後日談(8)



「てめえクラスのモブ女共と連絡先交換したってまじか」
 爆豪くんから定時連絡のごとく電話があったのは、芦戸さんたちと仲良くなったその日の晩、二十二時を回った頃だった。お互いの生活リズムが把握できているので大体この時間であれば食事も入浴もその他もろもろのことも一通り済んでいることが分かっている。爆豪くんからはいつも事前のメッセージなどがないので、そろそろ電話が来るなと思ったら目につく場所に携帯を置くことにしていた。
 ちょうど明日の予習が終わったところだったので、机の上に置いてあった携帯を手に布団の中に入る。歯磨きをしていないからまだ眠ることはできないけれど、なんとなく気分が晴れないのでごろごろしていたかった。   
「うん、モブっていうか芦戸さんと麗日さんね」
 私がそう答えると、電話越しに爆豪くんがむっとした空気を感じた。愛情表現は分かりにくいのに、不機嫌さをアピールすることに関しては爆豪くんは他の追随を許さない。私も爆豪くんの機嫌が悪くなることには察しが良くなった。とはいえ、こうも度々不機嫌になられるので最近では多少彼の機嫌を損ねたところでどうとも思わなくなっているのだけれども。

 こういう時は余計なことは言わないに限る。爆豪くんの次の一言をぼんやりしながら待っていると、業を煮やした爆豪くんがやっと口を開いた。
「どういうつもりだ?」
 その一言に、私は首を傾げる。
「どうって……、別に、また林間合宿のときみたいなことがあった時に何も分からないのは怖いから。緑谷くんの連絡先は知ってるけど、必ずしも緑谷くんに連絡がつくとは限らないし、折角だし連絡先交換しておいてもいいかなと思っただけだよ。緊急時の伝は多い方がいいから」
「あんなこと、もうねえよ」
「分かんないじゃん。そんなこと言って爆豪くん仮免落ちたし……」
「それは今関係ねえだろうが!」
「あと、いい子たちだったから、仲良くなれたら嬉しいなと思ったんだよ」
 私の返事が気に食わなかったのか、電話の向こうから舌打ちがひとつ聞こえた。
 やや狭量なところのある爆豪くんだが、しかし基本的に私の人間関係についてとやかく言ってくることはない。相手が男子ならばまた話は違うかもしれないけれど、基本的に私の友人は女子ばかりだからだ。爆豪くんの敵になりえなければ誰の仲良くしようがどうだっていいのだろう。だから、私が芦戸さんや麗日さんと仲良くしようが爆豪くんがどうこう言ってくることはないと思っていた。
 珍しいこともあるものだ。

 けれど爆豪くんは私が芦戸さんや麗日さんと親しくなったこと自体にどうこう言いたいわけではないようだった。
 ややあって、爆豪くんは「……何かあったんか」と低い声で尋ねた。怒っている声とはまた違う、訝しむような不審がるような、そんな声音である。自分の気持ちを示したりすることは上手くないのに、私が何か抱えているとすぐに見抜かれる。そしてその技能は段々と磨かれていっているような気もする。

 とはいえ、私の心の裡でもやもやとわだかまっている何かは爆豪くんに話すほどのことでもないものだ。曖昧模糊としていて、実態を掴めない靄のようなもの。話すことができるほど理路整然とまとまってはいない。自分でもよくわからないものを爆豪くんに話したところでどうなるものでもないだろう。
「なんも、ないけど」
「は? 辛気くせえんだよ。クソうぜえ」
「そうかな。自分ではいつも通りだと思うんだけど」
 実際のところ、それはまるきり嘘というわけではなかった。心の裡に靄がかかっていたとして、それが自分でもよく分からないものなのだから何も無いと言っても差し支えはない。
 爆豪くんは忙しい。雄英のヒーロー科はもともと普通の高校生とは違って多忙を極めるけれど、今年は敵からの襲撃を受けたこともあってさらに過密スケジュールで授業や訓練が組まれていると聞いた。
 私の、自分でも手に負えないもので爆豪くんの手を煩わせたくはなかった。

「あ、そんなことより今度のデートどうする? また講習の後って考えるとご飯食べるだけだよね。食べたいもの考えておくね」
「……おい」
「じゃっ、私はもう寝るので。爆豪くんも早く寝なよー。バイバーイ」
 そうして爆豪くんからさらに追求されるよりも先に電話を切った。爆豪くんはプライドが高いから私から先に電話を切ると不機嫌になる。また電話がかかってきたら困るなあと思ったけれど、幸いその晩爆豪くんから再び連絡が来ることは無かった。

 ★

 私はすっかり失念していたのだけれど、爆豪くんはプライドが高い上に割と執拗い。そして自分がこうと思ったこと、決めたことはけして曲げたりはしない人間である。
 翌日の土曜日、何故か私は高校近くのファミレスに呼び出されていた。せっかくの休日に用件も伝えないまま、電車で四十分もかかるようなところに呼び出すなんて理不尽なことをするのは私の知り合いにはひとりしかいない。
「言いてえことがあんなら言えよ」
「いや呼び出したのは爆豪くんなんですが」
 開口一番、喧嘩腰で私を睨む爆豪くんに私は正論で返した。

