後日談(4)



 爆豪くんの家。
 家のには中に入ったことは無いけれど、どこにあるかだけは知っている。付き合い始めたばかりの頃、デートで行ったお店がたまたま爆豪くんの家の近所で、近くを通ったついでに教えてもらったのだ。その時はまさかこんなにもすぐにひとりで爆豪くんの家に行くことになるとは思ってもいなかったから、これはまた大きい家に住んでるんだな爆豪くんくらいにしか思っていなかった。その結果、かなり朧気な記憶を頼りに歩いていく羽目になってしまったのだけれど、何はともあれ無事に辿り着くことが出来た。相変わらず大きな家である。
 玄関の前で時計を確認した。夕飯時にはまだ早い時間だから迷惑にはならないだろうけれど、何の連絡もない押しかけだからそもそも家の中に爆豪くんがいるかも分からない。手土産まで買ってきたのにこれで不在だったら拍子抜けだ。

「はー……」
 両手を腰に当てて空を仰ぐ。深呼吸というには情けない、長い長い呼吸。私らしくもなく少しだけ緊張していた。何せ爆豪くんは私とはすっかり別れたつもりでいるのかもしれないのだ。もしそうだとしたら押しかけてきたこと自体を迷惑に思われる。というか厄介な女すぎて自分が爆豪くんならちょっと引く。
 それによくよく考えてみれば、近所のコンビニに行くつもりで家を出てきているので着ている服も適当に引っ掛けたパーカーにスキニーだった。足元はスニーカーで色気の欠片もないような格好だ。少なくとも付き合ってから爆豪くんに見せた私服ではダントツでカジュアル、というかやる気がない。そりゃあ中学時代のあの死ぬほどダサい制服の着こなしを知られているのだから何を今更という話ではあるのだけれど、そうじゃないのだ。そういう問題じゃない。
 装備が心もとないと戦闘にもその心もとなさが影響してしまうのはゲームの世界も現実の世界も同じこと。折角手土産まで持ってきているというのに、ここに至って急速に萎えてしまった闘志を胸に、私はくるりと百八十度方向転換した。そうだ、爆豪くんと顔を合わせるのも半月以上開いてしまったのだし、ここは万全の体勢で爆豪くんに臨まなければならないからな。仕方がないけどな、今日のところはいったん引くことにしよう。そうしよう。情けない気持ちに理由をつけて私は大きく頷く。
「よし、やっぱり出直そ、」
「何しとんだ、不審者」
「ウワッ!?!?」

 唐突に背後から声をかけられ、素っ頓狂な声をあげた。完全に注意が自分の裡に向いていたのでうっかり飛び上がってしまいそうなのを何とか堪えて振り返れば、棒アイスを頬張った目つきの悪いガラの悪い男の子がそこにいた。ていうか爆豪くんだった。
「根暗、てめえ人んちの前でうろうろしやがって根暗な上に不審者か。最低だな」
「えっ、いや、爆豪くん何故ここに。暫くは家から出ちゃいけないんじゃないの?」
「あ? 知るか、んなこと」
 いつも通りの仏頂面で平然と言ってのける爆豪くんである。敵からの襲撃を受け拉致されるという結構な事件に巻き込まれているのだから、自宅から出てはいけないというのはきっとそれなりの重さを持った上の人たちからの指示のはずだ。しかし爆豪くんはそんなものは気にも留めていないようだった。
 先ほどまでの私と同じように完全に「ちょっとそこまで」のラフな格好でそこに立っている爆豪くんは、まさに私と同じくコンビニ帰りのようである。ついこの間まで敵連合に拉致されていた人間とは思えない危機意識の薄さだ。見ているこちらが不安になる。
 しかしそれはそれとして、先ほどの台詞からして私がうだうだ言いながら爆豪くんの家の前でうろうろしていたところを、恐らく爆豪くんは離れたところから見ていたのだろう。あまりに趣味が悪い。見ていたのならもっと早く声を掛けてくれ。それができないならせめて見なかったことにするくらいの配慮があってもいいものを。爆豪くんに配慮など求めても無駄と分かっているので、私はひっそり脳内で抗議した。実際に口に出して抗議しないのは、しても一切聞き入れてもらえないことを知っているからだ。
 見られていたという気まずさから何となく視線を下に落とすと、爆豪くんが舌打ちする音が聞こえた。悪いことをしているわけではないのになぜか怒られた子供のようになっている。寧ろ私は半月前に爆豪くんにひどいことを言われた側として憤慨した態度をとって見せてもいいような立場のはずなのに。世界は理不尽である。

