雄英体育祭も終わり、高校の一学期も折り返す頃。平日ど真ん中の水曜日だというのに、いつになく早く帰宅した相澤先生と一緒に、私はもぐもぐと夕飯のあじの叩きを食べていた。ダイニングのオレンジ色の電灯に照らされた先生は普段より顔色が良く見える。
 そんな先生に、私はねえねえと先生に声をかける。
「たまには私たちもお外でデートしましょうよ。来週から一年生は職場体験でしょ? ちょっと早く帰ってこられますよね」
「ああ、うん。まあ……そうだな」
「試験の準備まではまだ時間もあるし! どうせ夏休みだって雄英の教員は忙しいんだから、今のうちにデート! してください!」
「まあ考えておく」
「絶対、絶対ですよ! 私行きたいお店考えておきますからねっ」
「……うるさい。早く飯を食え」
「私が作ったご飯ですよ!」
「知ってるよ。うまい」
「ありがとうございます……?」

 そんなわけで漕ぎ着けた相澤先生とのデートは、ちょうど一年生が職場体験に出発して二日目の火曜日に決行されることになった。
 仕事が終わった相澤先生が一旦家に帰宅し、それから車で出発する。いつものずるりとした黒装束から、比較的きっちりとした黒装束にマイナーチェンジしてもらう。ジャケットを羽織った先生は、顔の傷や充血した目と相まって完全にカタギの雰囲気ではない。

 先生の運転する車の助手席に乗り込んで、ナビに目的地を入力する。何も聞かずにナビの行き先に向けて車を走らせる相澤先生。食の好みや店選びについては相澤先生は口を出すことはないし、信用もしてくれているように見える。
 スピーカーから流れるラジオの洋楽番組を聴き流しながら、ぱたぱたと足を交互に上げ下げする。買ったきり一度も着ていなかった可愛いワンピース、隣には大好きな相澤先生。自然と心がふわふわし始める。
「相澤先生が早く帰ってきてくれて嬉しいなー! もう永遠に職場体験が続けばいいのに」
「おい」
「冗談じゃないですか」
「そういや名字は一年の時の職場体験どこ行ったんだっけ」
「ウワバミさんのところですね。指名きました」
「あー、なるほど。そういやそうだったか」
 相澤先生がさもありなんというように頷く。

 私の個性は「音波」。声を発する要領で音波を発する。その強弱の程度で物理攻撃に転用したり気絶させたりするのだけれど、私はその調整があまりうまくなかった。
 個性については、現役ヒーロー科学生時代にはそれなりに扱えていたのだけれど、日々の生活で特に役立つ個性でもないため卒業後はほとんど使用していない。そのせいで今となってはうっかり出力を間違えるのが怖くてほとんど封印してしまっている。
 少し前の位田さんとの一件で個性を使わなかったのも、至近距離の相手にうっかり出力を間違えて甚大な被害を負わせることがあってはならないという思考があってのことだ。まあ、あの時は先手を取られたのも悪かったのだけれども。

 その点、ウワバミさんのところに職場体験に行ったときには特に個性を使って戦うこともなく平和そのものだった。数年前の記憶を掘り起こし、目を細める。
「ウワバミさん、最近もよくCMとか出てますよねえ。懐かしいな、私もウワバミさんのところでお世話になってた時、一回だけ一緒に撮影してもらったっけ」
「あの人は副業の方重視で学生とりたがる傾向にあるな」
「今年もウワバミさんのところに先生のクラスから職場体験行ってるんですか?」
「ああ、八百万っつう」
「あ、その子分かりますよ。体育祭でも本選まで残ってた子ですね。手から武器出せる子」
「少し違うが、まあそんなところだ」

 今年の先生の受け持ちクラスからは除籍にされてしまった子はひとりもいないらしい。相澤先生クラス出身の私が言うのも何だけれど、除籍がひとりも出ないだなんて、今年の生徒たちは優秀なのだろう。
 テレビで見た体育祭でも「わー、すごい!」と思わず声に出して言ってしまうような子が多かった。八百万さんもそのひとりだったと記憶している。
「可愛くって強くって、そりゃあウワバミさんが気に入るわけだ」
「お前だって指名来てたじゃないか」
「そうですけど、もう六年も前ですよ。それにその頃はウワバミさんもここまでメディアに出てなかったから、多分今の方が見た目重視ですよね」

