バレンタイン



(※Twitter再録)

「おじゃましマース」
「どーぞどーぞ!」

 麗日さんに手を引かれ初めて足を踏み入れる雄英高校生徒寮、ハイツアライアンス。エプロンやラッピング用の袋を入れたトートバッグを携えて、意気揚々と共同スペースのキッチンへと足を踏み入れた。心の中でどうか爆豪くんに見つかりませんようにと祈りながら。

 二月十四日といえば恋人たちの一大イベント、バレンタインデーだ。女子から男子へ、甘い贈り物をする特別な日。なのだけれど、まがりなりにも爆豪くんという彼氏がいるにもかかわらず、今回私はバレンタインをスルーする気満々だった。
 そもそも爆豪くんは甘いものが別に好きじゃない。一緒にご飯を食べに行っても食後のデザートまできっちり頼むのは私だけだし、コンビニで甘いものを買ったときに一口いる? と聞いて爆豪くんから欲しいと言われたためしがない。
 別に甘いものが嫌いというわけではないのだろうけれど、取り立てて好きというわけでもない、とその程度だ。私としてはそんな、爆豪くんが別に好きでもないものをわざわざ用意して贈るのは面倒だし、なんだかなあと思う。既製品で済ませればいいのだろうけれど、この時期のデパートの催事場で開かれているバレンタインフェアはどこも連日大混雑している。正直絶対行きたくない。
 かといってチョコレート以外の物を準備するのも面倒だし、そもそも今年のバレンタインは平日だ。ここのところ休日しか顔を合わせていないのだから、バレンタインに合わせて何かをする必要性も感じない。どうしてもというのなら、休日のデートで何か奢ればいいかなと勝手に思っていた。
 それに爆豪くん、人の手作りとか嫌がりそうだし。勝手なイメージだけれど家族以外の人が握ったおにぎりとか食べられなさそうだし。

 そんなわけで世間が盛り上がっているのを他人事のように眺めていたところに、一本の連絡が入ったのが先週末のことだった。そして祝日である本日二月十二日現在、私は面倒くさすぎる入校手続きを経て今ここ、雄英高校の生徒寮の中にいるのだった。

「はい。こちら爆豪くんの彼女の名字名前ちゃん」
 私に連絡を寄越した張本人、麗日さんが名前の通りうららかな笑顔を私に向ける。すでに花柄のエプロンを装備し髪をまとめた麗日さんの、その気合いの入った姿に若干気圧されながら「よろしくお願いします」と短く挨拶をする。キッチンの中にいるのは麗日さんと芦戸さん、それから何人かの知らない女子たちだった。

 家から持ってきたチェックのエプロンを装着しながら、順番に進んでいく自己紹介と雑談に耳を傾ける。時計回りに麗日さん、芦戸さん、葉隠さん、蛙吹さん、八百万さん、耳郎さん。名前を覚えるのはあまり得意じゃないけれど、この人数なら何とかなりそうだ。
 
「名前ちゃんにチョコもう用意した? って聞いたらまだって言うから、折角だから一緒に作ろうって誘ったんだ」
「ナイス、麗日ー!」
「ていうか爆豪くんの彼女ってすご! 実在したんだ!」
「それ私たちも最初に同じこと言ったー」
「お会いできて嬉しいわ」
「ウチは爆豪の彼女なのに普通っぽいのにびびったわ」
「よろしくお願いします、名字さん」
「よ、よろしく……」
 ヒーロー科女子たちのパワフルさに正直かなり負けそうになりつつ、一通り自己紹介を済ませた。体育祭をちゃんと見ていない私でも知っているのは八百万さんだ。確か少し前にヘアケア用品のCMに出ていたような気がする。もしかしたら人違いかもしれない。

 そんなことを考えているうちに、芦戸さんがキッチンに持ち込んだノートパソコンを操作してレシピサイトを開いてくれた。私も何度か使ったことがあるサイトだけれど、今の時期は特別にスウィーツ専用の特設ページが設けられている。
「今年は人数もいるし何種類か作ろうと思うんだよね」
「バリエーション!」
 芦戸さんの提案に、葉隠さんがはしゃいだ声をあげた。姿は視認できないけれど、多分テンション高くにこにこしているんだろうなというのは着ている服の動きと声のトーンで察することができる。
「みんなはクラスのみんなに配るんだよね?」
 隣にいた麗日さんに尋ねればガッツポーズで「うん!」と返事をしてくれた。