 私を呼び出したのはもちろん爆豪くんである。その用件はといえば、どうやら昨日の電話の件の続きのようだった。私としてはあまり続けたくない話題なので、正直どうにかして誤魔化したい。けれど爆豪くん相手に誤魔化そるとも思えない。
 爆豪くんは今日も授業だったので制服姿、私は家から来たので私服姿。はたから見れば高校生カップルの仲良さげなデートに見えるのだろうか、と関係ないことを考える。それは特に意味のない時間稼ぎのような思考だったけれど、爆豪くんの険のある視線を受けながらそんな考え事を続けることもできず、んぐぐと私は低く唸った。仕方がないので口を開く。
「なんだかいきなり喧嘩腰だね」
「てめえがうじうじしてっから親切に聞いてやってんだろうが」
「親切な人の口ぶりじゃないんですけど」
 へらりと笑ってみたものの、爆豪くんは笑うのは愚か侮蔑の溜息すら吐いてくれなかった。ぶすっとした顔をして変わらずこちらを睨みつけている。

 電話ならばぶつりと切ってしまえば強制的に話を終えてしまうことができるけれど、対面している以上そういうわけにもいかない。そして爆豪くんは、私が隠し事をしたところでそんなものは簡単に看破するのだろう。
 暫し沈黙して、しかし結局逃げ切ることは出来ないと観念した。

「爆豪くんなんて、粗暴だし口悪いしヤンキーだしすぐ人のこと叩くし怖いし無視するし向けた無茶ぶりもするし返事の代わりに舌打ちするし私が注文したもの平気で半分くらい食べるし体育祭の表彰台で拘束されてたり自信満々のくせに敵に拉致されたり仮免落ちたりするけど」
「おい、喧嘩売っんのか」
「でも、ごく稀に優しいしごくごく稀に恋人っぽい感じになるし、かっこいいし、すぐキレるのも一周回って面白いし強いし、すごいんだよね。……私はそういう爆豪くんのこと、結構好き」
 曖昧模糊としたものの縁から順に掬うように、私は言葉を紡いでいく。感情に言葉を当てはめるといった方が近いかもしれない。どこが終着なのかは分からない。それでも爆豪くんが言えというのだから、先行きも分からぬままでも話すしかないのだ。自分の気持ちを御し切れていないことは少しだけ怖いけれど。それでも爆豪くんは聞いてくれているから。

「雄英の人たちはさ、そういう爆豪くんのすごいところをちゃんと分かってるんだよね。爆豪くんの性格がだいぶ最悪なこと分かってて、それでも強くて真面目で自分にも他人にも厳しくてすごい人ってことを分かってる。中学までみたいな、爆豪くんの上っ面で好きになったり嫌いになったりする人ばっかりの環境じゃないんだよね」
 芦戸さんたちの言葉がふわりと脳裏に蘇る。私と違ってすごい個性を持った、爆豪くんと同じ場所にいる人たち。一緒にチームを組んだり、対等に戦える人たち。
 たとえば爆豪くんが敵にさらわれても、それをテレビで知るだけじゃない、自分たちの力で戦うことが出来る人たち。私と同じ年なのに、努力をして将来に向けて頑張っている人たち。

 爆豪くんと同じ景色を見ることが出来る人たち。

 当たり前だけど、そんな人はこの世界には私以外にも沢山いるのだ。そしてそれは喜ばしいことでもある。爆豪くんを理解してくれる人がひとりでも多くいる、それは爆豪くんにとってかけがえない財産になる。これからヒーローになって、危険に立ち向かう時、爆豪くんのことを理解し、認め、信頼してくる人が近くにいることはきっと爆豪くん本人が思っている以上に大切なことになると思うのだ。
 それなのに何故だろう。彼女としてこんなに嬉しいことは無いはずはのに、私はそのことを素直に喜べない。言いようのない暗い感情が湧き上がってきて心の中をひたひたと侵食してしまう。嫌なのに、喜びたいのに、そうできない自分がいる。

 自分だけが特別なんかじゃない。そんなの知ってたはずなのに。

「爆豪くんのすごくてかっこいいところを分かってるのは私だけじゃないんだって、今更気付いたってだけ」
 みっともなくてみじめで、おまけに爆豪くんのことを笑えない狭量さ。自分でも直視したくなかった自分の矮小さをなぜ赤裸々に爆豪くんに曝け出さなきゃならないのだろう。
 今すぐここから立ち去りたい。家に帰って何もかもシャットアウトして眠りたい。そんな欲求に駆られながら、私は伏せていた視線を上げ、爆豪くんの顔を見る。そして目を見開いた。

 幻滅したかと思っていた爆豪くんは、めちゃくちゃ嬉しそうに悪い顔をしていた。
 先程までの不服そうな表情はどこへやら、今はどこまでもにやにやと意地の悪い表情を浮かべて私を見ている。思わず引いた。エッ、何こわい。