 そんな話をしながらも車はすいすいと進んでいく。程なくして、目的地であるレストランに到着した。近くのパーキングに車を停め、腕を組んで店に向かう。
 ナビのおかげで迷うことなく到着できたけれど、大通りから一本路地に入ったところにあり大きな看板も出ていないから、通りすがりで見つけて入店することはそうそうなさそうな店構えだ。

「ここのお店、前から来たかったんですよね」
「リストランテ……イタリアンか」
 流木のような荒削りな板で拵えられた小さな看板を見て相澤先生は呟く。手書きのイタリア語で記された文字は、私だったら予備知識なしには読めなかっただろう。こういうところがずるいんだよなあ、と先生を横目に見ながら私は頷く。
「はい。ちゃんと予約もしてきたんですよ」
「着替えろっつったのはこういうことね」
 リストランテ、イタリア語でレストラン。さすがにコースで料理を提供してくるような店に、普段の相澤先生のようなずるりとした黒装束で入店することは出来ない。それなりのドレスコードを守らなければならないのはプロヒーローとて例外ではない。
 それに、いくら認知度が低いとはいえ先生はプロヒーローだ。外食をするならばそれなりの店、それなりの格好をしていた方がいいのだろう。
 私というパートナー同伴であることを考えても、客層の落ち着いた店の方が何かと面倒ごとは少ない。
 とはいえ、普段はそういう様々な厄介事を考えるのが面倒なので、相澤先生と私のデート頻度が少なくなるわけなのだけれども。

 案内された半個室のテーブルにつき、事前に予約してあったコース料理が運ばれてくるのを待った。とかく先生は無駄を嫌う。こうやって事前にメニューを決めてしまえるときは、私が勝手に決めてしまうのもいつものことだった。
「それにしても、こうやって外で食事するのも久し振りですね。去年のクリスマスは家で過ごしたし、本当、いつぶりだろう……」
「さあな。そもそもお前に連れていかれでもしないと外で凝った飯を食べようと思わない」
 きっぱりとそう断言する先生に苦笑する。
 私だって別に食通というわけじゃない。それでもどうせ食べるなら美味しいものを食べたいと思うし、もっと言うなら大切な人や好きな人と美味しいものを食べて幸せに思う気持ちを分かち合いたいと思う。

「食事に栄養摂取以外の価値をみとめてたらそういう発想にはならないと思うんですけど」
「栄養摂取以外……、コミュニケーションの話?」
「そうそう。大好きな人と美味しいものを食べることはコミュニケーションの手段の一つですよ。コミュニケーション大事」
「分からんでもないが、合理的ではないね」
「そうかなー」
 そう首をひねると、相澤先生はもう一度「合理的じゃない」と言葉を重ねた。

 確かに相澤先生のものさしで考えれば、コミュニケーションツールとしての食事というのは無駄なことなのかもしれない。相互理解においては必ずしも感情の共有は必要な事柄ではない。それに食事はあくまでもコミュニケーションの潤滑剤にすぎない。
 それでも私は相澤先生と一緒に食事をしたいと思う。自分の作ったものを美味しいと食べてもらえることはもちろん嬉しいし、こうして美味しいものを食べに行くのだって、先生と一緒なら楽しい。
 これから先だって、何度だって、先生と一緒に食事をしたら楽しい。

「先生は私といて楽しいですか?」
 私の質問に先生は訝しげな顔をして目を細めた。
「どうした、藪から棒に」
「深い意味は無いですけど。私は先生と一緒にいるとすごく楽しいし落ち着くから、先生もそうだったらいいなと思ったんですよ」
 私の頭の中ではきちんと繋がった話の流れになっているけれど、先生からしてみれば何の脈絡もない、突拍子もない言葉に聞こえたことだろう。
 私は先生のことが好き。だから一緒にいると楽しい。毎日一緒にご飯も食べたいし、誰からの視線を気にすることなく先生と出歩きたい。少しでも早く、約束がほしい。家族になりたい。
「先生は、私と一緒にいて楽しい?」
 ずるくて臆病な聞き方だと思った。結婚という言葉を出すのは怖くて、遠回りで、わざと的を外した言い方をした。
 それでも。それでも、プロポーズの答えももらっていない、流されてしまった私にとってはこれが限界なのだ。

