悪い子の一日



 喋るなと言ったりシカトするなと言ったり、爆豪勝己は我が儘というかよく分からないというか何というか、一言で言えば兎に角扱いづらい人間である。そんな彼を怒らせるのは非常に面倒なので、「とりあえず言われたことには従う」というのが、私のここ最近の爆豪勝己との距離のとり方だった。
 怒られるとこちらもむっとしてしまうけれど、そうすると爆豪勝己はさらに怒るし、私も必要以上に苛苛したくはない。隣の席という強制的に絡みがある立場においてのこの姿勢は、謂わば戦略的妥協であった。

「おはよう、爆豪くん」
 私が挨拶すると、いつものように机に足を投げ出した彼は私に一瞥寄越して舌打ちで返してきた。ぴきっと私のこめかみに青筋が走るのを感じたけれどここで怒ってはいけない。爆豪勝己と同じレベルになってしまう。私は文化人。文明を持つ人類だ。平和を愛するこの地球の住人のひとりとして、無闇矢鱈と感情のまま生きてはいけない。
 すうはあと呼吸を整えて精神の安寧を取り戻すと、私は静かに自分の席に着席する。大切なのは平常心だ。平常心。乱さない心。凪いだ海のごとき穏やかさと静けさ。この調子で頑張れば涅槃も近いぞ!
 ともあれ。
 試験が終わったばかりのこの時期、教室の空気はいくらか弛んでいる。始業までの時間を潰すため、読みかけの小説をかばんから取り出して読み始めると、すぐに隣の爆豪勝己の席を女子が数名が取り囲んだ。私とは違うグループの、学年でも目立つ子たちだ。
「カツキー、今日の放課後うちらカラオケ行くけどカツキたちも来るよね?」
「テストも終わったし行くでしょー?」
「隣のクラスの可愛い子呼んだげるよー」
 聞きたくなくても聞こえてくる会話からは、意外にも彼はモテるらしいことが窺えた。確かに長所は短所、短所は長所ともいう。あの傲慢で自分本位っぽいところも、俺様男子が好きな女子にはかっこよく見えたりするのだろう。
 実際の実力を見ても単純に喧嘩は強いし、三年生になった今、彼は間違いなくこの学校のヒエラルキーの最上位に君臨している。そういう男子のことを好きな女子はきっと多い。
 爆豪勝己に話しかける女子たちは、爆豪勝己の返事など待っていないようでどんどん話を進めていく。これだと爆豪勝己怒るんじゃないだろうかと傍目にハラハラしていたけれど、爆豪勝己はぶすっとした顔をしているだけで特に何も言わない。
 爆豪勝己でも流石に女子には怒鳴ったりしないのかな。いや、私だって一応女子だけど耳元で爆破されたりめちゃくちゃ怒鳴られたりしたし、そういうわけじゃないのか。それなら私が女子として認識されていないか、気に入っている女子には怒鳴らないか。個人的には両方という線が濃厚だと推察する。
 暫く視線を小説に落としたまま爆豪勝己の動向を窺っていると、わいわいと盛り上がる女子の輪の真ん中にいた爆豪勝己は、唐突にがたんと音を立てて席を立った。
「えっ、何。カツキどうしたの?」
「トイレ?」
 戸惑う女子たちを放置して、爆豪勝己は「うるせえ」とだけ呟くと、さっさと教室を出て行ってしまった。残された女子たちは、密かに様子を気にしていた私も含めて、皆一様にぽかんと口を開いて彼を見送るしかない。
 やがてはっと我に返った女子たちは「カツキ、キレてた?」と静かにざわざわし始めた。やはり爆豪勝己と仲がいい女子たちと言えど、爆豪勝己の機嫌は気になるらしい。
