モブ女VS夢主



(※Twitter再録)

「名字先輩って、爆豪勝己くんの彼女なんですか」

 ゆったりと、女子たるもの楚々とすべしという校風のお嬢様学校、我が夢咲女子には似つかわしくない棘棘とした物言いに、一年かけてこの空気にすっかり慣らされていた私は、不覚にも驚いて声を失ってしまった。
 あたりに人影はなく、中庭に設えられた噴水がゆるやかな水音をたてているけれど、それ以外には何の音もしない──夢咲女子は全国指折りの進学校であり、淑女養成学校でもある。当然、学外とはしっかりと隔てられ、関係者以外がそう易々と足を踏み入れることはできない。
 近隣の雄英高校の、昨年から立て続けに起きている不祥事によって、夢咲女子のセキュリティも淑女養成校として保護者たちの支援のもとかなりそのレベルを引き上げられている。今この空間は、そういう理由から下界の不穏な空気から隔絶されているといっても過言ではなかった。
 とはいえ、目の前にいる彼女の様子を見るに、害意を持った敵は必ずしも校外にのみ存在するというわけでは無さそうだけれど。

 好戦的な光をたたえた瞳は好戦的で、私のよく知る赤目の人物を彷彿とさせる。喧嘩っ早くプライドの高い優等生──爆豪勝己。私の恋人。
「一応先輩である私に対して、大した態度だね」
 爆豪くんの目によく似たその子の目を見つめ返しながら、私はあえてのんびりとした口調でこたえた。

 ★

 四月、春である。今年は暖冬だったので、校内の桜の木は軒並み葉桜になり始めている。そんな薄桃色と緑の混じり合う様を眼下に見ながら、私は溜息をついた。

 と──
「名前ちゃん、なんだか今日は随分とアンニュイねえ。そうしてると深窓の令嬢の趣があるよ」
 ふいに投げかけられた軽口に、私は視線を動かすことなく返事をする。
「……深窓の令嬢の『深窓』は窓辺って意味ではないでしょ」
「あら、そうだったっけ?」
 呑気に言うのは、まさしく『深窓の令嬢』であるクラスメイトである。高校からの編入組である私と違い、彼女は幼い頃からこの夢咲女子で淑女教育を受けてきた生粋のお嬢様だ。軽口の応酬の中で『あら』なんて咄嗟に出てくるのは、私とは違う教育を受けてきた人間である証左でもある。私ならばいいとこ『ふうん』だろう。
 そんな彼女は本来は私のような庶民とは感覚の違う、別世界の住人である。同じ高校、同じクラスで授業を受けながらも、内部進学組と外部編入組では目には見えない膜のようなものでやんわりと隔てられている。たとえ教室内で親し気に話したとて、休日に一緒に遊びに行くのは同じような家庭環境のクラスメイト同士である。
 けれど──しかし彼女のお嬢様的感覚により、ある一点においてのみ、彼女、いや彼女たちにとっての私は、興味と羨望の的である。
 それすなわち、雄英高校ヒーロー科に彼氏が在籍している、という事実。

 私がこうして窓辺でちょっとぼんやりしていたくらいで『アンニュイな表情で物思いに耽っている』とアーティスティックな受け取り方をされるのは、ひとえに私が彼女たちがまだ知らない『悩み多き、彼氏持ちの女』だと思われているからにほかならない。名門女子校育ちの彼女たちの多くにとっては、男子と恋愛しているというただそれだけで、その女子は眩く輝く経験値激高女子の称号を与えるにふさわしいということになるのだ。
 そして雄英高校ヒーロー科男子というのは、並み居る男子たちの中でもトップクラスの女子人気を誇り、その人気はまさしく全国区、将来有望な超優良物件として認知されている。
 まあ生憎と私はそんな『悩み多き、彼氏持ちの女』などではないけれど、まあ、そう思ってもらう分には別に構わない。信仰の自由は須らく保証された権利だ。

 ともあれ。
 私はそんな超人気有望株の雄英高校ヒーロー科の、その中でもさらに注目される実力者こと爆豪勝己くんとお付き合いをしているわけで、つまるところ、私はちょっとした有名人とお付き合いしているということになる。その人気は雄英高校や近隣高校である我らが夢咲女子内に留まらず、インターネットのちょっとアングラな領域を覗けば、ゆくゆくはプロヒーローになった爆豪くんのシンパになること間違いなしな人材がごろごろしているらしい。
 そんな状況にありながらも、しかし意外にも、今まで私は爆豪くんとの交際を理由に困った事態に陥ったことは一度もなかった。もちろん爆豪くんから被る被害はあれど──それ以外にはとりたてて困った事態になったことはなかったのだ。

 爆豪くんは結構な認知度を誇る学生だけれど、彼がまだ学生であること、そして彼の性格や性質から、そのプライベートはほとんど公表されていない。私という一般庶民の恋人がいることはもちろん知られておらず、だからこうして、私の周りの人間や爆豪くんに直接関わる一部の人間しか私たちの関係を知る者はいない。いないのだが。
「──それ、何?」
 私の手元の紙片に今まさに気がついた友人が、首をかしげ紙片を指さす。ああ、と小さく返事をして、私も手元に視線を落とした。

 この紙片が私のもとに届いたのは今朝のことである。朝、普通に登校した私はいつも通りに下駄箱を開け、そしてこの紙片を発見した。ノートの切れ端のようなそれは、とてもじゃないけれど好意を示す相手に送るようなものとは思えない。
 しかしながら、私にしてみれば悪感情を誰かに抱かれているような覚えは──少なくともこの夢咲女子に通う生徒に対しては覚えがないわけで、つまるところ、意味不明な紙片でしかなかった。

 夢咲女子はかなり純度の高い女子校だ。私のような外部入学の生徒も一定数入るけれど、生徒のほとんどは幼稚舎、あるいは小学校からずっとこのお嬢様養成学校に通っている。教師陣もOBが多く、したがって校内には男性の影がほとんどない。
 そういう閉鎖的で特殊な環境であるがゆえ、この学校では女子と女子の恋愛はけして珍しいものではない。特に上級生の目立つ生徒であれば、下級生にファンを何人も抱えていることだって少なくないそうだ。だから、夢咲女子では恋文という文化はけして前時代的なものでも何でもない。夢見がちな淑女のたまごたちにとって、お手軽に送ることができるメッセージよりも、ひっそりと忍ばせる恋文の方がはるかに乙女チックで素敵なアイテムであることは明らかだ。
 だから、日常的に恋文を送ったり受け取ったりしている人たちが存在するというのも、まあ話としては理解しているのだけれど。残念ながら、私はそういう文化とは縁遠いところで生きていたのだ。そりゃあ戸惑いもする。