 ここにいるメンバーに彼氏持ちの子は私以外にはいないらしく、また意中の男子がいるというわけでもないらしい。今回のこの会はA組の男子みんなに渡すための義理チョコ作りが目的とのことだった。
「種類を豊富にそろえるというのは妙案ですわ。それぞれの嗜好に合わせて好きなものを選んでいただくのは効率的ですものね」
「うちらも色々食べられるしね」
「それ!」
「名前ちゃんは作りたいものあるかしら? 大体の材料は揃えているから、あまりにもマイナーなものじゃなければ対応できると思うわ、ケロ」
「えっと……私はブラウニーを作ろうかなって。あ、でも爆豪くん用にあんまり甘くない無糖のココアパウダー用意してきてるから、端っこの方で作業させてもらえれば、」
「爆豪のためにわざわざ用意……!?」
「こ、これが彼女の風格ってやつですか!」
 キッチン内がどよめいた。何故だか妙に気恥ずかしくて、慌てて私は言い訳をする。
「いや、そういうわけじゃないけど。折角作るなら食べてもらえるの作ろうってだけでね」
 口に合わなかったら食べてもらえなさそうだし、とまでは流石に言わなかった。爆豪くんのクラスの女子が爆豪くんにどんな印象を抱いているのかはっきりとは分からないけれど、あんまり株を下げるようなことは言わない方がいいだろう。
 今日私がここに来ていることを爆豪くんは知らない。バレンタインの話自体私たちの間では話題になっていないし、爆豪くんがバレンタインなんて浮ついたイベントに興味を持っているのかすら謎だ。折角作る以上渡しはするけれど、わざわざ「爆豪くんのクラスの子たちと一緒に寮で作るよ!」なんて言わなくてもいいだろう。まあ言ったところで何という話でもあるのだけれど。

 そんなことを考えながら鞄に入れたスーパーの袋から材料を取り出す。爆豪くんに渡す分以上の材料を準備してきているから、よほど失敗をしない限りはみんなでつまむ分も作ることができそうだ。
「でも確かに、彼女からもらうならクラスのみんなに配るやつとは違うやつのが爆豪も喜ぶよね。ていうか一緒だったらキレそう」
「確かに。爆豪くんそういうの絶対うるさいよ」
「じゃあ名前ちゃんは爆豪くん用のを優先的に作って、その後ほかのも一緒に作ろう? 名前ちゃんの方も手伝うからさ!」
 そう提案され、思わず「えっ、いいの?」と声を上げる。
「そうしてもらえるとすごく助かるよ。私お菓子作りとか慣れてなくて」
「よーし、じゃあそういう感じで開始ー!」
 芦戸さんの号令に私たちは「おーっ」と声を揃えた。

 ★

 そうは言ってもブラウニーの作り方は大して難しくない。アメリカのお菓子なのだから、そう細かく難しいことを考えずとも大雑把にざくざく作っていけば何となくの形にはなる、というのが私の持論だ。正しいかは分からない。
 ボウルの中に計量した粉ものを順番に入れていく。どうせ何でもできる爆豪くんのことだ。料理やお菓子作りだって、やってみればきっと私より上手にできるに違いない。ちょっとでも失敗したらすぐに粗がバレそうで嫌だなあなんてことを思いながら計量していく。

 と、隣でチョコレートを溶かしていた八百万さんと目が合った。口調もお嬢様っぽいけれど顔も整っている。羨ましく思いながらぼんやり見ていたら、八百万さんの方から「お聞きしてもよろしいですか?」と声を掛けられた。
「何かあった? お菓子作りのことなら私はそんなに詳しくないんだけど……」
「いえ、そうではありませんの。その……名字さんは爆豪さんのどういうところに惹かれてお付き合いをしようと思ったのですか?」
 その質問に、和気藹々とお菓子作りに興じていた全員が一斉にわああっと声を上げた。そりゃあ私は爆豪くんと付き合っていて、それでもってここにいるのはみんな爆豪くんのクラスメイトだ。当然そういう話を振られることもあろうとは思っていた。しかしまさかこんな最序盤で、しかも八百万さんのような真面目そうな子から聞かれるとは思っていなかったので思わず怯む。
「なになに!? 今日はやけにヤオモモが恋バナに積極的だ! どうした!」
「だ、だって爆豪さんとお付き合いをされているなんてどんな方なのかしらと思っておりましたら、予想に反して普通の素敵な女の子だったものですから」
「百ちゃん、さりげにきついことを言うわね」
 蛙吹さん、いや梅雨ちゃんの言う通りさりげなく彼氏を貶された気がしたけれど、多分八百万さんには悪意も他意もないだろうということは分かっていたので気にしないことにした。まあ私だって自分が彼女たちの立場なら、爆豪くんと付き合うなんてどんな奇特な人間かと思うだろう。何かしらの弱みを握られているか正常な精神状態ではないのかもしれないと勘繰るはずだ。

