切島と夢主



(※切島視点)

 爆豪の彼女とはあんまり話したことがない。学校が違うということもあるし、爆豪は自分の彼女を周りに紹介したがるタイプじゃないからだ。俺もそんなに女子と話すのは得意じゃない。だから爆豪の彼女から声を掛けられた時、正直最初は誰だか分からなかった。制服着てねえと分かんねえな、と俺は笑ったら向こうも笑った。

 学外の図書館を使用することは少ない。というのも雄英の図書館はさすがヒーロー育成機関の最高峰だけあって、蔵書数も広さも、とても学校図書館とは思えないような規模と充実度だからだ。わざわざ学外に出る必要がなくちょっとした調べものならば学内で事足りるし、何なら外部からわざわざ図書館目当てで来校する研究者もいるほどだ。
 けれど、今日はその図書館を使用することができなかった。試験前で図書室は満員御礼だったのだ。俺の知る限り図書室の広さと定員が許容オーバーになったことなんてなかったはずだが、全寮制になったこともあって図書館の稼働率は上がったらしい。普段図書室になんて寄り付かない俺のような層が昼前にのんびりと向かったところで、試験前の図書室に空席などあるはずがないのだった。
 そういうわけでわざわざ学外の市立図書館にやってきた矢先、出会ったのが名前ちゃんだった。爆豪の彼女。雄英近くの女子高に通っているということくらいしか、俺は彼女のことを知らない。そんな彼女は今日は通っている高校の制服ではなく、ふんわりしたワンピースを着ていて普段とは印象が違った。制服を着ていないと女子って雰囲気変わるよな。

 図書館の建物の前、俺に気がついて声をかけてきた名前ちゃんは、よく見ると肩からキャンパスバッグを提げていた。彼女もまた学校の試験が近いのだろう。俺の大荷物を見て大体の事情を察したようだった。
「切島くん、久し振り。切島くんも試験勉強しにきたの?」
「おう。雄英の図書室、出遅れたせいで満席だったわ」
「そうなんだ。こっちは逆に雄英生の利用が減ったからか、前より空いてる気がするよ」
「まじか。じゃあ逆にこっち来てよかったかもな」
 確かに雄英生がわざわざ学外の図書館を利用する理由もない。図書室が満員だったら寮に戻るなり何なりするだろう。俺がわざわざ学外に出てきたのは、寮の自室は共同スペースには誘惑が多すぎるからだ。自慢じゃないけれど、俺はそんなに勉強に集中力がもたない。雄英に入学できたのは確たる目標があったからだ。

 ともあれ。そんな話をしていると、名前ちゃんは腕につけた時計に視線を落とした。そして言う。
「今来たばっかりのところ悪いけれど、切島くんお腹空いてない? よかったら一緒にご飯、付き合ってくれないかな」

 ★

 断る理由もなかったので、俺は折角図書館まできたものの、図書館内に入ることなくそのままUターンをして名前ちゃんと一緒に近くのハンバーガーショップに入った。聞くと彼女は午前中からずっと勉強をしていて、ちょうど昼食を食べに出てきたところで俺と鉢合わせたらしい。俺も昼飯を食べそびれていたから丁度良かった。同席することにする。
 爆豪には一応「名前ちゃんと飯食ってる。お前も暇だったら来いよ」と連絡を入れておいたけれど特に返信はない。朝からどこかへ出掛けていたから、もしかしたら携帯を見ていないのかもしれない。

「それでね、切島くん」
「ん?」
 声につられて視線を上げると、名前ちゃんがきらきらした目を俺に向けていた。思わず俺はごくりと喉を鳴らす。
 クラスの女子とはそれなりに話すけれど、俺はもともとそんなに女子と親しくできるタイプじゃない。というかどちらかと言うまでもなく男子とばかりつるんでいる。だからこう、いくら友人の彼女とはいえ、同じ年頃の可愛い女子にそういう目を向けられると、やはり困惑してしまうのだった。緊張する。学外だし。
「えーと、ごめん。何だっけ?」
「あ、うん。折角だから、学校での爆豪くんのこと、教えてもらえたら嬉しいなと思って。だめ?」
「学校での爆豪?」
「うん。お茶子ちゃんたちからも色々聞いてはいるけれど……やっぱり爆豪くんと一番仲のいい親友っていったら切島くんでしょう?」
 なるほど、そういうことかと心の中で膝を打った。