 紙片を手に取り、矯めつ眇めつしてみる。一応二つ折りにはしてあるけれど、その折り目の中にカッターの刃が仕込まれていそうだとか、そういうことはなかった。自分のこれまでの経歴から、恋心を寄せられるよりも嫌がらせをされていると考える方が自然なのが悲しいところではあるけれど、まあそれはそれとして。
 折りたたまれた紙片を、ゆっくりと指の先で開いてみる。そこには何の変哲もないボールペンで書かれたであろう文字が九つ、きっちりと並んでいた。

 曰く、『爆豪勝己と縁を切れ』。

 果たして誰がこんなものをわざわざ投函してきたのかは知らないけれど、余計なお世話にもほどがある文面だった。わざわざ筆跡が鑑別できないよう、定規で引いた線で文字を書くという念の入れよう。その労力をほかのことに費やせばいいものを、と思わないではいられないのだけれど──
「さて」
 辺りに人気はなく、私の様子を窺っているような生徒の姿も見当たらない。仕方がないので、暫し眺めた紙片を制服のポケットの中にしまいこみ、私は教室へと向かったのだった。

 以上、回想終了。

 探偵小説は好まないので、これを入れたのが誰かの推理なんて私にはできない。しかし、何となくその送り主についての予想を立てることくらはできた。
 文面からして送り主は私と爆豪くんが交際していることを知っている何物かだろう。私と爆豪くんが付き合い始めて、もうじき一年になる。私はともかく爆豪くんの方は有名人なので、この学校で私と爆豪くんが付き合っていることを知らない生徒はほとんどいないんじゃないだろうか。さすがに外部には漏れていない情報ではあるが、こと校内に限定すればこれは結構有名な話だ。そしてこの厳重な夢咲女子のセキュリティをかいくぐってわざわざ下駄箱に紙切れを入れるなんてまどろっこしいことを、外部の人間がするとも思えない。
 そうすると、外部の人間および二、三年生の生徒は自然と犯人の候補から外れる。何せ今までにだってこういう手紙を投函するチャンスは何度でもあっただろうし、送るタイミングとしては今更すぎるだろう。ここのところ、爆豪くんとの交際で目立った何かがあったわけでもない。どちらかといえば倦怠期ならぬ安泰期とでもいうのだろうか。穏やかな交際関係を維持している。

 となると、手紙の主は恐らく、この春から私たちと同じ昇降口を使い始めた新一年生とみるのが自然だろう。おおかた新一年生に爆豪くんのフォロワーがいたとか、まあそんなところだろう。爆豪くんはあの強烈なキャラクターによって学生の身分でありながらすでにファンもアンチもそれなりにいるのだけれど、どちらも──特にファンは爆豪くん本人のキャラクターに倣ってなかなか熱狂的なファンが多いと聞く。もちろん情報源は爆豪くん本人ではなく、この間うっかり顔を合わせた緑谷くんだ。

 ──危ないことがないといいけど。
 熱烈な爆豪くんファンを想像しただけで、うっすらと背筋が寒くなる。爆豪くんのファンというくらいだし、あんまりモラルがあるとも思えない。いざとなったらどういう行為に及ぶかなど、考えるだに恐ろしい。
 慌ててふるふると頭を振って、その恐ろしい可能性を振り払った。まだ何も起こっていないうちからよくないことを考えてしまうのは私の悪い癖だ。
 たしかに爆豪くんのファンは熱狂的で苛烈であるけれど、しかしだからといっていきなり強硬手段をとってくるということもないだろう。ないと信じたい。私は穏健派であり、もしも爆豪くんのファンを名乗る女子が現れたとしても話し合うだけの準備が十分にあるのだから。

 ★

 そんな突然の紙片投函事件から数日が経った。
 あれから私の周りで変わったことは特に起きていない。何者かに尾行されているようなこともないし、おかしな手紙を投函されることもない。もちろん誰かが私に危害を加えてくるようなこともない。
 夢咲女子はいつもどおりのゆったりとしたお嬢様学校で、実害のない危機に神経を研ぎ澄ませる私の感覚をゆるゆると麻痺させていく。そんな校風にあてられて、私もいつしか、あんなよく分からない紙切れの事はすっかり忘れてしまっていた。

 その日の授業を終え、私は机の中のものを片付けると慌ただしく教室を後にする。今日は爆豪くんとのデートの日だった。
 基本的に、爆豪くんと会うのは休日に限定している。雄英高校ヒーロー科は通常のカリキュラムに加えてヒーロー科としての授業も組み込まれているので、私のような普通科の人間よりも格段に授業の数が多い。ある程度は授業進度を早めたりすることで調整しているのだろうけれど、それでもコマ数を増やすことは避けられない。
 ただでさえ授業数が私よりも多いのに、加えて爆豪くんは授業後にトレーニングをしたりもしている。だから平日は原則会うことはかなわない。私としても平日は自分の時間を確保できるのでそれはそれで構わないのだけれど、今日は例外的に放課後デートの予定を入れていた。それが爆豪くんからの急な呼び出しであることは言うまでもない。

 爆豪くんの通う雄英高校と、私が通う夢咲女子は最寄り駅を同じくしているけれど、駅からの方角がまったくの反対である。そのため、間をとって中間地点である駅で待ち合わせする約束だった。最寄り駅はターミナル駅ではないので、駅ビルにもそこまでたくさん店が入っているわけではない。とはいえそれなりに栄えた駅だ。周辺には飲食店もいくらかある。

 今日は珍しく爆豪くんの方が先に授業が終わるということだったので、学校を出ると急いで待ち合わせの店に向かった。いつもは私が爆豪くんを待つことの方が圧倒的に多い。爆豪くんは気が短いし、列に並んで待つだとか、そういうことをとかく嫌う。デートのときに必ずと言っていいほど食事の店を予約しておいてくれる爆豪くんだけれど、それがただスマートなだけというわけではなく、列に並んだりする無駄な時間を省きたいというところからくるものだということを、私はこの一年の間になんとなく理解していた。

