やがてとけて流れゆく



 個性のことに触れられるのは好きじゃない。いくら個性が発現したんだからいいじゃないと言われたところで、過去に経験した嫌な思いが消えてなくなるわけではないからだ。
 いくら過ぎ去ったことだと言われたところで、被った悪意はなくならない。
 いじめられた側は、いじめっこの顔を、言葉を、絶対に忘れたりはしない。

 個性の発現が人より遅かった。
 今となってはそれすらも個性的じゃん、くらいには思える。みんなが一律四歳までに個性を発現する中、私だけそうじゃなかったというのなら、それだってまた個性と言えなくもない。のんびりした性格の人間がいるんだから、のんびりした個性だってあっていいはずだ。
 けれど実際、個性のなかった私は幼稚園から小学校に至るまで、まあまあひどいいじめにあった。
 我が家は幸いにして、両親祖父母みな個性の有無に頓着しない人たちだった。というよりも祖母が無個性なので、隔世遺伝かねーなんて笑って済ませて、それだけだった。多分、個性の有無よりも人間性の如何を重視していたのだろう。人間としてはそれはきっと正しい感覚だ。
 そんな家族の在り方に、幼いながらに私は救われたし、個性がなくてもいいのかと納得もできた。個性がすべてではないと思えただけでも、私には十分に救いだった。
 けれどそれはあくまでも家庭内での話である。一歩家の外に出れば、そこにあるのは個性至上主義の残酷な世界だ。

「名前ちゃんは出来損ないの無個性だから一緒に遊ぶと個性とられちゃうよ」

 ひどい言葉を言われた。まだ幼稚園のころの話だ。
 誰もあんたのしょうもない個性なんていらないしと、そう言えたらよかったのだろう。あんたみたいな個性ならいらない、ない方がましだと一蹴できる強さがあれば。
 けれどその時の私は、そんな強さを備えるにはあまりにも幼すぎた。そんなふうに言い返せるだけの語彙も、すべてを撥ね退けられるだけの度胸もなかった。
 それでもその時の胸にじわじわ広がる悔しさをけして忘れはしない。そこで折れるようなやわな性格に生まれついてもいない。
 小学校に上がる頃には、こんな私でも、立派に反撃できるようになっていた。
 無個性だからといってなめられる道理はない──そんな思想の親のもとで育ったからか、物心ついたころには私も自然とそう思うようになっていた。
 そもそも、小学生なんて個性があったところで使いこなせていない子がほとんどだ。たとえ喧嘩向き、戦闘向きの個性でも、それを実際にうまくいかせる人間など、それこそ爆豪くんのような選ばれし一握りの人間だけだろう。普通に喧嘩したら、素手で強い方が強い。今でこそ大した体格ではないけれど小さい時は人並みの身長はあったから、本気でやり返せばひとりでもそれなりに喧嘩することはできた。
 もちろん個性がないこと以外でいじめられるのは嫌だったから、勉強だって頑張った。弱みになりえる要素はすべて潰さなければならない。
 ──負けるわけにはいかなかった。
 無視されたり、ものを隠されることは平気だった。言わなければ親にもバレやしない。けれど叩かれたり、実際に暴力を振るわれるのは別だった。相手がどれだけ巧妙にやったつもりになっていても、所詮はいじめなんかするような小学生の浅知恵でしかない。遅かれ早かれ大人にはばれる。
 親にバレるのだけは絶対に嫌だった。だから、いっそやり返すことにした。ただやられてやるような理由もない。こちらが相応にやり返せば、女子小学生なんて当然ひるむ。殴るわりには殴られるのは嫌がる。だから直接的な攻撃はされなくなる。
 けれどそんな風に荒れた小学生時代は、ある日訪れた個性の発現とともに唐突に終わりを告げたのだった。