「今日カツキ機嫌よさそうだったからイケるかなと思ったんだけどなー」
「あ、わかる。なんか機嫌よさそうな雰囲気出てたよね」
「寧ろ机ぶん殴られたり怒鳴られたりしなかったんだからだいぶ機嫌よかったんじゃない?」
「確かに」
 彼女たちの会話から察するに、私以外の女子でも普通に爆豪勝己に怒鳴られたりはするらしい。それを聞いて少しだけほっとした。よく分からないまま、自分だけが「敵」としてロックオンされているとしたら、本当に本気で、果てしなく嫌すぎるからだ。勿論怒鳴られるのが私だけではないとはいえ、私が普通に怒鳴られることに変わりはないので、嫌なものは嫌なのだが。
 しかし今日の爆豪勝己、あれ機嫌がよかったのか。思いがけず得たその情報に、私はひとり困惑した。
 こちらは朝一の挨拶を舌打ちで返されている身なので、あれで機嫌がよかったとは到底思えない。普通の人間があのような態度を取れば、まず間違いなく虫の居所が悪いと判断されるだろう。
 つくづく爆豪勝己は謎である。解明したいとも思わないタイプの謎。謎は謎のままであっても構わないタイプの謎だ。近寄りたくない謎。
「そういえばカツキ、最近緑谷にも絡んでいかなくなったしね……。なんか、なんだろうね。穏やか?」
 ぼんやり女子たちの会話を聞くともなく聞いていたら、ふいに彼女たちから気になる言葉が聞こえてきた。その言葉に、ほかの女子たちも口々に同意する。
 確かに、言われてみれば最近は爆豪勝己が緑谷くんに突っかかっていくのをほとんど見なくなった。ようやくいじめかっこ悪いということに気付いたのだろうか。遅きに失した感は否めないけれど、ともあれいじめがこの世からひとつでも減ったのであれば、それはやはりいいことなのだろう。
 何気なく視線を緑谷くんに送れば、彼は今日も朝からグロッキーな状態で机に突っ伏している。そんな状況でも手には握力を鍛えるためのハンドグリップを握っているのだからすさまじい。
 彼のあの雄英入学に向けての努力を認めて、それで爆豪勝己も緑谷くんに突っかからなくなったのだろうか。いや、爆豪勝己に限ってそんなたまじゃないか。爆豪勝己は他人の努力なんてそう簡単に認めなさそうだ。特に緑谷くんに対しては。
 ふいに、以前緑谷くんに問われた言葉を思い出す──私は爆豪勝己のことが嫌いなのか。
 正直に言ってしまえば、彼のことは好きじゃない。嫌いとまで言わないのは、嫌いになるほどに爆豪勝己との関わりを持っていないからだ。
 そもそも中学三年生にもなっていじめっ子みたいなことをしているのがみみっちくて見ていて恥ずかしいし、すぐに怒るのだって怖い。緑谷くんに話した通り、私は昔個性のことで少し嫌がらせを受けたことがあるから、爆豪勝己みたいなタイプはその頃の記憶を嫌でも刺激してくるのだ。この折寺中の中でも爆豪勝己は一番関わりたくないタイプだった。
 それでも、緑谷くんのことをつっつかなくなったということは、彼も彼なりに変わろうとしているのだろうか。私の知らないところで何があったか知らないし、知りたいとも思わない。だけど私が思っているよりは多少、実際の爆豪勝己という人はましなのかもしれない、とか思ったり思わなかったりする。
 予鈴が鳴った。席を外していた爆豪勝己が仏頂面で戻ってくる。横目でちらりと彼の表情を盗み見るけれど、やはりその表情はどう見ても、とても機嫌がよさそうには見えなかった。