 待ち合わせの喫茶店の、木枠のドアをばたんと開ける。扉に取り付けられていたベルがからからと楽しそうな音を立てた。何度か爆豪くんと一緒に来たことのある店だ。店員が私の顔を見て、すぐさま奥の席へと案内してくれた。待ち合わせだと説明する必要すらない。
 駅からほど近いところにありながら、この店はいつ訪れてもいやに空いている。飲み物の値段も安いので、雰囲気の割には学生の私たちでも使用しやすい良心的な店なのだけれど、しかしこうもがらがらだと経営はどうして成り立っているのかとか、何か不法なものを出されているのではないかと若干の不安も覚える。
 そんな人気の少ない店内を進んでいくと、深紅のソファに背中を預けてふんぞり返っている背中が見えた。髪がつんつんと四方に跳ねたハリセンボンみたいな頭に、目当ての人物であることを確信する。

「おまたせ」
「遅ェわ、雑魚が」
「ごめんごめん。授業がちょっと長引いちゃって」
 向かい合った席に腰をおろすと、すぐに爆豪くんに怒られる。語尾についた『雑魚が』が特に意味のない暴言であることは分かっているので、それはあっさりと流しておいた。爆豪くんからの暴言に意味があるときなど、暴言全体の一割にも満たない。

 夕食までそう時間もないので、今日は適当にお茶をするだけの予定だった。こういうデートは珍しいけれど、そもそも平日のデートが珍しい。爆豪くんからの申し出なので文句は言わないけれど、私だったらこんな隙間時間でのデートを爆豪くんに要求するのは気が引けてしまって、絶対に誘えないだろうなあと思う。
 すでにホットコーヒーを注文している爆豪くんに倣って、私もホットのカフェオレを注文した。何かケーキも食べようかとメニューに視線を走らせるけれど、すぐに前方から「また太んぞ」と最悪なことを言われたのでそのままメニューをスタンドに戻す。百歩譲って『太る』は納得できるにしても『また』というのはどういうことだろう。たしかに高校に入ってから若干太ったのは事実だけれど、しかしそれだって誤差の範囲内というか、私自身以外には変化なんか分からない程度のはずなのに。

 コーヒーを待つ間、目の前に座った爆豪くんをぼんやり眺める。と、つい先日電話で話した内容を思い出し、私は口を開いた。
「そういえば、仮免取得おめでとう」
「あ?」
「春の試験で受かったんでしょ。よかったね」
「ハッ、受かるに決まってんだろうが」
「一回落ちてるもんね。これで落ちたら恥ずかしいところだったね」
「んだとてめえブッ殺す!」
「店の中で大きい声出したら怒られるよ」
 私の言葉に、爆豪くんはまだ納得していなさそうな怒った表情をして、しかしむっつりと黙ってソファに沈んだ。

 昨年の夏休み明け、雄英ヒーロー科の一年生が受験したヒーロー仮免試験。学年四十人が全員受験し、なんと落ちたのはたったの二人という、学年としてはきわめて優秀な成績をおさめたらしい。聞いたところによるとその試験は受験生のおよそ半数は落ちるような狭き門の試験だというし、そもそも受験生は二年生が圧倒的に多いという。それを一年生のうちに受験して落第がたったの二人というのだから、さすがは名門雄英高校の面目躍如といったところだろう。
 そして落ちたふたりというのが、あのエンデヴァーの息子であり爆豪くんのライバルでもある轟くんという男子と、ここにおわします爆豪くんなのだった。人格が最低過ぎて試験に落ちるとか、もう完全に面白いやつである。永遠に笑っていられるやつだ。

 そんな落第生の爆豪くんであるけれど、その試験後から始まった仮免補講を経て、この度めでたく仮免試験に合格したらしい。
 前回の試験からおよそ半年もの間、爆豪くんが真面目に補講を受けていたことも、そして落第という、彼の輝かしい経歴にはおよそ相応しくない試験結果に、彼が内心果てしない屈辱と恥辱と苛立ちでぐちゃぐちゃになっていたことも知っていたので、合格に関しては私も心の底からよかったと思っている。これで万が一また試験に落ちるようなことがあれば、いよいよ爆豪くんの精神はあれになっていただろう。あれに。地に落ちるとか、そういう感じのあれに。
「お茶子ちゃんとかが行ってたインターンにもこれで参加できるんでしょ? よかったね、爆豪くんは絶対実践派だもんね。すぐに追いつけるよ、知らんけど」
「すぐ追い抜いたるわ、あんな丸顔」
「緑谷くんとかも着々と経験積んでるらしいしねえ」
「あ? なんでてめえがデクのこと知っとんだ」
「この間ばったり会ったんだよ。偶然にも」
「根暗同士で波長合ってんじゃねえのか」
「ええー、どうせ波長合わせるなら爆豪くんがいいなあ」
「……」
「無視しないでよ、恥ずかしくなっちゃうから」
 そんな話をしていたらカフェオレが運ばれてきた。もうもうと立ち上る湯気からは幸福のにおいがする。
 ふうふうと冷ましながら、カフェオレボウルを両手で包みこむように持って口に運ぶ。ミルクがたっぷりと入っているので、口の中にふんわりと甘みが広がる。その甘みに何とも言えないほわほわとした気持ちになっていると、ふいに視線を感じた。不思議に思って窓の外に視線を遣ると、近隣の高校の制服を着た女子ふたり組とばちりと目が合う。しかし目が合うなり、すぐさま視線を逸らされてしまった。怪訝に思って首をかしげていると、爆豪くんから
「うぜえ」
 と声が聞こえた。

「え? 何が? カフェオレのカップを両手で持ってふうふうする様子がうざいって話?」
「それもうぜえが、違ェ」
「それもうざいんかい」
 彼女のかわいらしい仕草だと思ってときめいてくれよ、と声に出しかけて、しかしさすがにそれは爆豪くんに対して無茶を要求しすぎだと言葉を飲みこむ。爆豪くんのときめきのツボがどこにあるのかは分からないし、そもそもそんなものが存在するのかも分からない。
 けれど、私が『どうだ、可愛かろう』と提出したものが爆豪くんの琴線に一切触れないということは確かだった。つくづく爆豪くんが何故私と付き合っているのか、謎が深まるばかりである。

