大晦日



(※Twitter再録)

 クリスマスも終わり、冬休み。部活もしていない私は日々共働きの両親に命じられ、毎日せっせと自宅の大掃除に邁進している。そんな日々のなか、
「え、大晦日帰ってこられるの?」
 お風呂上りに事実で足の爪を塗りなおしながら、私はハンズフリーにした携帯に向かって驚いた声で聞き返した。
 例の如く電話の向こうの相手──私の彼氏の爆豪勝己くんは、
「先公の監視つきだけどな」
 とそっけない面白くなさそうな声で返事をする。声のトーンがもはや悪態をついているのと大差ないようなテンションだ。爆豪くんのために年末まで休日返上の雄英の先生のことを思うと、爆豪くんに代わって私の方が申し訳なさを感じてしまう。
「監視って。護衛でしょ」
「監視だわ」
 爆豪くんに言わせれば護衛も監視らしい。彼の自立心を思えばその気持ちはまあ分からないでもない。いや、それでもやはり先生の方が気の毒であることには間違いないのだけれど。
 プロヒーローといってもビルボードチャートの上位に名前が挙がるようなプロヒーローしか知らない私なので、雄英の先生のこともオールマイトと、爆豪くんの事件のときに会見をしていた彼の担任イレイザーヘッドくらいしか知らない。顔も名前も存じ上げないプロヒーローに心の中でひっそり同情していると、やにわに爆豪くんが「それより」と口を開いた。
「てめえはどうすんだよ、大晦日」
 尋ねられ、私は塗り終えたマニキュアの蓋をしめながら今年の大晦日の予定を頭の中のスケジュール帳で確認した。とはいえ確認するまでもなく、その日は一日何の予定もない。
「私はまあ適当に、家でのんびり紅白でも見て年越しするかな」
「ハ、しけた大晦日」
「日本国民の大部分を唐突にディスるのやめなよ」
 紅白かバラエティかを見るのが自宅で年越しを迎える国民のほとんどの在り方ではないだろうか。私のみならずかなり広い範囲の国民を否定しかねない暴言に、私はきっちり苦言を呈してから言葉を続けた。
「せっかくだし爆豪くんと初詣とか行けたらよかったけど、さすがに難しいね。私が爆豪くんの分までお参りしておくね」
「余計な事してんじゃねー」
「いいじゃん。お参りしすぎて困るってこともないよ」
 ただでさえ怪我の絶えない環境にいる爆豪くんだ。微力どころかほぼ無力といっても過言ではないけれど、私が爆豪くんの分まで安全をお祈りしておくに越したことはない。
 爆豪くんが神頼みなんてものをまったく必要としていないことは、私もよく分かっているけれど。
「まあ、とにかく──」
 と、私の言葉を遮るようにして、
「大晦日の日」
 爆豪くんが言った。
「ん?」
「大晦日の日、昼間に一時間とかなら時間つくれる」
「え? いや無理しなくていいけど」
「おい! てめえは!」
「だって護衛の先生ついてるんでしょ? 爆豪くんが出歩いたら護衛の先生もついてこなきゃいけないんじゃないの? それはさすがにご迷惑でしょ」
 ただでさえ年末年始に休みを返上しているというのに、そのうえ護衛対象の爆豪くんが彼女と会うところにまでついてこさせられるなんて、もはや同情どころの話ではない。というより、爆豪くんの学校の先生の目がある場所で爆豪くんに会うというのは私の方が気まずい。
 しかし私の正当なお断りは、爆豪くんの「じゃあてめえが俺んち来りゃいいだろ」という一言であっさりと突破された。
 いや、突破されたのか?
「いや……それもおかしいのでは……? というか年の暮れに爆豪くんのご家族に気を遣わせるのも」
「気なんか遣うわけねえだろ、あのババアが」
 こら、自分のお母さんのことをババアなんて言うもんじゃない。と、私がまた苦言を口にしようとしたところで。
「こらかっちゃん! 母親のことババアとか呼んだらメッ!」
 私が言おうとしたのとまったく同じセリフを、私が言おうとしていたのより大いに茶化した口調で飛ばす声が聞こえた。なにぶん電話の背景の声なので判然とはしないけれど、恐らくそれは上鳴くんの声だろう。というか、爆豪くん自分の部屋じゃなかったのか。そのことに私は驚く。
「うっせえ割りこんで来んじゃねえ!」
「共有スペースで彼女と電話なんかしてるのが悪ィよ」
「てめえらが風呂でいねえと思ったからだろうが!」
 チッと電話越しでもはっきり分かるくらいの舌打ちをしてから、爆豪くんは上鳴くんとの遣り取りから私との会話へと戻ってきた。
「バカどもがうるせえからもう切る」
「え!? ちょっと──」
 まだ何も決まっていないどころか、私は大晦日の日に爆豪くんのご実家にお邪魔することを承諾すらしていない。けれど私の言い分は爆豪くんに届くこともなく、無情にも通話は一方的にぶち切られたのだった。