 名前ちゃんと爆豪は中学は一緒らしいけれど高校は違う。だから高校での爆豪の様子が気になるのは考えてみれば当然だった。特に雄英は全寮制だ。外部の人間から見れば、それはやはり謎が多く見えるのだろう。名前ちゃんはそうべたべたしたタイプには見えないけれど、やはり気にはなっているらしい。
「って言ってもなー」
 ジュースのストローを噛みながら俺は唸る。爆豪の話をするということ自体はけして吝かではない。というか寧ろ俺なんかでよければどれだけでも爆豪のことを話してやろうというものだ。けれどさて話そうかということになると、一体どこから何をどう話していいものやら悩ましかった。つうか爆豪、部屋に籠ってる時間も結構長いからほかのやつほど共同スペースに寄り付かねえんだよな。友達とはいってもそこまで突っ込んだプライベートトークをするわけでもないし。そういうのは多分、俺よりも上鳴の方が詳しい。

「そうだなー、じゃあ、演習のときとかの話でもする?」
「演習?」
 俺の言葉に名前ちゃんはこてんと小首を傾げた。そうか、演習という単語だけでは他校生には伝わらないのかと気付き、正しく言い直す。
「ヒーロー基礎学の演習」
「あ、聞きたい!」
 というわけで、俺は特に筋道も立てず、思いつくまま普段の学校での爆豪の様子を話した。麗日たちからも話を聞いているということは、名前ちゃんが俺から聞きたいのは存外こういう、男くさくてヒーロー科っぽい話なのかもしれないと思ったからだ。

 爆豪は良くも悪くも目立つやつだ。実力は体育祭学年一位という結果を見ても分かる通り、俺たちの学年では轟と並んで頭一つ抜けている。素行は悪いが性根が腐っているわけでもない。あと、頭に血が上りやすいタイプに見えて存外クレバーだったりする。というか多分、あいつの場合はできないことがあんまりないのだ。頭脳戦だって、ことさら努力をしなくたってできてしまうのだろう。まあ当然努力も怠らないのが爆豪なんだけど。
 その爆豪に彼女がいるというのは、俺からしてみればやっぱり不思議だと思う。何でもできて他人におもねるということをしない爆豪は、自分の中だけですべてが完結しているといっても過言ではない。俺だって今ではあいつの友達だけど、最初から友達だったわけじゃない。うるせえ邪魔だうざいどっかいけクソ髪死ね消えろといった暴言の嵐を乗り越えて、やっとなんとなく友達っぽい感じになっているのだ。爆豪が他人を必要とする度合いは、多分俺たちよりもずっとずっと低い。

 その爆豪がひとりの女子と付き合っている。その女子は俺から見れば可愛いけれど特別なところがあるわけではなくて、そもそもヒーロー志望ですらない。爆豪の横暴をすべて許せるような寛大さがあるわけでもなければ、爆豪に比肩する何かすごい才能があるわけでもなさそうだ。
 今俺の眼の前でにこにこ笑いながら俺の話を聞いている女子のどういうところに爆豪は惹かれたのだろう。話をしながらも、頭の片隅でそんなことを考える。彼女の何が爆豪の心を射止めたのか。彼女のどこを爆豪は好きになったのか。なんだかむしょうに気になった。
「なあ、名前ちゃん」
「なに?」
 話が一段落した頃を見計らって、俺は彼女の名前を呼ぶ。爆豪の彼女の名前を、呼ぶ。
 俺に呼ばれた名前ちゃんは、相変わらずにこにこしながらポテトをつまんでいた。指先についた塩を舐めるようなことはせず、きちんとペーパータオルで拭っている。そういえば彼女が通っているのは名門の女子高だったっけ、とそんなことを思い出した。
「名前ちゃんと爆豪って、付き合ってどのくらい?」
「えーっと……この間の十五日で七か月か八か月くらいかな? あんまり気にしてないからちょっと分かんないけど」
「まあでも半年以上は付き合ってんのか。その間に何回爆豪と喧嘩した?」
「えー、それこそ数え切れないよ。顔合わせたら大体毎回喧嘩してるし」
 そう言って、名前ちゃんは眉尻を下げて笑う。顔を合わせるたびに喧嘩しているなんて、俺の想像する男女交際と比べるとだいぶ世紀末な気がするが、名前ちゃんは特に気にした風もなく続ける。
「ていうか私多分、切島くんみたいに根気強かったり優しかったりしないんだよね。嫌なことは嫌って言っちゃうし。だって爆豪くんめちゃくちゃ横暴じゃない?」
「いや、まあそりゃそうだけど、それ彼女にもそんな感じなの?」
「ひどいもんだよ。圧政だよ、圧政」
「圧政」
「うん、彼女だからとか女子だからなんて手加減はまったくない。寧ろほかの人より容赦なく暴言吐いてるんじゃないかな」
 名前ちゃんが口にした爆豪の暴言シリーズは、なるほど確かにひどいものだった。女子相手によくもまあそこまで暴言の限りを尽くせるものだといっそ感心する。誰が相手だろうとぶれない爆豪ではあるものの、こうも裏表がないと俺の方が不安になるくらいだ。
「もう本当にひどいよね。切島くんは彼女いる?」
「いや、いねえけど」
「彼女ができてもこんなこと言っちゃだめだよ。相手が私じゃなかったら普通に傷つくんだから」
「はは、絶対言わねえから心配しなくて大丈夫」
「そうだよね、切島くん優しいから彼女のことも大切にしそうだもんね」