 ともあれ。
 うざいのが私ではないとすると一体何なのだろうか。そう考えを巡らせて、すぐにああ、と合点が行った。爆豪くんが『うざい』と言ったのは、恐らく店の窓の外から私を──いや、私と一緒にいる爆豪くんを見ていたあの女子たちのことだろう。

 爆豪くんの人気は学生としてはかなり破格である。もちろん彼はまだ学生なので、そのプライバシーは雄英高校によって厳重に守られている。入学以前のヘドロ事件のことについてはどうしようもないけれど、入学以降の彼については、様々な事件やイベントの中心人物であったにもかかわらず、かなり情報統制がとれていた方ではないだろうか。外部の人間で爆豪くんについて知ることができるのは、せいぜいが林間合宿の際に拉致された生徒であること、体育祭で優勝を果たしたということくらいだろう──表沙汰には。
 それでも、その情報だけでも、爆豪くんはすでに常軌を逸している。ふつうの学生ならば在学中に敵に──しかも敵連合という現代日本最大の敵組織に拉致されることなどありえない。それが拉致され、しかも、五体満足で生還した。オールマイトの引退という国中を震撼させたニュースに埋もれて表沙汰に語られなかっただけで、アングラでは爆豪くんの話はもはや神話レベルで語られている。

 そういう影響として、先ほどの女子のような子が爆豪くんの周りをうろついているのが目下の爆豪くんの──そして私の悩みの種だった。今のところ実害はないものの、しかし纏わりつかれていい気がしないのは確かである。普段は厳重なセキュリティで守られた、堅牢な要塞のごとき雄英高校の敷地内で生活している爆豪くんなのでさほど気にならないのだろうけれど、ひとたび街中を歩けばこういう事態になることだってある。

「根暗、てめえ席変われ」
 言うが早いか、爆豪くんはテーブル越しに私の方へと自分の荷物を放った。ソファー席なので荷物がひとつ増えたくらいでどうということもないのだけれど、私は黙ってそれに従う。私が座っていたのは店の外の通りからよく見える位置だったけれど、変わってもらった爆豪くんが座っていた席──私が座りなおした席は、ちょうど出窓の部分に観葉植物が置かれていて、通りからの目隠しになっていた。
 爆豪くん本人が口にすることはないけれど、彼が私を慮ってくれているのは彼の仕種の端々に感じられる。
「爆豪くん有名人だし格好いいからね」
 ことさら明るい声で言うけれど、爆豪くんは一度鼻を鳴らして
「関係ねえわ」
 とそっけなく言っただけだった。辟易しているのだろう。その気持ちは分からなくもない。爆豪くんのタフネスをもってしても、これはまた別の問題である。

 こうやって爆豪くんと一緒に出歩くのもやめた方がいいんだろうか。
 ふとそんなことを思う。爆豪くんはルックスも人並み以上だし、何よりヒーローの卵としての実力はプロヒーローの折り紙付きである。本をただせば去年の夏に敵連合に拉致されたのだって、その凶暴な人間性はもちろん学生としては稀有なほどの実力があったからこそだろう。今からこれだけの人気があるのなら、将来的にとんでもない人気ヒーローになるのも確実である。
 エンデヴァーのようにアンチもたくさんつくとは思うけれど、しかし人気者ならアンチはつきものだ。アンチの数すら、爆豪くんにとっては自分を鼓舞する材料になるだろう。

 翻って、私はどうだろう。一応、名門女子高に通っているお嬢様というステータスを保有しているものの、それはあくまでも肩書だけの話だ。私自身に特筆すべき何かがあるというわけではない。一般的で、普通で、凡庸な女子高生。ちょっと勉強ができると言ってもたかが知れているし、個性で頭脳を強化できるような人には到底かなわない。あくまで一般人のレベルである。
 私と一緒にいることを爆豪くんのファンに見られることは、爆豪くんにとってマイナスになってしまわないのだろうか。彼の足を引っ張ることになっていないだろうか。

 付き合う前ならばきっと、こんなことは考えなかった。私と爆豪くんは対等で、私はいつだって自分の気持ちを優先していたし、不利益があるならそれは、爆豪くん自身が考えるべきことだとも思っていた。それが人と人が関係を築くということで、相手のことを必要以上に気遣うのは健全ではないと、私はそう思っていた。
 けれどそうも言っていられないのが、今の私と爆豪くんの関係だ。私なんかには想像もつかないほどの評価が、今の、そして未来の爆豪くんには向けられている。爆豪くんに価値を見出す人がいる。その価値を私が貶めることになることだけは嫌だった。私が爆豪くんの重荷になることだけは、絶対に避けたい。
 それはただ単に爆豪くんのことが大切だから、爆豪くんのことを想っているからとかそういうことではなく。私が爆豪くんと付き合うために揺らがせてはいけない、私の矜持の問題でもある。

「馬鹿が余計なこと考えてんじゃねえ」
 ふいに、爆豪くんが呟いた。いつのまにかカフェオレの水面に落としていた視線を、再び爆豪くんの顔に戻す。爆豪くんは不機嫌そうな顔をしていて、けれどそれは先ほど窓の外にいた女子たちに向けていたような、敵意に満ちたものではなかった。
「余計なことって、爆豪くん私が何考えてるか分かるの?」
「てめえごときの頭で考えつきそうなことくらい、俺にだって見当つくわ」
「すご、仮免補講でコミュ力が上がったんじゃない?」
「んなわけねえだろ!」
 爆豪くんが怒鳴る。それからケッと面白くなさそうに吐き出して、カップをソーサーに置いた。苛立っていても音を立てて食器を扱わないのは、さすが爆豪くんと言わざるをえない。
「しけたツラすんな、普段からクソな顔が余計クソになるだろうが」
「どういうこと?」
「聞き返してんじゃねえ! 分かれや!」
「冗談だよ」
 私が笑うと、爆豪くんはまた不機嫌そうに舌打ちをする。けれどその遣り取りで、今まで張りつめていたものが、嘘のように急速にゆるんでいった──爆豪くんが、そうしてくれた。
 言葉の選び方にこそ難があるものの、爆豪くんは基本的には私に対しては親切だ。大事にされている。だから、爆豪くんが私の思考をある程度読んだうえで「考えるな」と言うのであれば、やはりそれは考える必要のないことなのだろう。私が考えるまでもなく、爆豪くんが考えること。爆豪くんの領分。私はただ、私がしたいように爆豪くんとのお付き合いを楽しめばいい。

