インターン直前の夜



(※Twitter再録)

 電話の向こうの爆豪くんからもたらされた情報に、私は思わずベッドに寝転がしていた身体をがばりと起こして声を上げた。
「えっ、エンデヴァーって轟くんのお父さんの、あの?」
 ナンバーワンヒーローの? という当たり前の反応より先に「轟くん」という固有名詞を口にしてしまってから、今のは失言だったということにようやく気付く。あちゃあと思ったときには時すでに遅し。電話の向こうの爆豪くんは、思ったとおりむっとした声で、
「てめえなんでそこで半分野郎が出てくんだ」
 と文句を言った。
「いや、この間ちょっとお話する機会がありまして」
 返事をしながら、私は先日の轟くんとの邂逅を思い出す。話をしたというのも烏滸がましいほどのちょっとした遣り取りではあったけれど、私と轟くんは互いに「ナンバーワンヒーローの息子で爆豪くんのクラスメイト」「爆豪の彼女」と認知しあったうえで言葉を交わした。その遣り取りが私が爆豪くんに対して勝手に抱いていた劣等感を和らげるのに一役買ってくれたわけだけれど、当然のことながら爆豪くんはそんなことを知る由もない。
「は? 聞いてねえ」
「言ってないからね」
「言えよ!」
「だって言ったら爆豪くんうるさそうだし……轟くんの方から聞いてるかもと思ったし……」
 まあ、正直に言えば普通に言い忘れていただけなのだけれども。あの頃の私は爆豪くんとの間に微妙なへだたりを感じていたし、その雪解けにいたって心底ほっとしたりもしていたので、轟くんとはじめて言葉を交わしたなどということは、すっぽりと頭から抜け落ちていたのだった。今さっき爆豪くんからエンデヴァーの名前を聞くまで轟くんのことを忘れていたほどである。
 が、別に怒られるほどのことでもないだろう。私と轟くんが口を利いたのは爆豪くんとまったく無縁の場所であり、そのことに関して報告の義務もない。
「ていうか爆豪くん、いちいち私が男の子と喋ったの全部把握していたいの? もしかして重い男?」
「てめえ……」
「うそうそ、冗談だよ。爆豪くんは私がどこで誰と会話してようが興味ないもんね」
「ったり前だろうが!」
「じゃあ私が轟くんと言葉を交わしたことを報告していなくても問題なかったね」
 はい、この話おしまい。そう言って無理やり話題を終わらせると、爆豪くんはやはりむっとした雰囲気を出しながらも、それ以上話題を追及しようとはしなかった。こういうとき、プライドの高い爆豪くんは却って扱いやすくて助かる。彼は明らかにカッコ悪いというようなことは絶対にしないのだ。
 ベッドの上に座った体勢をよいせと直し、充電器につないだ携帯を握りなおす。うっかり話題が脱線してしまっていたけれど、よくよく考えるまでもなく現ナンバーワンヒーローのもとで一年生のうちからインターンの経験を積むなど、普通の学生ならばそうそうあることでもないだろう。天下の雄英生だからこそのことでもあるだろうし、その雄英生の中でも将来を嘱望されるような立ち位置にいる爆豪くんだからこそ、そういうお声がかかるのかもしれない。インターンのシステムについて何ひとつ詳しいことを知らない私にはその程度の想像しかできないけれど、爆豪くんが性格はさておき優等生であることは揺るがしがたい事実のはずだ。
「それにしても、エンデヴァーってすごいね。ナンバーワンのところでインターン? だっけ? そんな経験できる生徒なんて、そう何人もいるものじゃないんじゃないの?」
 思ったことをそのまま口にすれば、爆豪くんは今度はまんざらでもなさそうに鼻を鳴らす。
 たしか前回、夏前のインターンだか職場研修だかではベストジーニストのところにお世話になっていたはずだ。ベストジーニストは療養中だからそういう事情もあることは何となく推察できる。
「エンデヴァーのところでは、轟くんとふたりでお世話になるの?」
 私がそう尋ねると、携帯からはなぜか爆音の舌打ちがノイズとともに聞こえてきた。思わず首を傾げる。