 でも、爆豪くんも大切にはしてくれてるんだよ。

 そう名前ちゃんが言った直後、ポテトを広げたテーブルに薄暗く影が差す。ふと振り返って見ると、背後に爆豪が鬼の形相で仁王立ちしていた。

「てめえら何やっとんだ」
 どすの利いた低い声で爆豪は言う。内心やべえと思いつつ、俺は気さくな感じに爆豪に「よう」と声を掛けた。けれどそんな俺の気さくな挨拶はぎろりと一睨みで一蹴された。容赦ない。
 鞄に入れっぱなしにしていた携帯を見ると、三十分前から何度も繰り返し爆豪からの着信履歴が残っていた。一応さっきの連絡で俺と名前ちゃんがどこの店にいるのかも連絡しておいたから、ここに辿り着くことはそう難しくなかったはずだ。それなのに、爆豪の額にはうっすらと汗が滲んでいた。
「そこの図書館でたまたま切島くんと会ったから、一緒にご飯食べてた」
 のんびりとした声で名前ちゃんが言う。けれど爆豪はそんな話にろくに耳を貸さない。傍らに置いてあった名前ちゃんのキャンパスバッグをひったくり、流れるように名前ちゃんの腕をとった。
「もう食い終わってんならさっさと立てや、根暗女」
「いや根暗じゃないんですけど」
「うるせえ、口答えすんな」
「そういうところ。そういうところが圧政なんだよ」
 文句を言いながらも、名前ちゃんは困った顔をしながら指先を舐めた。そして椅子から立ち上がると俺にひらひらと手を振る。
「ごめんね、切島くん。爆豪くん何かキレてるから先に行くね、こっちから誘ったのにごめん。色々話してくれてありがとう」
「あ、や、いや、こっちこそ」
「またお話しようね」
「すんな!」
 店内の注目を集めるほどの声量で怒鳴った爆豪と名前ちゃんが店を出ていくのを、俺は椅子に座ったまま見送った。毎度のことながら嵐のように怒鳴ってはさっさとその場を去ってしまう爆豪の行動の速さには正直舌を巻く。ここで飯を食っていかなかったということは、俺と一緒に飯を食っているだろう名前ちゃんを回収するためだけに爆豪はここに顔を出したのだろう。そういうところ、爆豪だな、と俺はひとりにやつく。

 そういえば───。
 席を立つとき、名前ちゃんは指についたポテトの塩をぺろりと舐めていたことに気が付いた。そうかなるほど、あれが爆豪の前での名前ちゃんなのか、と思い至る。俺にとっては可愛いけれど平凡な女の子は、俺には見せていない、爆豪の前でだけ見せる顔があるのかもしれない。そのことを理解して、それから俺は少しだけ愉快な気持ちで残っていたポテトをたいらげた。

 お題:ふたりで食べたまぼろし
提出先:企画サイト「胡桃」様

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