 少しだけ肩の荷がおりた気がした。自分でも気が付かないうちに、私はどつぼに嵌りかけていたらしい。爆豪くんの言う「しけたツラ」というのも、あながち嘘ではないのだろう。
「次いつ会えるかな」
 話題を変えるため、私は爆豪くんに問いかける。わざとらしかったかもしれないけれど、爆豪くんは特に何も言わなかった。
「さあな。もう補講はねえが、そもそも去年より授業も課外も多い。てめえにばっか付き合ってらんねえ」
「付き合ってもらってるわけではないのですが」
「は? 俺が、てめえに、付き合ってやってんだろうが、根暗」
「まあそう思いたいならご自由にという感じだけども」
 二年に進級して忙しくなるのは事実だろうから、今までよりもデートをする頻度も下がるのかなあ、と漠然と思う。今までも毎週のように顔を合わせるなんてことをしていたわけではないけれど、それよりもさらに会えなくなるはずだ。雄英は敷地外に出るにはいちいち外出届を出さなければならないし、外部の人間が易々と中に入ることもできない。

 忙しくなるし、寂しくなる。
 先ほどまでとはまた別の重たい問題に、ついつい深く溜息をついた。会えば会ったで悩みが沸き上がるし、会わなかったら会わなかったで寂しいのだから困ったものだ。
「……別に、電話でも何でもあんだろ」
「でも爆豪くん忙しそうだし、あんま電話とかするのも憚られるっていうか」
 というか今だって、電話は爆豪くんから掛けてくることの方が圧倒的に多い。私から電話をするのは、直前までメッセージの遣り取りをしていた爆豪くんの都合が今ならつきそうだと確信しているときに限っている。私はこれでもかなり、爆豪くんのヒーロー科学生としての本分を邪魔しないように配慮している。

 しかし私の思いやりも空しく、爆豪くんは再び大声で私を威嚇した。
「あ゙ァ!? てめえ俺が許可してやってんのに一丁前に遠慮とかしてんじゃねえ! ブッ殺されてえのか!?」
「つくづく人の善意を無碍にする天才だよね」
 今のところ私の好意を爆豪くんが素直に受け取ってくれたことなんて一度もないんじゃなかろうか。というか爆豪くんが人の好意を素直に受け取ることってあるんだろうか。好意のない人間から好意に近い何かを無理矢理分捕ることはするかもしれないけれど。強盗かよ。

「まあ、電話するよ。今までもしてたけど」
「気が向いたら出てやってもいい」
「……もう絶対電話しない」
「あ゙ァ!? んだとてめえ!? 誠心誠意電話してこいや!」
「何なんだよ、まじで何なんだよ爆豪くん」


 ★

 爆豪くんとのデートで若干目減りしていたHPを無事に回復した私だったけれど、週明け、日直のためにいつもより早めに登校すると、私の上履きの上には再び、紙切れがぽつんと置かれていた。
 いや、ぽつんと、というのには些か語弊があるだろう。何故なら、蓋つきの下駄箱であるにもかかわらず、上履きの上に置かれた紙の上には、風などで飛んでいかないようにきっちりと文鎮が置かれていたからだ──普通、置手紙に文鎮を置くだろうか? どれほど大事な手紙なんだよ。
 上靴を取り出すついでにその紙切れも取り出す。前回の『爆豪勝己と縁を切れ』という余計なお世話すぎる文面を思い出し、うんざりした気分になった。いっそ、よっぽど読まずに捨ててやろうかとも思う。けれど私は律儀な人間なので、一応、本当に一応、手紙を受け取ったものの礼儀として仕方なく、目を通しておくことにした。親切なので。

 折りたたまれた紙片を開く。前回同様、定規で引いた線で構成された文字の羅列に、思わず頭が痛くなりそうになった。
 私はそこまで熱心な人間なので、これが仮に思い切り差出人の癖が出た筆跡であったとしても、差し出し人を探しだりたりすることはしなかっただろう。だからこれは、言ってみれば差出人にとって完全な徒労でしかないわけだけれども、だからといって、その努力を評価してやる義理も理由もないわけで。まして、文面に書かれた言葉に従ってやる道理などどこにもないわけで。

 本来、私はこの手紙を無視したってよかった。この手紙だけでなく、前回届いた手紙だってそうだ。こんなものに取り合ってなどやる必要はない。
 誰が何と言おうと──爆豪くんではない誰が何と言おうと、私は爆豪くんと縁を切るつもりは今のところ、ない。今後どうなるかまでは分からなくても、今現在の意志ははっきりとしていた。誰かも分からない人間からの手紙に唯々諾々と従う理由など、ひとつもないのだ。
 無視してもいい。そう、無視してもいい。無視する権利が私にはある。
 それでも、その手紙を屑籠に放り捨てることを私はしなかった。元あったようにきちんと折り目に沿って二つ折りに折りたたみ、それを大事に制服のポケットに入れる。そこに記されていた文面は、前回のような命令口調でも、横暴な言葉でもなかった。それだけに、前回とは向こうの心境が違うのだと、いやでも思い知らされる。
 ──上等だ、これでも昔は狂犬扱いされていたような喧嘩っ早い女子だった。お嬢様学校である夢咲女子に入学して私もまるくなったけれど、しかし爆豪くんの彼女をしている以上、けして武力を捨て去ったつもりもない。

『今日の放課後、中庭の噴水前にて待つ』

 四角張った文字で書かれたそれだけの言葉は、紛うことなく宣戦布告であった。

 ★

 そんなわけで、宣戦布告を受けたからにはいざ尋常に勝負といくしかない。その日の授業を終えた私は、手洗い場に駆け込むと、頭の先からつま先までの状態をくまなく点検した。
 女同士の戦いである以上、できるだけ抜かりがないよう準備をする必要がある。まして、相手は恐らく爆豪くんに少なからず好意を抱く人間だ。彼女としての名字名前が戦う以上、欠点は少ない方が良い。今更顔面やスタイルを改良することはできないけれど、少しでも清潔感を持ってよく見せることはできる。隙があったら喧嘩に負けるというのは小学生時代に嫌というほど学んだことだった。
 万全ではないが、十全ではある。いや、言葉の意味を考えれば万全も十全も同じことなのだろうけれど、それは今は置いておくとして。
 そうして身支度をきっちりと整えた私は、満を持して指定された約束の場所である噴水前へと向かった。