 爆豪くんはけして嫌なやつじゃない。そりゃあいいやつでもないのかもしれないけれど、少なくとも悪人ではないし、ある意味ヒーロー向きであるとも思う。ただ、優しさとか思いやりみたいなものが表面に出てこなさすぎるのだ。持ち合わせていないわけではなく、表現する気がないだけとでも言おうか。その上、反対に粗野な部分や乱暴な部分は惜しげもなく披露している。そんな人間性を見せつけられれば、どうしても評価がクソに寄るのは仕方がない。誤解を受けやすい。
 しかしそれはあくまで人間性の話だ。一見嫌なやつにも見えるけれど、話してみればそこまででもないなんて、そんなことは彼と暫く一緒にいれば分かることだ。問題は爆豪くんが私の恋人だということ。私が恋人として爆豪くんを選んだということだ。
 友人としては悪いやつじゃないのかもしれないけれど、果たしてじゃあ恋人にしたいかと問われたとき、一体どれほどの人間が彼とお付き合いしたがるだろう。ひとつだけ言えるのは、私の好きなタイプはけして爆豪くんのようなタイプじゃないということだ。

「で? どういうとこ?」
 さらに促され、私は漸く他人事ではなく自分の彼氏の話をしているのだと思い出した。
 ううんと頭をひねって考える。爆豪くんの好きなところ、付き合うに至った理由。そりゃあ第一印象が最悪なところから始まっているのだから、付き合うことになるまでには色々あったはずだし、心情が変化するだけの要因もあったはずだろう。そうでなければ付き合ったりしない。
 しかし改めて考えてみると、これが驚くほど何も思い浮かばないのだった。爆豪くんに暴言を吐かれたり理不尽な仕打ちをされた記憶ならば吐いて捨てるほど思いつくのに、いいところとなると具体的なエピソードがなかなか出てこない。
 爆豪くんにだって優しいところはある。でも、ほかの人に比べて取り立てて優しいかと言われればまったくそういうわけじゃない。格好いいかと言われたら、きっと格好いいんだろうけれど、私の好みど真ん中の容姿というわけでもない。個性もすごいんだろうけれど、正直そこはどうでもいい。

 爆豪くんの、他の人と違う特別なところってどこだろう。あまりにも何も思いつかないので途方に暮れてしまった。

「ええー、どういうところだろう。改めて考えると思いつかない……。そうだなあ、最初は私のこと完全に虫けらくらいに思ってたのに、ましな女くらいに格上げしてくれたところ……?」
「名前ちゃん、それは好きなところなの……? 憎いところではなく?」
「あと、一か月に一回あるかないかくらいで優しくしてくれるところとか」
「渋っ! 爆豪くん優しさ出し渋りすぎちゃう!?」
「あとは何だろう……そもそも向こうから先に好きになったっぽいから、付き合わないと何されるか分かんないところあったし……」
「もはや脅迫じゃん」
「敵のやり口だよ、それ」
「き、きっと私たちには分からない爆豪さんの良さがありますのよ! ねっ!?」
「必死だ」
「ヤオモモが始めた話題だからね。何とか爆豪に華持たせないとって思ってるんだよ、多分」