「で、てめえは何しに来たんだよ。こんなとこ別に用もねえだろ」
 俯いていてもなお爆豪くんが私に視線を定めたのが分かった。彼の言う通り、このあたりは住宅街なので普段足を運ぶこともない。ここから何本か外れれば大通りに出るけれど、わざわざ入り組んだ住宅街にいるというのは何か目的があってどこかのお宅を訪問ということでもない限りそうそうないだろう。
「えっと、だから、つまりさ」
「……んだよ」
「ば……爆豪くん生きてるかなって」
「んだてめゴルァ嫌味か!?!?」
 言った瞬間怒鳴られた。めちゃくちゃな勢いで詰め寄られ、思わず後退する。聞かれたから正直に用件を言っただけなのに。
「エッ、普通に心配してただけですが……。好意だよ、ほら、シュークリームも持ってきたよ」
「いらねえわ!」
「いらないの……?」
 挙句の果てには手土産で持ってきたシュークリームまでいらないと言われてしまい、いよいよ途方に暮れてしまう私だった。持参したのは人にお土産で持っていくときくらいしか買わないちょっと高級なシュークリームだから味が美味しいことは間違いないのだけれど、そうか爆豪くんいらなかったのか、と少しだけがっかりする。爆豪くんが甘いものを特別好きなわけではないことは知っていたけれど、でもそうか、いらなかったのか。美味しいのに。
 と、人知れず気落ちしていたら爆豪くんがアイスを食べ終えて歩き始める。私の横を通り過ぎガチャガチャと乱暴な手つきで玄関の扉を開けた彼は、再び舌打ちをひとつ打つと私の方を向いて言った。
「こんなクソ暑いとこに立ってられっか」
「あ、じゃあ私は帰る」
「あ゙!? 勝手に帰んなクソボケが! さっさ上がれ!」
「エッ、いやお邪魔するのはちょっと……あらゆる準備が」
「ババアもクソ親父もいねえよ」
 私の言う準備を「彼氏の親に会う準備」ととらえただろう爆豪くんはそれだけ言うと、玄関の扉を全開に開いて家の中に入っていった。わざわざ全開にしてくれたおかげで扉は爆豪くんが手を離した後も私を迎え入れるかのように開いたままである。恐らく私があの扉を閉めなければ、爆豪家は不用心にも扉を開け放したままになってしまうだろう。泥棒が入ってくるくらいならば爆豪くんが返り討ちにできるけれど、季節柄虫だって入ってくるだろう。爆豪くんはいいとして、帰宅したご両親に迷惑がかかってしまうのは多分よくない。
 あと単純に、私がここで勝手に帰ったら爆豪くんのいらだちにさらに油を注いでしまうだけだ。それもよくない。
「えー……じゃあ、お邪魔します」
 私に選択肢はない。仕方がないので遠慮がちに爆豪くんの家にあがることにした。よそのお宅に上がるとなるとサンダルで出てこなくてよかったな、とスニーカーを脱ぎながら少しだけ思う。ラフな格好がここにきて役立った。