 一般的に、名門私立の女子校のイメージといえばどのようなものがあるだろう。挨拶が『ごきげんよう』だとか、制服のスカートの長さが厳しいだとか、そんなところだろうか。制服についてはそこまで厳しくないものの、実際、イメージされる女子高と我らが夢咲女子とはそう大きく乖離していない。校則はけしてゆるくない。乙女の花園は淑女養成校としての側面が強いため、イメージ戦略を大切にしている。
 そんなステレオタイプのお嬢様学校なので、校則のようなソフト面だけでなく、当然ハード面もきっちりと整えられている。中庭には美しく手入れが施された垣根と、その垣根に囲まれた噴水が設えられ、生徒や職員の憩いの場となっていた。白を基調とした噴水は、用務員の日々の清掃の賜物で薄汚れることもなくつやつやと光を反射している。

 一見すれば、お嬢様学校のシンボルのようにも見えただろう。確か学校案内にもこの噴水の写真が使われていたはずだ。それなのに、今、私と彼女が向かい合っているこの場の空気は、まったくたおやかでしっとりとしたものではなかった。ぴりぴりと空気が張り詰めている。
 私が到着したとき、彼女はすでにそこで私を待ち構えていた。不機嫌なオーラを隠すこともなく、入学して間もないというのに踵を履きつぶしたローファーで、石畳を蹴って音を立てている。
 そこにいたのは見たこともない女子だった。タイの色から下級生であることは分かるものの、それ以外にはまったく覚えがない。そもそも下級生のことなど大して知ってもいないのだけれど、こちらに覚えがないのに恨みを買っているというのは、あんまり面白い話ではなかった。

 気が強そうな顔をしている。触れればこちらの肌が切れそうな、刺々しさと危うさ。視線は真っ直ぐ私の方を向いていて、上級生を呼び出している罪悪感など微塵も感じていなさそうだ。
 そんな彼女は、私が到着したのを確認するなり、挨拶もそこそこに言った。
「名字先輩って、爆豪勝己くんの彼女なんですか」
 開口一番、まるで喧嘩を売るみたいな口調。そのあまりの無礼さに、私は暫し言葉を失う。
 投げかけられた言葉はけして荒々しいものではなかったけれど、それでも言い方が言い方である。これで喧嘩を吹っ掛けられていないと言える人間がいるとしたら、そんなやつはこの世の悪意を一切知らないようなとんでもない世間知らずに違いない──生憎、この学校にはそういう人材が何人かいるけれど。
 このおっとりとしたお嬢様学校の校風にすっかり慣れてしまっていた私は、彼女の物言いにごくりと息を呑んだ。

 それでも。最初こそ困惑してしまったものの、そこで怯んで言われるがままになるほど、私は穏やかで優しい人間ではなかった。ごくりと唾を飲みこんで、私は反撃に転じる。
「……一応先輩である私に対して、大した態度だね」
 爆豪くんの目によく似たその子の目を見つめ返しながら、私はあえてのんびりとした口調で言った。
 最初こそ驚いてしまったけれど、私は今更これしきのことで動じたりしない。

 私の反論に、今度は彼女が押し黙る。反論されることを予期していなかったのか、それともここから先の戦略を練っているのか。いずれにせよ、向こうの最終目標は私と爆豪くんを別れさせることで、私の最終目標は現状維持である。どう考えても戦況は私に有利だった。

 じっとりと私のことを睨む彼女を、私もまたじっとりと観察して返す。
 女子にしては短い髪。切れ長で交戦的な瞳。この温室のようなお嬢様学校では、彼女はさぞ浮いていることだろう。彼女にはおっとりの『お』の字もない。短く詰めたスカートも、タイを結ばず大きく開いた胸元も、きっと異質なものとして周囲からは遠巻きにされていることだろう。

 その時、唐突に私は納得した。彼女は爆豪くんに似ているのだ。それは視線だけの話ではなく、全体的に。似ているというか、似せている。多分、意図的にそうしている。意図的に、粗野で荒々しいふりをしている。そうあろうとしている。
 憧れの誰かを模倣するというのは、何も私にだって理解できない感情ではない。その人になろうとすることは、なりきろうとすることは、なぞろうとすることは、恋愛に限った話ではなくありふれた心情だろう。私は爆豪くんのようになんて死んでもなりたくないけれど、それでも彼の放つ光量を思えば、そうしたくなる人間がいることには何の不思議もない。中学時代、爆豪くんに憧れて不良ぶった後輩がいたことも知っている。

 とはいえ──私はすぐに考える。いくら似せているとはいえ、男女の差だけでなく、目の前の彼女と爆豪くんの間には大きな隔たりがある。当然のことながら顔の造形は爆豪くんの方が整っているし──まあそれは彼女の贔屓目であったりもするけれど──それに爆豪くんほどのオーラは彼女にはない。爆豪くんは粗野で乱暴ものだけれど、ただそれだけの人間ではないのだ。名門ヒーロー科に入学する前から、彼には人を引き付けるカリスマ性みたいなものが備わっていた。
 目の前の彼女にはそこまでのものはない──少なくとも、私にはないように見える。
 言葉を選ばずに言うのであれば、彼女は模造品でありレプリカだ。爆豪くんのような目立つ存在に惹かれ一生懸命真似てはいるものの、本質的に爆豪くんとは違う存在だから、彼女は爆豪くんのようにはなれない。

 私が失礼なことを考えていることを察したのだろう。彼女は眉間の皺を一層深めて私を睨みつけた。散々ぱら爆豪くんの鋭い視線を受けている身からしてみれば、そんなものは怖くも何ともない。というか最初こそ面食らってしまったものの、普段から爆豪くんという『本物』のそばで生活している私にとって、彼女はまったく──まったくといっていいほど、恐るるに足らない存在だった。

