後日談(3)



 あれから数日。薄々分かってはいたけれど爆豪くんから連絡はこなかった。爆豪くんのキャラを考えれば彼から謝ることなんかないだろうから私が謝らなければこのまま自然消滅だって有り得る話だ。というかもしかして既に爆豪くんの中では別れたことになっている可能性すらある。恐ろしい話だけれど大いにありうる。
 もう夕方、いや夜といってもいい時間なのに私ときたら今朝起きたときと同じTシャツとジャージのままだった。やる気のなさもここに極まれりという感じだが、特に予定もない一日でやる気なんて出るはずもない。両親とも仕事で帰りが遅くなるというから、夏休み中の私は夕飯として適当にカレーをつくって一人で食べている。孤独である。

 カレーを食べながら、爆豪くんは今ごろ林間合宿中だろうかと考えた。昼も夜もクラスの友人たちと一緒に訓練したり寝食を共にしたりして、さぞ楽しいに違いない。私のことなんかきっと一ミリも思い出したりしないのだろう。
 ああ、本当に私はなんだって爆豪くんのことなんか好きになってしまったのだろう。考えても仕方ないことを考えては溜息をつく。百人いれば百人ともが性格に難アリだと判断するだろう人間に恋をするなんて、運が悪かったとしか思えない。嫌だとは思っても嫌いにはなれないところまで含めて、本当に運が悪かった。
 今だってそうだ。爆豪くんはどうせ私のことなんか忘れて合宿をエンジョイしてるに違いないのに、私だけが喧嘩したことにもやもやしている。私ばっかり損している。

 あの後、家に帰ってから色々考えた。ブスと言われた直後はとにかくその事実が腹立たしくて悲しくて仕方がなかったのだけれど、落ち着いて思い返してみればそもそも他人の外見についてとやかく言うということ自体人としてどうなんだということに思い至った。美醜の基準はその人次第ではあるし、私だって太っているとか頭がハゲているとかそういうことを他人に対して思うことはあるけれど、しかしそれを当の本人に直接言うような真似は絶対にしない。良識ある人間としての常識だからだ。
 いくら相手が私だからって、見たまんまブスとか言うの、まじで爆豪くん最悪じゃん。と、これが今の私の爆豪くんへの正直な感想だった。性格が最悪なことは知っていたけれど、本気の本気で最悪だと思ったのは中学時代、緑谷くんに自殺教唆しているのを目撃してしまったとき以来だった。ただひとつ違うのは、今の私は爆豪くんと付き合っていて、多少なりとも情があるということ。即ち、いくら性格が最悪だと分かっていても嫌いになれるわけではないのである。悲しいけれど。

 ──いや、まあ爆豪くんの方が私なんか願い下げか。

 はあ、と長い溜息を吐き出したその時、部屋着のポケットに入れていた携帯がブブブと震えた。もしや爆豪くんからかと大慌てで画面を叩いて確認してみるけれど、何てことはないクラスの友人だった。しかしメッセージではなく通話である。珍しいこともあるものだ。何だろう、何か急ぎの用事とか?
 首をひねりながら通話ボタンを押すなり、電話の向こう側から猛烈な勢いの叫び声が聞こえてきた。
「ちょっと名前ちゃん!! 大丈夫!?」
「えっ、な、何が……?」
「何がって、爆豪くん!」
「えっ、えっ、爆豪くんがどうかした? 喧嘩の話しなら依然膠着状態だけど、」
「そんな話じゃなくて! ていうかニュース見てないの!? どこの局も臨時ニュースで持ちきりだよ!?!?」
 電話越しなのに唾が飛んできそうな勢いでそう言われ、慌ててスプーンを置きテレビをつける。途端に目に飛び込んできたのは夜の闇の中に浮かぶ建物とその建物を囲むように鬱蒼と生い茂る樹木を空撮で捉えた映像だった。このあたりは比較的都市部なので近所で事件というわけではなさそうだ。
 早口なキャスターが捲し立てる言葉を耳が拾う。プッシーキャッツ、宿泊施設、雄英高校、敵連合、襲撃。途端に全身の血の気がさっと引くのが分かった。いくつかの単語が脳内で有機的に結びついてゆく。詳細を理解するまでもなく、危機的状況だということは明白だった。爆豪くんが、爆豪くんたちが林間合宿で宿泊していた施設が敵連合に襲われたのだ。そしてそこで民法、国営全局が臨時ニュースで取り上げるほどの、甚大な規模の被害が出たのだ。
「え……うそ」
 からからの喉から漏れ出した声は掠れていた。自分のものとは思えないそれが、余計に事の重大さを示しているように思える。被害の詳細は不透明であり、敵の人数なども分かっていない。少なくともニュースでは伝えられていない。けれど爆豪くんの性格からして、仮に爆豪くん自身が襲われていなかったとしても敵の中に突っ込んでいくようなことがあっても何らおかしくはなかった。どちらかといえば喧嘩っ早い性格だ。何なら喧嘩の種を求めているくらいである。けれど、いくら爆豪くんが強いとはいえそれでも彼はまだ学生だ。大怪我を負わされていたっておかしくはない。
「大変だ……」
 思わずそう呟くと、電話の向こうからまた大きな声で叱られる。
「大変どころじゃないよ! ていうかこれ爆豪くん死んだんじゃない!?」
「うわ、なんて縁起でもないことを……。大丈夫だよ、爆豪くん強いから怪我くらいはしてるかもしれないけど、さすがに死んではいないよ、多分」
 へらへらと軽い調子で返す。実際のところ心臓がばくばくと早鐘を打っているけれど、それを悟られるわけにはいかなかった。大丈夫、爆豪くんなら大丈夫。それは自分自身への暗示のようなものだ。大丈夫。だって最後に会ったときはあんなに元気にキレ散らかしていたし、まさかそんな、深刻な事態に巻き込まれてはいないはずだ。いや、敵の襲撃を受けたというだけでも十分に深刻だけれど。
「大丈夫だよ、だってまだ私爆豪くんと仲直りしてないし、それなのに爆豪くんに何かあるわけないって。爆豪くんらしくないっていうかさ」
「名前ちゃん……」
「大丈夫、うん、大丈夫だよ。絶対」