 結局、話していても爆豪くんの良さみたいなものは何一つ伝わらなかった。センスがいいとか、そういうのは思いつくのだけれど、しかしそこが好きになるに至った決定打かと言われればそうでもないのだから仕方がない。少しだけ爆豪くんに対して申し訳なさを感じる。私という伝達役が間に入ることで少しでも爆豪くんの魅力をみんなに伝えることができるかと思ったけれど、それはとんだ傲りであった。
 というかそもそも爆豪くんの良さってかなり分かりにくいものだ。一緒にいて「あ、今」と感じる瞬間はあっても、それを言語化することは極めて難しい。良いと思うのはあくまで私の主観だし、その私の感覚も爆豪くんと一緒にいる時間が長くなるにつれ少しずつ爆豪くんに対して判定が甘くなってきているのだ。多分、出会ったばかりの頃の私の感性であれば「ないわ」と思っていたことすら、今の私には「良い」に変わっているに違いない。

 爆豪くんの良いところは全然上手に説明できないけれど、それでも私は結構爆豪くんのことを好きだったりする。それで私にとってはすべて事足りてしまうのだろう。誰からも理解されなくても最早仕方がないのかもしれない。
 
 ★

 そんな話をしながら切ったり混ぜたり焼いたりを繰り返し。
「できたーっ!」
 作業を開始してからおよそ二時間、キッチンの作業スペースには完成したスウィーツがずらりと並んでいた。キッチン中に甘い匂いが充満していて、ついつい涎が垂れてきそうになる。
 作業の間、同じ寮の中にいるはずの男子は誰もキッチンに顔を出さなかった。不思議に思って梅雨ちゃんに尋ねれば「バレンタインのお楽しみだから来ちゃだめって言ってあるのよ」と教えてもらえた。確かに自分たちがもらうスウィーツを作っているのだから邪魔する道理はないだろう。誰も寄り付かないのも頷ける。爆豪くんの彼女である私が来ているなんてことがバレたときにはそこそこ面倒な事態になりそうなので、これは私にとっても都合がよかった。
「あとは渡す分ラッピングして、っと」
「名前ちゃんが持ってきた袋かわいいねー」
「これ去年の残り。去年、お父さんに用意したチョコのラッピングの残りがあったから持ってきた」
「今年はお父さんの分作らんくてよかったん?」
「うん、中学までだよって言ってあるから」
「お父さんに当たり厳しくない?」
「それよりこっちの包みも可愛…………」
「ん? 透ちゃん、どうし───、あっ」
 自分の分はさっさとラッピングを済ませてみんなのを手伝おうと思っていた矢先、私も含めた全員の視線がキッチンの入り口に釘付けになった。

 Tシャツにジャージ姿の爆豪くんが、カップ麺の容器片手に入り口のところに立っていた。普段の目つきの悪さはどこへやら、ぽかんとした顔で、口を半開きにしてこちらを見ている。甘ったるい空気と、フリーズした爆豪くん。ミスマッチにも程があるとりあわせに、キッチンは一瞬にして気まずい空気になった。私が今日ここにいることを爆豪くんに伝えていないことは、女子はみんな知っている。
 暫し黙って見つめ返した後、手に着いたココアパウダーをエプロンで拭ってから私は爆豪くんに手を振った。
「や、やっほー」
「な、なん、な、なんで」
「これ? お菓子作りにお誘いいただいたから、来ちゃった」
 てへ。そんな効果音が聞こえてきそうな、自分らしくない台詞を吐いて笑ってみたけれど空気が変わるわけでもなく、残ったのは微妙な虚しさだけだった。虚しさというか、ちょっとした罪悪感。何故ならここは雄英高校の敷地内、つまりは爆豪くんのテリトリーだ。そのテリトリーに無断で侵入しているということで、私の方が立場が悪いのは明白である。
 また怒鳴られるかな、と考えた瞬間、やはりというべきか何というか、爆豪くんの威勢のいい怒鳴り声が飛んできた。
「き、来ちゃったじゃねえわこのクソ根暗! てめえゴルァ聞いてねえんだよ!」
「言ってないし」
「言えや!!」
「ちょ、ちょちょちょ、爆豪くん落ち着いて」
 私にとってはこうやって怒鳴られるのも慣れっこなのだけれど、ほかの女子たちにしてみれば一般人の彼女相手にひどい怒声を浴びせる最悪な人間にしか見えないのだろう。麗日さんが見かねて仲裁に入る。しかし爆豪くんの怒声は止むことはない。怒っているというよりは混乱しているのかとも思ったけれど、これだけ怒鳴っているのだからやはり怒っているのかもしれない。

