冬に至るまでの手順



「…………」
「ンだゴルァ」
「いや、なんでもない……」
「てめぶっ殺されてえのか!?」
「なんで怒るの……」
 隣の席に座った爆豪勝己は思いきり睨みつけると椅子を鳴らしてふんぞり返った。

 教師の思い付きで朝一番に唐突に行われた席替えの結果、私の新しい席は教室の真ん中の列、一番後方の席になった。席の位置だけ見ればなかなかのいい席だ。授業中にほかの事をしていてもバレにくいし、端の席から順に当てられるときでも猶予がある。いい席のはずなのだ。隣の席が爆豪勝己であること以外は、である。
 爆豪勝己とは、先日駅で鉢合わせて以降はこれといって学校で絡まれたりすることもなく、なんとも平穏な日々を送っている。もともと爆豪勝己と私との間に接点は同じ教室で授業を受けているということ以外には皆無なので、これまで以上に意識して避けてさえいれば、基本的には日常生活における会話はまったくせずに済む。無意識の状態ではガンつけていると因縁をつけられるので、あれ以降はかなり気を付けて爆豪勝己の存在を無きものとしていた。
 しかしまあ、その苦労もこれで水の泡になったわけなのだけれども。
 行儀悪く机の上に足を投げ出した爆豪勝己のことをちらりと見て、私はすぐに視線を逸らした。あんまり見ていて、また先ほどのように急に怒られたら堪ったものじゃない。
 溜息をつきながら、次の授業の準備とりだす自分の手元を見つめた。朝からかなり気力を削がれてしまったけれど、自分のやることは変わりない。受験勉強に邁進するのみだ。

 持ってきた小説を読み終えてしまったので、休み時間の手慰みとして単語帳を捲っていると、ふらふらと友人が近づいてくる。見ると先ほどの席替えで一番前の席を引き当ててしまったせいで、どうにも顔色を悪くしていた。一番前の席ということは次の授業に当てられるから、そのせいだろう。
「名前ー、私のこと助けると思って予習したところ写させてくれない?」
 開口一番に言う友人に、私は思わず顔を顰める。
「ええ……、見せてって、予習してこなかったの?」
「昨日寝ちゃってさあ……本っ当に申し訳ないと思ってる」
 そういう割には悪びれた様子もない。可愛らしく片目を瞑ってのお願いに、私は「わかった」と返した。
「いいけど、ちゃちゃっと写しちゃってね」
「あああ、ありがとう!」
 友人は私からノートを受け取ると小走りで自分の席に戻ってゆく。普段だったらきちんと自分で予習をしてくる子だから昨日は本当にたまたま寝てしまったのだろう。そういう時もあるから仕方がない。
 私の友人は割とみんな真面目な性格をしている。だからこそ、私だってノートを貸すことにも抵抗がない。
 逆にいえば、まじめな性格の友人相手でなければ、私はノートを貸したりしない。自助努力を怠る人間のことは好きじゃないし、助けてやる義理もないからだ。我ながらあんまり性格がよくないとは思っているけれど。
 友人の意気揚々とした後ろ姿を眺めていると、ふと隣から激しく痛い視線が刺さった気がした。隣──つまりは爆豪勝己である。視線が本当に向けられているのか確認しようにも、またぞろ何かしら文句をつけられたら嫌だ。なので視線には気が付かなかったふりをして単語帳に戻ると、暫くして視線が外れたのが分かった。その代わり確実に聞こえる音量で舌打ちをされる。
 今の舌打ち、絶対私に何かしら苛立ったのだろうな、と内心冷や汗をかくけれど、爆豪くんに舌打ちされるようなことをしたつもりもない。どこに彼の地雷があるのかが分からなさ過ぎて正直恐ろしい。こんなことが次の席替えまで何度も続くのかと思うと気が遠くなりそうだ。
 ほどなくして、先程の友人がノート片手に私の席へと戻ってきた。
「名前ありがとうー! 間に合ったー!」
「いえいえ、どういたしまして」
 友人から返却されたノートを受け取るのと同時にチャイムが鳴った。

 ★

 悪いことは重なる。
 三年生に進級してもう数か月経つというのに、未だにうちのクラスは係や委員会の名簿を作っていなかった。委員会自体は四月に決まっていたのだけれど、それを一覧にして教室に貼るための掲示物を作っていなかった、ということだ。
 そしてそれを作る係にたまたま教師の目の付いた私と爆豪勝己が任命されてしまったのだった。これを不幸と呼ばずして何と呼ぶ。
「職員会議終わったら見に来るから、それまでに作っておいてくれー」
 パソコンで打ち込んだだけの係割り振りメモと画用紙、油性ペンを私に押し付けて、担任はさっさと教室を出ていく。残された受け取ってしまったそのセットを手に、私は溜息をつきながら自分の席に戻った。
 頼まれたのは私と爆豪勝己だが、しかし放課後の教室には何故か私しかいない。ほかのみんなは下校してしまった。爆豪勝己も、きっと下校したのだろう。
 というのも、爆豪勝己は面倒事を自分から率先してやるタイプには思えないし、彼ひとりが頼まれたならまだしも私も一緒に頼まれている。私ひとりに押し付けて帰ってしまっても仕方がない。
 まあ、いない人間をあてにしても仕方がない。私はさくりと切り替えることにした。
「ええと、委員長はー……」
 席につき、画用紙にシャーペンで下書きをしながらメモを写していく。面倒事を押し付けられたのは面白くないのだけれど、一人で作業をすること自体は別に嫌ではない。寧ろ爆豪勝己と一緒に作業をするとなるとその方が気疲れしそうだ。
 何せ私が何をしても爆豪勝己に怒られる未来が、我が目には明瞭すぎるほど明瞭に見えている。きっとこのクラスで彼にあそこまでキレられているのは私と緑谷くんくらいのものだろう。私が一体何をしたというのかという話だけれど。
 そんなことを考えていたら、ふと大きな机の上に大きな影が落ちた。つられるようにして、視線を上げる。