「爆豪勝己くんと別れてください」
 彼女が繰り返す。もちろん私は頷かない。
「爆豪勝己くん、ねえ……くん付けだなんて親し気な感じだけど、あなた、爆豪くんの知り合いか何かですか?」
 当然そんなはずはないことは分かっている。爆豪くんと少しでも近しい人間ならば、爆豪くんを真似たところでこんな上っ面ばかりのお粗末な出来にはならないだろう。爆豪くんが爆豪くんたる所以を、そんな浅はかなところに設定したりはしないだろう。
 彼女が爆豪くんと、爆豪くんが認知している程度の知り合いであったなら、彼女は嫌がらせのように下駄箱に紙切れを入れるなんて手段はとらなかっただろう。何故なら爆豪くんはそんなことをするタイプではないのだから。

 彼女は不機嫌そうにそっぽを向く。だからその喧嘩相手から視線をそらすのがもう、爆豪くんらしくないのだ。爆豪くんのようになりたいのならば、そんなお粗末なトレスでは意味がない。
「知り合いではないですけど、フォロワーです」
「なるほど、爆豪くんはたしかに人気があるからね。あなたみたいな爆豪くんとは何の関わりもない一般人にも爆豪くんはよく知られてるし──フォロワーも多い」
「……それは言外に私なんて取るに足らないと言っている、という理解でいいですか」
「それはあなたのご判断にお任せするけど。私は別に、彼氏のフォロワーに喧嘩を売るようなつもりはないしね──そっちから喧嘩を仕掛けてこない限りは」
 苦々し気に私を睨むその顔から、私の嫌味がちくちくと効いていることが伝わった。

 これで話が終わってくれたらいいのだけれど。そう思い、ちらりと腕時計を確認する。
 と、それと同時に再び彼女が口を開いた。

「私はなにも嫌がらせのつもりで別れてほしいなんて言ってるわけじゃありません。もちろん名字先輩みたいな目立たない人間とは接点もないし、個人的な恨みもない。そもそも爆豪勝己くんのことがなければ、私は先輩みたいな人のことなんて知りもしなかった」
「それはどうも」
 ちくちくとした嫌味を返され、ついついうんざりした声が出た。それを勝機と見たのか、にわかに目の前の彼女の顔色がよくなる。よくなるな。元気なくせ。

「先輩が爆豪勝己くん──爆豪くんと別れたからといって私が彼と付き合いたいとも思っていません。私は彼に相応しくないし、彼に相応しい人なんて──少なくとも今の私が知る限りにおいて、そんな人はどこにもいません。爆豪くんはクールで、かっこよくて、ヒールじみててるけど強くて──まさか恋愛なんてするような柔な人間じゃないはずだから」彼女は言う。言葉が、堰を切ったようにあふれ出す。「先輩が悪いってわけじゃないです。そりゃあまあ、先輩って思ってたよりだいぶ性格が悪いんだなっていうのは今日お話をしてみてよく分かりましたけど──でも、先輩がどうこうって話じゃない。性格が悪かろうが何だろうが、人の好みは好き好きですからね。蓼食う虫も好き好きというやつですか。とにかく、先輩みたいな人を好きになる人だっているだろうということは分かります。あくまで話として分かるというだけですが」
「性格についてはまあ、あなたにだけは言われたくないけど」
「それに、先輩ってどう見ても真面目な優等生タイプですよね。目立つタイプでもなければ、家柄がいいわけでもない。爆豪くんと普段どういう会話してるんですか? 悪いけど、全然想像できないんですよね。先輩、爆豪くんと性格が合わなさそうだし。そんなに性格が合わないのに付き合ってて疲れないんですか? 私のさっきの言葉──というか本意とはまたちょっと別の話ですけど、単純に相性が合ってないと思うんですよね。つまるところ、何が言いたいかというと世間に星の数ほどいる女の中でも、先輩は爆豪くんとかなり釣り合っていない、相性が合っていない、バランスが悪い人間なんじゃあないですか?」

 言いたいことをすべて言い切ったのだろうか。彼女は満足げな顔をして、改めて私を見た。その表情には勝ち誇った色が浮かんでいる。年上の私を、こてんぱんに言い負かしてやったと思っているのだろう。実際、ある程度は的を射た言葉であった。
 爆豪くんと私の相性が合っていないとか。そんなことは彼女に言われるまでもなく、重々承知した事実である。そも、私は爆豪くんのどこを好きになったのかと聞かれてもうまく説明できないような感情しか、爆豪くんに対しては抱いていない。もちろん好きか嫌いかと問われれば好きだし、好きか大好きかと言われれば、その日の気分にもよるだろうけれど七割くらいは大好きと答えるだろう。私は結構爆豪くんに対してはぞっこんである。
 爆豪くんの方も私のことが好きだ。好きだし、大好きだし、何ならあれは愛してるんじゃないかとすら思う。非常に分かりにくい性格と言葉選びをしているがために、爆豪くんが有している感情の多分一割程度しか私には伝わっていないのだけれど、それでもそういうようなことを思っているんだろうなというのは薄々想像ができる。まあこれも私の想像でしかないので、爆豪くんに違うわ死ねと言われたら謝るしかないけれど。

 とにかく、そういうわけで私と爆豪くんは相思相愛なのだ。らぶらぶといってもいい。周囲からはそうと見えないだけで、結構恥ずかしいカップルである自覚がある。
 今更外野からどうこう言われたくらいで、それが揺らぐものではないのだ。爆豪くんと不似合だって? そんなことはこれまでだって悪意は伴わずとも何度だって言われている。付き合う前から言われているくらいなのだ。そんじょそこらのフォロワーとは年季が違う。

 私と爆豪くんは釣り合っていなくて、相性が悪くて、格が違う。そりゃあそうだ。私だってそう思っている。
 けれど。

「爆豪くんと私の性格が合うわけないなんて分かってるよ。だけど、それが付き合わない理由にはならない。別れる理由にはならない」
 はっきりと、私は突きつけるようにそう言った。
 彼女がどれだけ正論で私に詰め寄ってこようと、それは外野の正論だ。男女のお付き合いなんて、主観でしか語られないような個人的な経験である。外野の正論なんかより、当事者の感情論が強いに決まっている。
 そんなことも分からないような人間に、自分本位キングの爆豪くんを語る資格があるわけない。自分本意クイーンの私を納得させられるわけがない。
「性格が合わなくったって、好きだから合わせる努力をしてるの。一緒にいるためにできることを、一つずつこなしてるの。それはそんなに悪いことなの? 一緒にいる努力をするのは──悪いことなの?」
「だから、それは」
「大体、爆豪くんはあなたが思ってるような人間じゃないよ。彼の名誉のためにあまり深くは言わないけれど、とにかくあなたが挙げたような彼の美点すべてひっくり返す勢いで彼には欠点がありまくるし、そのことを多分自分でもある程度自覚してる。私は彼の欠点まで好きでいるなんて豪胆な人間ではないし──あなたが言う通り爆豪くんとは釣り合わない人間だけど──爆豪くんが選んだ人間ではあるんだよね」