 爆豪くんのなけなしの優しさなのか、胸ぐらこそ掴まれていないものの、今にも掴みかかられそうな勢いだった。私は爆豪くんからふいと視線を逸らす。こういう時、基本的には私はあんまり爆豪くんに対して怯えたりすることはない。けれど今回は爆豪くんのテリトリーに侵入しているという引け目があった。何となく私が悪いことをしているような気分になる。
「だって爆豪くんに会いに来たわけじゃないし……週末会うじゃん……」
「てめえ……」
 言い訳じみたことを呟いてみるも、それもどうやら火に油を注いだだけのようだった。爆豪くんの眼光が一際鋭くなる。中学時代なら手から威嚇の爆破が上がっていたところだろう。
「どうどう! 爆豪くんどうどう!」
「名前ちゃんもうそれラッピング終わってるやん!? それ持って向こうで爆豪くんと語らってきたら!?」
「えっ、でもまだ作りかけのあるでしょ、そっちもお手伝い、」
「「いいから!!」」

 というわけで結局。
 作ったばかりのブラウニーと一緒にキッチンを追い出された私と爆豪くんは、誰もいない共同スペースで対峙するはめになっていた。キッチンには立ち入り禁止という話だったけれど、そもそも誰も共同スペースである一階には下りてきていないらしい。ありがたいようなそうでないような、猛獣のような爆豪くんと二人きりにさせられている現状では判断しようがない。

 膝の上に手を揃え、そろりと爆豪くんを盗み見る。チンピラそのもののように足を組んで、滑り落ちてるんじゃないかというくらい堂々と背もたれに体重を預けた姿勢の爆豪くんはさっきから面白くなさそうに壁を睨んでいる。L字のソファに座っているので対峙しているとはいってもはっきり向かい合っているわけではない。
 面白くなさそうな横顔をこちらに晒している爆豪くんに、私は深々と溜息を吐く。怒っている割にこういう時話を切り出したがらない爆豪くんなのだった。今までの経験からして、この場合私が先に口を開かなければ話が進まない。イニシアチブを取りたがっているのかもしれないけれど、こちらからしてみれば怒っている方が先に話を始めてくれた方が手っ取り早く済んでいいのにと思わないでもない。

 しかしまあ、そんなことを言っていても仕方がないので今回も私から口を開く。
「爆豪くん怒ってる? 勝手に来たの嫌だったの?」
「は?」
 威圧的な返事である。さっきお菓子作りをしているときに八百万さんに聞かれたことを思い出した。爆豪くんのどういうところに惹かれているか。少なくとも今この瞬間にはまったく惹かれていないことだけは確かだ。こんな威圧的な態度で人に接する人間にはまったく惹かれない。圧迫面接じゃないんだから。
「そんなに怒らなくったっていいじゃん……そりゃあ爆豪くんに何も言わずに来たし、自分の友達と私が知らないところで仲良くしてたら嫌なのかもしれないけど、でも麗日さんたちとも友達だし」
「そういうこと言ってんじゃねんだよアホが!」
「アホ……」
 出た、暴言。頭の片隅で暴言カウンターを加算する。さっき既にクソ根暗と言われているので現在のカウンターは三だ。

 爆豪くんはむっつりとした顔で私を睨んで、それから眉と眉がくっつくんじゃないかってくらい、これでもかと眉を顰めた。そして言う。
「これで俺が下りてこなかったら、絶対てめえ俺に何も言わずに帰っとっただろ」
「うん」
「うんじゃねえわ」
「いや、聞いたの爆豪くんだし」
「そんなことないって言えや」
「嘘を強要されている……」
 しかし今日は麗日さんたちとの約束で此処にいるのであって、そもそも爆豪くんとは会う予定じゃなかった。私の感覚では、会う約束もしていないのにいきなり「やっほー」と登場する方がよほどおかしいと思うのだけど爆豪くんはそうじゃないのだろうか。と、怒り散らしている爆豪くんを見ながら考える。逆の立場だったら私は嫌だ。爆豪くんに会う時にはそれなりにきちんとした格好をするように心がけているのだから、オフの状態では極力会いたくないとも思う。
 そりゃあ爆豪くんに会いたいか会いたくないかで言えば、まあ会いたいに決まっているんだけど───
 と、そこまで考えたところで漸く合点がいった。
 つまり爆豪くんは、私に会いたかったわけか。だから爆豪くんの住まうこの寮に来ておきながら何の連絡も寄越さず、会わずに帰ろうとしていた私に対して腹を立てていると、つまりはそういうことなのか。事前に連絡を寄越せ、そして顔を見せろと。そういう話か。