 そんな私のドン引きなど意にも介さず、爆豪くんは意地悪い顔のまま私の方に顎をしゃくる。そして言った。
「てめえ、妬いてんのかよ」
「は!?」
「しかも、個人じゃなく『雄英生』に」
「なんでそうなるの」
「そうとしか思えねえだろうがよ」
 いや、そうとは全く思えないのだけれど、と反論を試みたところで何故か爆豪くんに頭を叩かれた。表情を伺い見てもけして怒っているわけではなさそうで、つまり爆豪くんは今、喜びや面白さの発露で私の頭を叩いたということになる。心底信じられない。情緒と言動に一貫性がないどころか完全に間違った結びつき方をしているんじゃないだろうか。笑いながら人を叩くのは異常者のやることだ。

 完全にドン引きを禁じ得ない私に対して、しかし当の爆豪くんは頗る期限が良さそうだった。悪どい顔をしてはいるけれど、オーラが陽気なのだ。陽気な悪人。組み合わせとしてはだいぶ最悪だ。
 その最悪な組み合わせを体現している爆豪くんは、ジンジャーエールを一口飲むと鼻を鳴らして笑った。
「いいんじゃねえか。嫉妬なんざ、やることがみみっちくて庶民のてめえにゃ似合いだな」
「は、みみっちいとか爆豪くんにだけは言われたくないんだけど」
 私の軽口に、普段ならば容赦ない暴言が返ってくるところだけれど今日はそれもない。やはり、余程機嫌がいいと見える。
 ずぞぞと一気にジンジャーエールを飲み干した爆豪くんは、その間だんまりを決め込んで爆豪くんのことをじとりと見ていた私に再び焦点を合わせる。まじまじと見つめられ少しだけ私が怯んだところで、彼は今日一番口角を上げて笑った。
「嫉妬ねえ……てめえが俺のことそんなに好きとはなあ?」
「だからなんでそうなるの」
「否定すんな根暗」
「ていうか嫉妬なら爆豪くんの方がするじゃん……この間もふたりで行った店で店員さんが、」
「んなこたァ今は関係ねえだろが!!!!」
 私のささやかな反撃に、やっと怒号が響いた。これこれ、爆豪くんはこれだ。怒鳴られているというのに何故か清々しい気持ちになった。爆豪くんの怒鳴り声は確かに威圧的だけれど、これはこれでもアイデンティティのひとつなのだ。

 オレンジジュースの入ったグラスを揺らしながら、私は爆豪くんの怒声に適当に合いの手を入れつつ考える。

 嫉妬。そう言われてみれば、まあ癪ではあるけれど確かにその言葉がしっくりくる気がした。爆豪くんの言う通り、私は爆豪くんの周りにいる、優れた人たちに妬いているのだろう。私だけが爆豪くんを理解しているわけじゃない。私だけが爆豪くんの凄さを知っているわけじゃない。
 爆豪くんのことを知ったら、もしかしたらあれだけ人間性が最悪でもそれを補って余りある謎の魅力で彼のことを好きになる奇特な人間が私以外にも出てくるかもしれない。そうなれば爆豪くんはわざわざ私のことなんか好きでいる必要は無い。もしかしたら私よりも優れた私以外の理解者に鞍替えしてしまうかもしれない。
 嫉妬の奥底にはそんな危惧が潜んでいたように思う。悔しい。爆豪くんのことを分かる人間が私以外にもいることが、どうしようもなく悔しい。

 と、唐突に額に激しい痛みが走った。はっとする。爆豪くんが私の額をしたたかでこぴんしていた。
「ちょ、な、なに……痛い……」
「根暗のくせに俺の前でほかごと考えてんじゃねえ。大体な、てめえごときが頭悩ませることはねえんだよ。てめえほどクソ生意気で俺を振り回してる根暗は他にゃいねえわ」
「何それ……、言ってること滅茶苦茶だよ」
「は?」
 爆豪くんのその傍若無人ぶりに、思わず大きな溜息を吐いた。けれど、それと同時に馬鹿らしくもなる。今しがた吐かれた爆豪くんの言葉はかなり分かりにくく難解ではあるけれど、要約すれば何てことはない、ただの恥ずかしい愛情表現の台詞でしかない。こんな言葉を聞かせてもらえるのは多分、今のところは私だけだろう。それなのにほかの多数に嫉妬なんかしていても仕方が無い。
 ついつい口角が上がる。爆豪くんにとっての私は、多分厄介な根暗くらいのものだろうけれど、その厄介な根暗は爆豪くんに恥ずかしいことを言わせることに成功している。彼の理解者は私以外にもいるだろうけれど、その中で爆豪くんからの無茶苦茶な愛の言葉を聴けるのは私だけ。

「なんか馬鹿らしくなっちゃったよ。なんだっけ、心配しなくても爆豪くんは私のことが一番好きって話?」
「なんっでそうなんだ!!」
「そうとしか思えないでしょ」

prev - index - next
- ナノ -