 きょろきょろしながら上がると、先に家の中に入っていた爆豪くんがキッチンから麦茶の入ったコップを持ってでてきた。意外にも両手にひとつずつコップを持っていて、私にもお茶を出してくれるくらいのホスピタリティはあるようだ。
 爆豪くんに続いて二階に上がる。いくつかある部屋の中で通されたのは爆豪くんの部屋だった。ばれないようにぐるりと見回してみたけれど思っていたよりもずっと片付いている。こんな思いがけない訪問に対応できるくらい普段からきちんと部屋を片付けているなんて、さすが私とは大違いだ。爆豪くんって本当に性格以外はよくできた人間なのだと改めて再認識する。
 麦茶と一緒に爆豪くんが持ってきたお皿に持参したシュークリームを載せた。私もひとついただくことにして、ふうと一息和んだところで、爆豪くんがじろりとこちらを見ていることに気がついた。ここに来た用件を言うよう促されている。視線だけでそのくらいは察することができるくらいには、私は爆豪くんのことを分かるようになっていた。
 今日何度目かの長い溜息をつく。私を睨んだきり、爆豪くんは何も言わない。
「なんか色々大変だったみたいだから、その……ちょっと心配した」
「別に。大したことねえわ」
「……でも本当に無事でよかった。爆豪くんが拉致されてる間テレビとかずっとあの事件で持ちきりだったからさ、爆豪くん死んで……はいないと思ったけどボコボコにされて原型とどめてないくらいけちょんけちょんにされてるんじゃないかと思った」
「てめえナメとんのか!?」
「だっていくら強いって言っても爆豪くん高校生だし、本当ボッコボコのズタボロにされてたらどうしよって」
「んなことなるわけねえだろうが!」
 爆豪くんが怒鳴るけれどこれしきのことで今更動じることはない。私がびくともしないので、爆豪くんは面白くなさそうに鼻を鳴らした。そのまま私も爆豪くんも黙ってしまったので、暫し沈黙が流れる。そういえば私と爆豪くんは喧嘩中なのだったな、と定期的に思い出さないと忘れてしまう事実を再び思い出し、私は膝の上の置いた両手を意味もなく弄ぶ。三日前に塗りなおしたばかりのクリアコートが爪の先から剥げてきていたのに気が付いた。ついついそこを削るように爪を立てる。居心地が悪いと普段気にならないことが気になって仕方がない。
 
「……私は謝らないよ」
 爪の先をこすりながら、視線を手元にやったまま私はぽつりと呟く。仏頂面で窓の外を眺めていた爆豪くんは、訝し気な表情で「は?」と返事なのかよく分からない返事をした。
「この間のこと。私は絶対謝らない。だって間違ったこと言ってないし、人の外見で悪口言う人間の方こそゴミクズ最底辺野郎って思ってる」
「てめえ……」
 ぼろくそに言ったので、爆豪くんが今にも両手に着火しそうな勢いでどすの利いた声を発した。当たり前だ。こっちはわざと爆豪くんが怒りそうな言葉を選んでいる。
 この件に関しては私は自分に非があるとは一切思っていないし、このくらい言わないと私が怒っていることが伝わらないんじゃないかとも思っていた。爆豪くんが私を睨んでいるのが痛いほど伝わってくる。視線はまだ上げていない。顔は俯いたまま私は続けた。
「間違ったことは言ってないし謝る気もない。でも、爆豪くんが攫われたって知った時、喧嘩別れみたいになるのは嫌だなって思った」
「……」
「いくら人間性に問題があっても、もう会えなくなるのは嫌だよ」
「……」
「……」
「って、おい! てめえおいゴルァ! 人間性に問題なんかねえわ!」
「あるよ、結構大いにあるよ」
 シリアスな空気をぶち壊す爆豪くんに、私もついついいつもの調子で返してしまったけれど、とにかくそういうことなのだった。私は爆豪くんの人間性に関しては不満しかない。それはもう純然たる事実なのだが、それでも私は爆豪くんが危険な目に遭ったと聞いて居ても立ってもいられないほど心配してしまったし、帰ってきてくれたと聞いて心の底から安心した。会えなくなるなんてこと、私には多分堪えられない。そのくらい私は爆豪くんのことが好きだ。たとえそれが持ち寄る愛情の量が見合わない、ほとんど私からの一方的な関係だったとしても。