 と、ニュースの中のキャスターが一段と声を高く大きくして、今しがた手渡された原稿を読み上げた。

「たった今入ってきた情報に依りますと、この施設に宿泊していた雄英高校の生徒一名が敵連合側に連れ去られ安否不明であるとのことです。この連れ去られた生徒は昨年にも街中で敵に捕らわれヒーローに助け出されたことがあるとの情報もありますが、警察では今回の事件との関連を否定しており──」

 爆豪くんだ。
 そう直感したのと同時に握っていた携帯が床に落ちる音がした。

 ★

 あれから数日の間のことは正直ほとんど覚えていない。雄英高校が大バッシングを受けていることも、生還した雄英生のことも敵連合のことも、ニュースでひっきりなしに流れてくる情報はどれもこれもまったく記憶にとどまりはしなかった。見ているだけ、聞いているだけ。すべての事象がそんな風に私をすり抜けていく。私自身がつかみ取ろうとしていないのだから当たり前だ。

 敵に爆豪くんが連れ去られたと聞いた私が真っ先にしたことは緑谷くんに連絡することだった。個人的な連絡先を知らなかったから中学時代のグループトークから緑谷くんを探して連絡をしたのだけれど、その連絡にも返信はなかった。もしや緑谷くんも死んだのではとすら思い始めた数日たってから送られてきた返信には、緑谷くんもひどい怪我をして数日間意識を失っていたことが記されていて、却って恐ろしくなった。
 直後、わざわざ電話をかけてきてくれた緑谷くんは、
「でも敵の目的がかっちゃんだったってことは、多分そう簡単に殺されたりしないから大丈夫、……だと思う」と脅しているんだか励ましているんだか分からない情報も教えてくれた。雄英のヒーロー科に所属し既に心構えが違う緑谷くんにとってそれは希望のある情報なのかもしれないけれど、私のような一般人にしてみれば彼氏が敵に攫われた、しかも偶発的にではなく最初から標的にされていたというのは地獄のような情報でしかない。

 まだ入院中でそう長くは話せないという緑谷くんは、その情報を教えてくれた後、少しだけ雰囲気を柔らかくして言った。
「でもそっか……名字さんとかっちゃん、つ……付き合ってたんだ……」
「うん、ちょっと前から」
「かっちゃんそういうことあんまり人に話さないから」
「だろうね、緑谷くんと恋愛の話なんて死んでもしなさそう」
「……心配だよね、かっちゃんのこと」
「うん、気が付くとさ、爆豪くんに電話かけようとしてるんだよね。絶対出ないの分かってるんだけど」
「大丈夫だから。信じて待ってて」
 そう言った緑谷くんの言葉はまっすぐで、中学時代に小突き回されていたいじめられっ子の面影はまったく感じられなかった。それで気付く。何も敵の襲撃を受けたり体育祭で注目を浴びたのは爆豪くんだけではないのだ。緑谷くんだって雄英の生徒としてきっと日々成長している。私なんかには想像もできないような毎日を生きている。私だって、いつまでも不安になっているばかりではいられない。
 誰のことを信じてほしいのか。緑谷くんにそれを尋ねるより先に通話は切れてしまった。お礼を言いそびれてしまったことに気が付いて追撃のようにありがとうとメッセージを送ったけれど、それにはもう返事はこなかった。

