世界のどこかで誰かが歩く



 授業後、いつものように連れとだらだら寄り道しながら帰宅する。つるんだところで大して面白いこともないようなやつらだが、向こうから寄ってくるんだから仕方ない。慕われるのは悪い気しないし、まあ暇潰しくらいにはなる。それもこれも俺の人望というやつだ。
 確たる目的もなく惰性で繁華街をぶらついていると、ふいに連れのひとりが思い出したように「そういえばさ」と俺の肩に手をかけた。
「最近カツキよく名字と喋ってるよなー。ああいうのカツキのタイプじゃなくね?」
「は?」
 名字って誰だそれ、知らねえ。そう返事をすれば、カツキの隣の席だろ! と笑われる。そこで初めて、ああ、あの根暗女の話なのかと合点がいった。
 そういえば根暗は教師からそんな風に呼ばれていたような気がしないでもない。が、はっきりそうだと思い出せたわけでもなかった。俺にとってのあいつはモブの中のひとり、根暗女としか認識されていない。あいつの友達がへらへらと呼ぶ下の名前ならともかく、苗字で呼ばれたところで実物と繋がらないのも無理ないことだった。
 つうかそもそも、なんでいきなり根暗女の話が始まるのか。タイプも何も、あんなもんはモブでしかない。根暗女に限った話ではなくても、女のタイプなんざ知らないし、興味もない。クソつまらない話題にも程があるというものだ。
 しかし俺の興味の有無になんざ関係なく、周りのやつらは根暗女の話題にも食いつく。暇人どもはつくづくくだらないことをする。
「確かにまあ、可愛いっちゃ可愛いのか? けどなー、ちょい真面目すぎだよな? 俺全然絡んだことねえわ。話題とかないし」
「見るからに真面目なんだよな。スカート長えし。足きれいっぽいのにもったいねえよな! 足!」
「お前はそればっかか!? この間も足の話してただろ」
「足は知らねえけど、なんつーか、芋くせえんだよな。磨けばそこそこ光る的な感じ?」
「お前も何様だよ!」
 さんざんな評価を聞き流しながら、何ともいえない苛立ちを感じていると、
「爆豪ああいうんが好きなん?」
 流れで俺にも話題がふられる。当然ながら、あんなものを好きなはずがない。
「そういうんじゃねえよ。つーかねえわ、まじで」
「だよなー」
 俺の返事に周りのやつらがギャハハと揃って笑った。いや何も面白くねえわ。クソを煮詰めたみたいな話題な上にしょうもないこと聞かれて、正直死ぬほどイライラしている。次にしょうもないこと聞かれたら目立たない路地裏に引っ張っていって殴るか、なんて考えていると、連れのうちのひとりが「名字といえば」と、しつこく話題を繰り返した。
 よし、爆破。
 右手で威嚇のための爆破を鳴らすために左手でそいつの襟をつかもうとした、瞬間。
「俺、あいつと小学校一緒だったけど、あいつ昔、無個性っつってちょっと苛められたりしてたんだよな」
「……あ゙ァ?」
 思いがけない言葉に、上げかけた俺の左手がぴたりと止まった。
 俺のリアクションを「続き言えや」と捉えたのか、そいつは何故かムカつく笑みを浮かべると得意げに口を開く。
「確か小四くらいまで、名字って個性なかったんだよ。普通ガキの頃にみんな個性出るじゃん? だから緑谷みてえな感じで、無個性だっつって虐めみたいなことされててさー。で、女子って結構えげつねえのな。俺あの時はじめて女子ってやべえなって思ったわ」
「まじ? そんなに虐めやばかったん?」
 聞き返したやつの言葉に、そいつは首を横に振る。
「ちげえって、やべえのは名字の方。いや、そりゃあ虐めてたやつらも大概だったけど、名字の場合、普通にやり返してたし。あいつやべえの。女子のくせに手ェ出るし、大人数相手でも結構平気で顔殴りに行く感じでさ。それでだんだん直接的な虐めはなくなったんだよ。無視とかはあったみてえだけど。女子同士の殴り合いとか普通にやばすぎだろ。女子プロかよ」
 信じられない話だった。
 あの根暗女が、まさかそんな喧嘩みたいなことをするようには見えなかったからだ。身体だって、何ならほかの女子より小さいくらいだし、ちゃんと見たことこそないが、多分喧嘩するために必要な筋肉もないだろう。小学生同士の喧嘩ならばそんなものも要らないのかもしれないが、それにしたって殴り合いをするにはいくら何でもひ弱すぎる。
 しかし心のどこかで、その話に妙に納得している自分もいた。