 私の質問に僅かに眉根を寄せた相澤先生は、そうだな、と口を開く。私の問いの真意を正しく捉えているかは私には分からない。先生の思考はいつだって子供の私には難解だ。
「楽しいかって聞かれたら、まあそうだな。騒がしくはあるよ」
「騒がしいって……何故だろう、まったく褒められている気がしない」
「褒めてないからな」
「褒められたい」
 それにしても、そうか、騒がしいか。
 そう反復するように呟いて、それから何故だか妙に照れた。騒がしい。喧しいとかうるさいよりも少しだけ楽しいに近い位置にありそうな言葉の気がして、褒められているわけでもないのになんだか心がくすぐったくなる。
「ちえー」
 子供みたいに唇を尖らせてふくれっ面を作って見せたけれど、実際ちょっとも「ちぇー」なんて思ってはいなかった。

 ★

 食事を終え、満たされた気持ちとお腹で車へと戻る。期待通りの美味しい食事。車を運転しなければいけない相澤先生に合わせてアルコールは無しにしたけれど、飲んでもいいぞという先生のお言葉に甘えて一杯だけワインも飲んだ。少しだけふわふわとした足取りで、先生に寄りかかるように腕を組んで歩く。
「いいお店でしたねえ。もっと近所にあれば先生もお酒飲めたのに」
「別に、そこまで酒が好きなわけでもないからいいよ。いつ呼び出しがかかるかも分からんしな」
「因果な商売ですよね、本当……でも、そんなお仕事頑張ってる先生のこと大好き」
 飲み慣れないワインのせいか、そんな言葉がするりと口から出た。とはいえ普段から先生には惜しみなく愛の言葉を送っているので別段照れたりもしない。残念ながら先生からのリターンは乏しいけれど。

「やっぱりたまには外でデートもいいものですね。こんなに嬉しくって楽しいんだから。ねっ、先生もそう思いません?」
 にこにこと表情筋が弛みっぱなしであることを感じながらそう先生に言ってみれば、先生はううん、と小さく唸った。そして言う。
「コミュニケーションね」
「え?」
「せっかく外に出てきてるんだ。たまには気分変えてみるか」
「と言いますと?」
 聞き返すと、相澤先生はくいと顎をしゃくって私の後ろ側を指す。
「アレ」
 振り返って見れば、煌々とネオンの輝く城がそこにそびえていた。城というか、城を模したラブホテルというか。いやまあどこからどう見てもラブホテルそのものである。

 いや! ていうかラブホテルって!
 ワインによってもたらされたふわふわした気持ちは急速にどこかへ吹き飛んでいき、代わりに熱が襲ってくる。
 先生と恋人になって三年と少し。ほとんど最初から同棲していたこともあって、自宅マンションのベッド以外で先生と寝たことは一度もない。というより、ここの所は先生が忙しかったこともあって、そもそもそういうことをすること自体とんとご無沙汰である。
 初めてというわけでもない。それなのに、やたらめったら恥ずかしくなってしまった私は先生の肩を叩いた。何度も何度も、ばしばし叩く。
「せ、先生……! なん、な、なんですかその突然の、なんか、なんていう、あれなやつは! 飴と鞭の飴!?」
「お前が言ったんだろ、コミュニケーションは大事って。こういうのが合理的なコミュニケーションだ」
「そんなんずるい……ずるいですよ、先生……」
「で、行くのか、行かないのか」
 にやりと先生が笑う。その顔が久し振りに見たというくらい楽しそうで、そんな顔を見てしまえば、私に与えられた選択肢などあってないようなものなのだった。

「ずるい……こんなことならこの間買ったばっかりの下着つけてこればよかった……」
「風呂場に干してあったやつか。どうせ大して見ないんだから何でもいい」
「すぐ! そういうこと! 言う!」

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