 ★

 それからさらに数日。世間はめまぐるしく変化していた。敵の襲撃に始まった一連の騒動はオールマイトの引退とそのヒーロー生命をかけた決死の戦いで幕を閉じた。その余波を受けエンデヴァーがにわかに注目されたり犯罪の発生率の上昇が懸念されたり、あるいは神野で重傷を負ったヒーローたちの今後を憂う番組が放送されたりしているのだが、私にとってはオールマイトのことよりもとにかく、爆豪くんである。
 敵連合の手中から無事に救出された爆豪くんは、現在自宅から出ることを許されない半軟禁のような生活を送っているらしい。らしいというのは、あくまでこれも緑谷くん経由の情報だからである。無事に帰ってきたにも関わらず相変わらず私への連絡を一切寄越しやがらない爆豪くんに対して、腹立たしい気持ちでいっぱいの私も連絡を一切しておらず、国交断絶状態が続いていた。そういえば私たち喧嘩していたんだっけ、と思い出したのは爆豪くんが無事に帰ってきたことを知ってからである。いつでも会えるとなると腹立たしさが再び擡げてきてしまい、ついつい意固地になってしまうのだった。

「えっ、まだかっちゃんに会いに行ってないの!?」
 ある日の夕方、近所のコンビニに向かう途中で偶然鉢合わせした緑谷くんにそう言われ、私は苦笑いを返すしかなかった。既に爆豪くんが戻ってきて一週間近く経過している。最後にデートして喧嘩した日から数えれば半月近く経っているだろうか。付き合ってからこんなに長く爆豪くんと顔を合わせないことは初めてだった。
「いや、会いに行こうとは思ってたんだけどね……。実はさ、忘れてたんだけど爆豪くんが林間合宿に行く前私たち喧嘩したんだよね。それを思い出して、うわ爆豪くんやっぱりむかつくなーとか思って連絡しなかったら向こうからも連絡来なくって、それで今に至ってるというか」
「かっちゃんは知ってたけど名字さんも案外頑固なんだね!?」
「そうかな? そこまででもないと思うんだけど。まあでも爆豪くんと付き合ってるんだし、ある程度しっかり自分を持ってないと敗けちゃいそうじゃない、爆豪くんに。だって侮られたりするの嫌でしょ。なあなあにしたら駄目だと思う」
 そう言いながらガッツポーズを作って見せると、緑谷くんは若干引いた顔をした。おい。引くな。

 中学時代の私と緑谷くんは大した接点もなかったし、時々掃除当番なんかで一緒になることがあれば会話もするけれど、積極的に仲良くするほどじゃなかった。高校に入ってからだって一学期に一度電車で一緒になったくらいでわざわざ顔を合わせることもない。今こうして会話しているのは爆豪くんという共通の話題があるからだ。
 爆豪くんと幼馴染をやれているなんて、私からしてみれば本当に奇特というか正気の沙汰とは思えない。私はまだ一応恋人という枠だし、世間とはかなりずれているとはいえ爆豪くんなりの「恋人扱い」を受けている。けれど緑谷くんはなかなか壮絶にひどいことをされてきているのだ。私だったら絶対縁を切ってると思う。普通に嫌だから。とはいえ、緑谷くんからしてみたら、幼馴染という自動的に決められる関係よりも能動的に爆豪くんの彼女なんかやっている私の方が余程奇特な人間なのかもしれないけれど。
 同じようなことを緑谷くんも考えていたらしい。目が合うと曖昧に笑われた。
「なんか、かっちゃんと名字さんが付き合ってるって聞いた時にはとんでもない組み合わせだって思ったんだけど」
「どういう意味……」
「あ、いや、悪い意味じゃなくて、かっちゃんはあんな性格だから名字さんが振り回されて大変そうだなって」
「うん、まあそれはおおむね間違ってない」
「でも、こうやって名字さんの話聞いてたら、なんかちょっと分かった気がする」
「そう……?」
「うん、かっちゃんが名字さんのこと好きなのも分かる気がする」
 当の私にはいくら考えてもさっぱり分からないことが、何故か緑谷くんには分かるようだった。首を傾げる私に緑谷くんはあわあわと手を動かしながら「知ったようなこと言ってうざかった!? ごめん!」と謝る。別にそんなつもりはなかったけれど、その様子があまりに必死だったので思わず笑ってしまった。緑谷くんの謙虚さと爆豪くんの不遜さを足して二で割ればきっと丁度いい具合になるのに、世の中はうまくいかない。
「そっか、緑谷くんには分かるのか。さすが幼馴染。私なんて未だになんで付き合ってんのか全然分かんないけど、それももう仕方ないかなって思ってるよ」
「仕方ない?」
「うん。だって爆豪くんに好かれて逃げ切れる女子とかいなくない? 逃げたら怖いよ。爆豪くん死ぬほどしつこそうだし」
「た、確かに……ていうか今の発言かっちゃんにバレたら怒られるよ」
「いいんだって。私なんてまだ爆豪くんに好きとか一言も言われたことないからね。察しろしか言われてないのだいぶやばくない?」
「それはやばい」
「でしょ。だからちょっとくらい怒らせてもいいんだよ。あ、そういえばなんか久し振りに笑ったような気がするな」
 爆豪くんが拉致されからと今日まで、私の中で凝り固まっていた何かが少しだけほぐれたような気がする。張りつめていた糸が切れてしまう前に、今ここでゆるめてもらえてよかった。それもこれも緑谷くんのおかげだ。今度こそちゃんと緑谷くんにお礼を言ってから別れると、私はそのまま爆豪くんの家に向かった。

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