 一学期のはじめ頃、俺に向けていた根暗のあの険のある視線──あれは恐らく、その小学生時代の名残みたいなものだろう。俺らに小突き回されてるデクの姿に、無個性で虐められてた過去の自分に重なったとかなんとか、まあそういうことだ。それで虐めてた側の俺に腹が立ったと。
 うざい。うざすぎる。
 何処の誰とも知らないようなクソみたいなモブと、この俺を重ねるな。そんなことを思い、ひとり沸沸と腸を煮え繰り返させていたら、モブのひとりが俺と同じようなことを考えていたのか、「けどさ」と呟く。
「名字ってそんな好戦的なキャラに見えねえけど。つかあいつ今普通に個性あんじゃん。何の個性か知らんけど」
「いや、だから小四で個性出たんだって。で、そこから何かキャラ変わって喧嘩もしなくなって、今みてえな根暗真面目チャンやってんの。昔から勉強はできたけど」
「小四デビューってやつ?」
「意味分っかんねえよ。な、カツキ」
「……つーか根暗女の話なんざクソほども興味がねえ」
 そうだ、一瞬食いついてしまったが、そもそも俺は根暗には一ミリの興味もないのだった。あれはただのモブで、根暗で、うっとうしいだけのやつだ。わざわざこうして話題に出す必要もないような、そういう存在でしかない。
「んだよカツキー」
 俺の返事にしけたような顔をして、根暗女と同小出身だというやつが口を尖らせた。生憎、そんなどうでもいい情報で喜べるほど俺は暇じゃない。
「帰る」
「は!? 急に!? おいちょっ待っ、カツキ!?」
 周りのやつらをみんな置いて歩き出す俺に、わざわざ追いかけ追いついてくるやつはいなかった。こういうときの俺にうざったく構ってきて、結果キレられた人間は今まで少なくない。俺の周りのやつらはもう、俺の扱いのようなものをそこそこに心得ていた。

 ひとりで家に向かって歩いていると、さっきまでの話が脳内をぐるぐると巡る。根暗女の過去なんざその辺のゴミと同じくらいどうでもいいが、しかし聞いちまったものは仕方ない。
 ムカつく女だと思う。生意気だとも思う。
 俺はあいつの過去についてこれっぽっちも同情なんかしないが、まあただ阿呆みてえにやってきたわけではねえということは分かった。
 ただのムカつく女ではなく、多少やるかもしれないムカつく女、くらいにはなっただろうか。少なくとも、やられたらやり返す精神があったことだけは悪くないと思った。そこは個性があろうがなかろうが関係ない。まあ個性がないやつがいくらイキがったところで、結局どうにもならない雑魚であることは言うまでもない。
 と、イライラしながら歩いていると。
「あれ、爆豪くんじゃん」
「あ゙ァ?」
 不意に呼び止められ、思わず臨戦態勢をとる。
 しかしそこにいたのは、今の今まで不本意ながら思考の真ん中にいた女、誰あろう根暗女だった。いつも通り制服を着ているが、俺とは違ってチャリに乗っている。こいつはチャリ通だったっけか。いや、考えてもどうせ知らないことだ。こいつの居住地や通学方法など俺にとっては興味がなさすぎてまったく価値のない情報だ。
 その根暗女は、俺と顔を合わせるなり嫌そうな顔をして言った。
「出会い頭にとりあえずメンチきるのやめなよ……。怖すぎだよ、子供だったら間違いなく泣くよ」
「うるせえ。てめえもちったあビビれ、クソカス」
「爆豪くんが凄む度にいちいちビビってたらキリないじゃん」
 生意気なことこの上ないその物言いに、ふつふつと腹が立つ。思わず怒鳴りつけかけたが、さっき聞いた話が
脳裏によみがえり、なんとなく怒鳴るのはやめた。
 代わりに舌打ちを打つ。どうせこいつには怒鳴っても仕方がない。無駄に怒鳴るだけ損だ。
「おい」
 いたって普通に声を掛ける。が、
「なに? カツアゲ? こわっ」
 と、またしても余計なことを言う根暗だった。
「ちっげえわクソが! てめえ何か文句つけねえと気が済まねえのか!? んなことよりちょっと個性使ってみろや!」
「エッ、なに急に……。公共の場で個性使っちゃいけないの知らないの?」
「知っとるわ! けど人通りもねえしちょっとくらい構わねえだろうが。それとも何か、根暗女のくせに大規模な被害が出るようなクソ個性か? あ゙ァ?」
「いや、だからメンチきらないでよ……、まじでガラ悪いな爆豪くん」
 うだうだとうるさい根暗女は俺の突然の要求に一丁前に困惑しているようだった。モブはモブらしく言われた通りにすればいいものを、つくづく生意気な女だ。