「え? なんで舌打ち?」
「デクの野郎も一緒だわ」
 何とも不機嫌な声で爆豪くんが言った。
「へえ、そうなんだ。同時に三人なんて、大手の事務所ってすごいんだねえ。ていうか、そっか。緑谷くんすごいなあ。個性の発現遅かったのに、もうそんな雄英のトップ争いに絡んでるなんて」
「はァ!? 俺のがすげえに決まってんだろうがてめえ脳がゴミか!?」
「誰も爆豪くんより緑谷くんのがすごいなんて言ってないんですが?」
 どこに怒りポイントがあるか分かったものではない爆豪くんだけれど、緑谷くんの話をすれば怒ることは分かり切っている。なのでこのキレには別に驚くこともなかった。実際、私の抱いた感想とは正反対に、爆豪くんにとっては緑谷くんと同じインターン先というのは、けして面白い話ではないのだろう。ここのところのふたりがどういう関係性なのかは知らないけれど、いきなり友好関係に転じていたりするはずもない。
 ここのふたりの確執も、なかなか根深いものがあるからなぁ。
 前よりはずっと爆豪くんも丸くなっているし、ひとつ屋根の下で共同生活を送っているのだから昔よりは関係もまともになったとは思うけれど。
 そんなことを思いつつ、私は少しだけ声をやわらげる。何せ電話での話なので声音や話し方がすべてだし、逆に爆豪くんは異常なまでに察しがいい人間なので、そういうことに少しでも気を付ければすぐさまこちらの意図を汲み取ってくれる。
「爆豪くんと誰かを比べるつもりなんてないけどさ。でもやっぱり私としては緑谷くんのことは多少は気になるじゃない。同じ中学で知らない仲じゃないんだし、同じ個性の発現が遅かったもの同士っていうのもあるし。そういうのがあって、ちょっと応援はしてるよ、そりゃあ」
 あまり言い訳がましくならないように、けれどこちらの思っていることは過不足なく伝わるように、努めて淡々と言う。爆豪くんとの付き合いもだんだん長くなり、余計な誤解を回避するために何が必要なのかは、少しずつだけれど分かるようになってきたつもりだ。
 言いたいことをすべて口にして、私は爆豪くんの返事を待つ。
 爆豪くんは暫しの沈黙のあと、
「……あいつはそういうんじゃねえよ」
 とぼそりと発した。
「え?」
 その爆豪くんらしからぬ静かな物言いに、一瞬私の心が引っかかりを覚える。けれどその引っかかりは、
「だから、てめえごとき凡人が一丁前に応援してんじゃねえっつっとんだ!」
 という、先ほど発した妙にしんみりとした一言の雰囲気とは打って変わって、すぐさま怒鳴る爆豪くんの声によって払拭された。どうやら引っかかりを覚えたのは私の勘違い、ただの杞憂だったらしい。
 溜息をつきたくなるのをぐっと堪え、私は半ば介護のような気分で返事をする。
「まあ、そうね。私が応援するのは爆豪くんだけでいいと、そういうことを言いたいわけね」
「は!?」
「あれ、違った?」
「違ェに決まってんだろうが!」
「おかしいなあ、私の中の爆豪くん語変換機はそう変換したんだけど」
 我ながらなかなかの精度を誇ると自負している爆豪勝己語変換機である。今回も十中八九正解しているはずなのだけれど、爆豪くんはそれを認めようとはしなかった。まあ、それもそうだろうから特に気にすることもない。
 電話の向こうでがあがあとがなり立てている爆豪くんを無視して、私は部屋の壁に掛けられた時計にちらりと視線を遣る。そろそろ二十時半になろうかという頃。高校生の夜としてはまだまだ宵の口だけれど、爆豪くんはあれでかなりの早寝なので、大体電話が切れるのはこのくらいの時間であることがほとんどだ。そろそろ会話を切り上げに入ったほうがいいだろう。
「じゃあ当分連絡するのは控えるね」
 気を利かせてそんなふうに言うと、途端に電話の向こうで怪訝そうな顔をした気配があった。そのあたりの雰囲気の変化は、電話越しでも十分に感じられる。
「なんで」
「え? だってインターン中でしょ」