 果たして、爆豪勝己が私の机の横に、ふんぞり返るようにして立っていた。

「う、うわぁっ!?」
 驚きすぎて思わず大声をあげた私に、爆豪勝己はこれ見よがしに大きな舌打ちを打った。
「チッ、うるせえ根暗」
「ね、根暗じゃない……ていうか、え、帰ったんじゃないの?」
 姿が見えないものだから、てっきりトンズラこいたと思っていたのに。呆然として尋ねれば、爆豪勝己は心底呆れたような、それでいて不機嫌さはしっかり滲んだ器用な顔面を作る。
「は? サボって内申下げられたらどうすんだ、便所行っとっただけだわ」
「あ、そうなんだ……」
 存外真面目なところのある爆豪勝己だった。
「分かったらさっさと半分貸せや、陰キャラ」
「陰キャラ……」
 随分ひどい言われようだけれども、一応彼も一緒に作業をやってくれる気はあるらしい。言われた通り作業用の用具一式の半分を爆豪勝己の机に置くと、すぐに彼は黙々と作業を始めた。どうやら余計な会話をする気ないらしい。それならいい、こちらもその方が気楽だ。
 やっと落ち着いてきた心臓をなだめながら、私も再び作業に戻った。
 面倒なことには変わりないけれど、作業自体は二人がかりでやれば大した量ではなかった。
 担任が職員会議から帰ってくるより先にすべての作業が終わってしまったので、完成した掲示物を黒板の横の掲示板に画びょうで留めておく。
 使い終わった文具は教壇の上に置いておき、さてやっと帰れるぞとかばんを肩にかけたところで、爆豪勝己がぶすっとした顔で私を見ていることに気が付いた。壁に留めたり片付けたりは私がひとりでしていたので、今度もまた、てっきり彼は帰ったとばかり思っていた。
 同じ教室内に居ながら完全に爆豪勝己のことを忘れることができたのは、私の日々の「爆豪勝己の存在を意識しない」特訓の賜物だろう。いや別に特訓していたわけではないけれど。
「えーっと……一応、頼まれてた仕事終わったけど」
 ほぼ無言での作業だったため、もしかしたら進捗状況の共有ができていなかったのではないか。そう思い、とりあえず状況を説明する。しかし爆豪勝己は、
「あ゙ァ?」
「いやなんで喧嘩腰……終わったからもう帰っても大丈夫だよって言っただけじゃん」
 凄まれ、こちらもむっつりと睨み返した。なんとなく、気迫で押されたら負けな気がした。
「うるせえ根暗、俺に指図すんな」
「じゃあ私帰るから、バイバイまた明日」
「何勝手に帰っとんだ殺すぞ!」
「本当に何なの爆豪くん?」
 同じ言語を話している筈なのにまったく意思の疎通が図れない。爆豪勝己との会話に困惑していると、爆豪勝己はぺたんぺたんと上履きを鳴らしながらこちらに向かってきた。残すところ一メートルくらいまでその距離を詰めると、爆豪勝己はおもむろに「おい根暗」と私を呼んだ。最悪の呼び方だし自分のことを呼ばれているとは思いたくないけれど、生憎教室には私と爆豪勝己しかいないので、私が反応してあげないと多分キレた爆豪勝己に爆破を起こされる。その方がもっと最悪だ。
「何かな」
 疲労や呆れが顔に出ないようにして返事をする。爆豪勝己はぶすっとした表情のまま暫く威嚇するように私を睨んでいたけれど、やがて舌打ちしてから口を開いた。
「生意気なツラでガンとばされんのも大概腹立つがよォ……、てめェごときモブに無視されんのはそれよかさらに腹が立つ」
「……いや、ちょっと意味がよく分からないんだけど」
「てめェごときがこの俺を無視すんなっつってんだ! 露骨にシカトしやがってムカつくんだよ!」
 ぶつんと彼の血管が切れた音が聞こえた気がするけれどきっと気のせいだ。目の前の爆豪勝己はやっぱり今日も全力でキレていて、しかも驚いたことに私は自分では悪いとまったく思えないことでここまでキレられている。驚く。そしてこうも立て続けにキレ散らかされていると、だんだん爆豪勝己のキレ芸にも慣れてくる。
「ああ、もしかして最近私が爆豪くんのこと避けてた話してるの?」
「やっぱ避けてやがったんかてめェ!」
「そうだけど、爆豪くんって私が何しても怒るね」
「てめェが! 俺を! 怒らせてんだろうが!」
「ごめんってば」
「適当に謝ってんじゃねえ!」
 なんだかもういっそ、わざとやっているのではないかというくらい何にでも怒る爆豪勝己をなんとかなだめた。なだまってはいないけれど、仕方がない。
「ところで私帰るけど、爆豪くんも帰る?」
「帰るに決まっとるわクソボケが」
「クソボケって中学生が言う暴言とは思えないんだけど」
 ヒーロー志望とは思えない柄の悪さの爆豪勝己に閉口しつつ私たちは教室を出た。とりあえずシカトするのは怒られるのだと学んだけれど、だったら私はどうすればいいのだろうか。

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