 爆豪くんが私の個性のことを何か知ったらしい。そう思ったのはたまたま顔を合わせた道端で、いきなり個性の使用を強要してきたからだった。
 隣の席同士、これまでも何度か少なからず会話らしきものはしてきたけれど、今まで個性のことをどうこう言われたことはなかった。個性のことを隠すつもりは無かったけれど、今までは単純に私に興味がなくて知らなかったのだろう。こちらからわざわざ話題にすることもなかった。
 爆豪くんに個性を使えと言われたとき、本当はそんなに驚かなかった。地元の中学に進学してしまった以上、周囲の人間にバレるのは時間の問題だ。いくら私に興味のない爆豪くんでも、もしかしたら私の個性の話を耳にすることがあるかもしれないと、そのくらいのことは分かっていた。
 ただでさえ無個性の緑谷くんを目の敵にしていた爆豪くんだから、私のこの個性のことも何か言うのだろうか、もしそうなら嫌だなあ、折角少しは仲良くなったのに。
 そう思いながら個性を使って見せた。
 けれど爆豪くんは、私の個性を見てから暫く黙って何かを考え込んだ後、言った。

「ハッ、俺のがすげえ」

 それは明らかに見下したような言葉だったけれど、だからといって怒ったり悲しんだりはしなかった。むしろその言葉は、何故だかすとんと心の中に収まった。
 それはきっと、私を見下す言葉であっても、私を貶める言葉じゃなかったから。或いは爆豪くんの強い個性に裏付けされた納得できる事実だったから。
 昔私をいじめていた子たちと爆豪くんは違う。あの子たちは私を貶め詰ったけれど、爆豪くんは自分が強いということ、自分が一番になるということ以外にきっと興味はない。その姿勢は、見ようによっては凶悪だし自分本位であるけれど、少なくとも私は嫌いじゃなかった。
 自分と比べてどうなのか──私に一切の興味がないようなすがすがしさは、何というか。気持ちよさすらあった。

 ★

 ぼんやりしていたらチャイムが鳴った。慌てて次の授業の準備を机の上に広げる。
 爆豪くんと個性の話をした日から数日たつ。
 隣の席の爆豪くんはさっきまで両手を枕にして机に突っ伏して寝ていたけれど、だるそうな顔でまだ誰もいない教卓を睨んでいる。常に誰かしら何かしらを睨んでいないと死ぬ病気に罹患している可能性がある。
 ガラガラと音を立てて教室のドアが開いた。教師が入ってきて授業が始まった。黒板に書き出された古典の訳を書き写しながらふと隣の席に視線をやると、何故か私を睨んでいた爆豪くんと目が合った。
 いや、ていうかなんでこっちを睨んでるの。怖い。
 恐怖を感じて思わず笑顔を作る。引き攣った顔になっている気がするけれどそんなことは知ったことではない。
 そんな私の歪んだ笑顔に爆豪くんは本気で不愉快そうな顔をした。そしてパクパクと口を動かして見せる。口を横に開いて、それからほとんど口の形を変えずにもう一音分。
 なんだろう、私は唇を読むなんて高度な技術を持たないので首を傾げる。恐らく最初の文字はイの段、二文字目は多分、エの段だ。アよりは小さく、ウよりは大きい。ということは、イネ? シケ? いや、シネ?
 シネ、死ねだ! そう気がついてはっとした。今爆豪くん、口パクで私に向かって「死ね」って言った。絶対、絶対死ねって言った。私が気が付いたことに気が付いたのか、爆豪くんがにたりとこの上なく悪い顔で笑う。その猛烈に腹立たしい笑顔に私も負けじと口パクで返した。普段ならば言わないような、口の悪い暴言の言葉。爆豪くんは一瞬不審げに目をすがめたけれど、すぐに私が何を言ったのか理解したらしい。
「あ゙ァ!?」
 直後、授業中にもかかわらず大声をあげて椅子から立ち上がった爆豪くんは教師に叱られ、ついでに何故か私まで叱られたのだった。

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