人に見せたい顔じゃないだろう。
「スーツ、会見用って言ってたので派手じゃない普通の持ってきたんですけど、これでよかったですか」
「ああ、助かる」
「会見かぁ。あ、たまにしか出ないテレビだし、折角だから録画! しときます?」
 名字は冗談で言っているのだろうが、生憎その疲れ切った顔ではそんなことを言っても面白くも何ともなかった。空元気であることが見え見えだ。

「お前、ちゃんと飯食ってんのか」
 口をついて出た言葉に名字がへらりと眉を下げて笑う。いつもの力は感じられない。
「なんかいつもと反対ですね。いつもは私が先生の食事の心配してるのに」
「はぐらかすな。その口ぶりだと碌に食べてないな」
「いやー、ははは……夏バテしてるみたいで」
 分かりやすい嘘だった。露骨に視線をそらした名字に今日何度目かの溜息を吐く。図々しく強引で人の事情などお構いなしにも見えるけれど、実際のところ名字は面倒くさいくらい濃やかな人間なのだ。俺に対して嘘を平然とつけるタイプでもない。そういうところは俺とは違う。
「ったく、お前はどうせワイドショー見てめそめそしてんだろ。そういうのは建設的じゃないからやめなさい」
 そう言って名字の頭を二度、ぽんぽんと軽く叩いた。けして強い力ではなかったのに、途端に名字はくしゃりと顔をゆがめて俺を見る。
 眉間に皺が寄り、口はへの字に曲がっている。俺の言ったことが図星だったらしい。

 叱られた子供のようにくしゃくしゃになった顔をしている名字は、ぎゅうと握った拳で目をぐいと拭った。声を押し殺して、まるで唸るような声音で言う。
「でも、だって相澤先生は悪くないのに……、生徒を守りたかったからこその判断なのに、悪いのは敵で、先生は身を呈して生徒たちを守ったのに」
「……そうだとしても、お前が泣く必要ないだろ」
「泣くんですよ! 相澤先生と違って私の感性は豊かなんです!」
「人を機械みたいに言うな」

 まだああでもないこうでもないと喚いている名字を見ていたら、自然と少しだけ張りつめていた心がほぐれたような気がした。今更マスコミにどう騒がれ何をこき下ろされようと、そういうものだと思って傷ついたりはしない。
 それでも名字は傷ついている。傷つけている一端を俺だって担っているのだけれど、自分よりも自分のことで傷ついてくれる人間がいると言うのはけして悪いことではない。傷つけたくなくてこの距離を保っているはずなのに、おかしなことだとは思うけれど。

 喚いているうちにだんだんと怒れてきたのだろう。傷ついた泣きそうな顔はどこへやら、ぶすりと怒った顔を俺に向けている名字に俺はもう一度笑った。首に巻いた捕縛武器で口許は隠れているから名字にも見えないだろうけれど、それでいい。
「いいんだよ俺は。これが仕事だ」
「……マスコミに叩かれることが仕事ですか?」
「そんなようなもんだろ、ヒーローなんて。それに、分かってくれる人間がいればそれでいい」

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