 ★

 やっぱりというべきか何というべきか──十二月三十一日の午後三時、私は爆豪くんの自宅へと赴いていた。
 大体、私が爆豪くんに何か提案をされた場合に断ることができることの方が少ないのだ。爆豪くんの提案というのは提案したその時点でほとんど決定事項のようなものなのだし、私は私でそれに頑として抵抗しようというほどの覇気もない。
 爆豪くんの方から正当な要求をしてくることも少ないから、その数少ない正当な要求、提案くらいは呑んでもいいかなと思ってしまうのだ。多分だけれど、私は爆豪くんには結構甘い。
 ついでに言えば、爆豪くんも私にはそこそこに甘いと思う。
 ともあれ。
 インターホンを押してすぐ、玄関のドアを開けてくれたのは爆豪くん本人だった。ここのところ多忙を極めていた爆豪くんと顔を合わせるのは随分久しぶりな気がして、柄にもなくちょっと照れたりする。
 が、照れが長く持続することはなく、私はすぐに「彼氏の実家訪問」というイベントのプレッシャーを思い出すのだった。三度目の爆豪くん宅だけれど、この感じにはまったく慣れる気配がない。
「お邪魔しまぁす……」
 玄関に入って恐る恐る挨拶をすると、これまたすぐに爆豪くんのお母さんがリビングから顔を出した。目と目が合うと、満面の笑みで玄関まで出てきてくれる。
「名前ちゃん! いらっしゃーい。久しぶりねえ、夏ぶり?」
「あ、はい。爆豪くんが寮に入る前に」
「そうだったわね!」
「あ、これケーキなんですけど良かったら」
「前も言ったけど、そんな気なんか遣わなくてもいいのに」
「余計なこと喋ってんじゃねえ、根暗」
「またあんたは彼女に向かってそういうことを」
「誰が彼女だ!」
「いや、私が爆豪くんの彼女なのは合ってるでしょ。私の存在をいきなりあやふやにするのはやめて」
 どさくさに紛れて私との恋人関係という大前提──私が今ここに存在している理由すら覆しかねない爆豪くんだった。
「名前ちゃん、夕飯も食べていく?」
「あ、いえそこまでご迷惑はおかけできないので」
「そんなこと気にしなくていいのに……。ま、いいや。これからいつでも機会はあるもんね。どうぞごゆっくりー」
 緊張していた心は、爆豪くんのお母さんのあたたかく楽しそうな笑顔と声で柔らかくほぐれていく。彼氏のお母さんに嫌われてはいない──というか多分気に入ってもらえているという事実にほっと胸を撫でおろし、私は爆豪くんに続いて二階にある爆豪くんの部屋へと向かった。
 久しぶりに入った爆豪くんの部屋は、つい先ほどまで換気をしていたのかすんと冷えた空気に満ちていた。エアコンがごうごうと音を立てながらあたたかい空気を吐き出している。
「爆豪くんの部屋久しぶりだ。やっぱりあんまり物ないね」
 きょろきょろしながら適当に絨毯の上に腰を下すと、
「要るもん全部寮。つーかきょろきょろすんな」
 と呆れたように言う。私の部屋もものが多いわけではないけれど、爆豪くんの部屋はかなりすっきりと片付いている。男の子の部屋というと雑多な印象があるけれど、爆豪くんの部屋が雑然としているところはこれまでの三度の訪問のうち一度もない。
 壁に貼られたオールマイトのポスターだけが、爆豪くんのシンプルでセンスのいい部屋の中に唯一異質だったけれど、そのポスターこそが爆豪くんらしさをもっとも端的にあらわしている。
 寮の部屋に上がったことはないけれど、そっちもきっと機能的で無駄がない部屋なのだろう。いつか一緒に暮らすことがあったとしたら、その部屋もまた爆豪くんらしい部屋になるのだと思う。
 そんなことを思って、少しだけ照れ──その照れを誤魔化すように咳払いをした。爆豪くんが怪訝そうな顔で私を見る。
「ば、爆豪くんは今日一泊したらもう学校戻るんでしょ? その──あれだね、お正月から慌ただしいねえ」
「こっちァ遊んでられるほど暇じゃねえんだよ」
「事実だから反論できないのが腹立つな」
 無為に時間を費やしまくった冬休みを過ごした私とは違う。爆豪くんは毎日ものすごい勢いで訓練も勉強もしているのだろうと思う。遊んでいられるほど暇ではないのは疑いようのない事実で、逆に言えば、そんな多忙のなかでも私と会うための時間をこうして捻出してくれている。
 なんだかんだ言っても、愛されていると思う。
 なんだかんだ言うまでもなく、好かれている気がする。
 そんなことを、この年の瀬に思いがけず感じたりしたのだった。
「今年も一年おつかれさまでした」
 私の言葉に爆豪くんが鼻を鳴らす。
「色々あったけど、でも、楽しい一年だったね」
「別に」
「えっ、爆豪くん楽しくなかったの?」
 うっかり普通に聞き返してしまう。ばちっと視線があった爆豪くんは一瞬バツが悪そうな顔をした。それから徐にむっと眉間に皺を寄せ──ひと呼吸を置いたのち、非常に不本意そうに言った。
「……悪かなかった」
「ふふ、なるほどね」
「にやにやしてんじゃねえ」

(初投稿日 2019/12/31)

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