 だが文句を言いつつも個性を使うことにためらいはないようだった。乗っていたチャリを路肩に停めた根暗女は、唐突に屈伸運動を始める。そして「いち、にの、さん!」というカウントと同時に、思い切り地面を蹴ってジャンプして見せた。
 垂直とびの要領でジャンプした距離は、目算だから定かではないが大体五、六メートルといったところか。軽々とジャンプして着地した根暗女は「これが個性」と何故か照れたように言った。きめえから照れんな。
「跳ぶだけかよ」
 俺の問いに、根暗はけろりとした顔で頷く。
「うん。本気出したら八メートルくらい跳べるけど」
 多少飛距離は伸びるらしいが、だからといって基本的な性能──垂直飛びが何かほかの要素を持つということはないようだった。役に立つか立たないかでいえば、どちらとも言えない。まったくの無能ではないが、だからといって日常生活で高く飛ぶ必要があるというわけでもない。高いところのものを取るときにでも使えばいいのかと思ったが、空中に滞在できるわけでもないのだから、適当な足場を持ってきて使った方がよほど便利だ。
 しばし、考える。そして出た結論は、
「ハッ、俺のがすげえ」
 だった。
 確かに跳躍というのはそれなりに汎用性もありそうだが、言ってしまえばそれだけの個性だ。日常生活でのことは先ほどの通りだが、だからといって非常時に使えるかと言われればそういうわけでもない。
 跳べたところでプラスの何か、たとえば体術か何かが使えなければ戦闘においても有用とはいえない。逃げの一手になるだけだ。特にこいつのようなひょろっちくてウェイトのない体格じゃ、跳躍からの打撃も大した重さにはならないだろう。まあ、この体格だからこその跳躍距離なのかもしれないが、そうだとすればいよいよ無能でしかない。
 と、戦闘における個性の使用について考えてしまうのは、ヒーロー科を目指すなら仕方ない癖のようなものだ。デクの野郎の得意分野なんだろうが、あそこまでとは言わずとも俺だってそのくらいは考える。
 そして考えた結果、俺のが強い。負ける気がしない雑魚個性だと、そう結論づけた。
「てめえに個性で負ける気がしねえ。つーか個性以外でも負ける気がしねえ」
 人より遅れて発現したってからにはどんなすごい個性かと思ったが、取るに足りない個性である。根暗女には似合いの個性。その事実に、俺は心底満足した。この間の試験の結果では一歩及ばなかったという業腹この上ない結果だったのだ。今後一切、なにひとつこの女に負けるつもりはなかった。
 しかし俺のそんな心中とはうらはらに、やはり根暗女はけろりとした顔で言った。
「うん、まあそうだろうね。爆豪くんのは何ていうか──ヒーロー向きの『いい個性』だもんね」
「は、」
「別に私ヒーロー志望じゃないしね、個性があるだけでありがたいよ」
 そんな風にあっさりと返されてしまい、こちらの方が妙に居心地の悪い気分になった。常に一言多い根暗のことだから、ここでもまた、俺に対して何かしら言い返してくると予想していたからだ。念願かなってようやく発現した個性を貶されれば、言い返さずにはいられないだろうとも思った。
 俺の思考が顔に出ていたのだろう。根暗女はへらりと笑うと、何故か気安く俺の肩を叩いた。
「爆豪くんが私の個性のこと何か聞いたか知らないけどさ。個性があるって一点だけで偉そうにされるよりは、個性の強さ弱さで物言う爆豪くんのがまだいいよ。それならまだ、納得できるもん」
「あ゙ァ? どういう意味だ?」
「爆豪くんだって雑魚個性のやつが一人前にイキってるの見やら、雑魚のくせに調子乗んなってムカつくでしょ。そんな個性持ってても持ってなくても変わんないだろって。そういうことだよ。その点爆豪くんは強い個性だからさ、言われても仕方ないって思える」
「……てめえ、女のくせに口が悪ィ」
「ええー、人のこと言えないでしょ、爆豪くん。あ、ていうか私おつかいの途中なんだよね! 用ないなら行くね!」
 そっちから話しかけてきたんだろうがオイ、と言うより先に、根暗女は再び自転車に跨ると颯爽と去っていった。取り残された俺は釈然としない思いを抱えつつ、根暗女、いや名字が去っていった方向を睨むようにして見送った。

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