 釣り合っていなくて、相性が悪くて、格が違って、でこぼこで。
 それでも、私は爆豪くんのことが好きなのだ。どうしようもなく好きで、大好きで、愛しているとすら言ってもいい。だから、釣り合いなんて関係ない。釣り合ってなくたって構わない。相性が悪いというのなら、少しでもよくなる余地を信じて歩み寄るだけだ。それが私と爆豪くんにとっての自然な形である。付き合うまでの一年も、付き合ってからの一年も、今までずっとそうやって私たちはやってきた。これからだって、そうやって上手に距離を測りながらやっていく。外野に口を出される筋合いはない。

「だから、あなたが私に言ったことなんて、今まで誰かに百万回言われたようなことばっかりだよ。それでもって、自分でも何度も思ってきたことばっかりだよ。そんなありきたりで無難なことしか言えないようじゃ、爆豪くんのフォロワー名乗るにしては平凡すぎるし、私のことを動かすにもキャラが弱すぎだよ。なんてったって耳の真横で爆破起こされても動じない女だからね、私は。私を動かしたければ、少なくとも爆豪くん以上のインパクトでびびらせてよ」

 ★

 その翌日、私は再び爆豪くんから呼び出されていた。といっても翌日は祝日だったので、私も爆豪くんも学校は休みである。
 例のごとく雄英近くまで足を運ばされた私だったけれど、待ち合わせ時刻の十分前に駅につくと、そこには既に爆豪くんが待っていた。休日だというのに雄英の制服をきっちり着込み──ということはなく、例のごとくだるんと着崩してはいるけれど。とにかく、制服姿の爆豪くんが、駅の改札前で不機嫌そうな顔をしながら私を出迎えてくれた。
「おは、」
「てめえ俺が十五分前に到着しとんだからてめえは二十分前に到着しとけや!」
「着いてるの連絡すらない人間が何故そこまでの要求をできると?」
「察しろ! グズが!」
「電車に乗ってるし私の裁量ではちょっと無理ですね。文句ならJRに言って」
 爆豪くんが腹立たし気に鼻を鳴らす。それでもJRに文句を言いに行くようなそぶりはなかったので、一緒に駅の外へと出た。

「ところで爆豪くん、どうして制服なの?」
 行き先を聞くこともせず、私は爆豪くんの隣を歩く。爆豪くんのことだから当てもなく歩いているということもないだろう。
 私の質問に、爆豪くんは舌打ちをした。
「ここ来る前に学校で用があった。で、寮に着替えに戻る前にうぜえやつらに捕まりそうになって、うぜえからそのまま出てきた」
「なるほど」
 つまりは上鳴くんたちに捕まると待ち合わせの時間に遅れそうだから、それを避けて早めに駅に来た、ということだろう。相変わらず言葉選びが壊滅的な爆豪くんだったけれど、それでもさすがに付き合いが二年を超えたので大体言わんとするところは想像することができる。

 上鳴くんたちに捕まるのが単にわずらわしかっただけかもしれないけれど、それでも約束の時間に遅れないように早めに来てくれたというのは、単純に嬉しかった。
「あ、見てみて」
 ふと、視界の端にうつった色あせたゲーム機を指差して、私は爆豪くんのことを呼び止める。急に立ち止まって声をあげた私に爆豪くんは面白くなさそうな顔をしているけれど、それでもちゃんと、私が指さす先は確認してくれた。開いているんだかも分からないような鄙びた駄菓子屋の前の、アイスクリームが入ったクーラーボックスの横にそれは置き去りにされたように設置されていた。
「なんだあれ」
「大昔に流行ったやつだよ、この間お母さんと買い物に行ったときにお母さんに教えてもらったんだけど。相性診断ができるんだって」
 私の説明に、爆豪くんはすぐさま鼻で笑った。そもそも、現代における占いは、ほとんど未来予知と同義である。そういう『個性』を持った人間が占いと称して未来や相性を見るのだ。こんなよく分からないポンコツ機械など、相性診断にはお呼びではない。

 だからこそ、果てしなく興味を惹かれた。そもそもこんなレトロな筐体が未だ現役で現存していること自体が、もはや奇跡のようなものである。
「誕生日と血液型を入力すると相性を導き出してくれるらしい」
「ハッ、くっだらねえ」
「ね、めっちゃくだらないよね! 折角だからやってみよう」
「あ˝ァ!? どういう理屈だアホが。大体、んなもん動くのかも分かんねえだろ」
「この筐体の最低記録を更新するかも!」
「ふざけんな! 俺の情報使ってクソみてえな点数叩きだしたら殺す」
「そんなこと言われてもねえ」
 言葉を交わしながら、私は小銭を筐体に投入する。褪せたピンク色の筐体は、があがあとノイズ交じりのだみ声みたいな音声で案内を告げる。最後に稼働したのは一体いつなのだろう。表面にはうっすらと埃が積もっているし、もしかしたら数年単位で誰にも遊ばれていないのかもしれない。

 それでも、動くものは動く。小銭泥棒というわけでもなさそうだった。案内に従って、私はチープなボタンを操作する。
「えーっと、私の誕生日と爆豪くんの誕生日だよね」
「ケッ」
「二十点より低かったら爆豪くんがお昼奢ってね。そのかわり八十点以上だったら私が奢ってあげる」
「絶対奢らす」
「その自信は一体どこから……?」

 そんなわけで。
 いつも通りに爆豪くんが予約しておいてくれた店で食べた昼食は美味しかったけれど、二人分の昼食代を支払った私の財布はすっかり薄くなってしまい、今月の浪費は避けなければならなくなってしまったのだった。

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