 気付いた途端、笑いだしてしまいそうになった。いやいやいや、爆豪くんちょっと可愛くないか。来るなら来るって教えておいてほしかったって言えば済むところを、そんなめちゃくちゃキレ散らかさないと、そのことを伝えられすらしないなんて。不器用にも程があるというか何というか。
「何が菓子作りだ、アホくせえ」
 爆豪くんがぼやく。しかしそう考えると、これも怒っているというよりは拗ねている、不貞腐れているのだろうと思えて大して気にならなかった。ご機嫌に返事を返したいのをぐっと堪えて「あほくさいってひどいな」と文句を言う。機嫌がいい顔をしていると、それはそれで爆豪くんが怒るのだ。こっちが怒ってるのに笑ってんじゃねえとか言われる。
「大体がてめえの場合食ってる量と運動量が見合ってねえんだよ」
「別にいいんだよ。これ食べるの私じゃないから」
「あ?」
 まだぶつぶつ言っていた爆豪くんに、テーブルの上に置いておいたブラウニーの入った袋を手渡した。半ば押し付けられるように渡されたそれを反射で受け取って、爆豪くんは訝し気に包みを眺める。ここまで来てもまだ分かっていないのか、といっそ微笑ましい気持ちになった。
「これ、ちょっと早いけどバレンタイン。爆豪くん甘いの嫌かなと思ってあんまり甘くないの作ってみたんだけど」
「……」
「いらないなら別に、」
「んなこと言ってねえだろうが」
 食い気味に否定される。どうやら喜んでもらえたようだった。分かりにくいけれど、多分これはちゃんと喜んでいるやつだ。内心ほっとしつつ爆豪くんを見ていると、暫し包みをしげしげと眺めた後、爆豪くんはそれをぽんっとテーブルの上に放って戻した。
「……」
「……」
「食べないの?」
「後で食う」
 今食べればいいものを。というか寧ろ今食べてもらって感想まで欲しいところなんだけれど。しかし折角機嫌が直ったところに余計なことを言うのも憚られた。黙ってそっか、と頷いておく。バレンタインのプレゼントはあくまで好意を示すものであり、食べることや感想を強要するものでもない。

 と、一つだけどうしても気になることがあった。
「爆豪くん」
「あ?」
「ありがとうは?」
「は?」
「いや、だから。ありがとうって言われてないんだけど」
 大事な問題だった。こちらは爆豪くんのためにわざわざ材料を買いにスーパーに走り、しかも最寄りのスーパーだけでは材料が揃わなかったのでわざわざ少し足を伸ばしてちょっと高級なスーパーの製菓コーナーまで行ったのだ。そのうえ祝日を返上してこうしてお菓子作りに時間を費やした。別に「してやった」なんて言うつもりはないけれど、ひとことくらい労いの言葉があってもいいんじゃないかとも思う訳で。
 そういえば爆豪くんからこれまで一度でも、感謝の言葉を言われたことがあっただろうかと考えてみる。多分、いや絶対に一度もない。毎回なんだかんだ「ああ」とか「おお」とか「そうかよ」で済まされているような気がする。これでも結構爆豪くんに合わせて尽くしているのに、爆豪くんはなんだかんだ毎回それを当然みたいな顔をして享受しているのだ。

 今こそ感謝の言葉を受け取るときなんじゃないだろうか。そんな思いを込めて爆豪くんを見つめた。爆豪くんと視線がぶつかる。
「……」
「……」
「や」
「や?」
「やればできんじゃねえか根暗女」
「はい最悪」
 キッチンの方でガシャンガシャンと大きな物音が立ったけれど、それはさておき。
 結局、お礼の言葉もブラウニーの感想すらもらえず。こんなにも納得のいかないバレンタインが存在してもいいのだろうかと甚だ疑問だったけれど、その週の週末のデートでは普段より気持ち、本当に気持ち程度爆豪くんが優しかったような気がしないでもないのでまあよしとする。

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