 ★

 蝿のようにうるさい女子どもから解放されるため席を立ったはいいが、別に便所に行きたいわけでもなければ、ほかのクラスに行きたいわけでもなかった。仕方がないから廊下の端にあるほとんど使われてない階段に腰を下ろして、本来学内への持ち込みを禁止されている携帯をいじる。
 なんで俺がこんなところで時間を潰さにゃならないんだと腹は立つが、だからといって名前も知らない女子どもに怒鳴り散らす気分でもなかった。
 それにあそこで騒ぎを起こすと、どうせまた隣の席の根暗が、さもうざったそうな顔をする。それはそれでクソ面白くもない。はっきり言って業腹だ。
 ひとけのない非常階段で、舌打ちをひとつ打つ。脳裏にあのクソ根暗女の顔がちらつくのがムカついた。

 最初はデクの野郎に似てるかと思った。別にクラスで目立つわけでもなければ、直接的に俺に何かしてくるわけでもない。しかしとにかく、ひとたび視界に入ると神経を逆なでするような──そういうやつだった。
 ただ根暗女がデクと違うのは、あいつはデクよりもっと喧嘩腰というか挑発的というか──とにかく俺を見る目に険があった。そんな目を向けられれば、当然こっちも腹が立つ。別に俺があいつに何かしたわけでもないのに一方的にムカつかれるのは、普通にムカつくに決まっていた。
 きっかけは俺がデクのゴミみてえな、薄汚いノートを爆破して捨てたときだ。連れもあれは俺がやりすぎだとかなんとか鬱陶しいことを言ってたが、そんなことは知ったことじゃない。そもそもあんな汚いノートをこれみよがしに持ってるデクが悪い。
 俺がノートを爆破して捨てたとき、ふと背中にとげのある視線を感じた。デクのことを構っているときに時々感じる視線だ。いい加減鬱陶しいと思ってその視線の主を探してみれば、そこにいたのはあの根暗女だった。しかも俺が振り向いたときにはもう、すいと視線を逸らして我関せずというような顔をしていやがる。
 デクのせいで苛立ってたところにそんな態度とられれば、いくら相手が女だといってもムカついて仕方ない。一発ビビらせて黙らせてやろうと、そう決めた。
 だが実際は、そんなことしてみたところで、余計に腹が立つだけだった。
 あのクソ根暗女、俺が怒鳴って耳元で爆破を起こしても、怯むどころか余計にガン飛ばしてくる始末だ。そのくせ口調はおどおどしたモブそのもので、そのギャップがさらに俺をイラつかせる。
 結局その日は教師の邪魔が入ってそれ以上は何も起こさなかったが、今思い出しても腹が立って仕方がなかった。
 俺が爆破を起こしても怯まず睨み返してくるようなクソみたいな女だ。あれは絶対、ただの根暗な陰キャラじゃないだろうと、そう思った。寧ろどんな性根しているのか多少興味がわいたほどだ。
 しかしそんなふうに思ったことも、あのヘドロ野郎との事件のせいですっかり忘れてしまっていた。というより、どうでもよくなった。コンビニで偶然会ったときも一旦はムカついてたのを思い出したものの、俺の前から逃げ出した根暗女を追う気も起きなかった。
 根暗女への興味がまたわいたのは、席替えでクソみてえな席になってからだ。

 根暗女の連れなのか、同じような陰キャラ女があいつにノートを借りに来ていた。あいつもなんだかんだとうだうだ言いつつ、それでもノートを貸していた。
 前に一度だけ、俺に時々話しかけてくる馬鹿みたいな女が、根暗女にノートを貸してくれるよう頼んでいたのを見たことがある。おおかた自分より数段賢い根暗女にノートを借りて、試験を乗り切ろうというゴミみたいな算段だったんだろう。しかしその時の根暗女は、へらへら嘘くせえ顔で笑って躱していた。
 根暗女は凡人なりにちまちま勉強して、それでようやくそこそこの成績をとってるんだろうから、そこをぽっと出のバカに利用されるのは我慢ならないという心理は分かる。あとは単純にうざかったんだろうというのも分かる。だが仮にその場面だけを見ていたとしたら、他人に努力の成果をみすみす貸したりしねえやつなんだな、で終わっただろう。
 だが、自分の連れにはうだうだ言いつつもノートを貸している。予習しなかった自分が悪いんだとつっぱねるわけでもなければ、ただ黙って貸すわけでもない。あ、こいつちゃんと相手を見てやがんな──そう思った。努力してる人間を、ちゃんと見ている。評価するための自分なりの物差しを持っている。そういうヤツだと思った。
 そうなると、根暗女のあの俺への態度が余計にムカついて仕方がない。別にあの根暗女に気に入られたいなんてつもりはないが、それにしたってあいつの評価基準に則れば俺がゴミみたいな存在だという事実が単純にムカつく。死ぬほどムカつく。
 俺があいつを根暗女と嘲るのは問題ない。なぜなら根暗と俺とでは、はっきり俺の方が立場が上だからだ。だが、その下の立場のはずのあいつが俺を見下すことはあってはならなかった。そう思って今日は登校したら真っ先にビビらせてやろう、二度とナメた口きけないようにしてやろうと、そう決めてたのに。

「おはよう、爆豪くん」

 あまりに普通に挨拶されて、正直面食らった。てっきりまた今日も分かりやすく俺のことを避けまくるのかと踏んでいたからだ。なんだか普通の友人みたいなノリで来るから、こちらとしても肩透かしを食らったというか何というか。
 舌打ちをしてごまかしたら、あからさまに不機嫌そうな顔をされた。その顔を見て俺は内心ほくそ笑む。
 そうだ。てめえごとき根暗女が俺を驚かせようとしてんじゃねえよ、馬ァ鹿。

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