 爆豪くんはストイックにプロ志望だから、折角のインターン期間の一分一秒だって無駄にできないに違いない。そもそもエンデヴァーほどのプロのもとに学生が勉強に行くとして、爆豪くんがそれについていけるかも私には分からないのだし。
 そんなつもりでの提案だったのだけれど、爆豪くんは不満げに鼻を鳴らすと、
「てめえは報連相っつうもんを知らねえのかよ」
 となじるような調子で言った。
「ほうれん草?」
「報告! 連絡! 相談!」
「ああ、そっちの」
 唐突に緑黄色野菜の話をされて戸惑ったけれど、何のことはない、ビジネスにおけるコミュニケーションの方法の話だった。まさか爆豪くんからコミュニケーションに関する話が出てくるとは思わなかったので、私はてっきり野菜の話が始まったのかと思ったけれど。いや爆豪くんが野菜の話をするのだって聞いたことはないけれど。
「情報伝達の基本だろ」
「恋人との連絡をビジネス的な情報伝達と同一視しているとは思わなかったよね」
 ともあれ。
 爆豪くんの言葉を同音異義語でしか理解できなかった私ではあるものの、ここで唐突に登場した「報連相」という単語によって、爆豪くんが私に何を求めているのかが分からないほど、私は頓珍漢でもないわけで。
 ここでいう報連相はつまり、私が情報を発信する下側、爆豪くんがそれを受ける上側という上下関係に基づく話なのだろう。
「つまり、返信は爆豪くんが寄越すかどうかは別として、私からの連絡を怠ることは許さないと」
「おう」
「相変わらずだなー、爆豪くん」
 当然のように私に連絡を強いてくるところなんかは、付き合う前に連絡先を交換した頃からまったく変わりない。高校入学直後、春休み中に一切連絡をしなかったことで、駅で爆豪くんに詰められた思い出がありありとよみがえった。今は少なくともまったく連絡しないということもないけれど、それでも爆豪くんが連絡を強いてくるという一点においては、私と爆豪くんの関係性には何ひとつ変化がないように思う。
 そう考えると爆豪くん、割と初期からめちゃくちゃ重い男だな……。
 まあ、それも好かれているということなのだろうと前向きな解釈をしているので構わないのだけれども。
「連絡っていっても、私から提供できる有益な情報は何一つないと思うけど」
 念のためにそう伝えると、爆豪くんは馬鹿にしたように笑う。
「んなもん端からてめえの人生に期待してねえ」
「たしかに有益な情報を含有しない人生ですが」
 まったく期待されないというのもどうなんだろうか。
 変に期待されるよりはましなのだろうか。
「まあいいか」考えるのをやめ、私は溜息をついた。「くれぐれもエンデヴァーに迷惑かけないようにね」
「てめえ誰に向かってもの言っとんだ」
「爆豪くんだからこその進言だよ」
 現役ナンバーワンヒーローに粗相をしそうな人間なんて、知り合いに爆豪くんくらいしかいない。と、それまでどちらかといえば私がメインで話しをしていたところ、ふいに爆豪くんが「おい根暗」と私を呼んだ。
「インターン終わるまでにどっか行きたいところ考えとけよ」
 脈絡なくそう切り出され、私は一瞬返事を忘れる。が、すぐに我に返ると、何となくにやけてしまいそうになる口元にそっと手をあてた。案の定、口角が意識と無関係に数ミリ持ち上がっている。
 声ににやけが滲まないよう気を付けながら、私はごほんと咳払いをして言う。
「爆豪くんさぁ」
「あ゛?」
「そうやって死亡フラグ立てるのやめた方がいいよ」
「ぶっ殺す!」
「デートの行き先、考えておくね」
 どうにもうきうきふわふわした気分を感じながら、私は爆豪くんの返事を待たずに電話を切る。インターンというのがどういうもので何をするのかすら知らないけれど、今はひとまず、爆豪くんのインターンがさっさと終わればいいなあと、そんな呑気なことを考えた。

(初投稿日 2019/10/21)

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