「謝らないけど。絶対に謝らないけど、でも、帰ってきてくれてよかった。おかえり、爆豪くん」
「……帰ってくるに決まってんだろうが。根暗女」
「あと今後ブスとかデブとか思っても絶対口にしないで。私の前でだけでもいいから」
「……んなことてめえに思うわけねえだろうが、アホ」
 その言葉が聞こえたのとほとんど同時に、背中に温度を感じた。背後から何か固いものがぐいと私の首に回される。それが爆豪くんの腕だと理解した瞬間、このまま締めあげられるのではないかと咄嗟に身の危険を感じた。けれど私の本能的な危機感とは裏腹に、爆豪くんの腕が私の気管を締めあげることはなく、代わりに軽く力が込められた程度だった。あ、もしかしてこれ抱きしめられてるんじゃないだろうかと、ここに至って漸く気付く。そして抱きしめられているとそう意識した瞬間、弛まっていた身体が再び強張った。爆豪くんが私を抱きしめている。私の肩口に額を当てているのか、首にちくちくと彼の髪が触れてむず痒い。けれどむず痒いとかそんなことを言っている場合ではなく。

「あの、爆豪くん、あの」
「俺だって死んでも謝らねえ」
「え? え、いや、はあ……そうですか」
 爆豪くんの言葉に思わずそんな間抜けな返事をしてしまった。私のことを抱きしめておきながら言うに事欠いてそんな開き直りかよと思わないでもないけれど、さすがにこのシチュエーションでそこまでは言えなかった。何せ爆豪くんの腕が私の首にかかっているのだ。うっかりへまをしたら死ぬ。恋人に初めて抱きしめられたどきどきと生死を爆豪くんという凶悪な人間に握られているスリルが相まって、私の心拍数は尋常じゃないほどに上昇していた。
 ふと視線を逸らせば、窓の外は色濃い藍色に染まりゆく頃だった。爆豪くんの体温はあたたかい。クーラーで冷えた部屋の中ではその温度は心地よく思える。人間性は最悪だけれど、それでもこのあたたかい温度の人間は今私を抱きしめている。爆豪くんに対して言葉がないなら態度で示せと思ったのはつい最近のことだっただろうか、確かにこうして抱きしめられていると憤っていた気持ちもするすると解けていくような気がした。
「まあ、いいか……私が大人になって今回のことは水に流してあげるよ」
「……チッ」
「いや、舌打ちする場面じゃないよ」
 ぶれない爆豪くんだった。苦笑交じりに言うともう一度舌打ちで返事をされた。
「うるせえわ。つかてめえ、この間みたいなのはほかの男にバレねえ程度にやれ、根暗」
 脈絡のない言葉に私は抱きしめられたまま首を傾げる。ごつ、と爆豪くんの頭に自分の頭がぶつかったけれど特に文句を言われるわけでもなかった。
「この間って何の話」
「化粧」
「…………いや、バレない程度じゃ化粧する意味ないでしょ」
「だからほかの男にっつってんだろ。てめえの口やら顔がいつもより赤けりゃ俺は気付くわ馬鹿が。てめえら凡人の観察眼とは違ェんだよ」
「エッ」
 瞬間、私の首に回された腕に一段と力が籠られる。その拍子に「ぐえ」と潰れたカエルみたいな声が出てしまったけれどそんなことを気にしている場合じゃなかった。今日一番の照れが私を襲う。今のはもしかして爆豪くんなりのデレみたいなものなのだろうか。果てしなく分かりにくいし、その上何一つ言葉に出して褒められたりしているわけではないけれど、恋人の直感が告げていた。今のは爆豪くんなりの最大級の愛情表現である。
「そんなのずるい。婚活リップまた買おう……」
「あ゙?」

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